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ずるずると、大きすぎるマントを引きずりながら少女は長い廊下を歩く。
擦り切れかけた、古びた絨毯が敷かれるだけの床は、時折マントをひっかけてしまう。
そのたびに足を止めては面倒そうに少女は乱暴にマントを引く。
何度も繰り返すためか、裾はずいぶんとほつれてしまっていた。
「陛下」
こつんと、蹄が床を叩く音がする。
同時に床に引っかかっていたマントの裾がそっと持ち上げられた。
ほつれて垂れさがる糸さえも床に触れないよう、ずいぶんと高い位置まで持ち上げられている。
「ロー」
少女は振り返るが、自分の頭よりも高い位置に持ち上げられたマントに不愉快そうに眉を顰めた。
口を小さく開けたが、零れ落ちたのは文句ではなくため息だけだ。
異形の従者はそんな少女の様子は気にせず、ゆっくりと犬とよく似た口を開く。
「勉学の時間に図書室へおいでにならないので、何かあったのかと思いまして。予定を変更なさいますか?」
丁寧な口調の中に、わずかに責める色を感じ取り少女は口を閉ざす。
両手で抱えるように持っていた本をぎゅっと抱きしめる。
単純に時間を忘れて本を読みこんでしまっていただけなのだ。
だが、異形の従者は穏やかな口調とは裏腹に予定通りに事が進まないことを好まないことを少女は良く知っていた。
「遅れた分は夕食の後に時間を作る」
この従者が組んだ予定を頭の中で浚い、削りやすそうな予定の変更を口にすれば従者は満足げにうなずく。
それこそ自らが仕える主、というよりは教え子を見る教師のような表情。
まだ少女が幼いためか、そう言った表情を浮かべることが多い。
全てが古ぼけ、外観は廃墟と呼ばれても仕方ない様な城。
そして少女にかしずく異形の従者が少女の世界すべてだ。
かつて魔王城と呼ばれたその城の前の主は少女の父親であり、従者も元々は父親の従者だった。
まだ絨毯がそこまで古ぼけておらず、外観だって威圧的ではあるが綺麗に整っていた頃は少女の中にはもうおぼろげにしか残っていない。
埃がうっすら積もった廊下の端に気付き、少女は眉間にしわを刻む。
よくよく見れば従者が蹄で蹴り割ってしまったらしい床の一部が散らばっているし、隙間風による口笛のような合奏もずいぶんと煩いと感じるようになってきた。
「ロー、明日の予定を調整して」
他の部屋も確認したほうが良いかと考えつつ、少女は従者に告げる。
従者は突然の命令に、モノルクの奥の瞳を瞬かせた。しばらくそうしていたが、おもむろに懐から羊皮紙を取り出して、そちらに視線を落とす。
「……明日は軍議を予定していましたが、いかがなさいましょうか?」
「あとに回して。それより掃除」
少女の言葉に従者は胸に手を当てて「御意」と恭しく頭を下げる。
それに満足そうに頷き、少女は歩みを再開する。
とはいっても勉学の時間は後に回したため、これから図書室を目指すよりも次の予定地に向かった方が良いだろう。
「次の予定は定例報告にございます。報告書はまとめてありますので執務室へ参りましょう」
少女の思考を先んじるように頭を上げつつ、従者は予定を告げた。
そうして改めて片腕でマントを抱えなおし、もう片手を少女に差し出す。
人とよく似た、毛で覆われたて。少女はしばらくその手を見ていたが、ぱちんと従者の手を弾く。
「一人で歩けるわ」
つんと澄ませて見せた少女に、従者は弾かれた手を胸にあてて頭を下げる。
「失礼いたしました、魔王陛下」
あまり呼ばれない正式な呼び名に、少女は眼を瞬かせる。
だがすぐにつんと澄ました顔に戻して、「はやくいくわよ」と従者に告げて歩き出す。
従者の足は少女より長く、歩幅を合わせることは難しい。
それでも一度もマントを持ったまま少女を引っ張ることなく器用にその後ろをついて行く。
時折蹄が割れて絨毯の上に転がっていた壁や床の破片を踏み砕く鈍い音を聞きつつ、少女は少し前よりもサイズが小さく感じるようになった靴で慎重に廊下を歩くのだ。
少女が魔王陛下と呼ばれるようになった、三年目の春のこと。