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福祉課

「もし生活保護を受けるとしたら、世帯分離になりますね」

 役所の人が、機械的に言った。

「世帯分離?」

 博史はその目の前に座る役人の顔を見る。ザ・役人といった見るからにマジメそうな顔だった。

「はい、お母さんと別々に暮らすということです。住む場所を別々にするということですね」

「引っ越すということですか」

「はい」

「一緒に住めないということですか」

 博史は、生活保護は恥ずかしく、プライドもあり、どうしても嫌で避けていた。だが、目の前の生活の困窮はもうどうしようもなく、勇気を振り絞って市役所まで行き、福祉課の人間に相談していた。

「そういうことになります」

「でも、母は心臓に持病があって、一度発作で入院したことがって、今もいつどうなるか分からないんです。僕が傍にいないと・・」

「はあ・・、まあ、しかし、法律でそうなっていますので・・、私どもといたしましては・・」

 役人は渋い顔をする。そして、クネクネと言い訳じみた理屈をこね始める。その話の半分も理解できず、博史は混乱する。まるで博史にわざと理解させないようにするかのような小難しい話方だった。

「でも、何とかなりませんか」

「難しいですね」

「・・・」

 期待していた、そして、やっとの思いでやって来た福祉課だった。博史にとって最後の砦だった。

「御親戚か何かで、助けを求められる人はいませんか」

「いません」

 それがいればこんなところへ来てはいない。それは最初に、色々と事情を訊かれた時に、もうすでに詳しく説明していた。

「もし、生活保護を受けるとなった場合、一応ですね、こちらで親戚を三親等まで探して、本当にそうであるか照会をかけるということになっています」

「えっ」

 博史は驚く。

「そうなんですか」

 博史はまったく知らなかった。

「はい、決まりですので」

「・・・」

 父が迷惑をかけまくり、親戚からは総スカンで、ただでさえ恥をかいていた。そこに扶養照会などされたら、どれだけの恥辱を受けるか。博史は、絶望的な気持ちになる。

「何とかなりませんか」

「なりません」

 厳しい言い方だった。

「・・・」

 生活保護は無理だ。そんな恥をかくくらいなら死んだ方がましだ。博史はそう思った。

「生活保護を受けられるのは、ほとんどがお年寄りの方です。それも病気や障害で、もうどうしても働けないといった方たちですね」

「・・・」

「あなたはまだ若いですしね」

「・・・」

「みんながんばってますから」

「・・・」 

 まるで博史が、がんばっていないかのような言い方だった。その言葉に傷つき、そして、博史は猛烈な怒りが湧き上がった。もう、本当にどうしようもなくて、八方塞がりで、恥を忍んでここにやって来たのだ。

「高田さんよりも、辛い状況でがんばっている方もおられますしね」

「・・・」

 言葉は丁寧だが、博史の窮状の訴えを、暗に遠回しに退けるような冷たさの滲む言葉を役人は次々並べる。

「大切な税金ですのでね」

 そして、最後にまるで博史に対し言い含めるように言った。

「・・・」

 僕だって散々税金を払ってきた。博史は思った。安い給料の中から、所得税、住民税、おまけに消費税。第二の税金と呼ばれる、国保、年金。心身共にしんどい中がんばって働いて稼いだ十四、五万の安い給料の中から四万も五万も引かれてきた。それに、それを言っている役人自身が、その税金で食べている人間ではないか。

 しかし、それを言えば、喧嘩になる。そして、役所の人間と喧嘩なんかしても意味はなく無益なものだ。こんなところで、役人相手にそんな愚痴みたいなことを言って、喧嘩なんかしても何も変わりはしない。役人だって、下っ端で、上からやれと言われていることをただやっているだけだ。何か大きな決定権があるわけではない。だから、そんなことをしても、むしろ虚しくなるだけだ。博史は悔しさをかみ殺し黙っていた。しかし、その握った拳は震えていた。

「だめか・・」

 役所に相談してもダメだった。博史は暗澹たる思いで、その日、とぼとぼと家に帰って行った。もっと、お役所なんだから、困っている市民に対して、親身に相談に乗ってくれるものと思っていた。それが、まったくの真逆の対応だった。まるで、博史に生活保護を受けさせないようにしようとでもするように、否定的なことばかりを言う。相談に乗るというよりは、丁寧な対応ではあったが、追い返すような感じさえ受けた。

「・・・」

 勇気を振り絞ってやっと行った福祉課だった。だが、博史は、屈辱に似た感情が胸にせり上がっているのを感じていた。丁寧な口ぶりだったが、なぜか酷い侮辱を受けたような感覚があった。

「いや・・」

 いや、そんなことはない。役所の人間がそんなことをするはずがない。自分の被害妄想だ。博史は、自分に言い聞かせるように その考えを打ち消した。

「どこ行ってたんだい?」

 母が帰って来た博史の様子に、声をかける。

「うん・・、ちょっと・・」

 出口のない貧困は、ただただ疲弊していくだけの絶望だった。なんの発展性もない惨めな人生だった。博史は、目の前が真っ暗になるような絶望を感じていた。

「最近野菜の値段も上がったねぇ」

 夕食時、母が箸でつまんだお味噌汁のナスをしげしげと眺めながらどこか呑気に言った。

「野菜だけじゃないよ」

 博史が答える。相変わらず世界的な物価高が襲っていた。何もかもが恐ろしいほどにまた値上がりしていた。その値段の上がり方はもはや尋常なものではなかった。

 しかし、博史の母は体が悪く、ほとんど買い物に行かず、博史が仕事帰りに買い物をしていた。だから、母は今、どれぐらい物価が恐ろしいことになっているか詳しくは分かっていなかった。だから、どこか呑気にそんなことを言う。

「はあ」

 博史は思わずため息をついていた。

「増税?」

 朝、出勤して事務所に何となしに置いてあった新聞の一面を見て博史は驚く。博史は新聞を両手で握るようにして掴んだ。

「増税?」 

 顔を近づけ、食い入るようにして何度記事を読んでも信じられなかった。こんなにみんな生活が苦しいのに、ここに来て増税?博史は、何度も何度も新聞のその記事を繰り返し読んだ。しかも、増税の目的が、軍事費だった。信じられなかった。こんなに、長く続いたデフレ不況に、コロナ、物価高ときて、国民が疲弊しているのに、そして、博史自身生活が破綻しそうなほどに困窮しているというのに、軍事費を二倍に上げるという。その額、四十三兆円。

「軍事費?四十三兆円?」

 何度読んでも信じられなかった。怒りを通り越して、くらくらと気が遠くなるような錯覚を博史は覚えた。本当にこれが現実なのか、博史は疑わしくなるほどに、ショックを受けていた。

 そして、新聞を持つ手が震えた。 

「ふざけるな」

 ふざけるな。博史はやり場のない怒りに震えた。

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