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物価高と生活苦

「・・・」

 博史は、施設内を歩いていた。

 巡回業務。博史には週に一回ほど回って来る、施設内を歩いて見て回る仕事。平和な日本。のどかな祝日の昼間。福祉施設。何かあるわけはない。それはただ歩くだけの、暇つぶしでしかなかった。

 丸一日七時間、ただただ、歩き、時間が過ぎるのを待つだけの仕事。これが意外と精神的にきつかった。生産性もやりがいもない、もちろん充実感もない。忙し過ぎるのも辛いが、暇過ぎるのも辛い。それに歩き回るのは腰に負担がかかった。

 人生の貴重な時間を無駄にしている。博史はこの業務をするたびに思った。そのことが、涙が出そうになるほど辛かった。三十八歳。気づけば青春も若さも終わっていた。

 博史には夢があった。博史は小さい頃から漫画家になりたいという夢があった。でも、精神を病んでいたのと、母子家庭で家が貧しく働かざる負えず、漫画を描く時間はなかなか作れなかった。それでもコツコツ博史は時間を見つけては漫画を描き続けていた。だからこそ、限りある人生の時間の中で、こんな無駄な時間を過ごし、人生の貴重な時間が奪われていくそのことが堪らなく辛かった。

 夢を追うにもそれなりの恵まれた環境と時間とお金がいる。博史にはそれがまったくなかった。生まれながらに、お金も時間も夢を追う環境もすべてが揃っている奴もいる。博史は、今日も意味のない無駄な巡回業務をしながら、自分の人生に、絶望に似た虚しさを感じた。


「ぜってぇ、ショッカーにだけにはなりたくねぇよな」

「どんなに金に困ってもな」

 昼休み、休憩している純の隣りのテーブルから、若者の話し声が聞こえてきた。この福祉施設の整備を担当している部署の若い連中だった。

「でも、給料はいいらしいぜ」

「マジか」

「じゃあ、俺ここ辞めて行こうかな」

「変わり身早ぇな」

 そこでみんな笑う。

「ショッカーってどの求人見ても載ってるよな」

「ああ、なんか求人いつも出てるよな」

「そうそう職安行っても、自衛官と看護師と介護士とショッカーはいつも募集してるわ」

「そうそう」

「でも、どんだけ給料よくてもショッカーはやだな」

「俺もやだな」

「ほぼ、人生の罰ゲームだよな。あれは」

 隣りで聞いていた博史も同じことを思った。ショッカーだけは嫌だった。弱くてカッコ悪くて、そして、何より悪い奴らだった。

「しかし、ショッカーって滅茶苦茶弱ぇよな」

「何でいるのかすらが分からんよな」

「存在意義が分からん」

「そうそう、すぐやられんのにな」

 みんな笑っている。

「最初から怪人だけでいいじゃんな。どうせやられんだから」

「やられるためにいるようなもんだよな」

「そうそう」

「添え物だよな。明らかに。ハンバーグの隣りの人参みたいな」

「グリーンピースみたいな」

「イモみたいな」

「いや、イモは違うだろ。そこまでではないだろ。ポテトはそれだけで主役張れる時もあるだろ」

「おっ、お前ポテトに熱いな」

「ポテトバカにすんな」

「なんでそんなにポテトに力込めてんだよ」

 みんな笑う。

「お前ポテトのない世界考えてみろ」

「だから、何でお前はそんなにポテトにこだわってんだよ」

 そこで、みんなさらに爆笑する。

「俺はポテトめっちゃ好きなんだよ。ポテトうまいだろ」

「そりゃうまいけど、そんなに力込めるとこか?」

「ポテトは最高なんだよ」

「バカだこいつ。ははははっ」

 そんな下らない話で隣りは盛り上がっていた。

「・・・」

 そんな、彼らを博史はうらやましいと感じていた。博史にはそんなバカ話をする同世代の同僚も友だちも一人もいなかった。


「また外れた」

 送られてきた通知を見て、博史は憤る。公営住宅の応募にまた外れた。もう期待すら持たなくなってはいたが、しかし、やっぱり、その突きつけられた結果には腹が立つ。

 公営住宅の応募は、倍率が高く、当たることなど奇跡みたいな世界だった。応募しても応募しても外れてばかりだった。最初に応募してからもう何年が経つだろうか。覚えていないほどの年月がもうかかっていた。

 収入に応じての家賃設定。それであれば、今住んでいる共益費込み三K家賃四万三千円のUR団地の家賃の三分の一か四分の一で済む。低収入の者にとって家賃負担は大きかった。一万でも二万でも、それが軽減されるだけで、貧困家庭にとってかなり生活は楽になる。

 しかし、地方自治体や国はそうであるにもかかわらず、市や国は公営住宅を増やすことは一向にしようとしない。それどころか、その公的住宅の数を減らす方向に向かっていた。博史のような立場の人間にはまったく意味が分からなかった。

 そして、貧乏に追い打ちをかけるように、ここ最近、物価が恐ろしいほどに上がっていた。ウクライナ戦争や原油高が重なり、その勢いは止まるところを知らなかった。博史がスーパーに買い物に行く度に、その値段を見て恐怖を感じるほどだった。最初の頃は一割ならまだしょうがないと思えた。しかし、それが二割三割となってくると、背中に薄ら寒いものを感じ始める。そこにさらに、消費税が八%十%上乗せされてくるのだ。

 その影響は当然、貧しい博史の家庭を直撃する。博史がスーパーに買いものに行っても、食べたいものではなく、安売りのものか、古くなった値下げ商品だけしか買えなくなった。そして、そんな現状の中で、ついに米までが上がり始めた。米は貧乏な生活の博史の家庭では主軸になる食べ物だった。とりあえず米さえあれば、飢えることもなく何とかしのいでいけた。しかし、それが五割から十割も上がり始めた。博史は今まで一番安い十キロ三千円くらいのお米を買っていたが、それが店頭から消え、四千円とか五千円、倍の六千円といったものしかなくなった。千円二千円を切り詰め生活している博史のような家庭には大打撃だった。しかも、そこに地震が起こり、南海トラフ地震が来るかもと政府が言ったことで、買占めが起こり、それすらが店頭から消えた。買いたくても買えない状況にまでなった。

 しかし、政府には備蓄米があった。そのことを博史も知っていた。それを出せば問題ないはずだった。博史は当然政府はそうするだろうと思った。しかし、それを政府は出さないと言う。

「何でだよ」

 その大臣会見のニュースを見て、博史は思わず叫ぶように声を上げた。意味が分からなかった。こんなに庶民派困窮しているのに、なぜ出さないのかまったく意味が分からなかった。博史はテレビの画面を見つめながら愕然とした。

「生活きつかったら、もっと働けばいいだろ」

 生活がきついと山崎にふと漏らすと、山崎は即座に言った。

「腰痛が」

 博史は腰を押さえる。今日も慢性的なジンジンとした不快な痛みが博史を襲っていた。

「腰痛?」

「はい」

「そんなの体鍛えればいいだろ」

 山崎はかんたんに言った。

「・・・」

 腰痛を経験したことのない人間からすると、そうなのかもしれない。まして山崎は戦後の努力根性論で育ってきている。

「・・・」

 博史は、説明する気力もなく黙った。


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