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投稿頻度バラバラな短編  作者: 投稿頻度バラバラ猫
4/5

切り落とされた向日葵

 日光が荒れ狂う深い青空の下。私はその人の家族の承諾を得て、昔世話になった知人の墓を訪ねていた。灰色の墓石はもう何時間も太陽光を直に浴びており、もし素手で数秒触れたならば、熱したフライパンの上に手を置いたのとさほど変わらない結果をもたらすだろう。眩しく、こちらの元々少ない体力すら奪ってくる猛暑にじめじめとした湿気とともに揺さぶられながらも、私の足は無事に目的地で立ち止まる。

 常に眉を顰めてしまう激しいコントラストの景色の中。墓の敷地から少し離れたひまわりの群れが、少ししおれた花びらを身に着けて太陽を見つめていた。

 この地に眠る知人。私にとっては、「父の親友、私が子供の頃よく遊んでくれた人物」というだけであり、それ以外に特筆すべきものがあるかと問われれば首を横に振ってしまう程、深く関わった時間など皆無だった。思い返せるのはその人の太い腕にぶら下がってはしゃぐ私と、酒を飲みながら笑って見守る父と、遊び相手をしてくださりありがとうございます、とすぐ怒る本性を隠しながら恭しく頭を下げる母の姿。逆に言えば、もう顔も声も思い出せない人間の墓石に毎年毎年自分の顔を映している。

 ノスタルジックに浸れる思い出の引き出しすら隙間だらけの私を、この人が見ていたらどう思うのだろう。そんな空想を茹蛸のような脳でぼんやりと考えながら、あっという間に今年の掃除を済ませてしまった。

 額から顎までの長旅を達成させた汗を、ぐいと手の甲で拭って帰路に着こうとした私の目に、何となく、違和感を掻き立てるとある物体が飛び込んできた。


 紙——手紙だ。


 知人の墓のすぐ近く。私とは、赤の他人の墓。墓石のそばに、日光に隠れるように、それはあった。土埃で薄汚れた封筒の中身は開いていて、中から三、四枚の白い紙と、その罫線に挟まれた文字の羅列。重石すら乗せられていない思いの集合体は、一度でも強い風が吹いてしまうとバラバラに地面の上に雑魚寝をしてしまうことだろう。

 これはいけない、と思い、無礼を承知で手紙に近づいた。幸い濡れた様子はない。他人の墓の地面を踏んでいる事実に、一人で謝罪の言葉と、「これを押さえてしまうだけなので、すぐに、すぐに……」と自分でも訳の分からない言い訳をブツブツぺこぺこ、中腰の状態で滑稽な姿を披露した。

 しかし、私のこの行動は数秒後に止まった。さっきまで口にしていた謝罪の言葉がそのまま、罫線の中に納まっていたから。

 気付けば私は手紙の中を小説を読み進める気軽さで反射的に読み進めてしまう。書き手は……女性だろうか。そこには、柔らかく丸い懺悔の文字から始まる、一人の人間の感情が赤裸々に綴られていた。



*~*~*



 ごめんなさい。ごめんなさい。

 もう我慢ならないのです。耐えられそうにないのです。わたしはあまりにも、あまりにも弱すぎました。

 あなたの期待に応えられなくてごめんなさい。この言葉の他に、どう謝ればよいのでしょう。

 いいえ、いいえ、分かっています。欲しいのは謝罪ではなく生きる覚悟だと。わたしだってそうしたい。まだあなたに、わたしの生きている姿を見せていたい。でもだめなのです。この世には、立ちはだかる問題が多すぎます。

 あなたに頼りたい。せめて、話くらい聞いてほしい。そんな絵空事が輝かしい理想として瞼の裏を横切るたびに、わたしが壊れていくのが分かって身の毛がよだってしまい、そして途方もなく虚しくなるのです。

 わたし達の愛の結晶はすくすくと育っていきます。今この瞬間も、泣き声の一人オーケストラをやっと終えて、無反応の観客と化したわたしの横で寝息を立てています。あなたに先立たれ、言葉の通じぬ相手と二十四時間の数年。周りの子供との成長スピードの違いを比べてしまい、そんなわたしを嫌悪し、心が、元の形すら分からないくらい細かな破片になったような絶望に身を置いているのです。目を離せば勝手に自ら死に向かっていくこの子を、どうしてわたし一人で面倒が見れましょう。今は良くても、きっと数年後……いえ、明日にはわたしの保護からするりとすり抜け、動かなくなって帰ってくる可能性があるのです。

 悲観だと思いますか? 考えすぎだと笑いますか? 仕方ないじゃありませんか。わたしはずっと、あなたと二人でこの子を育てたかったのですから。

 最近は金もみるみる減り、考え方すらすっかり堕落してしまいました。きっと違うと分かっているのに、一日に何回も「あなたにこの子のお世話を全て押し付けられた」と思ってしまうようになりました。まだこの考えを誰かに伝えたことはありませんが、このままでは、いつか口を衝いて転げ出てしまうか、恐ろしくてたまりません。

 嗚呼、わたしは急ぎすぎました。こんな未熟な考えで、出産時にあなたが生きていることを前提に授かるべきではありませんでした。

 悔いても悔いても悔やみきれません。だってわたし以外誰も悪くないのです。わたしはわたしも気付かぬまま、とんでもない悪女に成り果てました。もうあなたに手を差し伸べられても、その優しい手がわたしのせいで汚れるのが怖くて、怖くて、触れもせずにまっすぐ地獄へ落ちていくのでしょう。

 わたしは今日、地獄へ向かおうと思います。自分が地獄に落ちるためにこんな方法を使うなんて、やはりわたしは、まともな人間ではなかったのですね。子供の好物をテーブルに用意した悪女の幕引きは、風呂場での首吊りでございます。もちろん子供に見せぬように鍵は内側から掛けますので。ふふ、どうかしら。真っ暗で、じめじめしていて、悪女にぴったりだと思いませんか?

 ええ、ええ、どうか恨んでくださいね。無計画に子供を産んで勝手に苦しんだ哀れな女を、どうか哀れむことなく恨んでくださいね。全てわたしが悪いのです。全て。全て。

 せめてもの償いに、わたしの子には賽の河原になんて行かせませんから。どうか。



*~*~*



「ああ、なんてこと!」


 手紙の内容を読んだ私は、暑さではなく緊張でにじみ出た脂汗が額を陣取っているのにも構わずすぐさま警察に通報した。死体でも腐敗臭でもなく、遺書から発見される少し稀なケースではあったが、駆け付けてくれた警察の方々に事情を説明し、証拠にと墓地の管理人に監視カメラも警察と一緒に見せてもらい、私が奇怪な中腰をする数日前に、ある女性が手紙をあの墓に置いていたことが分かった。

 髪はみすぼらしくところどころ絡まり、少し型の崩れた薄い夏用カーディガン。ベージュのロングスカートから覗く靴は、飾り気のないシンプルなパンプス。猫背で、遠目でも寝不足が窺える疲れた目をしていた。

 しかし、女性の横に子供はいない。一人でここに来たのだろうか。

 一通り事情聴取を受け、警察と別れた。その日は拭えない不安とともにベットの上で一時間暇を持て余す。

 あの女性は無事だろうか。思いとどまってくれるだろうか。それとも既に……。

 頭に浮かぶのは、皮肉にも想像の域を出ない茶番だった。



“シングルマザー 家の中で一体何が”


 数日後。こんなテレビニュースが流れ、事の発端は墓地で発見された遺書、と記載があり私は少し落胆した。

 残念ながら、家の中で見つけ出されたのは女性の遺体と男児の遺体だったようだ。

 とどまってはくれなかったらしい。かくいう私だって、あの女性と同じ状況なら生き続けられる自信はないから、彼女を責める気なんて毛頭ないけれど。

 はちみつを乗せた食パンを頬張りながら浮かない気持ちを切り替えようとした途端、ニュースキャスターは淡々と、次の言葉を口にした。


「女性と子供は抱き合うように床に横たわっており、死亡推定時刻は、子供の方が早かったようです。子供は食べ物を喉に詰まらせ窒息。女性は自ら包丁で首を切って亡くなっていました」


 咀嚼を一旦止め、次のニュースへと話題を変えるテレビ越しの人間を凝視する。

 こんなことがあっていいのだろうか。

 今の話が事実とするならば、こんなに何もかもがうまくいかないことが存在していいのだろうか。

 乾いた喉で口の中のものを飲み込む。それは昨日でさえ甘ったるく感じていたのに、今日は二口目すら、まるで舌の感覚が抜け落ちたように何の味もしなかった。

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