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投稿頻度バラバラな短編  作者: 投稿頻度バラバラ猫
2/5

黄色のカーネーションが似合う人間

 粗悪で粗末な人間というのは、自分のような人間のために存在していると言える。

 少なくともそう考えている人間がここに一人居る。

 仕事と買い出しでしか外に出ない閉鎖的な自分の生活に、澱のような淀みに満ちた、汚らしい色を与えてくれるその人間達の価値など、自分以外に見出せる者はそうは居ないだろう。

 今日も自分は酒と、ツマミになりそうな食べ物をビニール袋に入れてもらうサービスを受け、足早にアパートへ帰った。ドアを開ければ家具の少ない見慣れた内装。ため息をつくのも飽きが来て、今は靴を脱いだ後この口が意味のある言葉を放つ事はない。この空間で役に立つのは、鼓膜と、ひしゃげてねじ曲がったこの異常な精神だけだ。

 耳を澄ます。

 ほら、今日も聞こえてくる。

 壁越しに耳に届く、喧嘩、争い、怒号の声。粗悪で粗末な人間二人が織り成すミュージカル。

 不幸にも一枚の紙が証明する戸籍上の関係で一つ屋根の下、一つのドアの向こう側の空間を共有する事になっているあの二人の声がこの時間に聞こえて来なかった日は、ここに自分が引っ越してきてから一日たりとも無い。

 多くの人に望まれない騒がしさを何の恥ずかし気もなく無駄にばら撒くその行為を、幼くもない、成人して籍まで入れている二人がやっているのだ。

 それを自分は安全圏から俯瞰している。これ以上楽しい時間が、果たしてあるだろうか。

 ああ、今日は一段と激しいな。物が割れる音がする。なんて愉快。なんて愉快。

 着ているスーツから部屋着に着替えて晩酌を用意した。と言っても、買ってきた物を、昨日処理し忘れた空き缶がまだ乗っているテーブルの上に乗せただけだが。しかしこれが良い。自分には充分過ぎる晩餐だ。

 ドタバタと何かが壁の向こうで力任せに暴れている。自分は床に座って酒の缶を開けた。カシュッと爽やかな音が場違いに畳を転がるのはいつ聞いていても心地が良い。

 炭酸が喉を通り過ぎるのを感じながら目を閉じ、缶から口を離して息を吐く。体の力は程よく抜け、無意識に口角は上がった。その間も隣の部屋は喧しい。

 どうしてこんな空間でリラックスできるのか、過去の自分なら心底不思議に思っていただろう。それどころか精神病院を勧めたかも知れない。

 結論を言えば、今の幸せを再確認できるから、という言葉に落ち着く。

 けれど「何故か」を問われれば吃ってしまう。これはあまり、気持ちの良い話ではないからだ。


 自分には妻が居た。

 そう、「居た」のだ。今は居ない。

 交通事故で亡くなった妻を思い出す度、今置かれている状況に感謝せずに居られなくなる。

 想像してみるといい。こちらが何を気遣っても必ず欠点を見つけ出し罵ってくる人間を。籍を入れた時のくびれた身体は見る影も無くなり、過食で肥えに肥えた腹を圧迫しながら座って、働く気を微塵も見せない知的生命体の恥ずべき姿を。

 断言しよう、彼女は粗悪で粗末な人間の一人であった。そして自分もそうだ。そんな人間と釣り合う者なんて、他人から見れば同レベルだったに違いない。

 結婚生活はみるみる冷え、彼女は些事であっても感情を抑えられなくなる事が増えていった。ヒステリックな相手に正論も慰めも皮肉と取られ、自分の言葉は火に油を注ぐ結果にしかならず、彼女が事故に合う頃にはもう、会話という会話は無くなっていた。

 亡くなった、頭に致命傷を受け即死だったと聞いた時は衝撃が大きくて何も考えられなかったが、葬儀の時、気づいてしまった。


 もう、あの目に睨まれる事はない。

 もう、あの汚い言葉遣いが向けられる事はない。

 もう――家が怖くない。


 ふわりと、心が軽くなってしまった。重圧が消え失せてしまった。

 葬儀の帰り道、喪服を着ているのも忘れて車で景色の綺麗な観光名所を二、三箇所巡った後帰った家は、とても空気が澄んで見えたのをよく覚えている。

 いつの間にかあの女性は、自分にとって重荷でしか無かったのだった。


 おっと、また怒鳴り声だ。本当に毎日毎日よくやるものだ。

 結婚生活でひねくれにひねくれたこの心に娯楽として搾取されているとも知らずに。

 過去に自分も似たような状況だったと思うと寒気がする。

 ……まあ、いい大人の幼い精神年齢で組み上がるこの惨状を娯楽として取る時点で、自分は今も尚、人間と呼べる代物ではないのかも知れないけれど。

 今ある幸せを大切にしようと思えるのは良い事なのだろうが、自分以外がこんな考えをしていたらいよいよ病院を勧めると思う。

 神など信じていないくせに、どうか、自分以外にこんな利用価値を思い浮かぶ人間がこの世に居ないでほしいと願ってしまうくらいだ。


「アハハ。アハ。アハ」


 壁に遮られた大声が漏れ出している中、また自分は狂ったように笑っている。

 酒を飲み、ツマミを口に放り込み、また笑っている。

 ああ、幸せだ。

 二度とあの女性が目の前に現れないのが、とても幸せだ。

 いや、あの女に限らず、他人を責めることでしか自身を守れないヒステリックな女との生活なんてクソ食らえだ。

 あ? 酒が、クソ、もう無くなったのか。明日は一本多く買おう。ツマミ……は良いか、ラップかけて残りは明日の分にしよう。

 はあ、今日も最高の酒の肴だった。今日はもう寝る。

 また明日も良い茶番劇を期待してるよ。アハハ。アハハ。

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