『本質の逸脱論』
『本質の逸脱論』
㈠
人間とは、常に対象というものに向かう。それを、小説的に言えば、眼前への対峙、ということになる。ところが、そこに、本質というものを見ようとする時、人間は完全に本質を認識できない。本質は、危ういものである。
㈡
本質を見極めようとすればするほど、人間は本質から遠ざかり、自己の内面を、対象に見てしまうためだ。極力、本質に自己を寄せても、云わば、人間は本質を逸脱してしまう。これを、相手が分からない、自分が分からない、となり、関係は破綻するのである。
㈢
しかし、逸脱したが最初、一つの渦の中に入り、内面の交渉という鍵が手に入る。これを、厳密に言えば、会話、と表現されるのだ。絶対的空間に、混沌と言葉は舞う。本質を逸脱したものだけに、入ることの出来る、箱の様な、麗しい空間である。