【単話】転生したら△だった件
注意
文中に注釈がありますが、ネタバレが含まれています。
一度注釈を無視して本文をお読みになった後、注釈をご参照ください。
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目覚めると灰白色と極彩色と虹色が同時に耳に飛び込んできた。
聞いたこともない音が見えたかと思うと、理解できない言葉の手触りに身を固くした。(※1)
俺は、状況を理解しようと視線を動かすが、その度に爆音が脳を揺さぶり、平衡感覚の狂った目まいに、腕を付く。
腕?
そう、腕だ。
俺には腕がある。それを意識すると視線を巡らせる頭があることが理解できた。
「*g*@***」
誰かが何か言っている。その意味は理解できずとも、それが言葉であることがなんとなく伝わってくる。
リラックスできる体勢になれるよう、何者かが俺の手を引いてくれる。
音が見え、色が聞こえる異常な感覚に苛まされながらも、俺の腕を引いてくれる気遣いにほっと胸をなでおろす。
俺の腕や頭に、何かが取り付けられていく。
それに不安はあるが、腕をとり、絶えず何かを話しかけてくれる誰かを信頼し、俺は逆らうことはしなかった。
第一、逆らおうにも五感が異常を来たす今の状況で、抵抗などできるはずもない。
それにしてもここは何処だろう?
腕や頭に貼り付けられた何かからピリピリとした感覚を受ける。どうやら微弱な電流が流されているようだ。
そして、電流が流される度に、異常を来たした五感が変化していく。
もしかしたら今の俺の感覚の異常を治療してくれているのかもしれなかった。
そしてその予想は正しかったようだ。やがて、
「私の言葉が判りますか?」
ずっと手を取り、呼びかけてくれていた女性の言葉が理解できるようになっていた。(※2)
「ああ、解かる。解かるぞ。おい、一体どういうことなんだよ」
安堵した様子の彼女に、俺はなお強く答えを求める。
「聞いてんだろ。おい、どうなってるんだよ。一体全体どうなってるんだよ」
見回すと見覚えのない部屋に、見覚えのない機械が並び、そして見覚えのない人たちが、俺を注視していた。
「気分はどうですか、異邦人」
俺の手を取っていた彼女の言葉に気恥ずかしさから、悪くない、とぶっきらぼうに答えてから、もう一度同じ問いを重ねる。
「体調は悪くないが気分は最悪だ。いいからさっさと教えてくれよ。ここはどこだ?」
「……ラミュズ・クーの街にある私たちの【研究所/未来/蓄積】です。あなたは私たちの実験に伴うある種の【被害者/被検体/変則物】と言えます。
複数の意味を持つ聞いたことのない言葉であったが不思議と意味は理解できた。
「ここはあなたの生きていた世界とは異なります」
その言葉に俺は息を呑む。それって、もしかして、
「異世界……転生ってことか?」
そう言って自らの身体のあちこちに触れる。明らかにかつての自分の身体と異なることが解かるが、どこがどう違いのか、上手く言葉にできなかった。
「“イセカイ”という言葉がよくわかりませんが、それについては落ち着いたら教えてください。混乱しているでしょうから今はまず休んでください」
彼女の勧めで、まずは食事をとり、その後夢を見ない眠りについた。
* * *
目覚めた俺の元に再び彼女がやってきた。
どうやら、彼女が俺の世話係のような役を押し付けられたらしい。
「面倒な役を押し付けられたな」
「嫌な人ね」
俺の言葉に彼女は怒ってみせたが、本気ではないようで、ちょっとほっとする。どうにも俺は一言多く、よく他人を怒らせてしまう。
「あなたの今後の身の振り方を考えるためにも、あなたの世界のことを教えてほしいのです」
「身の振り方って、例えば冒険者になるとか?」
異世界コミックス大好きな俺としてはついついそんなことを考えてしまう。
「“ボウケンシャ”というのは?」
「ああ。魔物と戦い、その素材で金を稼ぐんだ」
異世界脳の俺は、恥ずかしげもなくそんな説明をしてしまう。“美人”相手に、少し浮かれて自分の好きなことを早口でしゃべってしまう。
「近いのは【狩人/商人/粗暴】でしょうか。残念ながら私たちはそれをしていません。戦いの相手にしても、【科学/棘皮/敵意】(※3)が相手ならば得るものもあるでしょうが、【不定/盲目/嫌悪】(※4)との戦いには無駄しかありません。戦いを希望のようですが、武器の扱いには訓練が必要です」
どうやらこの世界では狩りという文化自体、一般的ではないようだ。考えてみれば機械などを扱う高度な技術力がある彼女たちの文明に、冒険者などという野蛮人の付け入る隙は無いようだ。
「ファンタジーじゃなくてSFものかぁ。マヨネーズかチョコレートが未発見だと助かるんだが……」
方針の再検討が迫られた俺は、ブツブツと自分の世界に入り込む。
「あなたにとってこの世界は、望むものではないようですね。安心してください。あなたを元の世界に送り返す方法を【上役/集団/研究室】が検討しています」
「戻れるのか?」
「理論上は可能、というのが【上役/集団/研究室】の見解です。ですが成功の確率を増やすためにはあなたの協力が不可欠です」
「戻れるのかぁ」
何故か意気消沈する俺を、彼女は不思議そうに見ていた。
* * *
「おっと」
転びそうになった俺を彼女が支えてくれる。どうにも転生したこの新しい身体は慣れない。以前の自分と変わりないはずなのに、時折違和感を感じて、今のような失敗を繰り返している。
その度に彼女は何かを書きつけている。
彼女によると、俺がこの世界に【転生/転移/交換】してきたのは、彼女たちが行った実験の結果であるらしい。だがその際に何らかの不測の事態が起きてしまったのだという。(※5)
また、その【転生/転移/交換】の影響で、今の俺の心と体の波長がうまく合わず、五感の異常や体の違和感に繋がっているらしい。
らしい、らしい、と伝聞ばかりだが、彼女から話を聞く以外に情報を得る手段がないのだから仕方がない。
「そういうことでしたら、本を読みますか?」
彼女の勧めで【探求/図書館/蓄積所】にやってきたのだが、そこにあったのは本とは名ばかりの文字の刻み込まれた石板であった。
「技術力が高そうなのに、これが“本”とは」
と呆れたが、すぐにその不明を恥じることになった。
その“本”は楔形文字のように石を直接彫り刻んだ文字が並んでいたが、操作をすると表面の文字が次々と変化していくのだ。
しかもモニターではなく、刻まれた文字が変化していく、文字通りの石板であった。
彼女によると長期的な情報の保管にはこうした物理記憶が最良であり、その中でも腐食に強い石が最適なのだそうだ。
学校の授業で教科書を眺める以外では、ラノベぐらいしか読まない俺にとって、文字ばかりの“本”に初め躊躇したが、読み始めてみるとすいすい読めた。どうやら今の自分の身体の地頭は随分と優秀なようで、難しい記述も理解することができ、理解できるとどんどん読むのが楽しくなっていった。
こうして定期的な検査と、身体の違和感を調整する治療以外のほとんどの時間を、俺は読書で過ごした。
また、彼女の勧めで“本”を書き始めた。
元の世界にあった様々な文物のパクリだが、俺のいた世界のことを知りたいという彼女たちの求めに応じたものだ。いい加減ただ飯ぐらいのヒモ生活にも心が咎めていたところなので、気が楽になるという意味で都合がよかった。
因みにバトルものの受けはイマイチで、タイムリープ系のやり直しものに対する食いつきが非常に良かった。
* * *
ある日、いつものように【探求/図書館/蓄積所】に行こうと、独りで街を歩いていると、鋭い振動と共に警報が鳴り響いた(※6)。
空を見上げると触手の生えた奇妙なものがいくつも浮かび、こちらに迫ってきていた。
やがて地上からいくつもの光線が放たれ迎撃が開始される。触手の姿はイソギンチャクとかそんな感じの形状をしているが、身体に当たる部分は小さくほとんど、触手の塊に見える。
またその身体や触手は半ば透けて見え、少しぐらいの光線などものともせずに触手の塊たちが降下し、近くにいた人に襲い掛かった。
その人は触手に絡めとられ、そのまま飛び立っていく。この化け物は人をさらうのだ!
触手の塊に周囲からは次々に光線が集中するが、しかしよく見ると、触手を光線が素通りしたりして、効いてはいるが有効打になっていないようだ。
しかし、集中砲火にさすがの触手も力尽きたのか、地面に落ちる。さらわれた人はとっくに黒焦げだ。
地面に落ちた触手の死体は、元の見た目よりはるかに細く、まるで糸のようだ。後で聞いたのだが、触手の化け物の肉体はこれだけで、それ以外は全て物質ではないもので構成された、半物質の存在であるという。その為、物理的な力がほとんど効かないのだという。
そして人を襲い、食らう、この触手の化け物こそが、彼女の言っていた【不定/盲目/嫌悪】であるらしい。
恐ろしい化け物との戦闘を目撃し、冒険者になりたい、だのと言っていた過去の自分を怒鳴りつけてやりたい気分になった。
* * *
ラミュズ・クーの街の被害は大きく、上層部は街の放棄も検討しているらしい。
しかし俺にできることなどたかが知れているため、余計な口出しはせず読書三昧の生活に戻ろうと思っていた折、【研究所/未来/蓄積】に呼び出され、いつもの検査とは別の部屋に連れてこられた。
「まずはこれを見てほしいの」
ガラスの向こうの部屋には、奇妙な生物が居た。
五つの穴がパクパクと動くたび、ガラスで区切られたこちらの部屋にまで奇妙な振動で空気を震わせ、不快感が募る。
私たちとは全く異なるのっぺりとした表皮に、用途の解らぬ器官を持ち、また奇妙な形をした触腕があちこちに振るわれている。
見ているだけで不快感の募る容姿で、SAN値がゴリゴリと削られる気分だ。
「コイツは一体何なんだ?」
「これは人造生物であり、ある種の試みです。これの世話をあなたにお願いしたいの」
俺の手を取り、頼みごとをしてくる彼女に、俺は答えあぐねてしばらく黙り込む。
正直、こんな気持ちの悪い生き物の世話などしたくもないが、ただ飯喰らいでは食事も美味しくない。
「……それは、いいけど、この街を引き払うって話はどうなっているんだ? 新たにペットを飼ってる余裕があるのか?」
「だからこそ、です。これの研究はあなたを元の世界の戻すための試みの一つであり、私たちの未来にも繋がる大事な研究なのです」
彼女の腕から振動が、俺にも伝わってくる。
「頼めますか?」
大きなため息を吐きたい気持ちだが、彼女には世話になっている。仕方がない。
「……まかせろ」
* * *
「……やめときゃよかった」
俺はすぐに後悔した。
その生き物……いや、人造生物を、少しでも気分良く世話できるよう“ポチ”と名付けたのだが、たった一日で投げ出したくなった。
まず、気持ちの悪い穴がバクバクと動き、その中でもひと際大きな一つの穴が動くたびに不快な振動波を発するのだ。それも四六時中。
大きさは小さく、片手で取り押さえることができるし、俺を傷つけられるような鋭い爪もない。唯一の懸念は振動発生器官であった。ある種の攻撃だと思われるが、彼女に持たされた防衛装置のおかげで俺には何の影響もない。
そんなSAN値を削る不気味な容姿以外は、極めて無力なポチであったが、暴れる姿からは、知性が感じられず、まるで猛獣だ。その姿、精神性には恐怖を感じる。
ポチは動き回り、振動波を発していたかと思うと、唐突に動かなくなり、体を丸めたかと思うと半透明の体液を噴出しながら産卵を始めた。(※7)
そこで俺は体液とポチの子(幼体?)を回収し、飼育してみたが動き出す様子は無かった。死産だったようだ。
数日経ったころ、ポチが動かなくなった。死んだのかと思ったが、触れてみるとまだ動いた。度重なる出産で力を使い果たしたのだろうか?
このまま死んでしまえば、研究にならない。俺は彼女に相談したところ、栄養失調であるかもしれないと指摘を受けた。
そこで食事は定期的に与えてみたがポチは興味を示さないどころか、更に暴れ始めた。そのせいでこの生物は食事を必要としない生物だろうと思い込んでしまった。それが失敗だった。
数日後、ポチは衰弱し、そのまま死んでしまった。
気持ちの悪い生物であったが、世話しているうちに情を感じていたのだろうか。死なれてしまうと堪える。
しかし、そんなポチロスで落ち込んでいた俺に、彼女から報せが届いた。ポチ2号が完成したのだ。
俺は今にもスキップしそうな気持ちで【研究所/未来/蓄積】に向かい、2号と再会した。
そう、再会なのだ。
ポチの精神はポチの肉体とは独立した場所にあり、新たに作られた人造生物にポチの精神を宿らせたのだ。これはもう、2号ではなく、ポチ自身であるといえよう。
「人造生物は三日ほどあれば準備できますし、製造コストも研究の重要性から見れば些末です。気にせず続けてください」
という彼女のありがたい申し出に、俺はポチ2号の世話を始めた。
「……とはいえ、このまま同じことを繰り返していても仕方がない」
そう思い至ったのは、ポチ3号が不快な振動をまき散らしながら自分の肉体を破壊して死んだ後のことであった。
俺はザワザワと湧き上がる恐怖と不快感を我慢しながら、ポチの死体を検分する。
のっぺりとした体表はブヨブヨとした不快な柔らかさであった。これは死んだせいなのか、この生物の性質なのかは判らない。この疑問はポチ4号が出来上がったら調べてみよう。
次にポチが“自殺”のために自らの触腕を用いて破壊した部位を調べる。ポチの主要部位(おそらく脳もここにあるのだろう)からは触腕が生えているが、それとは別に短い触腕があり、その先に気持ちの悪い穴が幾つも空いている。そのうち一つが例の、不快な振動波を発する穴だ。また、そして穴だと思っていたが、実は穴ではない疑似穴があった。何らかの感覚器官だと思われたが詳細は不明だ。
ポチはこの沢山の穴の開いた部位へと繋がる短い触腕を他の触腕で破壊して死んだのだ。
「この疑似穴の感覚器はまさか光学器官か? これが? いや、まさか、あり得ない。こんな構造では非効率すぎて用をなさない。無意味だ」
本による勉強の成果で俺はそう断じると共に、勉強の成果を実感できて少し誇らしい気持ちになった。
主要部位には他にも三つの穴が開いている。この奇怪な生物は都合、7つの穴を持ち、その内一つが産卵口であることが解かっている。
「ならば、それ以外の6つのいずれかの穴が栄養の摂取口である可能性が考えられるな」
そう考え、今後の方針を決めた。
* * *
ポチ4号は自殺できないよう、最初から触腕を拘束してから“世話”を始めた。
しかし、4号もまた、すぐに死んでしまった。
俺が感覚器と予想していた二つの疑似穴が開くと同時に、振動波を発したのだ。そして止める間もなく振動波発生器官から体液を流し、やがて動かなくなった。(※8)
どうやら振動波発生器官を用いて、自らを攻撃したようだった。
見慣れぬ色の体液を流して死ぬポチに、改めて人造生物が俺たちとは違う異質な生物であることを実感した。
* * *
ポチ5号は触腕のみならず、振動波発生器官も使えないよう、厳重に拘束してことに臨んだ。
これは正解だった。暴れるが自殺できないポチの姿に俺は満足し、ようやく予定していた検証を始めた。
そう、ポチに餌を与えるのだ!
ポチの身体のあちこちにある穴を栄養摂取器官と当たりを付けた俺は、それらの穴に様々な栄養素を与えていった。
しかし、そのいずれも上手くいかず、ブルブルと身体を痙攣させながら次々と死んでいった。食事が口に合わなかったのだろうか?
ポチは、拘束が解けないことが理解できないのか、常に暴れていたが、何時のころからか暴れることは無くなった。
そこで俺はある仮説を立てるが、今のままでは確かめることもできない……確かめる前にポチが死んでしまうのだ。
だが、チャンスはやってきた。
ポチ54号以降、どの穴に、どんな栄養素を注入しても何の反応も示さなくなったのだ。
その後も俺は検証を続け、一つの確信を得て、次の実験をすることを決めた。
* * *
俺は、ポチ101号の拘束の一部……例の振動波発生器官……を外した。
予想通りポチは何の反応も示さず、振動波攻撃を俺に対しても自分に対してもしようとしなかった。
俺は栄養素をその攻撃用の穴に注入した。
すると穴がぐにゃりと動いた。栄養素を嚥下したのだ。
「やった!」
栄養素が合わなかったのか、ガグガクブルブル震えて死んでいくポチ201号を余所に、俺はガッツポーズを取った。
これ以降の実験は順調であった。
振動波攻撃穴が栄養の摂取口と判明した。
抵抗されることもなくなり、自殺される危険が無くなったため、穴の中をじっくりと調べられるようになった。そのおかげで振動波発生器官の構造も解かり、その必要部位を切除したことで自殺される恐れもなくなった。
様々な栄養素を与え、やがてそれらしい物質に行きつくまでに更に何度もポチとの別れを体験しなければならなかったが、今の俺は別れの悲しさよりも、再会の期待と喜びの方が強かった。
そしてポチ123号で遂に俺は、30日以上の長期飼育に成功した。
例の不快な振動波攻撃をさせることも、自殺されることもなく、拘束されたポチは、僕の与える餌を手ずから食べてくれる。
こうなってくれるとブヨブヨとしたポチの体表も不気味にバクバクと動く穴も、可愛く見えてくるから不思議だ。
飼育中、ポチは何度も産卵と体液の噴出を繰り返していた。分析してみると与えた栄養素の一部が検出された。
相変わらず産卵した物体が動き出す様子は無く、また噴出された半透明の体液は、死んだ際に流れ出た体液とも異なっていた。
謎は深まるばかりであった。
飼育のノウハウが掴めた俺は、観察を次の段階に進めるべくポチを解剖することにした。
産卵孔付近にメスを入れると、無反応だったポチの身体が暴れだし、俺はちょっとした懐かしさを感じて微笑ましい気持ちでメスをさらに進めた。
半透明の体液が噴出し、また疑似穴から水が出てきた。これは疑似穴の原始的な感覚器を乾燥から守るための機能であることが既に解かっている。
ポチ123号の身体からは、奇妙な色の別の体液が噴出するが俺は自らの知的好奇心のために迷わずメスを進める。
ポチの内部器官はびくびくと動いているが、やがて停止した。どうやらまた死んでしまったようだ。
* * *
こうして俺がこの世界に来ておおよそ一年が過ぎ、またポチの世話を始めて半年余りの時が過ぎた。
その間、何度も【|不定/盲目/嫌悪《イソギンチャクの化け物》】の襲撃があり、多くの犠牲が出ていた。その中には何人もの知り合いも含まれていた。
ラミュズ・クーの街からは多くの人が首都ナコタスに疎開していったが、俺を含めた【研究所/未来/蓄積】の面々は、そのまま留まり続けていた。
そしてその間にも、彼女とその【上役/集団/研究室】達は研究を重ねていった。
そしてついにラミュズ・クーの完全放棄の日がやってきた。
「お別れです」
彼女が俺に告げた。
そうなることは薄々わかっていた俺は、静かにそれを受け入れた。
そもそも彼女たちがここに残っていたのは、俺をこの世界に招いた実験施設がこの地にあったからだ。
【不定/盲目/嫌悪】の襲撃に耐えながら、彼女たちが研究していた内容こそ、俺を元の世界に戻す方法であった。
そして、遂にそれが完成したのだ。
「この装置であなたを元の世界に帰します」
「キミたちはどうするんだ。【不定/盲目/嫌悪】どもに勝てるのか?」
しかし彼女はそれを否定する。
「私たちでは【不定/盲目/嫌悪】に勝利することは難しいでしょう。また例え勝てたとしても大きな損害を出し、そうなれば【科学/棘皮/敵意】に攻め込まれ、結局は同じ結果になります。我々は手段として戦いを術を持っていますが、決して得意でも、望んでもいないのです」
「じゃあ、このまま滅びを待つのか?」
俺も戦う!
そう言えたらどれほどいいだろう。
しかしこの半年間で何度も目にした戦いや犠牲になった人たちの姿に、俺はすっかり怖気づいてしまっていた。
「私たちは避難することにしました。決して【不定/盲目/嫌悪】が追ってこれない場所へ」
そして彼女は俺の手を強く握った。
「あなたのお陰です?」
「俺の?」
「はい。あなたに教えてもらった、あなたの世界の情報や人造生物の記録が、私たちに未来を与えてくれたのです」
彼女の手から偽りのない感謝の振動が伝わってきたので、俺もそれに応えた。
「お別れだな」
「ええ、お別れです。でも……」
彼女の笑顔が俺の感覚器を刺激した。
「永久の別れではありません。時の彼方でまた会いましょう」
謎めいた、しかし確かな確信を持った彼女の言葉に、俺も応えた。
「ああ、約束だ。また会おう……時の彼方で」
こうして、俺は彼らの世界から元の世界へと帰還した。
* * *
俺が意識を取り戻したときの感覚はなんと表現したらよいのだろう。
まるで色彩を味わい、味覚を聞き、音を見るかの如き違和感に、俺は倒れた。腕を動かして立ち上がろうとするが、どうにも上手く動かない。
しかし、少しづつ周囲の光景が見えるようになってきた。だが俺はそこで絶望の叫びをあげる……いや、上げようとしたがその言葉を発するための触腕が俺には無かった。
俺を取り囲んでいるのは、ブヨブヨとした体表を持つポチの同族らしき、気持ちの悪い生き物たちであった。
二本の触腕で大地に立つ姿は、ひどく不安定に見えて俺の心を不安にさせた。
本体と思しき部位からは更に3本の触腕が伸び、その内、二本の異形の触腕が俺に向けられている。もう一本の触腕の上には幾つもの穴が開いた部位があり、感覚器と思しき二つの疑似穴が開いたり閉じたりしている。そして疑似穴の下には三つの穴が開き、そのうち一つが大きく開いて、俺に向けて振動波を盛んに放ってきた。
殺される!
俺は恐怖のあまり、触腕でその攻撃を防ごうとした。
しかしその触腕は、見慣れたハサミの付いたそれではなく、気持ちの悪い生き物と同じ、二本の触腕であった。
触腕の先が分岐し、更に5本の触腕に分裂していた。
なぜ俺の目は360度全方向を見ることができない?
なぜ俺の触腕にハサミが付いていない?
なぜ俺の身体は円錐型をしていない?
元の世界に帰してくれるという彼女の言葉が嘘だったのか、それとも何らかの事故があったのかは、もう判らない。
確かなことは俺の精神が、このブヨブヨとしたポチと同種の気持ちの悪い生き物の身体に転生してしまったということだけであった。
それを理解した瞬間、俺は気が狂いそうな恐怖に……ポチと同じ振動波発生器官を使って空気を振動させて……絶叫を上げた。
「大人しくして」
周囲を取り囲んだ警察官が落ち着かせようと優しく日本語で呼びかけていたが、俺はそれを言葉として認識することができず、何時までも叫び続けた。
転生したら円錐型生物だった件 おわり
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付記1 とある女子高校生の記録
ある日、突然昏睡した彼女が目を覚ましたのは数日後のことであった。
目覚めた彼女はその数日間、化け物に監禁されていたと必死な様子で主張したが、無論そのような事実はない。彼女の身体はずっと病院にあり、常に医師らの監視下にあったのだ。
カウンセラーが聞き取った、全裸で監禁され、触腕を持つ化け物にいいようにされる、という少女の主張は、思春期の少女の性に対する興味と恐怖による妄想と考えられた。
しかし少女は数日後、再び昏睡した。
目覚めた少女は変わらず化け物に囚われていたと主張したが、原因究明のために検査に追われる医師たちはそれを重要視しなかった。
そして三度、少女は昏睡したが、今度は数十分ですぐに目覚めた。
しかし目覚めた途端、少女は舌を噛み切り自殺を図った。幸い、処置が早く一命は取り止めた。
自傷行為に至った少女は拘束され、精神病棟に移され、治療は継続された。
その後も昏睡するたびに少女の精神状態は悪化し、併せて鎮静のための薬の量と拘束の厳重さが増していった。
この頃の彼女の証言には拷問的な要素が加味されていき、一部に性的な要素もあったため妄想が疑われたが、その供述の非人間的な……非人類的な感性に基づく描写に、聞き取りを行ったカウンセラーが何人も精神的不調を理由に交代していった。
昏睡が50回を超えたころから少女は何に対しても反応を示さなくなっていった。
そして123回目の昏睡はこれまでで最も長く、ひと月以上に及んだ。目覚めた少女は医師に対し、殺して、と懇願したという。
その後も少女は昏睡と覚醒を繰り返し、おおよそ半年後、昏睡し、今も目覚めていない。
彼女の心は救われたのだろうか?
それとも、非人類的な化け物に拷問され続ける地獄に、今も囚われているのだろうか?
最後に、彼女が語った化け物の姿を記しておく。
化け物の身体は虹色の鱗のようなもので覆われ、いくつもの触腕を持っていた。
触腕の一つの先にはボールのようなものが付いており、そこに三つの目(?)があり、また特徴的な触腕はカニのハサミのような形をしていた。
そしてその身体はまるで円錐のような形をしていたという。
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付記2 とある男子高校生の記録
その少年は交通事故にあい死亡した。
死亡が確認され、葬式が行われ、そのまま荼毘に付された。
遺体は顔も判らないほど損傷していたため、家族の要望でDNA鑑定が行われ、本人であるとの確認がとられた以外、特記すべき点は何もない事件であった。
しかし事故のおおよそ1年後、一人の狂人が事故現場付近で保護された。
身分を示すものどころか、衣服も何も身に着けておらず、言葉を発することはおろか、満足に歩くこともできず、まるで体の使い方を忘れてしまっているかのようであった。
周辺の監視カメラを確認しても、どこからやってきたのか全く不明であり、まるでその場に突然現れたかのようであった。
保護にあたった警察官は一年前にその場所で起きた交通事故のことを思い出した。保護された人物はその時の被害者に瓜二つであったのだ。
そしてDNA鑑定の結果は一年前に死んだ少年のそれと完全に一致した。
一年前に交通事故死した少年と全く同じ遺伝子を持つ正気を失った少年は、その後家族が引き取り、そして遠方に引っ越していった。
当時の家族のことをよく知る人物は、少年が見つかってから、まるで人が変わったようだったと評していた。
死んだ少年と一年後に保護された少年のどちらかが男子高校生であるとするなら、もう一人がいったいどこの誰だったのか。それは今なお、謎のままである。
その後の少年のことを家族は手厚く介護、看病し、その献身的な姿は多くの者の涙を誘った。
ある時、知人が、どうしてそこまで献身的に看病できるのか問うたところ、恩返しみたいなものです、と答えたという。
そしてこうも言ったという。
『時の彼方からの約束ですから』、と。
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付記3 イスの大いなる種族
1万年前に地球に栄えた円錐型生物、正確にはそれに宿った精神生命体の事を指す。
大いなる種族は精神交換という手段を用いて、時間と空間も超える術を持っており、時間の征服者とも呼ばれ、それが故に大いなる種族と呼ばれる。
精神交換のためには対象座標の綿密な設定が必要であり、その為に対象となる生物の特性の理解や対象時間の観測が必要など制約も多い。
盲目のものとの戦いにより滅亡の危機に瀕していたため、次の憑依先を探し、その過程で彼らから見て1万年後のホモサピエンスに狙いを定めた。
憑依先としてはホモサピエンスは適切ではなかったが、盲目のものの脅威が迫る中、一時避難場所としてそれを活用した形である。
そしてホモサピエンスに憑依した状態で、より相応しい憑依先を探し、後にホモサピエンス絶滅後に地球上で栄える甲虫型生物にその憑依先を変えている。
前述した通り、その準備、観測のために多くの労力を必要としたが、ホモサピエンスの文明を使いつぶしながらそれを成し遂げ、無事、甲虫型生物への精神交換を成功させた。
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注釈
※1 理解できない言葉の手触り
円錐型生物は、ハサミを持った触腕をこすり合わせることで意思疎通を行っている。頻繁に“彼女”と手を合わせているのはその為。
※2 女性
円錐型生物に雌雄の別は無い。俺の主観である。
※3 【科学/棘皮/敵意】
古のもののこと。
※4 【不定/盲目/嫌悪】
盲目のもののこと。
※5 不測の事態
精神交換を行った途端、男子高校生の側の肉体が事故で死んでしまった。
※6 鋭い振動と共に警報が鳴り響いた
音波ではなく、振動で意思疎通をしている。
※7 産卵を始めた
排泄行為。
※8 振動波発生器官から体液を発し、やがて動かなくなった。
舌を噛み切り血を流して死にました。
ファンタジーライトノベルのテンプレを使ったクトゥルフもの。
ジャンルとしてホラー(文芸)にしてしまったが、果たして良いのだろうか? と少し心配(小心者w)
評価とか感想とかレビューとかいただけたら幸いです。とってもやる気が出ますw