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無能力のぼく  作者: 猫蓮
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愛してるの意味

 カリブラッサ家から追い出されたぼくは、生き方が分からないなりに何とか生きている。人がいっぱいいるところに行って日夜日雇いの仕事を受けて日銭を稼いで生をつなぎ止めている。

 けれども仕事先の偉い人からは怒られてばかりだ。それもこれもぼくに力がないから。細い身体に背が小さいぼくは見た目通りに非力だ。それもそうだろう。あの家で、あの部屋ではほとんど動くことはなかったし食事もあまり取れていなかった。肉なんてつくはずもない。


 最初の頃は時間いっぱいまで動くのでさえ厳しかった。それに比べれば、今は何とか始めから終わりの時間まで動けている。働いている内に体力がついたんだろうね。これは嬉しい。それでもご飯の量は前とさほど変わっていない。お金はないし量も多くは食べれなかったしね。だからかからだの成長も芳しくない。子供のようなからだは、実際の子供の方が肉付きがいいし健康的だ。ぼくとは全然、大違いだ。


 キャッキャッと弾むような高い声が聞こえる。奥様方や姉たちの声とは違う明るく楽しそうな声。その声の方に視線を向けると小さい子が何人もいる。何をやっているのかは分からないけれど、楽しそうなことだけは伝わってくる。

 ぼくより小さいのにぼくよりよく動く。歳は分からないけれどみんなぼくより肉付きがいい。いいなぁって少し、ほんの少しだけ思った。


「ゴラァ新入り!! 止まってねぇで手ぇ動かせぇ。ちんたらしてんじゃねぇぞ」


 羨ましげに眺めていたから、手が止まっていた。それが親方に見つかって怒られてしまった。慌てて返事をして作業に戻る。

 ぼくはみんなと違う。だってぼくは“いらない子”なんだから。



 ほそぼそとした生活を送るぼくにもなんと、恋人が出来たんだ。彼女の名前はメッサリア。愛称でリサと呼んでと言ってくれた。そして、ぼくのことをノルと呼んでくれた。初めてだった。名前で呼ばれたこともぼくを好きだと言ってくれたのも。彼女が初めてだった。だから、「付き合って」と言われたときは嬉しくて泣きそうになった。というより泣いてしまった。勝手に目元が熱くなってポロポロと涙が出た。なかなか返事を返さないぼくにリサは不安そうに「やっぱり、ダメ……かな」ってうるうると潤んだ瞳で言ったからぼくは慌てて了承の返事を返した。

 そうして見事、ぼくはお付き合いしている恋人ができた。一緒にご飯を食べたり話をしたりして、リサといるだけで胸のところがほわほわって温かくなる。


 それからぼくは仕事に一層精を出した。頑張って働いて、貰ったお金を彼女の為に使う。遊びに行って彼女が強請ってくれる物を買ってご飯にもお金を払った。そしたらありがとうって、大好きって言ってくれる。その言葉が何よりも嬉しい。彼女以外に言われたことがない言葉。


 ぼくを見て、ぼくを愛してくれる人。だからぼくもその愛に応えたい。ぼくにはまだ愛がなんなのか、分からない。分からないけど、リサと同じだけの気持ちを抱きたい。返したい。育みたい。




 全てが順調だと思っていた。このまま、これからもこの幸せな日々がずっと続くと信じていた。


 ――上手くいっていると信じたかった。


 その日は待ち合わせ場所に思いのほか早く着いた。遠目にリサの姿が見えた。ぼくは嬉しくなって駆け寄ろうとした。けれども駆けたのは一瞬ですぐに足が止まった。


 ――リサの隣に、ぼくじゃない男の人が立っている。


 リサは友達が多いから彼もそのうちの一人だと思った。そう思いたかった。


 ――彼に笑いかけるリサの顔がぼくのときとは全く違う。


 瞳はキラキラ輝いて、頬は赤く染まっている。しなだれかかるように寄り掛かって、声はいつもより甘い。


 ……思えば、彼女に触れられたことがあっただろうか。ぼくは人との接し方は分からないけど、ああやって触れられたことは一度もなかった。何かを強請るときに手をギュッと握られて、お願いされる。接触といえる接触は、それだけ。


 あれ? じゃあ、愛してるって言ってくれたのは?


 頭の中がグルグルと回っているとき、二人の会話が何故か鮮明にぼくの耳に届いた。


「リア、そういえば最近よく汚い男と一緒にいるところを見かけるけど、なにかあったのか?」


「汚い男…………ああ、あいつね。私もあの人のことで困ってて……。あの人、何を思ったのか私のことを恋人だと思い込んでるみたいなの。それで、私……怖くて……」


「……そうか。なら次に現れたときは俺に言えよ。ボコボコにして追い返すからさ。俺の彼女に手を出すんじゃねぇってな」


 カノジョ……? 違う。違う違う違う! リサは、リサはぼくの恋人で。だって、彼女から付き合って欲しいと告白されて。愛してるって、好きだよって言ってくれて……。なんで? ぼくは知らないうちにリサに何かやってしまった?

 …………分からない。なにも、分からない。


 男がリサの元から離れてから、ぼくはふらつく身体を叱咤してリサの元に向かった。ぼくに気付いた彼女は嬉しそうに微笑んだ。微笑んだ……ように見えた。

 笑みを向けられ、いつもならほわっと温かくなる心が、今は一層冷たく凍える。


 彼女が口を開く。発しようとした言葉を遮るようにぼくの喉から震えた声が出た。


「い、今の男の人、だれ? リサは……リサはぼくの恋人だよね? ぼくのことが好きなんだよね? っ、愛しているんだよね?」


 男と言った瞬間リサの顔は強ばった。けれどもそれは一瞬で、大きくため息をついたと思ったら嘲るような笑みを浮かべた。その顔がなぜか奥様に見えた。


「…………なぁーんだ、バレちゃったかー。あーあ、失敗したなぁ。……まあ、バレちゃったならしょうがないかぁ。そろそろしんどくなってきちゃったとこだったし。いつ切ろうかなーって考えてたから、まぁ丁度いっか。――ええ、そうよ。私が本当に好きなのはさっきの彼。あなたは恋人でもなんでもないわ。ただの金ズルよ。カ・ネ・ズ・ル。いいカモだったわ。稼ぎはしょぼいからたいして金を持っていない。だから高価なものはねだれなかったけど、それでも私がお願いすれば何の疑問も持たずに金を払っちゃって。プッ、アハハハ! 愉快だったわ。私の言葉を全部真に受けて、嬉しそうにしちゃってさ。こっちは笑いを耐えるのにどれほど苦労したことか。……けどそれも今日で終わり。あなたとはもう会うことはないから。バイバーイ」


 そう言って踵を返す。その姿が、似てもいないのにあの日の奥様と重なった。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。もう、捨てられるのはイヤダ。お願い、捨てないで!


 去り行く彼女を引き留めるように腕を掴む。そしてそのまま引っ張る。彼女はぼくの行動に驚いているのか抵抗もせずについてきてくれた。場所は賑やかな人通りから離れた裏路地。周りには誰もいない。


「……っは、離して! 止めてよ」


「嫌だ嫌だ。捨てないで!」


「ちょ、急に何なの? キモイんだけど」


 痛い。胸の部分がすごく痛い。リサと一緒にいるときにほわほわってなる胸の辺りが今はズキズキと痛む。奥様方に殴られたときとは違う痛み。痛くて辛くて涙が出る。


「初めてだった。リサだけなんだ。ぼくを見てくれたのも、微笑みかけてくれたのも、好きだと、愛してると言ってくれたのも。全部全部全部、リサが初めてだったのに! どうして嘘をついたの? どうして騙したの? それなら最初から関わらないでよ。そうしたら、こんな感情も気持ちも知らないままだったのに。こんな悲しい気持ちにならなかったのに。…………なれ。リサなんていなくなってしまえ!」


 ギュッと目を瞑って叫ぶ。けれど一向になんの反応も返ってこなくて、恐る恐る目を開く。すると驚くことに目の前にいたリサの姿はどこにもなかった。足音はなかった。動いた感じもしなかった。だというのに彼女の姿だけが、そこにはなかった。


 ぼくは怖くなってその場から逃げ出すように駆け出した。走って走って、寝泊まりしている宿に着いて部屋のドアをすぐに閉めた。重たい息を吐き出すと同時にその場に崩れ落ちた。顔を両手で覆って、涙が出て嗚咽が止まらない。泣いて泣いた。声が枯れるまで。そして疲れたのか、意識を失うようにし眠りについた。



 目が覚めて、瞼が重い。泣き腫らしたまま床の上で眠ってしまった。目の辺りがなんだか痛い。ここまで泣いたことはなかった。誰かを愛するのがこんなにも悲しいことだなんて知らなかった。


 ――ごめんなさい、リサ。


 どこにいるかも分からない彼女に向かって心の中で謝罪する。


 今の仕事が丁度一段落着いて、ここにいてもリサのことを思い出してしまうからと町を出た。行く宛てなんてあるわけもなくて、取り敢えず道なりに歩く。


 ふと彼女の声が聴こえた気がして、隣を見るもそこには誰か居るはずもなく。結局ぼくは一人なんだと自覚する。

 最初からそうだった。何も変わらない。だから、一人でも大丈夫。けれど、どうしてだろうか。大丈夫なはずなのに、胸の辺りがすごく痛いんだ。


 あの町にいればたくさんの人がいて、誰彼の声が絶えず聞こえる。けれどここにはぼく以外誰もいない。

 まるで奥様に捨てられたときのように孤独に苛まれる。そとが広いがために、ぼくという存在がいかにちっぽけかがまざまざと思い知らされる。


「ぼくは……」


 呟いた声は風に溶ける。何を言おうとしたのかも分からず次の言葉は紡げない。目を伏せて、零れ出た一筋の雫は風にさらわれ空に消える。流した涙の意味は、ぼくには分からなかった。




 次の町が見えた。ここでもまた日雇いの仕事を探して受けて、食い扶持を稼ぐのだろう。そして細々と生き繋いでいく。忘れないでもさっきの町のことはあまり思い出さないようにしよう。


 少し感傷に浸っていたせいか歩幅が狭まっていた。後ろで誰かの声が聞こえた。男の人の声。それも何人もいるみたいだ。彼らもあの町に向かっているのだろうか。同じだ、と勝手に仲間意識を抱く。

 聞こえる声がどんどん大きくなる。近付いて来ている。ぼくの歩く速さは彼らよりも遅いからすぐに追い抜かされちゃう。


 ちょっと疲れたから道の端に寄って休憩しようと思ったとき、ドンッと背中に衝撃が走った。疲れていたぼくは踏ん張れなくて、そのまま勢いよく前方に転がった。木にぶつかって動きは止まったけれど衝撃が身体中に響いてとても痛い。呻いているとぼくに近付く草木を踏む足音が聞こえた。


「ハッ、チョロいな。こりゃ楽勝だな。オラ、これ以上痛い目にあいたくなかったら金目のモンを全部置いていくんだなァ」


 髪をグイッと引っ張られ無理やり顔を上げさせられて痛い。痛みに悶えている中、何とか目を開くと目の前に男の人が。その背後に三人、男の人がいた。みんなニタニタと笑っている。


 ぼくが何も発せずにいたら顔を殴られた。その力は強く、奥様の比じゃない。


「ちっ、めんどくせぇナ。……もうやっちまうか」


 その声を合図に目の前の男はキラリと鋭い刃を取り出した。それを持ってぼくに向かって歩いてくる。

 怖い、怖い、怖い。命の危険を感じる。頭の中で警鐘が鳴り響く。殺される、そう思って強く目を閉じた。


 けれど、どんなに待っても痛みは来ない。そっと目を開けると三人の男の人は目を見開いてぼくを見ていた。


 あれ? 一人足りない。そう思った瞬間、一人、目の前で消えた。驚いて目を見張っていたら、また一人、また一人と一瞬にして人が消えていく。そうしてぼくの目の前から誰もいなくなってしまった。元から誰もいなかったように、静けさが満ちる。


 身体の震えが止まらない。さっきまでの殺されるって恐怖とは違う震えがぼくを襲う。意味が分からなかった。人が突然目の前で消えるなんて、ありえないと学がないぼくでも分かる。だから一層怖かった。


 頭の片隅に、もしかしたらリサも……なんて考えが過ぎる。違うと否定することが出来なかった。だって見ちゃったから。目の前で人が消えるとこを、見てしまったから。頭ごなしに否定は出来ない。

 怖くて呼吸が荒くなる。ぼくの呼吸音が頭に響く。視界が霞み、ぼくの意識は途絶えた。



 意識が覚醒して目を開けたとき、目に見えた光景は意識がなくなる前とは全然違っていた。森の、ところどころが不自然に穴が空いていた。穴が空いたとこはキレイに何もなくなっていた。


 怖くなったぼくは、ない体力を絞り出して町まで走った。ぼくの背後に見えない何かがいるんじゃないかって気が気じゃなかった。ナニカ、よくないモノに憑れているんじゃないか。そう、思った。

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