舞台の去り際、もしくは我儘王女の終焉
「あらまぁ…酷い傷跡。
そんな醜い傷をつけた男なんて、用無しだわ。
ご存知でしょう?
わたくし、美しい男が大好きなの」
彼の頬の傷を滑るように撫でる。
もうすでに傷も塞がっている。
痛みはないのかもしれないが、わたくしに触れられる、それが嫌なのだろう、一瞬だが彼は目を伏せた。
最後だ、そう思うとこのまま彼の胸に倒れこみ、抱き着きたい衝動に駆られる。
そして大きな声で喚くのだ。
お前は、わたくしの物だ、と。
わたくしから離れるなんて許さない、と。
出来るわけがない。
許されるわけがない。
彼を傷物にした対価を、わたくしは払わないといけない。
ゆっくりと、いつも以上に緩慢な動作で彼の顔から手を離す。
未練を感じさせないように。あくまでさり気なく。
これが、最後だから。
そう思うと、わたくしは泣きだしたくなる。
わたくしを選ばないなんて許さない。
わたくしの手を取らないなんて許さない。
だから。
だから、つい思ってしまったのだ。
彼、が私を守り切れずに怪我を負えば、彼はわたくしの元を一生離れないのではないか、と。
だから、自分を襲うように、一人の近衛をけしかけた。
わたくしの見た目も当然利用して。
美貌、男の劣情をそそるスタイル。
我儘だ、何だと言われるのを逆手に取り、目に涙を浮かべあなたの前でだけは弱い女で居させて、と囁く。
言葉で誘導し、プライドと劣等感を刺激させて、その気にさせた。
兄がわたくしの監視に置いた兄の乳兄弟の男。
それなりに優秀な相手。
わたくしは、二つほど、見誤った。
一つは、男性の力の強さ。
わたくしは、知っていた、男性の力が強いことくらい。
だけど、見くびっていた、男の劣情を、嫉妬を。
襲われかけた時、手首と肩に青痣が残る程掴まれた。
わたくしにとって、それは衝撃だった。
誘惑した男なんて軽くあしらえると思っていた。
止めてと言えば、止めてくれると思っていた。
だけど、違った。
実際に残った青痣は、わたくしの白い肌に数日は残り、あれは現実だったと突き付けた。
2つ目は、彼の優秀さ。
わたくしは、知っていた。彼の優秀さを。
だけど、見くびっていた、彼の優秀さを。
彼、は見事にわたくしを守った。
己の剣一本で。
己の頬の傷を犠牲にして。
呆然と守られているだけだったわたくし。
初めて、目の前で人が切られているのを見た。
人が切られるくぐもった音を聞いた。
そして本当に切られた場所から血が溢れるのを、見た。
それは、確かに家庭教師に習った通りに赤い血を流し、
そして、当たり前だが命を奪う行為でもあるのだ、
血生臭い匂いがする中で、彼がわたくしに大丈夫か、と聞いたとき、彼の頬から赤い血が流れていた。
端の方は少し黒ずんでいた。
彼が傷を負うなんて、思ってもみなかった。
返り血だと思っていたわたくしは、それに更に取り乱した。
そんなわたくしに、彼は冷静な声で言ったのだ。
「大丈夫です、殿下。
殿下を守るために負った傷です。誇りに思いこそすれ情けをかけてくださるほどの物ではございません。
それに、私は男ですから顔の傷など気にしません」
彼は、声の抑揚なく、一気に言い切った。
それ、は自分の感情を抑えるために極めて冷静になろうとした結果だったのだろうか。
あの時、彼はわたくしに何を思ったのだろうか?
わたくしは、彼に何を言ったのだろうか。
覚えていない。
ただ、彼が傷つくなんて思っていなくて、動揺して。
わたくしは、なんてことをしてしまったのだろう。
ただ、彼の傷の心配だけをして、そんな事を思っていたような気がする。
事実、わたくしは彼以外が傷つこうがどうなろうが構わなかった。
そう、わたくしは、狂おしい程に彼を欲していたのだ。
醜悪なわたくしの本性を知っていたのだろうか。
彼は最初からわたくしに対し、一線を引いていた。
わたくしの見た目は賛辞は受けられはすれ、男性に拒絶されることはなかったのだから、
余計意地になった。
一向に靡いてこない彼にイライラした。
絶対にこの男を屈服させてやる、そう思ってしまった。
なんて、浅はかだったのだろう。
「あぁ、残念だわ。
美しく、強い男だと思っていたのに」
嘘。
傷跡があったとしても、なんて美しいのだろう。
傷の引きつれでさえ、セクシーだ。
そして、その傷がついた原因だって元はと言えばわたくしを守るために負った物。
それが職務だとはいえ好きな男に守られて。
そのために、その美しい顔に傷がついて。
完璧な美貌と言われて彼の顔の頬についた傷跡。
剣でつけられた傷は浅いけど、一筋の刀傷は美の中の醜悪。
なのに、
神は、何という存在を生み出したのだろう。
あぁ、何でこんなに惹かれてしまうのだろう。
恋しくて、恋しくて。
そんな思いとは裏腹に口から出てくる言葉は辛辣で、いつも以上に酷薄そうな笑みを浮かべている私は、世間一般で言われている性悪女だろう。
殊更低い声音で、心底さも期待外れだった、という体で。
王宮の回廊で、侍女だけではなく侍従や騎士、メイドだっている。
一般に開放されている場所で、舞台の様に演じるのだ。
飽きた玩具を捨てるように、興味もないとばかりに踵を返す。
私が、彼を捨てた、のだ。
断じて、彼が私を捨てたのではない。
そう見えるだろう。
王に可愛がられた末っ子王女の我儘な振る舞い。
いつもの事だと、直ぐに忘れられてしまう一件。
だが、その王はもういない。
私の汚点を拭うべき父は、兄から強制的に引導を渡された。
軍を味方に率いて。
元々兄が王太子だったのだ、王位を譲るその時期が、少しだけ早過ぎただけだった。
だが、まぎれもなくクーデターではあった。
引き金を引いたのは、わたくし。
あの騒動で、わたくしの近衛の一人が死んだ。
兄の信頼していた乳兄弟であり、彼の親友であったそうだ。
それなりに、優秀だから選んだだけの男。
ただ、それだけで選んだだけだったのに。
知らなかった。
わたくしは、彼以外は目に入らなかったから。
知らなかったのだ。
いや、知っていたのかもしれない。
彼が、柔らかい笑顔で雑談しているのを見かけたことがある。
私には、見せない笑顔が、許せなかった。
だから。
そして、知ってしまった。
死んでしまった彼にも、家族がいて、恋人がいて、友人がいて。
誰かの愛しい人であり、愛しい人がいた事ですらわたくしは気が付かなかった。
転んだら、怪我をする。
ぶつかれば、痛い。
それと同じように、剣で刺されたら傷つく、血が流れると分かっていたのに。
わたくしは、分かっていなかった。
見ていなかった。
剣で刺されるのも、刺すのも、全て文字の上でだけのお話で。
人が死ぬというのは、ベッドの上でだと思っていたのだ。
わたくしの身がどうなるかなんて分からない。
兄はわたくしを持て余している。
この美貌だ、政略結婚の駒にはなる。が、危険因子過ぎる。
特にこんな問題を起こした後では。
いっそ毒をあおってしまえば、とも思う。
残念なのは、今現在わたくしに毒を手に入れる、そんな自由がないことだ。
兄からの監視は、わたくしの自由を奪うものだった。
先ほどの舞台だって兄の監視からの視線を背中に感じて痛いくらいだった。
刺すような視線、とはきっとこの事でしょうね、と他人事のように感じた。
この分じゃ自分で毒を手に入れなくても、兄が用意してくれるのかもしれない。
その方が、手間が省けて楽だわ、とも思う。
それに、とわたくしはほくそ笑む。
わたくしが死んでも、彼はわたくしに囚われる。
彼の頬の傷跡は、消えないそうだ。
薄くはなるかもしれないが、残るだろうと言われた。
それを聞いた時、不謹慎にもわたくしの胸は高鳴ってしまった。
彼は鏡を見るたびにわたくしを思い出してくれる。
彼は、きっとわたくしを忘れない。
それが、例え憎悪であったとしても。
そんな思いを抱くわたくしは、きっとおかしいのだろう。
だが、それでも良い。
彼の記憶に、わたくしが残るなら。
わたくしは、わたくしの人生の中で一番の愉悦を味わっているのだ。
それは、癖になるほど甘い甘い砂糖菓子のようだ。
彼を回廊に残し、わたくしは舞台から去る。
堪え切れない笑みが、口元に浮かんだ。
終