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トラウマと反抗

 光輝くん、遅いな。


 私が見送ってからもう十分以上経ってる。

 いくら人と上手く話せない彼でも、物を渡して帰ってくるだけの仕事なら三分とかからないだろうに。


 何かあったのかな。

 それとも私が絡みすぎたせいで、距離を取られた?

 いやいや、光輝くんはなんだかんだいって私のこと本気で邪険に扱ったことはないし。


 一組と二組の間にトイレあるし、ついでに寄って遅くなってるとか、そんなとこでしょ。

 うん、きっとそうだ。


(……)


 しかし、十五分過ぎても光輝くんは帰ってこなかった。


 やっぱり何かあったのかな。

 見に行った方がいいかな。

 過保護だとかなんとか言われちゃうかな。


 ……迷っても仕方ないよね!

 とりあえず見に行くだけ見に行ってみよう!


 そして、私が教室を飛び出して一組の方を向くと、よく見えなかったけど何やら色んな人が騒がしそうにしている光景が目に入った。


 近づいてみると、何人かの生徒が必死に雑巾で床を擦っていて、一人ガタイのいい男子生徒が窓際で制服を乾かしていた。

 床には所々ペンキの跡みたいなものがある。


 私は何があったんだろうと思って、近くにいた人に声をかけに行った。


「あの! 何かあったんですか?」


「ん? え、黒木……」


 私が話しかけたのは制服を乾かしていた男子で、クラスメイトの瀧内くんだった。

 私の顔を見ると少し動揺の色を浮かべた様子で固まっていた。


「あ、いや。なんでもない。さっき白石ってやつがペンキを届けにきたんだけど、それを俺の前でぶちまけてな。この有様だ」


 光輝くんがペンキをぶちまけた……?

 多分、意図的なものではないと思うけど、いつも落ち着いてる光輝くんが、そんなそそっかしいことやらかすかなあ。


「それで、光輝くんはどうしたの?」


「光輝くん、ってことは黒木も光輝と知り合いか? まあどうでもいいけど。なんか、謝りもせずに固まって、そのままどっか逃げてったよ」


「どっかてどこに?」


「んなもん知るかよ。こちとらあいつの粗相を片付けるのに忙しくてな」


 瀧内くんは随分と光輝くんを毛嫌いしてるみたいだ。


「あいつを探してるってんならやめたほうがいいぞ。何されるかわかったんもんじゃねえ。ていうか、一年の時からいっつも何考えてんのかわかんなかったし、喋ってもクソつまんねえことしか言わねえし。一緒にいると場は白けるし。関わっててもロクなことがねえ。見ろよこのペンキ」


 溜め込んだグチを放出する機会を見計らっていたようにそう言った彼は、自分の汚れた制服を指差して嘲るような表情を見せた。

 自分の口から発せられた光輝くんへの雑言には何の疑問も持っていないような顔だ。


 その瞬間、私は全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。


 この人は一体光輝くんの何を見て、何を聞いてそんな酷いことが言えるんだ。


 何を考えてるのかわからない?

 あなたは光輝くんに歩み寄ろうとしたの?

 わざと距離取ってたんじゃないの?

 第一光輝くんはつまらない人なんかじゃない。


 私の中で光輝くんを侮辱されたことに対する憤りが沸々と湧き上がってくる。


「何の用だか知らねえけど、あのクソ陰キャなんか放っておいて、さっさと作業に戻った方がいいぞ」


 そう言い捨てて、瀧内くんは教室に戻ろうとした。


 このままにしてはおけない。


 私の中で衝動的な何かが爆発して、抑えられなくなった。


 ここで言い返したら何かが変わるような、そんな気がしたのだ。


「ねえ」


「あ?」


 私に呼び止められて彼の足が止まった。


「なんでそんなこと言えるの?」


「は?」


「なんでそんな簡単に人の悪口が言えるの?」


「いや……別に悪口なんて言ったつもりはねえけど」


 この人、やっぱり自分が言ったことに疑いを持っていないみたいだ。自分の価値観で見て決めたことが絶対で、誰もがそれに賛同するものだと思ってる、そんな態度だ。


「言ったよ。光輝くんのことつまらないだとかクソ陰キャだとか」


「それは、黒木に警告するために……」


「警告って何。ペンキかかったくらいで」


「くらい、って……俺の立場ならあんたもそんなこと言えないだろ」


「ううん。だってわざとじゃなかったんでしょ?」


「……それは、その、まあそうだったけど」


 やっぱり。


 彼は決まりが悪そうに私から顔を逸らした。


「……そんなこと、もうどうでもいいだろ。少なくともあんたには関係ないんだから」


「あるよ」


「はあ?」


「だって私、光輝くんの友達だから」


 私は彼の目を見てそう言った。

 できるだけ私の本気が伝わるように。


「一年の時がどうとかなんて知らないけど、少なくとも、今は私の大事な友達なの」


 訴えかけるような眼差しで、じっと彼を見つめた。


 光輝くんのためにも、ここで退くわけにはいかない。


 私はもうほとんど睨むような姿勢になっていた。


「……は。そうかよ。はいはい、悪かった悪かった」


 すると段々面倒になってきたのか、彼は明らかに心がこもってない言い方で降参したようなそぶりを見せた。

 多分私の思いは伝わっていない。


「……もういいだろ? 俺作業とかあるから。じゃ」


 ため息と嘲笑の混ざった声色でそう言いながら、また教室へ戻ろうとする。


 理解してもらえるまで諦めたくない。


「ちょっと」


「……」


 しかし、もう私の呼びかけには応じないみたいだ。

 背を向けた彼と私の間に、重く分厚い壁が立ちはだかっているような感じがする。

 絶対的な拒絶がそこにあるような。


 それからドアを閉める間際に、彼はこんな呟きを残していった。


「気色悪い眼ぇしやがって」


 ガラガラと勢いよくドアが閉まる。


 彼の背中は磨りガラスの向こう側へと消えていった。


「……」


 隙間風が冷たい廊下の中で、私は独り立ち尽くす。


 しばらくそうしていると、飛び散ったペンキを掃除していた生徒に場所を空けるよう言われて、ようやく我に帰った。


「はぁ……」


 光輝くん、大丈夫かな。

 あの人に酷いこと言われてないといいけど。


 とりあえず今は光輝くんが帰ってきてないか確かめないと。


 ……それから二組に戻る途中、私はあの人が最後に吐き捨てた言葉を頭の中で何度も反芻していた。


 ――気色悪い眼。


 ……昔から言われ慣れていたはずなのに、まだ少し胸が痛むなあ。



 なんだか肌寒くて、私は少し駆け足になった。

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