震える少女
クラスメイトとの関わりがなさすぎる、というかホームルームも出し物会議の時間も適当にやり過ごしていたから知らなかったのだけれど、どうやら今年の文化祭で一組と二組は合同企画を組んでいたらしい。
偶然にも両方の組が執事喫茶をやるかメイド喫茶をやるかで悩んでいたらしく、それならいっそ執事とメイドで教室を片方ずつ使って両方やろうという結論に至ったそうだ。
喫茶店をやる、みたいなことはうっすら聞いた覚えがあったのだが、これまで基本的に準備は自由参加だったし、まさかそんなことになっていたとは思ってもいなかった。
コンセプトは『クラシカル』らしい。
学校行事であるからには健全でなければならないというのがうちの方針だ。
それはそれでマニアが喜びそうな気もするが……
ちなみに執事かメイドかは性別によらないらしく、人数配分次第で好きな方を選べるらしい。
どちらにせよ僕は裏方に徹するけれど。
「本番一週間とちょっと前で何も知らなかったなんて。まさか光輝くんがそこまで隠遁者だったとは……」
「黙れ。彩瞳さんこそ教えてくれたってよかったじゃないか」
二人で内装用の木材に白ペンキを塗る作業をしながらいつも通りに会話をする。
ただ、僕の方が彩瞳さん側の教室、つまりは二組にいるというのは珍しいことだ。
自分のクラスに馴染みがあるわけではないが、他クラスというものはなぜだか知らない家に預けられたような心地がして落ち着かない。
「光輝くんびっくりしてたもんねえ。特に一と二で合同って聞いた時は」
「そりゃな。人との関わりが増えるほど面倒なことになる」
「でも私には構ってくれるんだ?」
認めたくはないが反論の余地は全くない。
楽な方がいいというだけで、完全な孤立を望んでいるわけでもないからな。
「光輝くん、やっさしー!」
彼女が刷毛を持っていない方の手で僕の肩を揺さぶる。
「お、おい! やめろ! ペンキつくだろ!」
「えーブレザー脱いでるしYシャツ白いしわかんないよ〜」
それはお前の目が悪いだけだろ。
「そういえば光輝くんはメイドと執事、どっちやるの?」
「そんなこと聞くまでもないだろ」
「じゃあメイドか〜。光輝くん女装癖あったもんね〜」
「おい。どうしてそうなる」
「大丈夫! 私はどんな光輝くんだって受け入れる覚悟をしてるよ!」
「だから――」
僕が彩瞳さんのくだらない冗談を真に受けて反論しようとすると、それを遮るように――実際遮れるほどの声量はなかったけれど――背後から消え入るようなか細い声がした。
「あ、あの……」
「……え。あ、はい」
そこに立っていたのは、声から想像していたよりも当世風の女子高生らしい見た目をした少女だった。
髪は長く、色は焦茶色。
肌の血色は非常に良く、学校で許される程度の範囲でナチュラルな化粧をしているのがわかる。
体型は彩瞳さんよりも健康的だ。
「その、ペンキ……」
「ペ、ペンキが何か?」
「い、一組で作業してる人の中に使いたいって人がいて……要らなくなったら、持っていってほしいって……」
「あ、ああ。はいはい。分かりました」
彩瞳さん以外の人間に声をかけられるのが久しぶりすぎて、少し動揺してしまった。
そうか。一応僕は今集団の中にいるわけで、歯車の一つとして働いている以上他人と噛み合わせねばならない機会も少なからずあるというわけだ。
面倒事を避けたいなら避ければいいというわけにはいかないらしい。
「ふふっ。声かけられたくらいで萎縮しすぎー!」
彩瞳さんが僕の背中をペシペシと叩く。
「別に、萎縮なんてしてないし。突然だったからびっくりしただけだし」
「ほんとかなー? ほらほら、私の目を見て言ってみな?」
「いや、それは無理」
彩瞳さんがゼロ距離で僕の瞳を覗き込もうとする。
こう何度もやられたら毎回赤面することもないが、目の前で他人にそれをまじまじと見つめられているのが気になって、ばつが悪い。
「おい、人が見てるって」
「だってこうしないと私見えないんだもーん」
側から見たら僕たちどう思われてるんだろうな……
陰キャ男子が陽キャ女子に絡まれてるだけか……
すると僕たちのやりとりを眺めて閉口していた少女が徐に口を開いた。
「……あの。お二人は、な、仲がいいんですね……」
「そうだよー! 私たち大親友!!」
彩瞳さんが僕の背後に腕を回して肩を組む。
……少し柔らかい。
しかし、適度なボディタッチなら僕のこと好きなんじゃないかとか勘違いしていたかもしれないが、こうも度を越して無防備に接触されるとそんな気が起きることはない。断じて。
「いや、よくて友達だろ……」
「え〜そんなこと言ってほんとは嬉しいくせに〜! わかってるんだぞ〜」
そう言いながら彼女は刷毛を持った方の手で僕の頬を突く。
「わかったからダル絡みやめろ。汚れるから。その、君からも何か言ってくれませんか」
「ちょいちょい! 茜ちゃんを逃げ口にするんじゃないよ! 茜ちゃんも困っちゃうでしょー?」
「……」
恒例の茶番が繰り広げられる。
一方、それを目前にしている、茜と呼ばれた少女は押し黙っていた。
今彩瞳さんが茜さんとやらの名前を呼んで気がついたが、彼女が僕以外の人に関わっているところを見るのは何気に初めてだ。
僕に構っている間は彼女の周囲にも人が寄り付かなくなるみたいだから。
……しかし茜さんとやら、最初から静かというか、人見知りな感じはあったが、その場に立ったまま一切喋らなくなったな。どうしたんだ。
僕と彩瞳さんは二人同時に首を傾げる。
「あの、もうわかったと思うけど、ほんと、仲良しとかじゃないんで。あと、ペンキはあとでちゃんと持っていきます」
なんとなく気まずくなった僕はこの場をやり過ごそうとした。
すると彼女は何か言いたげに軽く拳を握りしめ、一つ重たげに深い息を吸ったが、結局口をつぐんだまま、意味深に小さく「はい」とだけ言って去っていってしまった。
――足が震えていた気がする。
「……」
「……ほら。あの子も彩瞳さんに呆れてどっか行っちゃったよ」
「えー!? 私のせい!?」
ほんの数十秒しか見ていないが、茜さんという子の態度、最初声をかけられた瞬間からどこか引っかかるものがある。
しかし瞳を見られない僕が正確に推し測れることは何もない。
多くを語らなかった彼女について分かったのは彩瞳さんと知り合いであること、それから見覚えがなかったので恐らくは二組の生徒であるということだけだ。
ただまあ一瞬雰囲気がぎこちなくなっただけで、僕でなければ誰もこんなことは気にしないだろう。
「……そんなことどうでもいいから、さっさと作業進めるぞ」
「はーい」
僕たちはペンキを他の担当箇所に渡すべく、それからは作業に専念した。