運命の出会い
十月下旬。
十一月頭に開催される文化祭に向けて各クラス、クラブが本番の出し物やステージパフォーマスに向けて忙しなく準備を進めていた。
どこもかしこも空気が浮ついている。
しかし、そんなこと僕にとっては関係ない。
今日は日直の仕事で帰りが少し遅れたからたまたま目についてしまっただけだ。
それにしても廊下が木材やカードボード、塗料や新聞紙だらけで歩きづらいったらありゃしない。おまけに道を塞いで作業をしている生徒もチラホラ。
ただでさえ今僕は視界が悪いのだからぶつかってしまったらどうするのだ。
そうなっても、どうせ僕の不注意だということになって責められるのだろう。
全く自分勝手なやつらだ。
自分だけで生きている僕ですら他人に迷惑はかけていないぞ。
もっとも、迷惑をかけたら必然的に他人と関わらなくてはならないからというだけの話だけれど。
そうして頭の中でぶつぶつと不平不満を垂れ流しながら、僕はなるべく人気が少ない特別教室棟まで渡り、道の空いている廊下を選んで歩いていた。
そして今はその最奥、階段に繋がる曲がり角。
僕は一階と二階の間に位置する薄暗い踊り場を上から覗いている。
するとなにやら一人の女子生徒が山積みのダンボール箱をカニ歩きで運びながらもたついているのが見えた。
箱の側面には東棟倉庫と書いてある。
掃除や授業時間外でこんなところに生徒がいるとは珍しい。
腕にかかる負担で鬱血しているのが一目見て想像できるくらいには重たそうな荷物だ。
また、彼女はブレザーの上から見ても分かるほど、女子高生にしては手足の肉付きが薄く、華奢というよりは細くか弱い体躯をしていたので、なおのこと苦しげなのが伝わってくる。
――ちなみに、人の目が見れない代わりにいつも女子生徒の身体を観察しているというわけではない。顔が上を向かないから必然的に視線がそちらに向くだけだ。
何はともあれダンボール箱は今にも彼女を押し潰してしまいそうで、彼女の足元でだけ震度六の地震が起きているのではないかと錯覚するほどに不安定だった。
これもまた僕の道を塞ぐ障害ではあるが……幸い端に寄って階段を下りればぶつかることはなさそうだ。
「んっ……!」
と、思っていたのだが、僕が半分ほど下りたところで、すれ違いざまに彼女がバランスを崩して、細い踏み板の上を二、三歩踊ったかと思えば、突然僕の目の前に現れた。
「わ」
久々に正面から人の顔を見た。とはいえ上部は真っ黒で何にも見えないけれど。
肌は白く、カスミソウのごとく素朴な美しさを彷彿とさせる。髪は黒でセミロングといったところか。
鼻立ちはスッキリとしていて、唇は薄い。
「あ、ごめんなさい!」
彼女が謝って軽く会釈する。
声色は見かけによらず溌剌としていた。
「ああ、うん」
普段なら無視するのだが、思わず反応してしまった。
それから彼女はもう一度会釈して「よいしょ」と荷物を持ち直してから、僕を避けて上がろうとする。
しかし、僕と同時に踏み出そうとした彼女の行先はまた重なってしまい、お互いの顔がもう一度真正面に来た。
「ん」
道を歩けばよくあることだが、なんだか気まずい。
そして再度身体を傾けると、やはり彼女も同じ方向に傾いた。
視線がどこを向いているか分からないので、行動が上手く読み取れない。
「くっ」
驚くことにそれが四往復ほど続いた。
その度にダンボール箱がぐらぐらと揺れる。
今にも崩れそうだ。
というよりも――
「あっ」
二人同時に声を上げた。
……まずい。
段鼻に置いた踵を軸に放射状の線を描きながら、彼女が背後に沈んでいく。
このままでは後頭部から転倒してしまう。
ここで怪我でもされたら……面倒だ!
そう考えるよりも先に、体が動いていた。
僕は手を伸ばして彼女の袖を掴み、こちらへと引き寄せる。
すると、紙切れのように軽い彼女の体は易々と持ち上がり――ダンボール箱は手放してしまったが――転倒は防ぐことができた。
しかし、彼女の体重を想定していなかった僕は勢いよく引っ張りすぎたあまり、その慣性で前方へ突き出てしまっていた。
ふっ、と一瞬身体が浮くのを感じる。
――あ、これは……
そうして重心のコントロールを完全に失うと、僕は真っ逆さまに階段から転げ落ちて――
「ぐえっ」
情けない悲鳴を上げながら、冷たく埃っぽい床に頭をぶつけ、散乱したダンボール箱に囲まれながら意識を失った。
◇
「ねえ」
……ん、ああ。
僕どうしたんだっけ。
ここは……ベッド?
「目、覚めた?」
確か重そうな荷物を運んでいた女子が階段から落ちそうになって、それで……
「ん、眩し……」
窓際で眠っていたらしく、夕日が容赦なく僕の瞼を突き刺す。
僕はそれを避けるべく、反射的に寝返りを打った。
すると――
「うわっ」
目の前に少女の顔があって狼狽えた。
相変わらず半分は真っ黒だが。
見覚えがある。さっき階段で何度も僕の道を塞いだあの顔だ。
真っ黒な霧の中に目が隠れていても分かる。
「お、おはようございます」
何を言ってるんだ、僕は。
「ん? うん、おはよう!」
ほら、ちょっと戸惑ってる。
「えっと……その、保健室だよね。ここ」
「うん、そうだよ〜。君階段から落ちて頭打ったんだよ。先生は軽い脳震盪だって言ってた」
そうか。大したことがなくてよかった。
ていうか半分は君のせいだぞ。申し訳なさのかけらも垣間見えないのだけれど。
「えーと……じゃあ、その、先生は」
「今親御さんと病院に連絡してるよ〜。一応ちゃんと検査したほうがいいんだってさ」
はあ。大したことないとはいえ、そんな面倒なことになってるのか。
学校にいる以上僕の勝手な都合でキャンセルできたりはしないんだろうな。
「あの……ここへはどうやって」
「ああ、それね! 最初は引きずって運ぼうとしてたんだけど、途中で先生に見つかってね!」
やっちゃった、とでも言いたげな調子だ。
怪我人に対する扱いではないだろう、それは。常識的に考えて。
「ま、保健室まで来れたんだし、結果オーライってことで!」
そう言って彼女は腕を振りかざすと、胸の前で勢いよく親指を立てた。ウィンクしているのが想像できる。
いちいち癇に障るが、こういうやつは友達多いんだろうな。僕とは違って。
「ああ、うん……まあ、一応ありがとう」
「どういたしまして!」
しっかりと視認できるのは口元だけだが、ピュアな笑顔だと思う。
「うん、じゃあ。僕は、もう大丈夫だから。帰っていいよ」
「そう? 半分は私のせいだし、親御さんに謝ったほうがいいかなーって思ってたんだけど」
なんだ、ちゃんとわかってたのか。
「まあ、君がそう言うなら」
そう言って彼女はベッド横の丸いパイプ椅子から立ち上がる。
……脚、ほっそいなあ。
「あ、そうだ」
ギクッ。
目の前の脚に視線を向けていことがバレたのかと思い、僕は身をこわばらせた。
「一個聞き忘れてたんだけどさ」
ん? 改まってなんだ……?
「――君、見えてないでしょ」
――え。