憧れと蔑視
「……といいますと?」
「あの……白石さんは、ど、どうやって、黒木さんと仲良くなったんですか?」
へ?
突然何の脈絡もない質問が飛び出してきたな。
しかし、今の夕空さんの佇まいは至って真剣だ。
「仲良くなったっていうか、なんというか。ほぼ向こうから勝手に話しかけてきて、いきなり友達になろうとか言われて」
「そ、そうですか……」
階段から落ちて、目が覚めたら隣にゼロ距離で見つめてくる彩瞳さんがいて、ちょっと話したら友達になった。
その通りにすれば仲良くなれるよ、なんて絶対に言えないな……
「……あの、私、黒木さんと、と、友達になりたいんです」
夕空さんは両手の人差し指を絡めて萎みながら、後ろめたそうに言った。
「えと、じゃあそう言えばいいんじゃないですか」
「それが……怖くてできないんです」
怖い? 彩瞳さんは友達百人欲しいとか思ってる人間だぞ。たった一言友達になろうと言うだけでピラニアのごとく食い付いてくるのが想像できるのだけれど。
夕空さんもいつもの彩瞳さんを見ていれば恐らくそれくらいは知っているだろうに。
「……黒木さんは、私の憧れで。特別親しい友達がいるわけじゃないのに、積極的にみんなに声をかけにいっていて。中には心なく無視する人だっているのに諦めなくて」
そんなやつがいるのか。
最初はうんざりしていた僕でもそこまではしなかったぞ。
「そんな姿が、私みたいに見た目だけ頑張っても、中身は変えられなかった人間にはとても眩しく見えたんです」
確かに、垢抜けた容姿とは裏腹に今もなお夕空さんはあまり僕の方を見ようとはしないし、声も小さく、震えている。
「だから、黒木さんと友達になることができたら、どれだけ光栄なことだろうと思って。でも、いざ声をかけようとしたら、どうしても怖くなってしまうんです」
「……彩瞳さんならきっと受け入れてくれると思いますけど」
「はい、それは分かってるんです。むしろ原因は私自身にあって……」
夕空さんは手のひらに爪を食い込ませるように、拳をぎゅっと握った。
「……私はいつもいつも余計なことばかり考えてしまうんです。私が黒木さんと友達になりたいのは、どこかで彼女のことを憐れんでいるからじゃないのか、私は友達のできない可哀想な彼女を助けてやろうとしている偽善者なんじゃないのか、人と上手く関われないから彼女で妥協しようとしているだけじゃないのか、と。そんなふうに考えてしまって、自分のことが信じられなくなって、いつか黒木さんを傷つけることになるんじゃないのかって怖くなるんです」
夕空さんが瞳にどんな感情を浮かべているかは分からない。けれど、彼女はきっと今涙ぐんでいる。きつく結んだ口元だけが、僕の視界に写っていた。
初めて声をかけられた時、彼女は彩瞳さんを前にして震えていたが、そんな理由があったんだな。
「でもきっと、それも結局私が一歩踏み出せないことへの言い訳にすぎないのかもしれません。いつまで経っても成長できないことには理由があるんだって、黒木さんを利用して自分に言い聞かせてるだけなんだと思います……」
……きっと夕空さんは誰よりも優しい人間だ。
少なくとも今まで僕が出会ってきた人たちの中に、ここまで内省できるような人は一人もいなかったと思う。
対人関係において自分にとって都合がいいように考えたり、行動したりするのは、誰にだって起こりうることで、瀧内たちもそうだったから、僕を迫害するに至ったのだ。
しかし、夕空さんはちゃんとそこに疑問を持っている。一歩踏みとどまって、自分と、そして相手が傷ついてしまわないか、考えることができている。
世の中の人間が全員彼女みたく慎重になれたら、きっと僕が自分の目を塞ぐことだってなかったかもしれない。
「……こういって納得してくれるかはわかりませんが、少なくとも夕空さんは誰にとってもマイナスになるようなことはしていないと思います。それだけ自分のことも相手のことも考えてあげられるなら、きっと彩瞳さんにも寄り添って、対等な関係を築くことができるはずです」
「……そう、でしょうか」
「そうですよ。それに、彩瞳さんは夕空さんに『友達になろう』なんて言われたら小躍りして喜ぶと思いますよ。彼女は……優しい人が好きみたいなので」
自分で言って小っ恥ずかしくなってしまった。
でも、彩瞳さんが僕のことを何度も優しいって言ってくるんだから仕方ないじゃないか。
「……分かりました。少しだけ、勇気出ました。ありがとうございます」
そう言うと、夕空さんは数秒間深くお辞儀して、ベッド横の椅子から真っ直ぐに立ち上がった。
その手はまだ微かに震えているが、彼女の中で何か決心ができたみたいだ。
「……それじゃあ、私はこれで。その、本当にありがとうございました」
「あ、うん。こちらこそ。わざわざ来てくれてありがとう。彩瞳さんによろしく伝えておいてください」
そして彼女は僕に向かって会釈すると、一人部屋なのにも関わらず、なるべく足音を立てないように、そーっと病室を後にした。
今まで相当他人に気を遣ってきたのだろう。
夕空さんがいなくなると、背後の小さな照明だけが灯った薄暗い病室で、僕は一人ぼっちになった。
なぜだろう。一人には慣れていたはずなのに。今はそれがとても寂しく感じてしまう。
窓の外を覗くと、疎らに雪が積もっていて、街灯の光を反射した白色が、いつもより夜道を明るく照らしていた。