第十話 黒い歯車
「助けて。私は、フリア=ハウェード=ディープスター。お願い。」
フェルはフリアに手を握られたまま硬直していた。
「フリア…………ディープスター?もしかして、ディープスター家の方ですか?」
フェルの問いにフリアはこくんと頷く。
「だとしたら何故ここに………しかも『助けて』とは?」
「それについて、説明をさせて。貴方にも関わりのある話よ。」
(僕にも関わりがある………?ますます意味が………)
と、その時。
『やぁれやれ。契約違反かよ、全く。』
背筋も凍るような殺気と低い声が店に響く。どことなく吹いて来た風が燭台の蝋燭の灯を消し、天井は闇に包まれた。
『契約者は…………フリア=ハウェード=ディープスターっと……んなこたぁどーでもいいか。』
天井には、聖職者の法衣を纏った骸骨が靄の中に写し出されていた。古びた分厚い本をめくっている。
「ゲルニス。私よ。覚えてないの?」
フリアは天井の骸骨──ゲルニスに臆することなく話しかける。
『あぁ?小娘なぞイチイチ覚え……って、お前か。ってことは、あの約束、今使ったってことでいいんだな?』
「ええ。勿論。手間を掛けさせたわね。」
ゲルニスは本を放り投げ、気だるそうに答える。
『いや、いいさ。でも、忘れんなよ?次は無いからな。』
そう言うと、忽ち靄と共にゲルニスは消え、いつの間にな蝋燭に明かりが灯り、先ほどまでの心地よい雰囲気も戻った。
(───────息を、息をしてもいいのか……?)
フェルは汗だくになりながら激しく噎せた。心臓が早鐘を打つ。
(あの、ゲルニスとかいう骸骨………恐ろしい殺気だ。、思わず呼吸も忘れてしまう程に……クリーグ様とはまた違った恐怖だった……。)
言うなれば、クリーグを圧倒的武力とするなら、ゲルニスは喉元にナイフを突き付けられたかのような冷酷な殺気を放っていた。
「ごめんなさい、ちょっと邪魔が入って……じゃあ話を戻すけど……」
「ちょ、ちょっと待って下さい!今の奴は何なんですか?」
「ああ、彼は『契約の悪魔』ゲルニスよ。悪魔学を多少は勉強してたら知ってると思うけど。貴方ならそのくらいの知識はあるんじゃないかしら?」
(け、契約の悪魔だって………!?)
契約の悪魔、ゲルニス。悪魔の中でもかなり上位に位置しており、ゲルニスの作成した契約書の内容に違反すると、違反者はゲルニスによって殺されてしまう。確かゲルニスの契約書の作成、使用は国の許可と監督が必要な筈だ。
(何故それが彼女に使われたんだ…?しかもゲルニスは『契約違反』って言ってた。ということは、何を違反したんだ?)
「とりあえず、話をしてもいいかしら?聞きたいことは多いかも知れないけど、それは話せば分かるわ。」
フェルは、彼女のこと、そして悪魔とのやり取り、全てにおいて思考が追い付かなかった。
しかし、この話が大きな危険を孕んでいる、ということは理解していた。それでも、ここで引く訳にはいかなかった。
「────ええ。お願いします。話を、聞かせて下さい。」
ホワイトスター家に伝わる精神───『弱者救済』。その心得を、次代当主を目指しているフェルは破る気はさらさら無かった。
そんなフェルの覚悟を知ってか知らずか、フリアも物憂げな表情を変え、美しく鋭い瞳でフェルをとらえた。
「ありがとう。じゃあ、まず、私の生まれを話すわね────」
そう言って二人は古びた椅子に腰かけた。
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「成る程………こう言っては何ですが、妾の子供と正妻の子供、両方中が良いというのは珍しいですね。」
「ええ。私は兄弟の真ん中、ロキメナとエルダールの間だった。私がディープスター家に来て、エルダールは私を慕ってくれていたし、ロキメナ兄上はとても優しい人だったわ。」
「では、何故ディープスター家を離れてここにいらっしゃるのですか?」
フリアは顔を曇らせ、静かに口を開いた。
「私は─────暗殺されたのよ。」
「暗殺……ですか?」
フェルはフリアの発言をうまく理解出来なかった。暗殺された?
「ええ。私がディープスター家の一員となって数年目──私達三人には成人の儀が近づいていたの。そこで家督相続──クリーグ様が復活していなかったから五卿にはなれないけど──が行われる筈だったわ。二人の兄弟も、私が家督を継ぐことを認めてたし、私もそうなると思っていたわ。
儀式の前日、私は自室のベランダから夜空を眺めていた。家を継いだら、大貴族の一員としてこれまで以上に領地と国の発展に尽くそうと思っていたけれど、今日だけはゆっくり星を眺めたい。そんなことを考えていると、突然、後ろからつきとばされたの。」
フェルは唾をごくんと飲み込む。
「一体、だれがそんなことを?」
「突き落とされて奈落に落ちる瞬間、私は振り返ってソイツを見たわ。曲がった角にオールバックの髪、高身長の執事………デッドモンド。彼が、私を殺したのよ。」
「デ……デッドモンドさんが?」
フェルは俄には信じることは出来なかった。物腰柔らかで、優しいあのひとが?
「ええ。室内の光の逆光で表情までは分からなかったけど、確かにデッドモンドだったわ。そして私はそのまま『地の口』の底まで落ちたの。」
「底まで落ちたのに……どうやって助かったのですか?」
「それは、私が『この力』に目覚めたからよ。来て。レイドス。」
瞬間、またもや店内の影が強まり、気温がグッと下がる。
『おやおや、どうされました?お嬢様。』
そこには、ストライプのスーツを着た、金髪の男がいた。
しかし、雰囲気から察することができる──こいつも、悪魔だ。
「彼は『典型悪魔』デーモンよ。」
「典型悪魔………?悪魔の『典型』とは何なのでしょうか?」
「ゲルニスとはまた少し違うけど、デーモンも契約によって人とやり取りするの。けど……」
フリアはそこで言葉をつまらせ、俯いた。
「……いいえ、この話は本筋には関係ないわ。とりあえず、私は彼に助けて貰ったの。」
「もしや………フリアさんは『悪魔の使い手』なのですか?」
フェルのその言葉に、デーモンは『チッチッチ』と指を振る。
「私とお嬢様は使役、契約といった薄情な関係ではありませんよ。もっと崇高で、慈しむべき友達なのですから。」
「友達………?契約ではなく友達と言った……!?」
「そうよ。私の力は『悪魔の使い手』じゃない。私の『特別仕様の力』、「最高の冥友」っていう力。」
(『特別仕様の力』だって………!?)
『特別仕様の力』──それは、神に愛された者にのみ許された力。
魔法は通常、誰でも訓練を積めば、難度によって差はあれど習得することが出来る。しかし、『特別仕様の力』はその魔法の持ち主本人にしか使えない。「固有魔法」と言ってもいい。
「「最高の冥友」は悪魔の召喚、使役を全ての儀式をすっ飛ばして行える能力よ。あと、悪魔と会話ができる。普通なら悪魔は定型文か利になる事しか話さないけど、私はそれこそ友人のような会話が出来る。急に呼び出してごめんなさい、デーモン。帰っていいわよ。」
「いえいえ……また私に役立てることがあればお呼び下さい。」
そう言ってデーモンは綺麗にお辞儀をしながら闇に溶けた。店内に再び蝋燭の温かい光が戻る。
「成る程………さっきゲルニスが現れたのもそういう訳ですか。」
呼べば来る───友人なら当たり前だ。それが悪魔となのが、フェルには信じがたかったが。
「それで、命が助かった後、屋敷に戻る訳にもいかないから、ここに匿って貰ってたの。ここの主人は帝都の近衛兵だったから、なんとか説得ができたのよ。」
そこで、「あ」とフリアが呟く。
「そうそう、さっきゲルニスが現れたのは私が『契約違反』をしたからよ。」
「それは何となく分かってましたが……一体どういう内容なのでしょうか?」
「……『私が生きていることを誰にも口外してはならない』っていう内容よ。彼から教えて貰ったわ。」
「待って下さい。さっき、ゲルニスが現れたのは、貴女が僕に名乗った──つまり、正体をばらしたからということですか?」
フリアは頷く。だとしたら、何故フリアは罰を受けなかったのだろうか?
「最初にここの主人──名前はギークって言うのだけれど、匿って欲しいと言ったときに、私は名乗ってしまったの。どうやら契約はいつの間にか結ばれていて、私は知らぬ間に契約を違反した。勿論、ゲルニスが制裁のために現れたけど──」
「その能力で通常は出来ない交渉をし、生き延びた、ということですね。」
フリアは心なしか嬉しそうにめを細める。
「そうよ。彼はああ見えて意外と人情家でね。事の顛末を話したら、今回は見逃してくれると言ったわ。そして更にもう一回見逃してくれるように交渉したの。で、今さっきその権利を使ったって訳。」
彼女の所々空白のある話し方にも慣れてきた。ある程度は自分でその次の内容を予測しながら話さないといけない。
「いくら匿ってもらっているとはいえ、いつかは誰かに助けを求めなければいけませんからね。」
「そう。それに、デッドモンドの狙いが分からないから、私は一刻も早く屋敷に戻らないと行けない。」
「ええ。なら僕が屋敷に戻ってクリーグ様に話を──」
「──それは出来ないわ。契約書の制裁は、私、デッドモンド、そしてこの契約書の存在を知る者に適用されるのよ。」
何だって‥‥‥!ということは‥‥‥
「貴方が今思ってる通りだと思うけど、この話を口外した瞬間、貴方はゲルニスに殺されるわ。」
フェルは頭の中で情報を整理した。
デッドモンドはディープスターの跡継ぎを暗殺した。
フリアは何とか生きてはいるものの、身動きが取れない状況にある。
デッドモンドはその隙に、ディープスターのあいだで戦争を起こそうとしている。
そして、それを知るのも、阻止できる可能性があるのも、フェルただ1人ということ。
「私は貴方に賭ける。今、このディープスター家、いや、帝国の運命は貴方の肩にかかっている。頼まれてくれるかしら?」
フリアは真剣な目付きでフェルを見つめる。
フェルはこう答えるしかなかった。
「はい……分かりました。」
こうして、フェルは1人で帝国の命運を担ってしまうこととなった。