第九話 深紅の少女
「────隠し子、だと?」
応接室のテーブルに向かいで座っていたクリーグはデッドモンドの口から発せられた言葉に眉を顰めた。
「ええ。元は二人の兄弟で、長男ロキメナ、次男エルダールがディープスターの直系として生まれました。初代ノットアップから数えて十代目の、まあ、魔王様から拝命されていないので正式ではないのですが、跡取りがこのどちらかから誕生する筈でした。しかし……」
「───先代が、どこぞで子でもこさえてしまったのか?」
「その通りに御座います。先代のデルモンテが召し使いに手をつけてしまったのです。その結果お生まれになったのが長女フリア、と言う訳です。」
クリーグは考え込む様に腕組みをし、窓の外に広がる絶壁に目をやった。
「しかし、貴族が召し使いなどに手をつけることは珍しいことでもあるまい。どの家でもよくある話だ。それがどうして問題となるのだ?」
「ええ。私どももその召し使いを側妻とするか放逐するかのどちらかだと思っておりました。しかし、デルモンテはその召し使いとフリア様を実際の奥様とお子様と同じ扱いになさったのです。」
ふむ。それでは、家騒動は恐らくフリアと兄弟間での争いと見ていいだろう。帝都の書類で読んだが、どうやらディープスター家の跡取りは完全な実力主義によって決めるのがノットアップよりの習わしらしい。兄弟からすれば競争相手が一人増えて不満に思っているのだろう。
「しかし、問題なのはここからなのです。正式なディープスター家の一員として組み込まれたフリア様達ですが、珍しいことにご兄弟、妾と正妻共にとても仲が良かったのです。」
「ほう。それは珍しいな。こういった話は不仲で家の勢力が二分されるか、立場が低い方が迫害されるものと相場が決まっているものなのだがな……」
となると、ますます争う理由がわからない。寧ろ家事情は安泰の様にも思えるが。
「中でもフリア様とご兄弟は特に仲がよろしく、元々真逆の性格をしていたロキメナ様とエルダール様の間をフリア様が取り持つという、正に三位一体と言うにふさわしい程の仲でした。更にフリア様は魔法にも、知識にも長けており、ご兄弟も家の者共も皆フリア様こそ後継者にと思っておりました。」
しかし、と暗い顔をするデッドモンド。
「数年前に、フリア様が、お亡くなりになって仕舞われたのです。」
「むう………それは、禍根を呼びそうな展開だな。よもや、暗殺ではあるまい?」
「ええ。どうやら崖から転落してしまったようで……何日も捜索したのですが、結局見つかる事は有りませんでした。私も単身穴の底まで潜ったのですが、遺体も見つからず……」
「それで、その後どうなったのだ。」
「家中の者は上下に関わらず悲しみに暮れ、特にご兄弟は酷い落胆ぶりで、暫く食事も喉を通らないといった有り様でした。十数年前にデルモンテやその両奥方もお亡くなりになってからは実質フリア様が切り盛りしていたので、私どもはとりあえずお二人を立ち直らせ、職務を引き継いで頂きました。ですが、その事件を皮切りに、お二人の仲が決定的に悪くなったのです。」
指を組んで俯くデッドモンド。
「フリア様がこの家にお越しになる以前にも増してお二人の間の争いは頻度を増し、このままでは殺し合いでもしかねない様子でした。習わしにより家督を継ぐには争いは避けられないのですが、このままでは当主が決まった後も禍根が残ることでしょう。私も魔王様のお越しは青天の霹靂でしたが、是非とも解決にご協力をお願いしたく御座います。」
「元よりそのつもりで来たのだ。ホワイトスターのこともある。早めに解決を図ろう。」
ありがとうございます。と頭を下げるデッドモンドを他所に、クリーグは相変わらず窓の外を見ていた。
(大丈夫だとは思うが……フェルの身に何かがあったら……)
昔から、クリーグは直感がとても鋭かった。本能の域を越えた第六感と言ってもいい。
この時も、何故か全く話とは関わりの無いフェルを案じていた。
と、その時。
「失礼する!不死身・クリーグ様は此処にお出でか!!」
まるで雷鳴のごとき声がドアが開くと同時に聞こえてきた。
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「えーっと、壁の巣壁の巣…………ここかな?」
フェルは先ほどの緑鬼に教えられた店に来ていた。飲食街からは外れており、多少汚れてはいるが………
(すごいいい匂い……今まで嗅いだことない匂いだけど、お腹が空いてくる…!)
店からは鼻腔を刺激するスパイシーな香りが絶えず漂ってくる。良く見れば、町の外れにしては客も多い。テラス席(古い足場で、常に風に煽られガタガタと鳴っているが)も満席だ。
とりあえず、入ってみよう。
煤けた『壁の巣』と書かれた暖簾をくぐろうとすると、奥から野太い声が響いてきた。
「すまんねお嬢ちゃん!今、満席なんだよ!ちょっとしたら呼ぶからさ、待っててくれねェか!?」
「はっ!?はい!!」
心底驚いた。声のでかさと野太さもにもだが、あちらからこっちは見えてない筈だ。暖簾の先は一回折れて入る作りになっていて、暖簾をくぐった時はお互いに見えていない。だと言うのにここ店の主人はフェルの入店を察知していた。
(びっくりしたなぁ……気配で気づいたのかな?)
と、思案しているのもつかの間、街の様々な所からガランガランと鐘の音が鳴り始めた。
すると、店から今までいた客が全員出てきた。
「ふぃ~食った食った。さ、日暮れまで頑張んべぇ。」
「今日は下の工房んとこで仕事だ。みんな、急げ。もたもたしてっと日がくれっぞ。」
ぞろぞろと街の人混みの中に消えてしまった。
「どうしたんだろ?いつの間にかテラスの人たちも居なくなったし……」
食器をそのままに、こつぜんと姿を消していた。
店内から、また先ほどの声が響いてきた。
「オーイ!空いたから入って来いよ!」
「は、はい!」
言われるがままに店に入る。
「おお………」
想像していたよりもずっと広い。壁をくりぬいただけの簡単な作りだが、優に百人は入る広さだ。しかも天井が高い。吊り下げられた蝋燭が煌々と店を照らす。
「嬢ちゃん、見たとここの壁のやつじゃねぇな。ま、んなこたどーでもいいか。ご注文は?」
そこで初めて店長の顔を見た。
低身長のずんぐりむっくりとした体型に、顔の下半分を覆う豊かな髭。身長とは不釣り合いなほど鍛え上げられた上腕。くり貫いたかのように彫りの深い目元。
文字どおり、鬼のような顔であった。
そんなフェルの考えを知ってか知らずか、店長はニヤリと笑った。
「ふん、ビビるこたぁねえぜ。別に、あんたの事を取って食おうってんじゃねぇからな。えらい別嬪さんにチョッカイかける気もないしな。」
「それはどうも……というか、僕は男です。お嬢ちゃんも止めて下さい。」
「んん?おかしいな、暖簾をくぐった時ゃ確かに女と思ったんだが……」
店長が首を傾げる。
(やっぱり、気配で気付いてたのか。)
だとしたら、この親父はただ者ではない。かなり場馴れしてる筈だ。
(元軍人とかかな……)
そんなことを考えていると、店長が声をかけてきた。
「あんた、壁の住人じゃないだろ?それじゃここの料理もよく分からない、だろ?」
フェルはこくんと頷いた。
「なら、俺のおすすめを出してやる。カウンターで待ってな。」
すると店長は奥に引っ込んでしまった。
しばらく席で呆けていると、奥から鍋を振るうカランカランという男と共に声が飛んできた。
「そういや、あんたは何でこの壁に来たんだ?特に面白くもねぇし、上はごたついてるこんな時に来る物好きはいねぇからな。」
「ええ、実は僕、魔王様の召し使いで、お供して来たのです。」
すると、一瞬鍋の音が止んだ。
「………そうかい。それは、ご苦労なこったな。」
厨房からはまた鍋の景気のよい音が響いてきた。
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「はいよ!お待ちどお!」
フェルの目の前に、大盛りの料理が運ばれて来た。
「うわぁ………!凄い美味しそう!」
見たこと無い肉と、マッシュポテトのシンプルな炒め物だが、その香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。
「食べても……いいですか?」
「あったりめえよ。客もいねぇから、ゆっくり食いな。」
「それじゃあ……いただきます!」
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「ふう、ごちそうさまでした。」
「こりゃ、いい食いっぷりだ。待ってな、お茶を用意するから待っててくれ。」
そう言うと店長は皿をもって厨房に戻っていった。
(本当に美味しかったな……洞窟みたいでひんやりする空間だけど、辛い味付けのお陰でぽかぽかするからちょうどいい心地だ。)
それも考慮した上でのメニューなのか。だとしたらすごくいいお店だな。
「さて、お茶を頂いたら屋敷に戻ろうかな。そろそろ話し合いも終わってる頃だろうし。」
と、一人ごちていると、カウンターにお茶が横からスッと置かれた。
「ああ、どうも────」
横を向いたフェルは、一瞬茫然とした。
そこにいたのは、一人の美しい女性だった。深紅の髪は、蝋燭の僅かな光で輝いている。顔立ちからも、所作からも、気品が溢れていた。
「───どうぞ、お茶です。」
女性は落ち着いた声でフェルに語りかける。
「あ、ありがとうございます。すいません、つい、見とれてしまって───!?」
フェルの話を遮るように、女性はフェルの手を掴む。
「貴方、さっき魔王様の召し使いって言ってたよね?」
「ええ、はい………。それが何か……」
「──────助けて。お願い。魔王様しかこれは解決できないの……」
フェルは全く理解が出来なかった。急に美しい女性が現れたと思えば、助けろ、なんて。
「す、すいません、おっしゃている意味が…………」
その女性───年齢から行くと、二十代前半くらいだろうか──は、ゆっくりと、しかしはっきりとこう言った。
「私の名前は、フリア。フリア=ハウェード=ディープスター。お願い、どうか、助けて。」
どうしても疎かになってしまいます。毎日しっかり執筆するのが大切ですね………