つらくなった君へ
つらい
生きていれば少しでも感じる感情。
生きていれば楽しいことだってあるけれどつらいと感じることのほうが多い気がする。
幸福だけを感じていたい。つらいことは嫌だ。
いやなことから逃げてしまいたい。
それでも生きるためには逃げずに向き合わなければいけない時だってある。
それがなによりもつらい。
逃げ出したい。
逃げられない。
つらい。
その繰り返し。
僕は今、途方もない不安に駆られている。
将来の自分。明日の自分。今日の自分。
どう考えても自分が幸せになるビジョンが見れない。
幼い頃の幸せだった自分に帰りたい。
何も考えず、無垢なままでいたい。
でも、それは社会が許してくれない。
だから、大人になる。
必要だから自分を変える。
だけれど、できれば僕は変わりたくない。
楽しかったころのまま、ずっとずっと...
なんとなく生きている自分がいる。
生きる意味なんて大儀なものは存在しない。
それでも死ぬのはなんとなくいやだから今も生きている。
自死も一種の決断だというけれど、本当にそうかもしれないと最近感じるようになった。
特に生きる目標もなく、死ぬのが怖いからなんていう本当にしょうもない理由で生きている自分よりも、決断し、飛び降りた人間のほうがよっぽど強いとそう感じてしまう。
彼らは逃げなかったのだ。
自死は生への冒涜だというけれど、自分の命に向き合ったという意味では、彼らが強い人間なのではないかと思った。
コロナ禍は僕にとって今までの人生を振り返る大きなきっかけとなった。
中堅の大学に入って人生のリスタートと、そんなうまい話はなかった。
学校も休みだから、本当に自堕落な日々が過ぎていく...
勉学に励むわけでもなく、部活動に精を出すわけでもなく、ただただ過ぎていく日々。
両親への罪悪感と、それを自覚しながらも何も行動できない自分に本当に嫌気がさしている。
だから、自分を振り返る。
今までの自分を。
楽しい過去もあったけれど。
それを不安が覆い隠している。
結局残るのは過去への渇望と、苦からの脱却のみ。
何かしようと思った。
だから、アルバイトを始めた。こうして字を書いてみた。
でもそれは逃げているだけに過ぎなくて
目の前の課題は何も解決しない。
解決しようと踏み出すのは怖い。
何があるかわからない
未知の領域なのだから。
当然だ
その恐怖を乗り越えなければ生きていけない。
死にたくはない
そんなチープな意思だけれど
まだ生きていたいから
また一歩踏み出そうと思う。
生まれた意味なんてきっとない。
僕が成し遂げることなんてきっと一個としてない。
だけれど生きているから
自分に向き合おうと思う
今の僕と未来の僕へ。