作家って、こういう生き物なのよね……
――泡と消える少女が居た。王子との儚い恋の末に、散る少女が居たのだ。
恋に焦がれ、悪い魔女に騙されて、声を失って……あまりにも報われない。世界に名高い絵本作家をぶん殴りたくなった……いや、我慢できずに、俺はぶん殴ったのだ。自分の作品を使って。その結果、そこそこヒットしてしまったのだ。
この作品、『真・人魚姫~王国崩壊の日~』は。
『行かせるな! 人魚姫の進撃を止めろォ!』
目の前に迫る大兵団、剣、槍、弓、その全ては王国の威信をかけて整えられた大軍備なれど……その全てが、今では余りにもか細く見える。襲い来る人の波、波、波に、私の答えは右足一閃で事足りる!
『『『うわぁああああああ!?』』』
深海から浮上した直後かの様に、体が軽い。思いの枷を外して、この胸にズシンと宿る重く、熱い、熱意の儘に我が足を振り回す事の何と快い事か! この思いを遂げんと駆ける事の何と、胸躍る事か! この大業にたった一人で挑む事の……なんと燃える事か!
『と、止まらねぇ……! ダメだ! あんな狭に勝てる訳がねぇ!』
『アレは鯨よ! 大波を切り裂いて嵐を進む大鯨よ!』
心の儘に振り下ろす踵、割れる大地、開ける視界、そして……
『捉えたっ!』
『っ!』
その先に居る、王子こそ我が宿敵。我が強敵……そして、我が愛し人よ。これが私なりの先制プロポーズ。受け取ってくれ、私の右の脚、必殺のストライクを!
『砕けろ、王子!』
『――ぬぅうん!』
しかしその思いを阻むは、城門にも等しい掌底一つ! 強大なる王国を背負った男の守りの要! 駆けつけ一発程度で破れる訳も無し! だが……!
『漸く、追いついたよ』
『……人魚姫』
巨牛の上に跨った、筋肉隆々の偉丈夫。その前に漸く立てた。私の恋を届ける為に、この人の前に。漸く、私は真っすぐこの恋に向き合えた。
『アタシを倒さなきゃ、天下との大戦なんて、夢のまた夢だ』
『――止めるか。天下を動かすこの戦を、好いた惚れたの情一つで』
『例え、今から成し遂げんとする事が、前人未踏の極致、書に残る輝かしき英雄譚だとしても、知った事か! そんな物、私の恋と、私の足で、踏み潰す!』
信じろ、自分の足を。今の私の足は、人の群れすら容易に断ち切る大瀑布だ。天下全てを相手取る城壁相手にも不足はない。
『アンタの返り血をもって、私は人魚として海原へ戻る! アンタを連れて!』
『――天下万民、王の野望、己の悲願すら足蹴にし、我が元へ跳ぶか……ならば良し! それでこそ己の惚れた姫である! 来い! 我が身を海原へ見事誘ってみせるがいい!』
天が稲光と共に鳴る、大海原に波が立つ――初めて出会ったあの日の様に。拳と脚で交わすこの思いを必ず、私の勝利で届けよう。彼の胸に、心臓に、しっかりと刻み込んでやろう。
『いざ!』
『尋常に』
『『勝負!』』
尋常に勝負! じゃねーよ! なんなの!? 馬鹿じゃねぇの!? 人魚姫儚い系の美女からそこら辺のゴロツキが土下座して舎弟になりたがるクイーン亜魔象根須だよ! 王子は王子で超ゴリラモードでいよいよもって覇道志しちゃってるし! 人魚姫どこ行った!
「やった……やっちまった……俺、なんて事を……!」
そ、そりゃあ最初から悲恋路線から外れていくつもりではあった、あったけど……こんな覇道を巡っての最終決戦なんて想定しておらんわ! ちゃんとラブロマンスに落ち着く予定だった……! こんな世紀末最終決戦になる予定は無かった……!
「どうして……どうしてこうなったんだよ……人魚姫がちょっと儚過ぎるからご時世に合わせて健康に描こうとしただけだってのに……もうちょっと、もうちょっとってやってたらいつの間にか……こんなっ!」
見える。異端者を瞳に写して、アンデルセン先生が分厚い本を構えて此方に殴り掛かってくる姿! 下手なハッピーエンドじゃなくて良かったね! とかそんな言い訳通用しないレベルで原作破壊した……もうこれは俺の好み云々の話じゃあねぇ!
「な、直そうにも……締め切りは……っ! 明日……ぁっ!」
もう二十回位見直して、必死になって手直ししようと思ったけど……ダメッ……今までの流れを切断し……こう、良い感じで終わらせるのは、もう無理! どう足掻いても修羅の国ルート一直線! どうして……! 結局徹夜っ!
「頭が痛い……チクショウ……もうダメだ……眠気も……」
いやホント、マジで、これを直さないと死んでも死にきれない、後悔するシーンが三つ四つ……いや五つ位はありますわ! でも編集のお言葉には勝てなかった……勝てなかったんや……
「もう一度だけ……具体的には……一か月くらい、書き直す、時間を……」
やりなおさせろっ! させてくれっ……この形は納得いかない! 何とか、修正する機会を……っ! ちゃんと、俺の書きたかった形に! どんな事でもするから!
「修正……させて……くれ……」
……あ、あぁ……なんだ……体が、体が痛い……
「――おい」
しかもなんか……土臭いな。アレ、昨日って……確か最後の聖戦(原稿の全力修正)に打って出て……結局、ボロ負けしたような……っかしいな、ヤケ酒なんて……あいや、普通にやってそうだなぁ。酔って外にでも、転げ出たか。
「……どうします」
「起こさぬ、という選択肢はない。起きろと言うのだ!」
ぐげぇっ!? どてっぱらにす、凄い衝撃、起き抜けの人間にする、気付けかコレが!? な、なんすか編集さん……原稿なら……いつも通りパソコンの中に……
「おい、一体何処から入り込んだ!」
「ここをどこだと思っているんだこの痴れ者!」
痴れ者? 痴れ者だぁ……!? ああそうだとも! 俺はなぁ……!
「そんな事、始めっから承知の上だってんだこのクソ編集! 人魚姫様をあんな風に書いたのはこの俺様だぁ!」
「どわっ!?」
「な、なんだなんだ!?」
その場のテンションは天下無双なんだよ! 所詮理性風情じゃ三秒で頭女騎士様だってんだ! それくらい俺だって自覚してるよバーカ! バーカ!
「な、人魚姫?!」
「あーそーだよアイツが俺の罪そのものだってんなら、良いぜかかってこい!」
「貴様、あの女の関係者か!?」
「あぁあああああ!? 舐めんなよ、俺が生み出したんだよ人魚姫様をよぉ! 蹴り一つで波を割り! 何だったら海より地上の方が強いまである人魚姫様だよ! 魔女に足を頂き、底も底から海をモーゼする修行したなぁ!? 世の中の理不尽を覆す理想のなぁ!」
あー編集さんも可笑しなこと言うな―! アンタも大絶賛してましたよねぇこんなバカなキャラクター生み出したアンタの勝ちだってさぁ!? いつもの冷たい声色で……あれ? 編集さんいつの間にそんなシルバーなお顔に、というか編集さんじゃないねぇコレ。
「んな、な、な……!?」
「……えっと、あの、待ってください、俺状況がですね」
「う、生み出しっ……!? そ、そんな戯言を!」
「しかし、あの女の事は一般人には……この事を知ってるのは……王子旗下の……!」
さーてちょっと私ご用事が出来ました。いやぁね、朝飯を取ってないのよ俺、朝飯っていうのは全人類にとって重要なもんでして。それを取らないままっていうのはまぁまぁ危ないんですよね。分かります? 分かる。そう、でしたら私は朝食でもぱぱっと食いに行かせてもろて。
「まさか本当に関係者だとでも!?」
「いや、下手すると人魚姫に連なる一族の何物かという可能性も」
「――ふっふふーん、それでは失礼しまーす……」
「と、兎に角コイツはここから逃がさない様に……ってオイ!?」
あっバレた!? 馬鹿、俺は家に引きこもって小説ばっかり書いてるヒョロガリなんだぞ追いかけっこなんて無理だよ! 無理だけど……掴まったらヤバいってのだけは分かるし、逃げないと駄目だろ!
「く、くっ……一体何なんだ!? ここは一体何処だってんだよ!?」
アンデルセン先生ゆるして。本当にごめんなさい。悪気は無いんです。本当に。