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ポッポシャン  作者: 悠季 弓仏(ゆうき ひいろ)
1/2

POP変

 

 「俺の名は“ポッポシャン”。19歳、もちろん独身だ」



 小さな街の、しかしどこにでもありそうなビル。8階建てのその屋上で、髪を逆立て、サングラスの端を指先で持ち、やけに気取った風のひとりの男が、タバコの煙をくゆらしながら独白し始めた。

 

 男の黒のジャケットの隙間からは安そうなTシャツのプリントがチラチラと覗いている。


 「将来の夢は漫画家になる事……」


 そこまで言うと“ポッポシャン”と名乗る男は、肩に担いでいたチェロのケースを地面に置き、中から筒状のサムシングを取り出した。


 「…それが俺の最大の生き甲斐だった……」


 取り出したのは銃!


 一体、この日本のどこでこのような危険なモノを手に入れることが出来たのかは知らないが、間違いなく本物のレミントンM24対人狙撃銃だ!!

 ビルの屋上、フェンスぎりぎりの所で立て膝をつき、道路を挟んだ向こう側に銃口を向ける。夕暮れの歩道をスコープで覗くと、街路樹の影から男がひとり歩いて来るのが確認出来きた。


 「……あの日まではな……」


 “ポッポシャン”は、一年前の記憶を呼び戻し始めた……。



 “ポッポシャン”は、いわゆる普通の18歳ではなかった。あまりに幼く純粋すぎた。


 「僕ねぇ、漫画家になりたいんだ!」


 ある朝、台所で朝食を用意している母親に単刀直入にそう言うと、母は少しも慌てる事無く「あらぁ、そうなの?」と、優しい声で答えてから言った。


 「でもね…漫画家になるには、眉毛が左右同じ太さじゃなきゃダメなのよ!」


 包丁片手に振り向き様にそう発言した母に、“ポッポシャン”は驚かざるを得なかった。何故なら、彼は生まれつき右側の眉毛が異常に太く、左右不揃いであったからだ。左右の眉毛の太さが違うと言う事実は“ポッポシャン”という男にとって、幼少の頃からのコンプレックスだった。


 故に人前に積極的に出る事は少なく、『漫画』という内向的な世界にいる事が心地よかった。

 「どーしたらいいのぉ~?」

 危機感ゼロのトボケた声だが、本人は至って真面目だった。


 「お医者さんになって自分で同じ太さにそろえないとね!」

 母は、包丁の切っ先を“ポッポシャン”の喉元に突き立てる勢いで、ハウエバー、諭すように答えた。


 「お父さんじゃダメなの?」

 “ポッポシャン”の父は近所でも評判の良い開業医だった。


 しかし、10年前の冬…往診の途中、彼は坂道の凍った路面に足を滑らせ、後頭部を強打し、そのまま一気に他界した。あまりにも長い坂道だった為、滑り終わって救助される頃にはすでに、死後硬直が始まっていた。近所の者たちは、残された妻と“ポッポシャン”を不憫に思い、彼の死を今に至るまで“ポッポシャン”に隠し続けていた。“ポッポシャン”もそれに気付く事無く、母の女手一つでここまで育てられて来た。


 「お父さんは他の患者さんで手一杯だから、ダメなのよ」

 父は今、アフリカの内紛が激しい地区でボランティア医師をしている事になっている。


 母と近所の人たちが共謀して始めた優しい嘘も、ここまで来ると『育児放棄』という犯罪と言っても良かった。おかげで“ポッポシャン”は完全にメルヘンな世界の住人になってしまったからだ。


 「ふ~ん。そうなんだぁ…つまんないの……」

 そう言うと彼は、半ズボンのポケットに手を突っ込み本当につまらなそうな顔をして台所を後にした。

 

 家の中とはいえ冬のこの時期に、18歳の青年が小学生の様な半ズボンを履いているのである!メルヘン以外の何者でもなかった。


 「うふふ。ああでも言わないとお父さんの後を継いでくれないから……」

 “ポッポシャン”が出て行くと母は、そう独り言した。彼女は“ポッポシャン”が亡き夫の後を継いで医者になってくれる事を心から望んでいた。


 今の“ポッポシャン”に医者の道を歩めるかは甚だ疑問だったが、これまでも母は「あーでもない、こーでもない」と、あくまで優しく“ポッポシャン”の夢を全否定してきた。ただただ医者になって欲しかったのである。


 しかし、当の“ポッポシャン”は……


 「でも、とりあえず漫画描くの頑張ろーっと!」と、全く意に介せず自分の部屋に籠り、〈モリモリ、カリカリ〉とGペンの音を立てながら、制作中の漫画の続きを描き始めるのであった。


 ちょうど『ジャンヌ・ダルク』風の女騎士が、レイピアと呼ばれる先端が鋭く尖った片手剣をかざしながら「ぶっ殺すワヨ!!」と、言っている何だかつまらなそうなシーンであった。


 《 問題のあの日、俺は友人たちに漫画を見せていた!! 》


 “ポッポシャン”の回想はまだ続く。

 彼が言うその日……近所の公園に集まった2人の友人に漫画を見せる“ポッポシャン”は機嫌麗しかった。


 なぜなら友人の内のひとり、短大生の“そねみ”が、「アハ…アハハハハッ…アハッ」と、TVのバラエティー番組収録時に裏方から聞こえる様な笑い声で“ポッポシャン”の漫画を読んでくれていたからだ。


 この彼女、悪気があって“ポッポシャン”の漫画への挑戦をずっと生温かい目で見守ってくれていた。そんな彼女に淡い恋心を抱いていた“ポッポシャン”も、お気に入りのTシャツでこの日に望んだ甲斐があったというものだ。


 しかし、そんな幸福な空間にトンでもない大声が割って入った。


 「よぉ~う!!何やってんだぁ!!?」


 (あ~あ…orz)と言った感じの嫌な予感がした。“ポッポシャン”の額には一気に汗がにじんだ。

 そして振返った先にはやはりあの男がたたずんでいた。


 「“オメガスター”!悪徳くぅ~ん!!!」

 “ポッポシャン”は精一杯の歓迎の表情で彼を迎えた。


 “オメガスター”悪徳くんこと本名、野木山不良男のぎやま ふりおは、この辺じゃ悪名高いワルだ。眉毛は二等辺三角形に剃られ、口元は常に皮肉で歪んでいた。背丈は195センチ。ギッザギザに立てられた髪型を合わせれば余裕で2メートルを超え、自分で改造した高校の制服を私服とし、まるでゴッド・ファーザーの様に街を闊歩する。とてもそうは見えないが、間違いなく“ポッポシャン”と同じ18歳だった。


 「今、僕の漫画を見せてた所さ!!」努めて明るく“ポッポシャン”が答えた。


 「何っ!?漫画とな!!?」瞬間、悪徳くんの目がキラリと光った。顔中にサディスティックな笑みが広がる。額には『悪』、アゴには『徳』と漢字のタトゥーが彫られていた。


 「眉毛の太さが違うのにかぁ?」そう言いつつ、悪徳くんは右手の人差し指をこめかみの辺りで回転させた。眉毛の事と同時に“ポッポシャン”を馬鹿にしているのは、他の友人2人にも明らかだった。


 「う~ん……」恥を耐え、頭を掻きながら考え込む“ポッポシャン”。


 (やっぱりダメなのかなぁ……)

 心優しき“ポッポシャン”は、例えどんなに嫌な奴でも母親と同じことを言う悪徳くんを、完全に疑いきれなかった。


 そんな彼に悪徳くんの圧倒的なプレッシャーが迫る!悪徳くんの大胸筋が張り裂けんばかりに隆起した!右腕が鞭のようにしなり、大きな弧を描き、“ポッポシャン”の顔面に向かってバリアブルスピードで唸りを上げ猛進した!!


 「無理だぜぇい!やめとけよョォ~ッ!!」

 悪徳くんの拳が〈ブキャナァンッ!〉と、鈍い音を立て顎関節症気味の“ポッポシャン”のアゴを完璧に捕らえる!

 えぐり、跳ね上げ、振り抜かれた豪腕により“ポッポシャン”は高らかに宙に舞った!!


 「でも!絶対的に漫画家になってやるんだぁ~い!!!」

 大好きな幼なじみ“そねみ”の前で醜態をさらし、今なお中空に漂っている涙目の“ポッポシャン”は、殴られた勢いを利用し捨て台詞を放ち、そのまま飛ぶように公園から出て行った。


 「本気にしやがったぜぇ!!奴ゥ!!これだから純情野郎をからかうのはやめられねぇ!!」そう言ってから悪徳くんが「ヌホーヌヌホッヌホーッ!」と、この世の物とは思えない笑い方で爆笑すると、残りの2人の友人も同調した。


 特に“そねみ”は悪徳くんに寄り添い、腕を組みながら笑った。それはもう、おしどり夫婦の様だった。


 と言うか“ポッポシャン”は、知らなかったが2人は実際に付き合っていた。小学3年生の頃から交際を始め、中学入学と同時に同棲し始めた。この春結婚式を挙げ入籍する予定だが、“ポッポシャン”に招待状が届く事はないだろう。




             ※




 “ポッポシャン”が漫画家を目指す切っ掛けを作ったのは、やはり“そねみ”だった。


 小学3年生、国語の授業中。暇つぶしに何気なく落書きをしていた“ポッポシャン”のノートを覗き込んだ隣の席の少女“そねみ”は、彼をノールックで指差し皮肉のつもりでこう言った。


 「先生!この人、授業も聞かずにノートにすっごい上手なラクガキ描いてます!!」


 “ポッポシャン”の人生に目映いばかりの光が差した瞬間だった。すっかり勘違いした彼は、それからというものノートに落書きしかしなくなった。

 そして、それをわざと“そねみ”に見せつける。机の下でノートをチラチラと開きながらまるでセクハラでもしているかのように。もちろん「見せるつもりは無かったのにィイ!」と言う恥じらいの演技をしながら!

 

 “そねみ”が『うぜー』と、思ったのは間違いないのだろう。面識は無かったが、校内一のワルとしてすでに有名だった隣のクラスの悪徳くんに、“ポッポシャン”という恰好のからかい相手がいる事を伝えた。


 「そいつぁ~!希代の馬鹿野郎だぜぇ!!」

 “ポッポシャン”の存在を知った悪徳くんは喜色満面、“そねみ”に感謝した。それから2人は親交を深め、付き合い始めたと言う訳である。


 一方、“ポッポシャン”は、そんな“そねみ”を想い続けた。彼女の心の無い褒め言葉を鵜呑みにし、遂には漫画家を目指す事を決めたのだった。

 “ポッポシャン”……たとえ“そねみ”が嫌がらせで腐りかけたトマトやみかんを投げつけても、「わぁ~い!ヨーロッパのお祭りだね!?」と、言うに違いない残念な男である。


 さて、公園で馬鹿にされた“ポッポシャン”は、500メートル程離れた別の公園のブランコに揺られながら、落ち込んでいた。大方、(眉毛が原因で漫画家に成れないなんて、“そねみ”ちゃんに申し分けなさ過ぎる)と、思い込んでるのだろう。


 そんな彼に声をかける一人の紳士が〈スバーン!〉と、現れた。


 「どーしたんだい?君……見た所、やりたい事があるのにやれないといった落ち込みようだが……」

 何故か全てを察しているかの様なその紳士は銀髪のオールバックで、ヒゲ面。丸いサングラスをし詰め襟の制服を着た、いかにも胡散臭いオッサンだった。制服のボタンは皆『スマイルマーク』になっており、手には鞄の取っ手部分だけが握られていた……。

 

 元々、胡散臭いからと言って声をかけてくれた人を無視する事の出来る“ポッポシャン”では無いが……今回の場合、彼は目の前の紳士を少しも疑ってはいなかった。まるで以前からの知り合いのように“ポッポシャン”は紳士に事情を話しだした。

 そうさせる雰囲気を、紳士が醸し出しているとでも言おうか……。


 「んとねぇ、僕、漫画家になりたいのにねぇ、なれないの……眉毛の太さが違うから」


 涙を流しながら話す“ポッポシャン”を、紳士は笑い飛ばした。

 「ンハーハゲッ!!誰がそんな事を!!?」ちょっと聞いただけでは分からないが、馬鹿にしているようでそうでもない笑い方をする紳士を“ポッポシャン”は完全に信用した。


 すべてを話そうと決心した彼は、オッサン紳士に隣のブランコに座る事を勧めた。紳士は座るや否や、ブランコを漕ぎだした。“ポッポシャン”はうなずき、話を続けた。


 「お母さんと、悪徳くん…」


 「お母さんは何て?」と、紳士。早くもブランコは相当なスピード、高度に達している! おそらくこのままの勢いで行けば理論上は12分で宇宙に飛び出るハズだが、そんなハズは無い。


 “ポッポシャン”は、悔しさ溢れる表情で答えた。

 「漫画家には成れないから、医者になれって…」


 紳士は、ブランコ特有の胸から腹にかけて来る隙き間風感を楽しみうすら笑いを浮かべながらも、今度は笑わずに真剣な顔で“ポッポシャン”に真実を告げた。

 「それはきっと騙されてるんだな!君は純粋なようだからね」


 実に簡単な事である。誰でも知っている事実である!

 『“ポッポシャン”が、からかわれ続けている』という事は。


 じゃあ、何故今まで誰も本人にそれを言ってくれなかったのか?

 

 ……実は、いたのである。“ポッポシャン”に、からかわれている事の重大性を説いた人物が!

 

 その男の名は、奈良田間イケル〔ならだま いける〕。


 彼は“ポッポシャン”が“そねみ”に夢中になり過ぎていよいよ狂い始めた小学校6年の秋、校舎の階段の踊り場で“ポッポシャン”の肩に手を置いてこう忠告した事がある。

 「“そねみ”の事は忘れるんだ。あいつはとんでもない性悪のメス豚ウーマンだ」


 キレた。

 「帰国子女だからって調子に乗るな!」という思いもあったのかもしれない。“ポッポシャン”は我を忘れる程キレて、親友のイケルくんに飛びかかった。

 

 全てが終り正気を取り戻した時、“ポッポシャン”は血の海に沈んでいた。しかも、通学路途中のそば屋の前で。

 踊り場で格闘になりあっさり仕留められた“ポッポシャン”は、髪の毛を引っ張られ、引きずり回され、何故か近所のそば屋の前に放置されるという壮絶過ぎる返り討ちにあっていたのだ……。


 先刻、公園で“ポッポシャン”が漫画を見せた2人の“友人”。ひとりは“そねみ”……そしてもうひとりが奈良田間イケルだった。


 親友の為に善かれと思ってアドバイスしたのに、その友は女を選んだ。友情を壊されたのはイケルくんの方だ。

 それ以来、イケルくんの“ポッポシャン”に対する態度が変わった。


 いけ好かなかったハズの女“そねみ”とコンタクトを取り始め、“ポッポシャン”の人生を破滅させるべく、何度となく彼をコケにした。

 誕生日、クリスマス、バレンタイン…毎年毎年、“ポッポシャン”にパーティを開く事を勧め開かせておきながら、何だかんだと理由を付けてあえて誰も出席しなかった。

 そんな事を中学、高校の間中ずっと続けて今に至った。


 「えっ!?じゃあ、ホントは成れるの?」


 突然やって来た紳士に『眉毛の左右の太さが違っても漫画家に成れる』という、あたりまえの真実を告げられた“ポッポシャン”は、一気に顔が紅潮し、機関車のように蒸気した。


 「ああ、なれるさ!」

 ブランコの立ち漕ぎを始めた紳士は、全く爽やかさを感じさせずに空に向かってそう叫んだ。この世にブランコがこれほど似合わない人がいるだろうか?


 まぁ…探せばいるだろう。


 「おお!そうだ!君の漫画を見せてごらん?」紳士は、“ポッポシャン”が大事そうに胸に抱えている封筒を見て新作漫画だと直感し、いきなりブランコから前方に大きく跳躍した!


 まるでネコ科の動物の様なその跳躍姿勢は、この小さな街の寂れた公園には不釣り合いで、紳士が地元の者ではない事を“ポッポシャン”に容易に想像させた。

 しかし、着地は何の変哲も無かった。


 「ええっ!はずかしいなぁーっ!」と言い終わる前、被せ気味に「でも見せてあげる。はい!」と紳士に漫画を渡した“ポッポシャン”の瞳は爛々と輝いていた。


 タイトルは『トルクメニスタンの風になれ!』と付けられていた。


 「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれる独裁国家トルクメニスタンのソ連からの独立前夜の混乱期を、陰で支えたひとりの少女の活躍を描く“ポッポシャン”の意欲作!!


 紳士は眼光鋭く表紙を眺めた。いや、確かにサングラスはしていたが、目が〈スギロッ!〉と光ったのが確認出来た。ええ、ホントに。


 (ふ~むっ!歴史物っ!!)


 紳士は、そう心の中で呟くと原稿を一気に読み始めた。

 早い!意外に漫画を読み慣れているのか!?紳士はまるで、自分では腕利きの編集者になっているつもりの若手編集者の様に漫画を読み進めて行く!

 それは本来、嫌な印象を新人漫画家に植え付ける!

 そして“ポッポシャン”が3ヶ月かかって描いた大作を5分も立たずに読み終え、原稿を封筒に締まった。


 あまりの早さに“ポッポシャン”もたじろいだが、恐る恐る聞いた。

 「どぉぅ?」


 紳士はおもむろにタバコに火をつけ、一息ついてからしゃべりだした!

 「ンマーッ!うまいよこれ!!まったりとしたペンタッチ!切れのあるストーリ、しかもコクのあるキャラクタ!!おじさん一本とられちゃったなぁ~!!」


 大絶賛!! “ポッポシャン”が今までに経験した事の無い好評価だった!


 全く興奮を抑えきれない様子の紳士はさらに、「フー!」とタバコの煙を吐いているのかはやし立てているのか判別しにくい声を発してから断言した!

 「これなら成れる!絶対成れる!何だったらその辺の人に聞いてみな!!」


 〈コクリコ〉と無言でうなずいた“ポッポシャン”の顔には強い覚悟が見て取れた。

 実質の友人はゼロ。誰ともうまくやって来れなかった究極の内気青年の姿はもう公園には無かった。

 早足で行き交う大人たち、無情のコンクリートジャングルを生きる者たちも、最早“ポッポシャン”の敵ではない。彼は、たまたま目の前を通りかかった人の良さそうな顔をした青年に、自分の漫画を読ませて漫画家に成れそうか感想を聞いた。


 「どうでしょうか?」


 青年は右手の親指を立て満面の笑みで答えた。 

 「成れるよきっと!」


 それでも、確信の持てなかった“ポッポシャン”は更に、目の前の大人を捕まえ漫画を読ませ感想を聞く。何度も何度も。

 「成れるはずだけどなぁ…」


 時には「アンタ馬鹿ぁ?」と怒られたりもした。

 だが、それは仕方の無い事だった。


 紳士に大絶賛され無敵状態とは言え、根が引っ込み思案な“ポッポシャン”は何度も何度も同じ青年に感想を求めたからだ。


 そして、遂にその通りすがりの青年の口から思わぬ言葉が飛び出した。彼は自信満々のしたり顔で言う。

 「てゆうかねぇ、漫画家は眉毛の太さが違わないと成れないから!!」


 それが青年の、執拗過ぎる“ポッポシャン”に対する破れかぶれ発言とは気付かず「何ですって!ホントですかぁ!?」と、すぐさま返した“ポッポシャン”の必死な顔を見て、青年の心の中に眠るサディスティックな本性が、ムクムクと頭をもたげた。


 青年は、続けざまに全くデタラメな事を告げた。

 「ああ、ホントさ!試しに漫画家の家に訪問してごらん。みーんな眉毛の太さ違うから」


 意外だった!見ず知らずの他人に嘘を吐く事がこんなにも快感だなんて!

 何かを思い付いた風の顔をした青年は「じゃっ!俺は行くぜ!!」と言うと、ダッシュで“ポッポシャン”の視界から消え去った。

 まさかこの時の体験が、青年の後の人生に大きな影響を与えるとは、この時点では到底予測出来なかった事だろう。


 青年はいわゆる『コスプレ』に走った!

 コスプレして町中の他人に声をかけては、全くいい加減な話や、道案内、噂などを流し、その奇妙な虚栄心を満たす事に残りの人生を費やし始めたのだ!!

  まぁ、しかしそれはまた別の話……。


 この日が人生の変わり目だったのはこの男も同じ事だった。


 青年が走り去った後、“ポッポシャン”に『真実の固まり』が雷のように落ちた!


 「眉毛の太さが違っても漫画家には成れる……いや!むしろ漫画家は全員、眉毛の左右の太さが違う!!」


 その瞬間、“ポッポシャン”の夢は激しく!!そして〈スギャーン!!〉と、スパークした!!


 「あのクソヤロー共がぁ!!こっちが純情に出りゃあ、馬鹿にしくさってぇーっ!!ゼッテェー許さんゼォ!!!」


 いわゆる『坊ちゃん刈り』だった“ポッポシャン”の髪の毛は〈ニゴーン!!〉と音を立て逆立ち、燃え盛る炎の様な髪型になった。


 まさに怒髪天!!


 お気に入りのティーシャツは両袖が破れ、タンクトップになった。それは、街行く人々に春の訪れを感じさせた。何かの呪縛から解き放たれた感じの様相を呈した“ポッポシャン”は、闇雲に走り出した!しゃにむに走った!!途中、先ほど“ポッポシャン”の目の前から走り去った青年をも追い抜いた気がした。

 しかし、そんな事は構わず走り続け、そして叫んだっ!!


 「誰かぁ~!!誰でもいい!この近くに殺し屋はいねぇがぁ~!!?」


 “ポッポシャン”の大いなる夢は、凶暴なまでの情熱に姿を変え、昼下がりの小さな街のとある路地で烈しくこだました。


 そんな“ポッポシャン”の前にさりげなく何者かが立ち塞がった。

 「だ、誰だこの!!」

 急制動をかけた“ポッポシャン”の体が、滑稽なまでに揺れたがその何者かは少しもニヤリとせずに言った。


 「俺が殺し屋だ!!用は何さっ!!」

 銀髪のオールバックで、口とアゴにはヒゲを蓄え、丸いサングラスをし詰め襟の制服を着たその“自称”殺し屋は、腕を組み……というか、先刻公園で会った胡散臭い紳士だ!


 ただ、さっきと少し違うのは詰め襟の首元に『殺』と言う文字のピンバッジが着けられ、制服のボタンが『スマイルマーク』から『ドクロ』に変わっていた。

 こうなるともう、余程の暇人か変人に違いなかった。


 「あ!!さっきのオジン!!俺に殺しの技術を教えてくれい!!どーしてもやりたい奴が2人いるんだ!!」

 “ポッポシャン”が早口で一気に捲し立てたが、例の紳士は動ずる事無く予想していたかの様な表情で答えた。

 「お母様と、悪徳くんかね?」


 「ああ、そうさ!このオレ様をハメやがった!!」


 紳士はうなずきつつも“ポッポシャン”の決断に迷いが無い事を確かめる為、あえてもうひとつ問いただしてみた。

 「“そねみ”と、イケルくんはどうする気かね?」


 「関係ねぇ!皆殺し祭りの開催だっ!!」


 『祭りだと!?』即答した“ポッポシャン”に紳士は内心恐怖した!『皆殺し大会』の開催は予想していた。

 だが“ポッポシャン”はその上を行く『祭り』を選んだ!!おそらく規模としては『町内ボーリング大会』と『リオのカーニバル』ほどの差があるに違いない!!末恐ろしい弟子を持つ事になった紳士が、心と体を震わせながら宣告する!!

 「だったら、今までの甘ったれな自分にサヨナラするんだ!!」


 乙女チックな事を言う紳士に、「ああヨ」と余裕で答える“ポッポシャン”。どこから仕入れたのか〈スュモッ!〉とマッチに火をつけシガレットを吸い始める。


 「ならば、まず名前を決めてやろう!」そう言うと紳士は、“ポッポシャン”のコードネームを考え始めた。


 そして、すぐに“ポッポシャン”のTシャツに目を留めた。


 “そねみ”に漫画を披露するというこの良き日に、彼が着て来たお気に入りのTシャツの胸部には英語で「POP & OCEAN」という意味不明のプリントがされていた。

 おそらく田舎の百貨店で980円くらいで売りだされている大量生産のシャツだろう。


 「ポップ&オーシャン……ポップオーシャン………ポッポーシャン……!!」


 そして、紳士は改めて絶叫した!

 「よし!今日から貴様は復讐の暗殺者!!“ポッポシャン”と名乗るが良い!!!」


 そう言う訳で彼は今、“ポッポシャン”と名乗っているのである。





 『POP変』 おわり。

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