獰猛な鷹の団
(“鋼鉄の六人”が全滅しただって?! そんな馬鹿な!?)
(大竜巻の中でも鼻歌を歌って行軍していた噂されるあの“鋼鉄の六人”が!?)
(雷に打たれても軽症で済んだという逸話のあるあの“鋼鉄の六人”が!?)
(馬車に轢かれたら馬の方が骨折したというあの不死身の筋肉たちが!?)
(俺はゴブリンに棍棒で殴られたら逆に棍棒が砕けたって聞いたぜ)
(え、それってオークの斧じゃないの?)
(たしか飯の時間になったら墓から這い出て来たって話もあったよな)
残念ながら、それらは全て事実である。
背景でザワザワと繰り広げられる冒険者たちの会話を小耳に挟みながら、ルカは何とも言えない気分で目を細めていた。
しかしそれでも。
そうして冗談交じりに語り継がれる程度には、ギルドでも一目置かれたパーティだったのだと、ルカはあらためて自覚した。
「……“鋼鉄の六人”はまだ全滅してねぇよ、バカ野郎」
足元から、アネットの口惜しそうな呟きが聞こえた。
愛する恋人の言いたいことは分かる。
分かるが、それに同調することなどルカには到底出来なかった。
鋼鉄の肉体と不屈の闘志であらゆるクエストを達成してきた“鋼鉄の六人”。
その中において、新米魔導師の自分はやっぱり“貧弱な坊や”でしかなく。荷物運びどころか、ただのお荷物であることは誰の目から見ても明白だった。
そんなことはない、ルカ坊はバーティ随一の打点王なのだと。
そう言って励ましてくれたのは心優しい“鋼鉄の六人”の面々だけで。
だが、今は落ち込んでなどいられない。
最後まで生き延びた者として、為すべき責務を果たさなければならない。
「そういうわけなので、ボク以外のメンバーのギルド脱退の申請と、パーティ解散の処理をお願いします」
「そんな……本当なのですか……?」
「残念ですが」
できるだけ無感情に、そして事務的にルカは答えた。
そうでもなければ、重圧に耐え兼ねてアネットがまだ生きていることをぶちまけてしまいそうだったから。
「おう“ルカ坊”! “黄金の猟犬”がくたばったってのは本当かあ?」
その野太い声は、ルカを取り巻く喧騒を一瞬にして引き裂いた。
ルカとアネットが振り返ると、人波を掻き分けてドスドスと割り込んで来たのは見るからに粗暴そうな荒くれ者の集団だった。
十人以上は取り巻きがいたであろうか。その中心でニヤニヤと人を喰ったような笑みを浮かべているのは、スキンヘッドの大男。
その男の顔は、ルカもしっかりと見覚えがあった。
「“獰猛な鷹の団”のガルベントか……」
アネットは嫌悪感混じりに呟いた。
それはそうだ。
“獰猛な鷹の団”と言えば、ギルドでも酒場でも他のパーティに因縁をつけてはカツアゲ行為を行う、冒険者とは名ばかりのチンピラ集団なのだから。
特に副団長であるガンベルトの素行の悪さは広く知られるところであって。“鋼鉄の六人”に限らず、この場でガンベルトたちに好印象を抱いている者など存在しなかっただろう。
「何の御用ですか、ガンベルトさん? 私たちは今、とても重要な話をしている最中なのですが」
それはギルド職員も例外ではなかったらしい。
モナカは数分前と態度を一変させ、言葉の端々からトゲを突き出しながらガンベルトを牽制した。
ガンベルトは一寸眉のない目元を吊り上げたが、すぐにまた上から目線の冷笑をルカに向ける。
「テメェも薄情な奴だなぁ。アネットがくたばった途端に今度はこんなガキを手籠めにしやがって。貧弱坊やも“アッチ”の方はお盛んってかあ、この男女?」
――ザワッと。
比喩を抜きにして、空間を凍り付かせるような強烈な殺気が周囲に迸った。
それは勿論足元のアネットが放ったものだったのだが。そうとは知らないガンベルトは、冷や汗を垂らしながらも引き攣った嘲笑で取り繕う。
「なんだ、怒ったのかよ? 荷物運びの稚児として団に雇われてた分際で、一丁前の冒険者のつもりだったのか?」
「……」
「へっ。いいぜ、相手になってやるさ。どうした、お得意の魔法でも何でも唱えてみるといい。……まあ? テメェが悠長に息継ぎしてる間に、俺様は貴様を十回以上ブチ殺してやれるがなぁ!」
唾を飛ばして息巻きながら、ガンベルトはルカの胸をドンと突き飛ばした。
アネットを庇うように逆に胸を突き出していたルカは、大袈裟によろめいてモナカの立つカウンターに腰をぶつける。
「ちょっとガンベルトさん、ギルド内での暴力行為は厳禁ですよ! それを示唆する挑発行為だって当然禁止です! また何週間も出禁になりたいのですか?!」
「はあ? これくらい挨拶の範疇だろうがよぉ。それとも何か、ルカ坊はこの程度で小便チビッちまうようなお子ちゃまだったってかぁ? そりゃあ悪かったな」
ガンベルトがそう言ってルカを挑発すると、取り巻きの荒くれたちがまるでそう取り決めていたかのように一斉に大笑いした。
それでもルカの表情は変わらない。
怒るでもなく、かと言って冷静に軽蔑するでもなく。ガンベルトの言葉をありのままに受け入れ、心苦しそうに眉をしかめる。
そしてガンベルトに何を言い返すでもなく、モナカに顔を戻して鞄から取り出した仲間たちの冒険者証書をカウンターに広げた。
「これが亡くなった方々のタグです。保証金が必要な人は誰もいなかったはずですが。ボクはしばらくこの街に留まる予定ですので、何かありましたらお声掛け下さい」
「え、えっと……」
「おいおい、俺たちを無視かぁ!? 見習い冒険者が随分と偉くなったもんだなぁ!!」
ガンベルトは語尾を荒くすると、ルカの左肩を掴んで力任せに引っ張った。
ルカは生気の抜けた表情でガンベルトに振り返り――むしろそのあまりの生気のなさに、ガンベルトの方が萎縮してしまうほどだった。
「……貴方の言う通りです」
「は、はあ?」
「ボクはただの未熟者で、“鋼鉄の六人”を名乗る資格がなかった。この命だって、結局は団の皆さんに守っていただいて拾った命だ」
「お、おう、分かってんじゃねぇか。そうだ、テメェは所詮一人では生きていけねぇ青二才なんだよ。だからどうせなら、俺たちみたいな強いクランに属して守られるべきだとは思わない――」
「なにこのハゲ、めちゃくちゃウザいんですけどぉ!!!」
ギルドの天井を貫くような勢いで、その甲高い少女の叫び声が響き渡った。
ルカたちの周辺どころかギルド全域が完全に静まり返り、声を発した金髪ポニーテールの少女に視線が集中する。
その金髪少女ことアネットは、物凄いオーバーアクションで右手を振りかざし、ズビシッと効果音が聞こえる勢いでガンベルトに対して人差し指を突き付けた。
「汚い、老け顔、見せかけ筋肉、ハゲ、ダミ声、なんか生臭い、ハゲ、歯に昼食べたネギが付いてる、生まれてこのかた恋人なんていなさそう、ハゲ、ハゲ、ハゲ、ハゲー!!!」
「え、あ、な、なんだとこのガキが!」
勢い任せに暴言を羅列していただけだったが、それでも敵意だけは的確に伝わったのだろう。
ガンベルトはルカから手を離すと、顔を赤くしながらアネットに向かって拳を握り締めた。
しかしアネットも慣れたもので、ガンベルトが挑発に乗ると同時にプイッと顔を背けてルカに抱きつき直した。
「おにーちゃん、こんなハゲ放っておいてもう行こうよー! あたしお腹空いたー!!」
「またハゲって言った……。おい貴様、この俺様が“獰猛な鷹の団”の副団長ガンベルト様と知って――」
「えーっ!? このハゲ、団長でもないのに大口叩いてたのー!? おまけにこんなにズラズラと手下を引き連れ回してー?! うわー、せこい上にカッコわるーい! サイテー! ハゲッ!!!」
アネットのわざとらしくも舌っ足らずな指摘に、周りの冒険者からドッと笑い声が巻き起こった。
立場上中立でいなければならないはずのモナカも顔を背けて肩を震わせ、流石にルカは笑わないが「本当の事を言ってしまい申し訳ない」とばかりに眉をしかめる。
「こんのぉクソガキがあぁぁー!!」
“ハゲタカ”のガンベルトの堪忍袋がブチ切れるにはそれで十分だった。
ガンベルトは右手の拳を握り締めると、アネットに向かって大人げなくも本気で腕を振り上げる。
「アネットさん!!」
真っ先にそれに気づいたルカは、素早くアネットを自分の下へと引き寄せて彼女の盾となった。
すっかり自力で回避する気満々だったアネットは、思わずギョッとした顔でルカを見上げる。
「ちょ、ルカ!?」
場にいた誰もが、ルカごと金髪少女が殴り飛ばされる光景を想像して――
「……これはいったい何の騒ぎなのかな?」
その穏やかな呼び掛けに、先刻とは違う意味でギルド内が凍り付いた。
全員の顔が一斉に振り返り、そこに立っていた人物を尊敬と畏怖を持って見つめる。
首から下は赤く塗装されたプレートメイルに黒檀色のマント。
その鎧の上からでも認識できる鍛え抜かれた肉体と、白髪になるほど年老いたとは思えない精悍な顔立ち。
長く伸ばされた髪は襟首で一房に結わえられ、蓄えられた髭はむしろ清潔感を彼に与えていた。
杖代わりにロングソードを床へ突き立てているその姿は、もはや冒険者を通り越して英傑そのものだった。
「ギ、ギルドマスター?!」
腕を振りかざした状態で固まっていたガンベルトが、引き攣った表情で声を上げた。
ギルドマスターと呼ばれたその老人は、紹介ご苦労とばかりに大きく頷き、しかし鋭い視線でガンベルトを見据える。
「それで、説明してもらおうか。……これはいったい何の騒ぎなのかな?」
「え、えへへ。ギルドマスターのお手を煩わせるようなことじゃございません。ただこのガキが大人に対して舐めた口を聞くものですから、ちょっとした指導をと……」
「ふむ」
ギルドマスターはコツコツと鉄靴を鳴らしながらルカの方へ近づき、それからアネットを見下ろして目を細める。
「このような幼子の“指導”とやらに、果たして拳を握る必要があるのかね?」
「え、あ、でもこいつの口の悪さはそりゃあヒドイもので、今のうちにしっかり言い聞かせておかないといけないかと思いまして」
「ならばその言葉の通り“言い聞かせれば”よかろう。まさかこんな子供の戯言に激昂して暴力を振るうような愚か者が――我がギルドにいるとは思えないがな?」
それはもう警告や脅迫ですらなかった。
自分の発言に異を唱えるなら即刻処断するという、ただ一方的な事実の宣告であった。
その言葉にガンベルトは顔を青く染め、それからルカを見て顔を赤くし、さらに奥歯を噛み締め青くなる。
「……せいぜい気を付けろよクソガキ、次はぶち殺してやるからな」
絞り出すようにそれだけ呟くと、ガンベルトとその一味は逃げるように立ち去って行った。
“獰猛な鷹の団”の背中を最後まで見送ってから。
ギルドマスターはゆっくりと振り返り、やはり事務的な表情で今度はルカを見据える。
「君たちの話は私のところまで聞こえて来たよ。まずはドラゴン討伐おめでとう、“鋼鉄の六人”」
「は、はい、ありがとうございます」
「しかし規則は規則だ。そこの爪や牙だけでドラゴンを倒したと見なすことはできない。まずは君たちが本当にドラゴンを討伐せしめたのか、我々は事実関係を確認しなければいけない。……明日にも調査隊を派遣して確認作業を行わせるが、報奨金の支払いには相応の時間が掛かることは覚悟しておいて欲しい」
「心得ています。お手数をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」
ルカが深々と頭を下げると、ギルドマスターは会釈程度に頷き返した。
話はそれだけだと言わんばかりに颯爽と踵を返して。
「そうそう、君が今しがた申請したパーティ解散の手続きは一度差し止めさせてもらうよ」
「え……?」
「そうしなければ、いざ報奨金を支払う際に不備が生じてしまうからね。全ての清算が終わるまで、我がギルドは“鋼鉄の六人”が君の一人パーティであるという特例を認めることとしよう」
「……」
ルカはその決定に不満気だったが、かと言ってギルドマスターに異を唱えることもできなかった。
ギルドマスターも悠長に返事を待つつもりはなかったようで、まともにルカの顔を見ることもなく歩みを再開する。
「それでは邪魔をしたな。皆自分たちの仕事に戻るといい」
ギルドマスターは悠然とその場を離れ、ギルドの誰もが尊崇の眼差しでその姿を追いかけた。
「……『アネットさん』?」
ただ一人だけ。
メカクレ眼鏡のモナカだけは、顎に手を当てながらルカと金髪少女の姿を訝しげに観察していた。