“ガイア”への凱旋
森を離れて一週間後、アネットたちは“ガイア”と呼ばれる街に到着した。
現在人類が発見した中で最も広大な大陸“カオス”と、その大陸に三か所存在する冒険者ギルドの総本山――南西の“エロース”及びに北の“タルタロス”と並ぶ、大陸南東部に位置する円形の大都市だ。
ただ、一口に大都市とは言っても中央の王都とはまた趣が違う。
ギルドを中心に依頼を求めた冒険者たちが集い、その冒険者に助けを求めるための人々が集い、そして彼らを食い物にするための商人たちが集う。
そこは交易都市ともまた違う、前衛的な活気と廃退的な空気の入り混じった独特の雰囲気をまとった街だった。
「いつ戻って来ても、ここの賑わいは変わりませんね」
東側ゲートの検問を通り抜けたルカは、衛兵に示していた冒険者証書を胸元に戻しながら大通りの喧騒に目を細めた。
ルカの同行者として入街を許可されたアネットも、検分を終えてパタパタと小走りでその後を追いかける(ローブの下がほぼ裸だったことを衛兵は大いに驚いていたが)。
「うんうん。鍛冶場の匂いに肉の匂い、通りの汗臭さに肉の臭い、あと肉のニオイ! この街はやっぱりこうじゃなくっちゃな」
「……ギルドへの報告を終えたら、とりあえずご飯にしましょうか」
出来れば一番最初にアネット用の衣類を見繕いたかったのだが。
ルカは苦笑しながら、ジェラルディンの手綱を引っ張り大通りを進む。
アネットの姿は一週間前と変わらない。
ルカのローブを縄で結び、長い髪はポニーテール。靴は余っていた革布をなめし直して、足袋のような簡素な代用品を作って誤魔化していた。
アネットの考えはどうであれ、これではまるで奴隷でも引き連れているように周囲には見られてしまう。
「お、なんならやってやろうか? ルカ様ご主人様~☆って」
「やめて下さい、冗談にしても趣味が悪すぎます」
天邪鬼な笑みを浮かべるアネットに、ルカは無感情な嘆息で答えた。
そういえばこの青年は奴隷とか下僕とかそういう概念が人一倍許せないタイプの人間だったと、アネットはこっそり舌を伸ばす。
そうこうするうちに辿り着いたのは、検問の傍に備え付けられている馬車駅兼厩舎で。
これは街の運営本部が(つまりギルドが)経営している厩舎であり、広大な敷地と巨大な建物を併せ持った冒険者たち御用達の施設だった。
ルカは慣れた様子で外門を潜り、中で作業していた中年の飼育員に声をかける。
「すみません、馬を一頭預けたいのですが……」
「お、誰かと思えばルカ坊じゃねぇか! どうした、今日は“お姉ちゃん”は一緒じゃないのかい?!」
「ルカ坊はやめて下さい。あとお姉ちゃんも。ボクはともかくアネットさんに失礼ですので」
ルカはもう一度冒険者証書を取り出しながら、やれやれと聞き飽きた様子で嘆息した。
飼育員は悪い悪いと毒気のない笑い声を上げると、懐から大きな判子を取り出してジェラルディンの肩の辺りにギュッとインクを押し付ける。
「ん? そういやこいつはジェラルディンじゃないか。おまえ、自分の馬はどうした?」
「少し事情がありまして。その辺りの話はまた後日させていただきます。今は急いでギルドに向かいたいので」
「おおそうか、わかった。それじゃあ他の連中にもよろしくな。特にボルガンには、この前の支払いがまだ残ってるぞってな」
「……了解しました」
仲間の名前を聞いてルカの表情が曇ったが、それも一瞬のことで、飼育員には気づかれることなく施設を後にした。
しかしその瞬間をしっかり目に捉えていたアネットは、ため息交じりにルカを見上げる。
「落ち着いたら、世話になった連中に挨拶回りしないといけないな」
「……そうですね」
二人分のリュックサックを抱えていたルカは、アネットへ目を下ろして無理に微笑んだ。
自分たちの次のクエストがドラゴン討伐であることは、誰にも伝えないで街を出た。
生きて帰れる可能性の方が低いのは明白だし、告げれば引き留められるのは間違いなかったからだ。あの厩舎の飼育員に至っては、馬を返してくれなかったかもしれない。
“鋼鉄の六人”の目的は金でも名声でもない。
ただ、自分たちの力がドラゴンという超生物相手に何処まで及ぶのかのか、純粋に試してみたかっただけなのだから。
「我ながら無謀な冒険だったよなあ……」
そう言いながらも、出発前の光景を思い返すアネットの表情は楽しげだった。
トドメ役のルカだけが生き残り、前衛五人が死亡という凄惨な戦績ではあったが。それでも自分たちパーティは死力を結集し、あの凶悪なドラゴンを討伐することに成功したのだ。
きっとアウトサイダーの横槍がなくとも、パーティの全員が満足してこの最後を受け入れることが出来たに違いない。
「……」
ルカだけはまだ気持ちの整理がし切れていない様子だったが。
でも事実を受け入れるのにそこまで時間はかからないと、アネットは思った。
だって、彼だって、立派な“鋼鉄の六人”の一員なのだから。
「……まだまだ、いろんなところが貧弱な坊やだけどな」
「え? 何か言いましたか、アネットさん」
「なんでもねぇよ。お、ようやく見えて来たぜ?」
アネットは己の発言を誤魔化すように、とても大袈裟に前を指差した。
釣られてルカが視線を戻すと、先ほどの厩舎など比べ物にもならない館が――冒険者ギルド“ガイア”地区本館が姿を現わした。
教会か領主の館かという巨大な建造物。
子供の姿に戻った影響か、それが普段より一層高くそびえ立っているように、アネットの目には移った。
一方のルカも、建物を見上げて不安げに胸元を握り締めた。
こちらは、これからギルド内で行わなければならない手続きの内容に不安を覚えているのだろう。
それに気づいたアネットは、小ジャンプと共にその背中を力いっぱいブッ叩いた。
「いったぁ?! 突然何をするんですか、アネットさん!?」
「何をしけた面してるんだよ。そんなんだから、おまえはいつまで経っても子供扱いされちまうんだって」
叩いた右手の方が痛くって、アネットは涙を堪えてプラプラと揺らしていたが。
それでもニヤリと強気な笑顔は変わらない。
「くだらねぇことでウジウジすんな、デンと胸を張って構えろ。おまえは確かに貧弱な坊やかもしれないけど、それでもオレたち“鋼鉄の六人”最後の一人で……このオレ、“黄金の猟犬”自慢の彼氏なんだからさ」
アネットは痛む右手を握り締めると、その拳をルカの鳩尾に押し付けた。
堂々とルカを彼氏と呼ぶことがよほど恥ずかしかったのだろう。強気に笑いながらも、その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「アネットさん。……はい!」
そんなアネットから元気と勇気を受け取ったルカは、打って変わって生気に満ちた表情でギルドの館へ目を向けるのだった。