いざ帰路へ
「待っててくれてたのかよ、ジェラルディン~♪」
森の入口まで戻り、途端に視界が開けた直後。
そこで待ち構えていた白馬の姿を見つけて、アネットは見た目相応の猫撫で声を発した。そのまま白馬の首元に飛びつくと、足元がぷらぷら宙ぶらりんなのもかまわずその顔に頬擦りする。
麻袋を背負ったルカは、そんな光景を微笑ましげに眺めつつ周囲を見回した。
ドラゴンに戦いを挑む前に、馬の手綱は全て外していた。
彼らもすぐには逃げ出さなかったのだが、それでも激闘の余波には怯えたのだろう。アネットの愛馬以外は全員この場から姿を消していた。
「というかおまえだって怖かっただろうに、ジェラルディン」
「ムッフッフ~♪ それだけオレのことを信頼してくれてたんだよなぁ、ジェラ~♪」
足がぷらぷらするどころか、木登りするように両足を巻き付けながら、アネットは白馬にしがみ付いていた。
最初は驚いていたジェラルディンだったが、匂いで己の主人だと悟ったのか、すぐに大人しく従順な反応に立ち戻る。
「トラベルツールも無事みたいですね。これならギルドの街まで真っ直ぐ引き返すことができそうです」
ルカは茂みの中に隠していたリュックサックを取り出しながら、アネットに声をかけた。
自分とアネット以外の、余分な四人分のリュック。
それを目にして少しだけ表情を暗くして、それでもアネットに向かっては笑顔で振り返る。
「他の皆さんの荷物はどうしましょうか?」
「二人乗りしなきゃならん時点でジェラもいっぱいいっぱいだろうし。ちょっともったいないけど、必要なもの以外はここに捨てて行こうぜ」
「まあそうするしかありませんか……」
尋ねるまでもない結論だった。
ルカは心の中で謝罪しながら全員のリュックを開き、これからの帰路に必要そうな携帯食や小物、それと路銀になりそうな物をテキパキと仕分けていく。
馬から離れたアネットは、そんなルカの背中に近寄りながらポリポリと頬を掻いた。
「ごめんなルカ、いつもおまえに全部やらせちまって。オレがやるとどうにも食い物ばっかになっちまうからなぁ」
「どうしたんですか、アネットさん。謝るだなんてらしくもない。生き返るときに常識も一緒に思い出しましたか?」
「んだとてめぇ!」
一瞬で頭に血が上ったアネットは、ルカの後頭部目掛けて右腕を振り上げ――
その手が精一杯背伸びしなければルカの頭に届かないことに気付いて、思わず我が手を見下ろした。
「おまえって、意外と背が高かったんだな……」
「はい?」
「んにゃ、なんでもねぇ」
キョトンと振り返ったルカに、アネットはニィッと歯並びの良い白い歯を見せつけた。
それから顔に掛かる長い髪を思い出して、ルカの隣に回り込む。
「そうだそうだ、ジーナの荷物の中に髪留めないか? 着る物は別におまえのでもいいけど、こればっかりはちょっとな」
「ああ、確かにジーナさんなら予備も持ち歩いているかもしれませんね」
仲間の大弓使いのことを思い返しながら、二人は鞄の中身を覗き込んだ。
案の定、中から整容セットや新品の下着類。おまけに化粧品や香水までもが発掘された。
「ドラゴン討伐に香水って。あいつはクエストを何だと思ってるんだ?」
「ジーナさんも女性ですからね。というかアネットさんが気にしなさすぎなのでは?」
「……もしかして、ルカもオレのことを獣臭いとか思ってたのか?」
「うえぇ?!」
予期せず図星を貫いてしまったようで、ルカの体がビクゥ!!ッと過剰すぎるほど反応した。
ルカはすぐに青い顔で振り返るが、その頃にはアネットは完全にむくれてしまっていた。
「“貴女の匂いが好きなんです”とかキザな台詞囁いておいて結局はそれかよ。ああそうかい、おまえの気持ちはよく分ったぜ」
「ち、違うんです。これは言葉のアヤというかなんと言うか。ボクは本当にアネットさんの匂いが大好きで――」
「よこせ」
「……は?」
ルカの言い訳を遮って、アネットはルカに右手の平を突き出した。
何のつもりかとルカが瞬きしていると、ムキーッと癇癪を起こした子供のように牙を剥く(いや実際癇癪を起こした子供にしか見えないのだけれど)。
「その香水をオレに寄こせ! これからは毎朝そいつを付けてすごしてやる!!」
「はあ?! 正気ですか、アネットさん!?」
「香水一つで正気を疑われるのかよオレ……」
アネットはなんか心に大ダメージを負った。
一方のルカも動揺した様子で自分の口を押えると、言葉を震わせながら荷物整理を再開する。
「いや本当に、アネットさんにはこんなもの必要ないと思いますよ」
「そんなにホントホント繰り返さなくても分かったよ、ったく」
アネットは舌打ちしながら下着を手に取り、ルカに背を向けて着用する。
腰紐を結ぶタイプなので今の体格でも穿けないことはないが、やはりブカブカにはなってしまう。だがしかし、これからの馬での移動を考えるとないよりはマシというものだろう。
「あ、替えの服もありましたよ。はい、どうぞ」
「いらねぇよ。おまえのコレだけで十分だ」
アネットはそう答えると、茶色いローブの前側を閉じ、その腰回りを縄の切れ端でギュッと乱暴に締め付ける。
やや裾を引き摺りがちではあったが、遠目からは麻布のワンピースを着込んだ子供に見えなくもなかった。
いやでも。と躊躇するルカを無視して、アネットは金髪をポニーテールに結わえて嘆息する。
「ほら、いいから急げよ。どうせ途中で野営するにしても、せめて今日中に街道まで出ておこうぜ」
「……わかりました」
ルカは仕方がなさそうに頷きながら、でも一応念のために服を荷物袋に詰める(香水も入れた)。
そうやって十分ほど掛けて荷物を整理してから、ジェラルディンに馬具を付け直して荷物を脇に据え付けた。
ルカは先にジェラルディンに乗り上がり、その懐に抱え込むようにしてアネットを引っ張り上げて。
そうして二人は馬での移動を開始する。
……
「でも本当に良かったんですか?」
「おまえもしつこい奴だな。別に寒い時期じゃないんだし、動きやすいんだからいいじゃねぇかよ」
「そうではなくて。――貴女の装備をあそこに置いて来たことです」
「……」
白馬に揺られながら、アネットはゆっくりと遠ざかっていく森林をチラリと盗み見た。
他の仲間たちと同様に、アネットの鎧は墓穴に埋め、剣も墓標代わりに突き刺して来た。
半壊状態の鎧はともかくとして、剣は打ち直せばまだ使い物になるように思われたが。
アネットは眉をしかめて苦笑すると、視線を前に戻してルカに背中を寄り掛ける。
「あれでいいんだよ。どうせこんな体じゃあ、もう剣なんてまともに振れやしねぇんだしな」
「アネットさん……」
ジェラルディンの馬具を自分で装着できなかったことを、まだ引き摺っていたのだろう。アネットの笑い声はどこか寂しげだった。
しかしそんな感情を隠すように、アネットはルカを見上げてニパッと天真爛漫な笑顔を作る。
「でもこれからは、おまえがオレのことを守ってくれるんだろ?」
「……はい!」
ルカは熟考に熟考を重ねた上で、アネットの言葉に力強く頷いてみせた。
アネットも満足気に頷くと、ルカから体を離してジェラルディンの胴体を撫でる。
「それによくよく考えりゃあ、ギルドに戻ればドラゴン討伐の報酬がたんまりもらえるんだぜ? 皆で山分けしても家が買えるくらいの金額だってのに、そいつを二人締めなんてしたら一生遊んで暮らせるんじゃないか?」
「それこそ皆さんに恨まれてしまいそうですけどね」
「あいつらがそんな細かい事を気にするわけないじゃん♪」
アネットは悪戯っ子のような笑みを浮かべ、その仕草に以前の面影を感じたルカはエホンと咳払いを返した。
そして「いっそ二人で王都に移り住むか~?」などと気楽な皮算用を続けているアネットに釘を刺す。
「でもそんな簡単にはいかないかもしれませんよ。ドラゴン討伐の証拠だって牙と爪しか持って来れなかったんですから」
討伐クエストにおいて、モンスターを倒した証拠の品を持ち帰ることは重要な目標だ。
通常は頭や心臓などを持ち帰るものだが。今回のような超大型モンスターの場合であれば、ギルドの監視官に直接検分してもらう必要がある。
パーティが健在であれば、一人二人だけが街に戻って報告を行い、使者を連れて現場に戻るのが正しい行動なのだが。
アネットが子供の姿に戻ってしまった以上、まさか彼女一人を残して街に戻るわけにもいかず、こうして二人で移動するという流れになったわけだ。
「食料とダガーの一本でも置いてってくれれば、今のオレでも留守番くらいはできたと思うんだけどなぁ」
「無茶を言わないでください。これ以上貴女に危険なことはさせられません」
「お、早くも独占欲が芽生えたか? 貧弱な坊やにもようやく男としての本能が目覚めましたかー?」
「茶化さないでください」
嬉しそうにはにかむアネットを、ルカは冷たい視線で切り捨てた。
せっかくこんなに若返ったのだから、もうちょっとデレデレしてくれてもバチは当たらないと思うのだが。
アネットは若干腑に落ちない感情を抱きながらも、それもこれもこれからだと楽観的に嘆息する。
「まあ心配するほどじゃないだろ。あんなでっかい死体を持ち運べるのなんて軍隊かギルドくらいのものだし、あの森に近づく人間なんてオレたち冒険者くらいのものだろうからな。とっとギルドに戻って調査隊を送ってもらえば、そんなに掛からず報奨金を払ってもらえるさ」
「そう上手くいきますかねぇ」
「それにドラゴンを倒した魔導師なんてことになったらおまえの評判もウナギ登りだぞ。もしかしたら王宮魔導師のお誘いとかもらえるんじゃないか?」
「そんなの、それこそ夢物語ですよ」
苦笑しながらも、ルカの瞳には僅かに期待の色が滲んでいた。
王宮魔導師に選ばれること。
それがルカの子供の頃からの夢であることは、アネットも幾度となく枕語りの中で耳にしていたから。
あえて口にはしなかったが、アネットもこれから訪れる薔薇色の未来を夢想して、その幼い瞳をキラキラと輝かせていた。