アウトサイダー
「――オレは死んだのか?」
言葉に出してから、何かがおかしいとアネットは思った。
ドラゴンに燃やされ、ルカの大魔法に打ちのめされて。
完全に意識を失ったはずの自分が、今は何だかよく分らない闇の中でプカプカと浮かんでいた。
「そうだ、ルカは!?」
ハッと気付いて首を振り回してはみたが、縋るもののないこの空間ではまともに身動ぎすることもできず。
そもそも夜の森より深い暗闇に目を凝らしたところで、何も見えるはずが――
「……オレの腕が見える?」
普段冒険者ギルドの連中から“脳筋女”と揶揄されていたアネットだったが、別にバカなわけでも察しが悪いわけでもない。
このときのアネットも、闇の中で己の手足だけはハッキリ捉えることが出来ているという不自然にいち早く気がついた。
そして、ドラゴンブレスで焼け爛れたはずの肌も武装も、何一つ変わらない状態で存在していることにも。
やはりこの空間はおかしい。
今までの人生で出会うことのなかった、超自然的な何かが起こっているに違いない。
「ふむふむ、なるほどなるほど。キミは確かになかなか順応性が高いようだ。この場所に招待した人間の中で、そこまで理解が早かった者も稀だよ」
「誰だ!?」
声の方向へ振り返ろうとしたが、身体はどうしてもプカプカと浮かぶだけだった。
代わりのように、声の主がアネットの頭上から静かに舞い降りて来た。
「お初にお目にかかるよ、アネット・アルファーノ。アネットくんとお呼びすればいいかな?」
「……なんだてめぇは」
それこそ、なんだとしか問い掛けようがなかった。
空から降りて来たのは黒い服を着た男のような誰かで。
その男には顔がなかった。
若者にも老人にも見えるその男の顔にはモヤのようなものがまとわりつき、容姿を判別不可能にしていた。もしかすると女性だったのかもしれない。
勿論、その男の姿や黒服もアネットの目には鮮明に映し出されていた。
明らかな異常、明らかな異形にアネットは警戒を強めたが。
それとなく周囲を見回してもアネットの愛剣の姿は見当たらなかった。
「そう怖がることはない。我は別にキミに危害を加えるつもりでここに呼んだわけではないのだ」
「そんな言葉、信用できるか!」
「信じる信じないはキミに任せるさ。我はただ、キミに一つの決断をして欲しいだけだよ」
「決断だと?」
アネットが訝しむと、男は間を持たせるように手を後ろに組みながら、スーッとアネットの隣に回り込んだ。
「キミたちは我の生み出した黒竜を倒した。その偉業を称えて、我は一つだけキミの願いを叶えてあげようかと思うんだ」
「……てめぇはいったい何者だ?」
「アウトサイダー。――と我は自称しているのだけれど、これがなかなか浸透してくれなくてね。まあ分かりやすく“神”とでも呼べばいいのではないかな?」
「神だぁ?」
アネットの警戒ランクが一気に三段階ぐらい跳ね上がった。
冒険者という職業柄、そういう手合いにはちょくちょく出会ってきたが。どいつもこいつもロクな人間ではなかったからだ。
自称アウトサイダーはハッハッハッと顔のない顔で笑うと、再び滑るような動きでアネットから距離を離した。
「所詮はただの呼び方だよ。言っただろう、信じる信じないはキミに任せると」
「……その神様が、なんだってオレなんかに?」
「それも言っただろう。キミたちは見事に黒竜を討ち滅ぼした。本来であれば大国の軍勢一個師団を持ってようやく止めることが出来るように設定していた凶悪なレイドボスを、キミたちはたったの六人だけで打破したのだよ。これは由々しき事態だと我は判断した」
アウトサイダーは右手を掲げてパチンと指を鳴らした。
次の瞬間、アウトサイダーの背後にあの漆黒のドラゴンが、まるで剥製のように出現する。
アネットは驚かない。この程度でいちいち驚愕していては冒険者などやっていられない。
ただ状況を正しく認識し、ただあるがままに受け入れる。
誰に向けて牙を向け、そして何を守ればいいのか、ただそれだけを瞬時に判断して的確に行動する。
それだけを愚直に積み重ねて来たからこそ、アネットは“脳筋女”と呼ばれ。
それだけを二十年以上貫いて来たからこそ、アネットは“黄金の猟犬”と呼ばれていた。
「全てはてめぇの差し金だったってことかい?」
「いやいや、我はただのアウトサイダー。確かに黒竜を生み出したのは我だが、彼自身の行動には何も手を加えていない。それに我も決して全能ではないし、不測の事態だって起こりうる。それ故に、今キミはこの場所に立っているわけなのだからね」
アウトサイダーがもう一度指を鳴らすと、ドラゴンが消えて代わりに青く光る球体が出現した。
まるでアネットの知る世界地図を書き写したようなその球体は、雲のような霧をまとってゆっくりと回転する。
「我はね、アネットくん。とても喜んでいるのだよ。キミたちの英雄的行動は完全に我の埒外だった。我に久方ぶりの驚きと興奮を運んで来てくれた。久しく忘れていた感情を思い出させてくれた。……だからそのお礼はしなければならないと思った」
「お礼……」
「何でもかまわないよ。願いを一つ口にしてみるといい。全能ならぬこの身だけれど、キミの願い程度なら余さず叶えてあげられるはずだ」
アウトサイダーは球体を圧し潰すように手を叩いた。
その動作で青い光は消え去り、アネットとアウトサイダーは再び静寂の中で向かい合う。
「……オレに願い事なんて何もないよ。後悔なんてない、やりたいことをやり切った人生だった」
「それは本当かい?」
それは本当だ。
子供の時に親元を飛び出したことも。
冒険者になって世界中を旅したことも。
掛け替えのない仲間たちと出会えたことも。
そしてルカと出会い、短い間ではあったが女としての喜びを知れたことも。
本当に何一つ後悔のない、己の全てを出し切れた人生だったから。
「……」
でも一つだけ、心残りを上げるとするなら。
ルカに甘えるだけ甘えていただけで、彼を満足させることが出来なかったことくらいだろうか。
せめてもう少し若い体であれば。
せめてもうちょっと女らしい肉体であれば。
たとえば実家を飛び出した頃の、蝶よ花よと育てられた無垢な少女の自分であれば。
恋人だと紹介して、恥ずかしい想いをさせてしまうことなどなかったのかもしれない。
彼の恋人だと名乗っても、恥ずかしがることなく自信を持って胸を張れたのかもしれない。
けれど、どうせそれはどうあっても辻褄の合わない夢物語のような仮定の話で。
「なるほどなるほど、それではその願いを叶えてあげることとしようか」
「……はい?」
それまで荘厳なオーラを放っていたはずのアウトサイダーが、急に道化師めかせて肩を竦めた。
アネットが間抜けな顔を上げると、顔のない口元がニヤリと邪悪に釣り上げられる。
「子供の姿に戻って彼とのラブラブ☆恋人生活をやり直す。このアウトサイダー、キミの真摯な願いを確かに聞き届けたぞ」
「ラブラ……? え、あ、ちょっと待って。いきなり何を勝手に……」
「大丈夫大丈夫。アウトサイダーはアフターサービスも万全、出張費だってモチロン無料だ。キミたちの成り行きをきちんと陰から見守って、必要であれば逐次適切なフォローを入れさせていただくよ」
「はあ!? まさかてめぇ、最初から出歯亀が目的で――」
パチンと。
両腕を高々と掲げたアウトサイダーがその両手の指を鳴らした。
同時にアネットの肉体は重力に囚われ、いずこへ続くとも知れない闇の中を落下し始める。
「それではアデュー、アネットくん。どうぞ楽しいセカンドライフを♪」
「っっっ!! 覚えてやがれよ、こんちくしょうがああぁぁぁー!!」
あらん限りのアネットの怒声が、永久の闇の中に延々と響き渡っていた。