早すぎる暴露
「……は?」
一夜が明けて、“深緑なる永遠の地獄亭”で遅めの朝食を取りながら。
一口サイズに千切ったバケットをポタージュスープに浸していたルカは、キョトンとした顔でアネットに目を向けた。
口いっぱいにソーセージを頬張っていたポニーテール姿のアネットは、その皮を噛み砕いてニヤリと頬を吊り上げる。
「だからもう一度ギルドに登録し直すって言ってんだよ。クエストを受けるにしても街の施設を利用するにしても、そっちの方が何かと都合がいいだろ?」
「クエストを受けるって、アネットさんはもうそんなことしなくてもいいんですよ?」
「おまえは強い女が好きなんだろ。どうせいずれは元の姿に戻る予定なら、早い方がいいと思ってさ。それに実戦に勝る経験はないってね。……ぷはぁ! 心配しなくても、最初はゴブリン退治とか難易度低いやつしか選ばないよ」
ホットミルク(ジョッキ)をゴクゴクと飲み干し、口元を手で拭いながらアネットがあっけらかんと答える。
別にアネットに危険な想いをさせたいわけではないルカは、どう説得したもんかと眉をしかめる。
「アネットさんの見た目で冒険者だなんて、ギルドが認めてくれませんよ」
「なんだ知らないのか、冒険者になるだけなら年齢制限はないんだぜ? ってか、そもそもオレが冒険者始めたのだってこの年からなんだからな」
「それは知ってますけど……」
「保証金はオレの貯金があるし、幸い“鋼鉄の六人”はいまだ健在だ。保証人にはギルト盟主のおまえがなってくれれば問題ないだろ」
冒険者になること自体に制限はないが、紹介状や実績のない者がギルドマスターに認められるためにはある程度の条件が存在する。
それが保証金と保証人のシステムだ。
冒険者を希望する者は担保としてギルドに相当額の保証金を預ける必要があり、また身元を保証し暫くの同行者となる人間の同意が求められる。
大抵の見習い冒険者は通常、どこかのパーティに所属して両方の問題を解決してもらうのが普通だ。かく言うルカも、“鋼鉄の六人”の援助を受けて冒険者になった手合いである。
保証金はクエストの報酬に上乗せされる形で少しずつ払い戻され、全ての清算が終わると保証人との契約も解消されてフリーの冒険者となれる。
そこで初めて“見習い”の名が外れ、“駆け出しの”冒険者として周囲に認められるという仕組みである。
まあ、独り立ちしてもいまだに“見習い”と揶揄されてしまっている、ルカのような事例もごく稀にあったりするのだが。
「ボクがギルド盟主って、リーダーはディートハルトさんじゃないですか」
「そのディートハルトが死んじまったんだから、繰り上がりでおまえが盟主になるに決まってんじゃん」
いまさら何を言ってるんだと、アネットはルカのいくじのなさに嘆息した。
そして「でもボクは……」と食い下がろうとするルカに、食べ掛けのソーセージを突き出し威嚇する。
「何度も言うけど、おまえは立派な“鋼鉄の六人”の一員なんだよ。そのウジウジした性格もいい加減になんとかしやがれてんだ。そんなだから他の冒険者にバカにされちまうんだぞ」
「いつも軟弱軟弱言ってバカにしてたのはアネットさんたちのような……」
「そればっかりはしょうがない。おまえが軟弱者なのは事実なんだからな」
アネットはうんうんと一人で納得しながら、ソーセージを引き戻して丸呑みにした。
そりゃまあ、全員が筋肉の化身みたいな“鋼鉄の六人”の面々と比べたら、歴戦の傭兵ですらきっと貧弱な坊や扱いされてしまうのだろうけど。
ルカは苦笑交じりの愛想笑いを浮かべながら新しいパンに手を伸ばし、だけど少し気が晴れたように頷く。
「分かりました。それじゃあ、朝食が終わったらさっそくギルドに足を運んでみましょうか」
「おう!」
……
そんな話があったのが小一時間前の話で。
ギルドにやって来た二人の前では、昨日と同じくメカクレ眼鏡のモナカが書類を睨んでむむむっと唸り声を上げていた。
「この子を冒険者に、ですか?」
「はい。今後について昨夜この子と色々と話し合ったのですが、この街で暮らすなら登録しておいて損はないかなと。あと本人の強い希望もありまして」
「ふ~ん?」
前髪に隠れてどんな目付きなのかはまったく分からなかったが。
モナカは書類から視線を外すと、アネットの姿を上から下までジロジロと舐めるように見回す。
「ソフィ・ラングレーさん、九歳。……貴女はなんでその年で冒険者になりたいと?」
「ドラゴンと戦ってたおにーちゃんたちを見て、とてもカッコイイと思ったからです!」
元気良くハキハキと、でも子供っぽさも忘れずに。
アネットは事前の打ち合わせの通りにモナカの質問に答えた。
モナカはなおも訝しげな雰囲気を放っていたが、ルカがフォローするように口を挟む。
「勿論、実際にこの子をクエストへ参加させたりするつもりはありません。あくまで彼女の身の振りが決まるまでの暫定的な処置ってやつです」
「ご存じだとは思いますが、紹介状がない方の登録には結構な額の保証金が必要となりますよ? そこそこの頻度でクエストを受けたとしても、全額取り戻せるまでどれほど時間が掛かることか」
「最悪、保証金は帰って来なくてもかまわないと考えています」
「……“鋼鉄の六人”は解散する予定だったのでは?」
「それはその、ボクの方もちょっと考えが変わりまして。この子が独り立ちするまではとりあえずパーティを維持しようかなぁと」
ルカが若干動揺しながら答えると、モナカは再び「ふ~ん?」と心の籠ってない相槌を返した。
そうして二人の顔を見比べてから。
モナカは背筋を伸ばしてカウンターの上で書類をトントンと整える。
「私個人としては色々思うところもあるのですが。まあ忠告は出来ても、申請を拒絶する権利は私たち受付係にはありません。この書類は確かにお預かり致しました。ギルドマスターに審査をお願いするので、しばらくの間ホールでお待ちいただいてもよろしいですか?」
「あ、はい。どうかよろしくお願いします」
とりあえず最初にして最大の難関は突破することができたようだ。
ルカとアネットは互いに目を合わせると、ホッと胸を撫で下ろして軽く微笑んだ
と、踵を返そうとしていたモナカが「あれ?」と声を上げて首を傾げる。
「すみません、ちょっと書類に不備がありました。もう一度だけいいですか、ソフィさん」
「……え?」
モナカの言葉を聞いてルカは疑問符を浮かべた。
誤字脱字や矛盾点がないかは、アネットだけでなくルカもしっかり内容を確認しておいたはずなのだが。
モナカはカウンターから身を乗り出すと、低身長なアネットに向かって書類をかざして指で指し示した。
「ここの出身地方のところなのですが。……見えますか、アネットさん?」
「はい、大丈夫です。えっとー、どこが間違えてるんですか?」
「ここですよ、ここのところ。ほらアネットさん、ちゃ~んとよく見て下さいよ」
「んー?」
胸の谷間が覗くほど身を乗り出して念入りに指を指すモナカに、アネットは限界以上に背を伸ばしながら書類を睨み付けた。
しかしいくら読み込んでも、何かミスがあるようには思えないのだが。
もしかして自分だけが勘違いをしているのだろうか。
アネットはそう思いながら、助言を仰ぐべくルカの方へ目を向ける。
「……」
そのルカは、何故か血の気の引いた顔でアネットを見下ろしていた。
なんでそんな顔になっているのか、アネットは訝しげに片眉を吊り上げる。
「アネットさん?」
そう問いかけたのはモナカの方だった。
アネットは「あ、はい」と反射的な返事を返しながらモナカへと顔を戻して――
「……あ」
ルカの表情の意味を理解して、自身もまったく同じように顔を蒼白に染めた。
相変わらず前髪と眼鏡で何の表情も読めないモナカは、ゆっくりと書類を引き戻すと口元をニッコリ笑顔に歪めてアネットの耳元で囁く。
「これはいったいどういうことなのか説明していただけますよね? ――アネット・アルファーノさん?」
そう言いながら楽しそうに笑っているモナカに、アネットはモンスターと対峙した時以上の恐怖を感じていた。




