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最大の誤算





「……」

「……」


 あれからわずか五分後。


 二人は無言で初期位置に戻り、ベッドに正座をしていた。


 ルカは気まずそうに着衣の乱れを直していて。

 もう一方のアネットはドレスを脱ぎ捨て下着姿になっていて、とても不満気な顔でルカをジトーッと睨み付ける。


「……なんでだよ」

「……」


 アネットに牙を剥かれて、ルカはそんな視線から逃げるように大きく顔を背けた。

 アネットは勢いよくベッドに仁王立ちすると、右手を振り上げルカを指差す。――正確には、ルカの股間部分に人差し指を突き立てた。


「なんでピクリとも反応しないんだよ、おまえは!」

「……」


 ルカは冷や汗を垂らして頬を引き攣らせるだけで、何も答えない。

 その応対も気に喰わないアネットは、足を踏み出し見せかけのブラをバンバンと叩く。


「自分で言っちゃなんだが、この頃のオレって結構美少女だと思うぞ! なんたって貴族様からガチ求婚を受けたぐらいだからな! まあ、だから家出して冒険者になんてなったわけだけど……」


 思い出したくもない過去を思い返して、アネットは燻るように舌打ちした。

 ええいしかしと頭を振り、この五分間に実行した己の奉仕内容を振り返りながら再度ルカを睨む。


「触ってもダメ、撫でてもダメ、脱いでも体を押し付けてもダメ、最終手段の頬擦りにも完全に無反応ってなんだよそりゃ?! いつものおまえだったら胸をチラチラ見せるだけでもビンビンになってただろうが!」

「アネットさん、少し声を抑えて……」

「これが落ち着いていられるか! オレがこの一週間、おまえに喜んでもらうためにどんだけ頭の中で予行練習を重ねてきたと思ってるんだっ!!」


 ルカはアネットを落ち着けようと両手を掲げるが、当然その程度で彼女の怒りが収まるはずもなく。

 なんとか穏便に話を誤魔化そうと考えていたルカは、どうしようもなさそうに眉をハの字に歪めた。


「……ボクに妹がいるって話は、確かアネットさんにもしたことがありましたよね?」

「ああ、忙しい両親の代わりにおまえが育ててたんだったか?」

「ええ。今のアネットさんの年頃が、故郷に置いてきたその妹とちょうど重なってしまいまして……」


 その先の言葉は言いにくそうに、ルカは口元に拳を当ててエホンと咳払いした。

 それを聞いたアネットは、ルカの心境を察してうぐっと言葉を詰まらせ、とりあえず一旦矛先を収めてあぐらを掻く。


「でも、男って義母とか義理の妹とかに興奮する生き物なんじゃなかったのか? むしろ血が繋がってた方が逆にモえるっても聞いたぞ」

「だからジーナさんの言うことは真に受けないでくださいってば」


 今は亡き大弓使いのテヘペロ笑顔を思い出し、ルカはやれやれと嘆息する。

 ちらりと目を向ければ、アネットが不承不承というか半信半疑な目でルカを見つめていた。


「……」


 ルカは居心地が悪そうに視線を逸らして。

 そして最愛の恋人に隠し事をするという心の痛みに耐え切れず、覚悟を決めてアネットと向かい合う。


「あの、怒らないで聞いて下さいね?」

「なんだよ」

「ボクはアネットさんのことを本当に愛しているんです」


 唐突な愛の告白に、アネットは再び顔をボッと赤くして狼狽えた。


 いやしかしそんなものでは誤魔化されないぞと口元を尖らせ……

 そうではないのだと、ルカは力なく首を振る。


「アネットさん、全然信じてくれませんでしたが。ボクは本当に、アネットさんのことが心から大好きで。アネットさんのことが好きだから、告白してくれたあのときに喜んで返事を返したんです」

「お、おう、ありがと。でもそれとこれと何の関係が……」

「ボクは本当に。アネットさんの性格も振る舞いも、声も匂いも顔も体も。アネットさんを構成している貴女の全てが愛おしく感じているんです」

「えっと、あー。……つまり?」


 “黄金の猟犬”の直感力は何一つ役に立たなかった。

 真顔でポリポリと頬を掻いているアネットに、ルカは本日一番に赤面しながらギュッと目を瞑る。


「だから嘘でもお世辞でもなくて、ボクは貴女のことが本当に魅力的な女性(ひと)だと思ってるんです!!」

「いや、そんなにホントホント繰り返さなくても――」


 パチンと音を立てて。


 アネットの脳内で何かの回線が繋がった。

 一度繋がったその細い糸はあっという間に他の思考を巻き込み、アネットにこの世の真理のような悟りをもたらす。


「――おまえ、筋肉フェチだったのかあ!!?」


「フェチ言わないでください! いや、まあ、それに近いのかもしれませんが……」


 ルカはバツが悪そうに体を小さくして呟いた。

 アネットはわなわなと全身を痙攣させながら、信じられないものを見るような目で自分を指差す。


「この厳つい顔が可愛らしくて好きだって言ってくれたのは……」

「本心です。厳ついなんてとんでもない、アネットさんはどんな女性よりもカワイイと今でも思ってます」


「この獣臭い体臭が好きだって言ってくれたのは……」

「水浴びもしないのは衛生的にどうかと思いますが。それでもアネットさんが獣臭いだなんてこれまで考えたこともありません」


「胸より腹筋とか二の腕を揉んでることの方が多かったのって……」

「アネットさんの胸もとても魅力的でしたが。そっちで興奮してたのは否定しないです」


「オレにムダ毛処理なんて必要ないとか言ってたのも……?!」

「ごめんなさい、完全にボクの趣味でした!」


 ドゲザァ!と効果音を発しながら、ルカは恐れおののくようにアネットへ頭を下げた。


 だが、当のアネットは怒るも悲しむもなく。

 まばたきしながら震える手で己のプニプニの頬を撫でた。


「も、もしかしてさ」

「……」

「ルカの性癖とはまるで真逆な今のオレには、女としての魅力をこれっぽっちも感じていないってことなのか? というか、女云々以前にもう妹分としてしか接することができないと?」

「……」


 コクンと。

 まるで死の宣告をするように重苦しい表情で、ルカは大きな頷きを返した。


「――アァウトサイダアアァァァーッ!!!」


 アネットはベッドから飛び降り窓を蹴り開けると、夕日が立ち去り星の見え始めた空を睨んで大声を張り上げた。

 帰路を急ぐ通行人らが足を止めて顔を上げるが、そんなことは気にせず可愛らしい子供声で咆哮する。


「てめぇ、絶対知ってた上でやりやがっただろぉー! 女の純情弄びやがって、ふざけんじゃねぇぞゴラァーッ!!」

「落ち着いてください、アネットさん!」


 下着姿で人目憚らずに騒ぐアネットを、ルカは後ろから羽交い絞めにして部屋の中へと引っ張り戻す。


 ベッドに座らされたアネットはまだフーフーと荒い吐息を吐いていたが。

 やがて口惜しそうに舌打ちすると、拳を握りながら眉をしかめてルカに頭を下げた。


「わりぃルカ。オレとしたことが、あんな不審者の甘言にまんまと騙されちまって」

「アネットさんの責任じゃありませんよ。それに理由はどうあれ生き返らせてくれただけでも儲けものじゃないですか」

「でも、せっかく生き返ったところでおまえを満足させられないんじゃ――」


 呟いて、アネットはハッと顔を上げる。


「もしかしてオレ、このままだとおまえに捨てられちまうのか!?」

「そんなことしませんよ!!」


 いきなり何を言い出すのだこの人はと、ルカは大慌てでアネットの閃きを否定した。

 咳払いして暗い雰囲気を断ち切ってから、姿勢を正して真摯な眼差しでアネットと向き合う。


「酒場でも話したとおり、捨てないでとお願いするのはボクの方です。それにボクはアネットさんの見た目だけに惚れたわけではありません。貴女の考え方も、その生き様も、全てに共感できたから好きになったんですから」

「ルーカスゥ……」


 アネットは感動で瞳をうるうるさせながらルカの本名を口にした。


 そうだ、自分は少しどうかしていた。

 ルカがそんな薄情な人間でないことは、誰よりも自分が良く知っているではないか。

 女将のティーナが言っていたように。ナヨナヨした見た目や優柔不断な受け答えからは想像しにくいが、ルカは心に太い芯の通った自慢の彼氏なのだから。


 でも、それはそれとして。


「このままじゃあおまえが欲求不満になっちまうよな……」

「ブフゥ?! ケホ、ケホ! な、なにを言い出すんですか、突然!」

「いやだって、おまえの女の趣味がそんなんだとするとオレじゃあもうどうしようもないし。女を買うにしても筋骨隆々の娼婦なんてそうはいないだろうし」


 彼氏が女を買うことには抵抗がないのか。


 ルカはその割り切り具合がちょっと切なかったが、アネットは大真面目に考え込んでいた。

 そしてしばらく思考を巡らせてから、「よし!」と頷きながら声を上げる。


「オレに五年――いや三年だけ時間をくれ! その間に、おまえ好みの見た目にもう一回この身体を鍛え直してやる!!」

「えええぇぇ?! 待ってください、ボクなんかのためにそんなことしてくれなくても……」

「心配しなくても一度は通った道だ。やることは一緒だし、タッパだってこれからぐんぐんデカくなる予定だからな。むしろ前よりもムッキムキに鍛えまくって、おまえのことを身も心も満足させてやるさ!」


 アネットは気合いを込めて立ち上がると、ルカに向かってガッツポーズを見せつけた。

 そのまま唖然としているルカを放置して、部屋の中央へ移動して元気良くスクワットを開始する。


 止めるべきか、見守るべきか。

 判断に悩んでいたルカはアネットを見守る方を選択する。


 カタッ苦しく女っぽさを目指そうとしていた彼女よりも、今のアネットの方がよほど生き生きした姿のように思えたから。


 荷物にしまっていたプロテイン入りの水筒を探しながら、ルカはアネットの背中に嬉しそうな苦笑を浮かべていた。





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