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命の洗濯を





 酒場“深緑なる永遠の地獄亭”で店主特製の自家製ソーセージを店のウリにしているように。

 宿屋“深緑なる永遠の天国亭”にも、他ではなかなか真似できない宿泊サービスが存在していた。


 それはズバリ“お風呂”だ。


 元冒険者である女将のティーナ・マクガーレンが、魔導師としての技術と経験全てを費やして編み出した、人呼んで“給湯魔法(バス・マジック)”によって時間帯や人手を問わず入浴を可能にすると言う――まあ確かに他の宿屋ではなかなか真似の出来ないサービスではあった。


 当然、事前の予約や宿泊費の上乗せは必要ではあるのだが。

 それでもチェックインの時間がバラバラで、かつ血だらけ泥だらけで宿屋に辿り着くことの多い冒険者にとって、このサービスは想像以上の高評価を得ていた。


「――かぁーっ、生き返るぜぇー!」


 樽一杯に並々と満たされた適温のお湯の中にドボンと飛び込んだ全裸のアネットは、ダラしなく全身を伸ばしながら女らしさの欠片もない親父のような歓声を伸ばした。


 宿内に三ヵ所設けられている個浴の内の一部屋。

 5メートル四方ほどの個室は床が石敷きで、中央にはアネットが大の字になってもまだ余裕がある楕円形の樽が浴槽として設置されていた。部屋の隅には脱いだ服を置く棚と小型の薪ストーブがあり、上に載せられたヤカンからは差し湯用の水がコトコトと静かに湯気を挙げる。

 若い女将の心配りだろうか。浴槽にはレモンが何個も浮かべられ、柑橘系の香りを個室に漂わせていた。


 入浴には別にこだわりのないアネットであったが、だからと言って特別風呂が嫌いなわけでもない。

 両手でお湯を掬ってバチャバチャと乱暴に顔を洗い、そしてポニーテールごと全身を湯船に沈めて長い溜息を漏らす。


「どうせならあいつも一緒に入ればよかったのに」


 ようやく人心地が付いてから。

 アネットは風呂場の天井を見上げながらぼんやりと呟いた。


 二人が食事を終えて宿屋に戻った時には、空が赤らみ始めていた。

 あらためて女将に挨拶して当分の宿を確保し、それから荷物を部屋に運ぼうとしたところでルカが提案したのだ。


 『この子をお風呂に入れてあげて下さい』と。


 最初は金がもったいないと拒否していたアネットだったが、ルカと――そして何より女将の勢いに押し切られる形で浴室を借りることになったというわけである。

 ならばと今度はルカを入浴に誘ったのだが、そちらはやんわりと断られた。


 きっと今頃、ルカは部屋で荷物の整理をしているのだろう。


「どうせ風呂代は変わんないのになぁ……」


 一人でボヤいてみたところで仕方がない。

 そんな律儀な性格の男に惚れたのは自分だし、ルカもルカで一人になって考えたいことがあったのだろう。


 ちなみに二人の部屋は相部屋にしてもらった。

 まあ冒険者が男女で雑魚寝なんてよくあることだし、こんな(見た目)幼女を一人部屋に置いておくことの方がよっぽど危険なのには違いなかった。


(見た目幼女、か……)


 右腕を伸ばしてその肌を撫でながら、アネットは自分の身体の弱々しさに目を細める。


 ツルツルでスベスベでモチモチで。

 自分にもこんな玉のような肌をしていた時期が本当にあったのだと、今更のことながら己の半生が感慨深く思えた。


 そして長い冒険者生活の中で、この身体と一緒に女としての心もほとんど捨て去っていたのだと。


「……んっ」


 アネットは手首を押さえて胸元に引き寄せると、気合いを込めるように右手を握り締めた。


 この恵まれた体と容姿を最大限生かせるよう、明日から頑張ろう。

 ルカに相応しい女として、何処に出ても恥ずかしくないような心技体を身に着けよう。


 よくよく考えれば、ローブを上着代わりにしたりガンベルトに喰って掛かるだなんて少女力が足りなかった。

 今後は身形を整え、女の子らしい服に袖を通し、化粧のやり方も覚えて、喋り方も丁寧にお淑やかにするのだ。


 頭の中に淑女として成長した未来の理想の自分像を思い描き、アネットはよし!と全身で大きく頷く。

 言うまでもないことだが。そんな漢らしい仕草がすでに女の子らしさから乖離しているという事実を、アネットはまったく自覚していなかった。


 ――コンコンと。


 アネットが決意を新たにしていたところで、個室の扉が優しくノックされた。

 なんだろうかと目を向けると、ガチャリと扉が開いて入って来たのは恰幅の良いふくよかな女性。この宿屋の女将でありリカルドの妻である、ティーナ・マクガーレンだった(なお扉の鍵はすっかり掛け忘れていた)。


 割烹着のような袖のあるエプロンを身に着けたティーナは、温かみのある笑顔でアネットに笑い掛ける。


「どうだいお嬢ちゃん、うちのお風呂は。いい湯加減だろう?」

「おかっさ――女将のおばちゃん、どうしたの?」


 ついついティーナの愛称である“おかっさん”呼びをしてしまいそうになり、アネットは慌てて猫を被り直した。

 ティーナはエプロンごと袖を捲ると、棚から洗体用具を取り出してアネットの背中に回り込む。


「こんだけ髪が長いと洗うのも大変だろうと思ってね。あたしが手伝ってあげるよ」

「ええ、そんなの大丈夫だよ。髪の毛くらい自分で洗えるから」

「いいからいいから。これもうちに泊ってくれたサービスってやつさ」


 ティーナはガッハッハと夫そっくりな笑い声を上げると、勝手にポニーテールを解いてブラシで髪を梳き始めた。

 そのまま石鹸代わりの果汁を垂らしてわしゃわしゃと泡立てていく。


「それにしてもキレイな金髪だねぇ。あたしも娘たちも地味な黒髪だから羨ましい限りだよ」

「……どうもありがとう」


 アネットにしてみれば、ティーナたちのような黒髪の方が艶々していてキレイでカッコ良く見えるのだが。

 まあ、これもきっと他人の芝は何とやらというやつなのだろう。


 髪を洗ったティーナはそのまま頭皮もマッサージし、結局ついでに背中までブラシでゴシゴシ擦ってくれた。


(あ、でもこれホントに気持ちいいかも……)


 これまで誰かに体を洗ってもらうなんて経験のなかったアネットは、いつの間にかすっかり気を緩めて脱力していた。

 ティーナはそんなアネットの背中を満足気に見下ろし、優しく目を細める。


「ご両親の事は残念だったけど。でも、お嬢ちゃんは本当に運が良かったんだよ」

「え?」

「ルカ坊はね。少し頼りないように見えて、心に芯の通ったしっかり者なんだ。あの子に任せておけば絶対に大丈夫、きっとあんたを悪いようにはしないからね」

「……はい!」


 自分がドラゴンに親を殺された子供であるという設定を思い出して。そして何より、ティーナがルカのことを正しく評価してくれている事実が嬉しくて。

 アネットはティーナに振り返ると、満面の笑みで頷いてみせた。


 その笑顔をどのように解釈したのか、ティーナも満面の笑みで微笑みを返す。


「よし、これでおしまい! お嬢ちゃんものぼせないうちに上がるんだよ」

「はい、ありがとうございました」

「おっとそうだった。お嬢ちゃんって、服はあのボロッ切れしかなかったのかい?」


 後片付けを始めようとしていたティーナが、ふと思い出したようにアネットへ振り向いた。

 お風呂のお湯で泡を流していたアネットは、キョトンとした顔で思わず頷き返す。


「それじゃあお風呂から上がったらあたしのところに来な。お嬢ちゃんへの餞別に、色々と良い物をくれてやるよ」





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