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“黄金の猟犬”の最後





「があああぁぁぁぁぁーっ!!」


 全長20メートルを超えようかという巨大な漆黒のドラゴン。

 そのドラゴンが放った雷の魔法を回避することは、重装甲の金属鎧を身にまとった重装歩兵(ヘヴィウォーリア)には不可能だった。


 右手に構えた大盾も自慢の装甲も何も意味をなさず、鎧の中で皮膚が炭化し体液が沸騰する。


「ボルガン!!」

「ボルガンさん!?」


 その断末魔を耳にした金髪の女戦士と茶色いローブの青年は、愕然とした表情で仲間の命が消えていく光景に目を向けた。


 暗雲が立ち込め鬱蒼と生い茂る森の中に、ぽっかりと開いた荒れ果てた空間。


 漆黒の竜を中心に、そのドラゴンの正面に立ちロングソードを構えていた女戦士と、彼女に守られるように後ろに控える青年。そして、周囲に転がっているのはすでに事切れた三つの死体。

 その中に背後から飛び掛かろうとしていた重装歩兵の男が加わり、人間の遺体は合計で四人となった。


「そんな……ボルガンさん……」


 青年は青ざめた表情で装飾されたメイジスタッフを下ろすと、遠く離れた男の亡骸へ思わず左手を伸ばす。


 一方で、女戦士の気迫は微塵も揺るがなかった。

 むしろより一層の気概を込めて、ロングソードを構え直しながら背後の青年を叱咤する。


「ボーッとしてる場合か! 気をしっかり持て、ルカ! 次が来るぞ!!」

「――っ!!」


 女戦士の呼び掛けで我に返った青年は、慌ててドラゴンへと視線を戻す。


 ドラゴンはのんびりと頭を掲げて天を仰いでいた。

 その喉が膨らみ口の中に赤い炎が瞬いたのを目にして、青年は左手を突き出して声を張り上げる。


高速詠唱(スペルキャンセル)、セイクリッド・カーテン!」


 青年の呪文に応じて右手の杖が光を放ち、同時に二人の周囲を半透明な光の膜が包み込んだ。

 直後にドラゴンの顎から濁流のような獄炎が噴き出し、二人を飲み込むだけでは足りずに後方の森林まで焼き尽くしていく。


 着弾の瞬間に目を閉じていた青年は、恐る恐るまぶたを開く。

 魔法の障壁が溶けてしまうことはなく、いまだ続く獄炎の中でもその淡い輝きを保ち続けていた。

 視線を上げれば、女戦士もようやく人心地付けたと言った表情で剣を下ろしていて。


 パキッと儚い音を立てて。


 青年の手の中でメイジスタッフが砕け散った。

 今の高速詠唱で力を絞り尽くした杖が、その役割を終えて消滅したのだ。


「これで、オレたちもいよいよ後が無くなったな」

「……アネットさん」


 “オレ”と口にしたのは青年ではなく女戦士の方だった。

 その女戦士アネット・アルファーノは、剣を肩に担ぐとニシシと場にそぐわない悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


 女戦士とは言っても、アネットの風体は先ほど倒れた重装歩兵に勝るとも劣らないものだった。

 女性とは思えない長身と三十路を過ぎても張り詰めている鍛え抜かれた筋肉。ボサボサで伸ばしっぱなしの長い金髪にあまり手入れされていない煤けた素顔。やや吊り目がちな碧眼に下手な男よりも男らしい微笑み。


 そんな彼女が来ている傷だらけの鎧も、レザーとプレートを複合させたハイブリッドアーマーで、彼女自身の勇猛さとしなやかさを見事に象徴していた。

 背が低く中性的な容姿の青年が並ぶと、その体格差は一目瞭然。むしろ気弱な表情の青年の方が少女に見えてしまうほどだった。


 青年、ルカことルーカス・グレイプニルは、枯れるように消えていく杖から目を離してアネットに顔を戻す。


「あいつのターゲットはボクが引き受けます。アネットさんは、このブレスが途切れたらそのまま逃げて下さい」

「……」


 ルカの表情は変わらず弱々しかったが、その瞳にはアネットに負けない闘志が宿っていた。

 しばしその瞳と見つめ合ったアネットは、しかしそんな青年の決意を鼻で笑いながら、年上の威厳を示すようにその栗色の髪をグリグリと撫でまわす。


「おうおう、あの貧弱な坊やがよくもそんなデカイ口叩けるようになったじゃねぇか」

「うわ、ちょ、やめて下さいよ! ボクはこれでも真剣に言ってるんです!」

「だからさ。そんなイイ男を――てめぇが惚れ込んだ恋人をこんなところで死なせるだなんて、“黄金の猟犬”の名折れってもんさ」


 アネットそう言って優しく微笑むと、惚けたルカの背中をバチンと乱暴に叩いた。

 それでルカがバランスを崩しているうちに、踵を返して炎の向こう側に映るドラゴンへ不敵な笑みを浮かべる。


「それに、逃げる必要なんざ何もねぇ。あいつだってだいぶ疲弊している、爪も牙も折ったし鱗も剥いだ、魔法もブレスもいいかげん打ち止めだろう。オレたち“鋼鉄の六人”がやることはいつもと何も変わらない。オレたち前衛が全員で殴って隙を作り――ダメージディーラーのお前さんが魔法でトドメを刺すんだ」

「アネット、さん」

「おっと、そろそろブレスも終わりそうだな。……それじゃあ行こうぜ、相棒!!」


 炎が掠れ始めたの気づいて、アネットは剣を顔の横にかざして刃を左の手甲に乗せるという独特の構えを取った。

 その背中を眺めたルカは、覚悟を決めて大魔法の詠唱準備を始める。


「三十秒です。三十秒だけ時間を稼いでください。その間に何としても詠唱を終わらせます!」

「オーケー、三十秒だな! 大船に乗ったつもりでオレに任せなぁ!!」


 アネットが呼応すると、ルカは障壁を解除した。

 まだブレスの名残が多少残っていたが、それらの防御は事前に浴びていた耐性ポーションに任せて、アネットはドラゴンへ向けて勢いよく駆け出す。


 ドラゴンも二人が勝負を決めに来たことを察したのだろう。

 ブレスを終えた口を大きく開いて全力で息を吸い込むと、空間が振動するほどの雄叫び声を上げた。


 勿論、そんなものでアネットは怯まない。

 意志の弱い生き物ならそれだけで萎縮しスタンしてしまう絶叫の中を、微風を浴びるように気にせず肉薄した。


 ドラゴンが放つ左手の爪をパリーで受け流し、続けて放たれた爪の無い右手のパンチをしゃがんで避け。そして、最後に叩き付けられた大木のような尻尾の振り下ろしを横にドッジして回避する。

 怒涛の連続攻撃を防御し切って、顔を上げれば自分の身体と同サイズのドラゴンの頭がこちらを睨み付けていた。


 さて、死んだ仲間が剥いだ頭部の鱗を狙うべきか、それともギョロギョロと蠢いている目玉を狙うべきか。


 アネットがそう考えながら剣を構え直そうとすると、不意にドラゴンの動きが止まった。

 この局面で竜が突然見せた謎の硬直に、アネットも思わず思考を止めて成り行きを見守ってしまう。


 ドラゴンと視線が合った刹那。

 その瞳が笑ったように感じて、アネットの動物的本能が全力で警報を発する。


「しまっ――」


 急いで攻撃を再開しようとした時には手遅れだった。

 ドラゴンの口が火花を発したかと思った直後、濁流のような獄炎が再び噴き出してアネットの体を飲み込む。


 チャージレス・ブレス。


 己の喉が焼け尽きてしまうため通常はまず行われない、ドラゴンブレスの連続照射。

 ドラゴンもここで勝負を決めるために、自傷もいとわぬ“とっておきの奥の手”を切ったのだ。


 ドラゴンはブレスの照射を続けながら、向こうで呪文の詠唱を続けているもう一人の人間へ目を向けた。

 このまま炎を横薙ぎにすれば、あの隙だらけの魔法使いも一緒に片づけられると、心の中でほくそ笑む。


 それがドラゴンにとっての致命的な隙だった。


 強者に勝利したという高揚感と、人間如きが自分に勝てるはずがないという慢心。

 その人間のような感情が、本来ドラゴンが晒さぬはずの圧倒的死角を生み出した。


「――おんだらあああぁぁぁぁぁーっ!!!」


 それは断末魔ではなく、猟犬の咆哮だった。


 アネットは“黄金の猟犬”の名に恥じない獣のような声を上げながら、劫火の中を逆流して開きっぱなし竜の口の中へと飛び込んだ。


 鎧が吹き飛び、髪が焦げ肌は溶け、火傷の下から肉と脂肪を晒していたが。それでもアネットの叫びは止まることを知らず、突撃の勢いのまま灼け付いた上顎に深々と剣を抉り込む。


 そこまでされてようやく自分の身に起こっている事態を把握した竜は、声にならない悲鳴を上げながら巨体をうねらせた。

 一度吐き出し始めたブレスは己でも止めることが出来ずに。ドラゴンが首を振る度に遠くの森が燃え、空を覆う暗雲が斬り裂かれる。


 まさに驚天動地の地獄絵図の中で。

 淡々と呪文を詠唱し続けていたルカは、カッと目を見開くと天を仰ぎ叫ぶ黒竜を見据えた。


「アネットさん!!」

「……オレにかまうな、ルカ。……やっちまええぇぇぇー!!!」


 決して届くはずのない互いの呼び声が、奇跡のように二人を結び付けた。

 ドラゴンの炎に燃やされ続けながら、アネットは地上に恋人の姿を見つけてニヤリと優しい微笑みを向ける。


「今まで本当にありがとな。……あばよ」

「パニッシュメント・レイ!!!」


 ルカの呪文と共に。


 暗雲をつんざき生まれた極太の白光は、ドラゴンブレスを掻き消しながら口の中へと侵入し。

 そして黒竜の肉体の隅々を、アネットごと内側から消し炭に変えた。





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