廃病院の怪
夏のホラー2019用に執筆した作品です。
少しでも皆様に面白いと感じて頂ければ幸いです。
肝試しをしていたら出られなくなった。
皆とも逸れて、連絡がつかない。
助けてほしい。
私――水野春――の某連絡用アプリに、弟の夏からそんな連絡が入ったのは、出張帰りにK県のSAで、会社の先輩と遅めの夕飯を食べている時だった。
「どうした水野? すごい顔しているぞ」
「いえ、なんか……弟が肝試しをしていたら出られなくなったみたいで……」
「なんだ、そりゃ?」
K県の廃病院と言えば、地元民なら誰でも知る心霊スポット。私がまだ高校生だった頃から、夏にはその手の雑誌で特集が組まれるほどだった。
曰く、経営難で自殺した院長が徘徊しているとか。
曰く、手術ミスで死んだ患者が亡霊となって出るとか。
曰く、ヤクザが破棄した死体の怨念が憑いているとか。
ほぼほぼそんなのは噂話だろうけど、わざわざ行く弟も弟である。姉ながら愚弟の行いには頭が痛くて仕方が無い。
ラーメンを啜りつつ、弟の馬鹿さ加減に呆れながら状況の説明をすると、先輩は少し考えた後、とんでもない事を口にした。
「行ってみるか」
トンデモな発言に、私は思わずラーメンを吐き出した。変なところに入ってしまったのか、咽て苦しい。
件の廃病院は此処から大体30分ほど車で走れば到着するような距離にある。
行こうと思えば行けなくは無い距離だ。
「問題は無いさ。事故さえ起こさなければ平気平気」
折しも、今はお盆休みの帰省ラッシュで、何十kmという大渋滞に私たちは捕まっていた。
会社には帰社が予定より大幅に遅れる事は連絡済み。
明日からは休みになるし、誰も使う人はいないから、社有車の返却が遅れることに大きな問題は無い。
寄り道する条件は怖いぐらいに揃っていた。
「弟の安否が気になるんだろ。行こうぜ」
結局。申し訳ない事に、私は先輩の好意に甘える事にした。
幸いなことに、寄ったSAは出口がついているので、下道に出る事は問題ない。
弟を拾って、説教をしたら、先輩には何かお礼をしないと。
この時の私は、呑気にもそんな事を考えていた。
それは今から3日前の話。
結論から言ってしまえば。
私は、私たちは。
あの病院に行くべきでは無かったのだ。
■ 廃病院の怪 ■
「……ここ、だな」
車できっかり30分。
住宅街を抜け、人気のない田舎道を抜け、山道に入って。
そうして、私たちは件の廃病院に到着した。
「こわっ……」
年齢2×になり、一般的な部類で言えば大人になった私でも、目の前の廃病院には恐怖を感じる。光源の薄い暗闇と、人の気配が無いという事もあって、思わず足が竦んでしまうほどだった。
響くは虫の鳴き声。風で擦れる木々。そして私の心音。
まるでホラー映画の冒頭のワンシーンのようだ。
「自転車があるな。弟さんたちのかな?」
先輩の言葉で気がついたが、確かに門の前には自転車が3台置いてあった。内1台は、白色のマウンテンバイク。見覚えのあるやつだ。……弟が此処にいるのは間違いない。
「じゃあ、中入るか」
途中のコンビニで購入した懐中電灯を手に、敷地内に入る。有名な心霊スポットと言うだけあって、人の出入りが多いのか、廃病院にも関わらず正面までの道には草が生えていない。すらっと通った一本道。そこを先輩は進む。恐怖心が無いのか、一切の躊躇いが無い足取りだった。
……先輩には感謝しかない。私一人だったら、絶対中には入れない。
「あれ、ドア鍵かかってるな」
がちゃがちゃがちゃ。鎖付きの南京錠で、正面玄関は閉ざされている。扉はガラス張りだが、割れている訳では無い。これでは正面玄関を通っての侵入は不可能だ。
「裏口とか見てみましょうか?」
「そうだな。水野、弟さんから連絡は?」
「無いです。既読すら付きません……」
あれから小まめに愚弟には連絡をしているが、一切の反応が無い。電話に出ないし、既読すら付いていなかった。
スマホを失くしたのだろうか?
呼び出し音は鳴るので、電池が切れているわけではないみたいだけど……
「お。ここから入れそうだな」
「本当ですか……って、うわぁ」
「うわぁ、って何だよ。うわぁって」
先輩の声で目にしたのは、大きく割れた穴の開いたガラス張りの部屋だった。
病院として機能しているころは、此処は待合室だったのだろうか。ゴミやら何やらが散乱しているが、備え付けられた椅子やカウンターが、僅かながらに面影を残している。
「雰囲気、ありますね……」
「まぁ、此処は肝試しの定番だからな。見ろよ、蜘蛛の巣すら張ってねぇ。相当な人が出入りしているぞ」
ひょい。先輩は大柄なので、頭を屈めて中に入った。私も続いて――まぁ、屈みはしなかったけど――中に入る。途端に篭った何とも言えない臭いが鼻を突き、思わず後ずさりしてしまった。
ガラス一枚を隔てた異世界。
まるで、そんな感じだ。
ピロン♪
「うひゃい!?」
懐で鳴ったスマホの音に、変な声が出た。慌てて取り出すと……画面には居酒屋の通知。
『明日は緊急特別感謝祭! 赤字覚悟の大サービス! 生ビール何杯でも10円!』
「知るか!」
「え、何、弟さん?」
「違います! 居酒屋!」
空気の読めない通知である。いや、居酒屋には罪は無いけど。
「居酒屋の通知はoffにしとけばいいのに」
「しました! 今しました!」
まぁ、おかげで恐怖心が薄れたことは感謝するところだろう。
せっかくだから明日はお礼代わりに先輩を飲みに誘おうか。このお店に。
いや、それだと、何か感謝の気持ちが薄い様な……
「ははっ、じゃあ行こうか」
そんな私の気など知ったこっちゃなく、ずかずかと先輩は先へと進む。恐怖心は兎も角、幾ら廃墟とは言え、遠慮みたいなのは無いのだろうか。いや、すごい頼りにはなるけど。
置いてかれたら困るので、慌てて追いかける。
あれだけ騒がしいと感じた虫の声は、屋内に入ったからか、全く聞こえなくなっていた。
■
「……ここも、いないなぁ」
「1階は全部見回りましたね。上、なのかなぁ」
「弟さんから連絡は?」
「ごめんなさい、無いです」
入って大体20分。
1階の部屋は全部見回った。
バックヤードも、診察室も、手術室も、何ならトイレも。
全部見回ったけど、弟は勿論、その友達たちも見つかっていない。
連絡用アプリの電話はつながらないし、あいかわらず未読のままだ。
「……2階に上がるか」
「そう、ですね」
この病院が3階建てなのは、玄関の見取り図で確認している。2階と3階は入院患者用の病室が殆どだった。
「あ、ちょっと待って。電話」
先輩はそう言うと、一歩下がって電話に出た。プライベートの電話らしく、楽しそうに会話している。
……そりゃそうだろう。今日はお盆休み前の金曜日。殆どの会社は定時で終業しているだろうし、午後9時という時間帯を考えれば、人によっては飲み会の最中だ。
申し訳ないなぁ、って。先輩の好意に甘えてしまった自分に嫌気が差す。そして愚弟には怒りを。人に心配をかけておいて、全く連絡を寄越さないし反応しないとは何事か。
だけどその怒りは、すぐに萎んだ。
「……無事でいなさいよ」
相変わらず既読の付かないアプリ。折り返しの連絡への反応は無い。ここまで来れば、幾ら鈍かろうとも、弟の身に何かが起きたであろうことは察せざるを得ない。
無事ならどれだけ良い事か。後で笑えるなら、それに越したことは無い。
今からでも遅くは無い。警察を呼んだ方が良いのではないか。悪戯なら、後で方々に謝ればそれで済む話だ。或いは警察でなくても、両親や、友人とか……
タカタカタンタン、タカタカタンタン♪
「わひゃ!?」
操作をしようとしたその瞬間。まるで見計らったようなタイミングで電話がかかってきた。
画面に表示されているのは、『夏』の一文字。
弟だ。
「っ! もしもし!?」
『姉、ちゃん……?』
ああ、間違いない。弟だ。馬鹿で阿呆で大間抜けの愚弟だ。
「アン、タ……っ! 今、どこ!?」
『姉ちゃん、ごめん。来なけりゃよかった……』
「阿呆な事言っていないで、早く場所を――――」
『探しているんだ。さっきから。俺を、探している』
「夏……?」
『ダメだ、逃げられない。みんないなくなった。次は俺なんだ』
「今、どこに――――」
『ごめん、姉ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい』
「だからっ、どこにいるのっ!」
『ごめんなさい』
ブチッ。電話が切れる。弟の声は聞こえない。私の声も届かない。心臓の音だけが聞こえる。ドクン、ドクン、って跳ねている。
折り返しの電話は繋がらない。呼び出し音もならない。ププー、ププー、と繋がらない事を示す機械音だけが響いている。
何が弟の身に起きている?
何が弟の身に起ころうとしている?
探している? 皆いなくなった? 次は弟?
瞬く間に溢れかえる疑問に出口は無く、膨れ上がったままどうする事も出来ない。
そして、音。
ギィィ……
上階から響く、何か錆びた金属っぽい音。
「っ! 水野!?」
先輩の声が聞こえる。慌てたような声。でも、伝える余裕は無い。振り返る余裕も無い。
私は弾かれるようにして走り出した。階段を一段飛ばしで駆け上がり、2階へ。
「夏っ!」
声を張り上げる。弟の名を、叫ぶ。
「夏っ! どこにいるの! 私はここよ! アンタの姉は、2階にいる!」
傍に落っこちていた鉄パイプを拾い上げると、傍の机に思いっきり叩きつけた。音が屋内に反響して、やまびこの様に響き渡った。
「声を出して! すぐに行くからっ!」
音は……確か、上の方だ。叫びながら冷静に思い返す。右でも左でも無く、上の方。2階がダメなら、次は3階だ。
私はすぐに3階へと足を走らせた。ヒールでは走りにくいので、脱いで裸足になる。厳密に言えばストッキングは履いているけど、裸足みたいなものだ。
3階でも同じように声を張り上げる。だけど、反応は無い。
なら、後は……
「一部屋一部屋見るしか……」
それしか、無い。けど、それだと時間が掛かる。
他に何かないか。思い出せることは無いか。こうしている間にも弟の身には危険が迫っているかもしれない。
脳を回せ。血を回せ。思考を巡らし記憶を掘り起こせ。他に何かあるはずだ、見落としている何かがあるはずだ。
……ギィ
また、金属音。
また、上から。
だけどこの病院は3階建て。上には何も無い。あっても屋上だけ――――
「おく、じょう?」
出られない。そう、夏はアプリを通して言っていた。そしてさっきの電話では逃げられない、とも。
出られないから屋上へ行き、脱出方法を探そうとしたら、誰かに追われて……とりあえず屋上の物陰に隠れている。
……その可能性はある。私は鉄パイプを握り締め直すと、屋上へと足を向けた。
何のことは無い。此処まで駆け上がった時と同じように、上へ向かえば着く。難しい話じゃ無い。
そう、その筈、なのだ。
ガラッ
「いっ?」
足場が崩れる。
何が起きたのかは分からない。
ただ、いきなり視界がブレて、あの独特な浮遊感。
そして、
グシャ
嫌な音だ。
自分の身体から聞こえたその音に、他人事のような感想を抱いた。
そして、暗転。
痛みが脳に到達するよりも、痛みが伴う事を認識するよりも。
それよりも早く、私は何かに頭をぶつけ。
呆気なく、意識を手放した。
■
ああ、眩しい。
視界を覆う白色の光源。
ぼんやりとした頭で、ただそれだけを思う。
「――――」
何かが聞こえる。音はするが、それの意味を理解出来ない。雑音として脳に入る。どんな音かも、何なのかも、何も分からない。
「――――」
ああ、まただ。
ぐらぐらとした世界で――何も見えていないのにぐらぐらって言うのも可笑しいけど――音だけを認識する。
何だろうか。何の音だろうか。
薄眼を開けるが、ロクに見えやしない。
「――――」
何かが自分の指先に触れた。反応で、ぴくっ、と動く。
途端に周囲が騒がしくなる。
動いたことに驚いたのだろうか。何か喜ばしい事なのだろうか。
よくは分からないけど、私が動いた事が、周囲としては良い事なのかもしれない。
「ぁ、ぁぁ……」
じゃあ、声を、と。そう思って口を開くけど、ちゃんとした言葉は出なかった。
空気が漏れ出るような、そんなか細い音。
言葉として口から出せたものでは無い。
でもそれは、指先を動かすよりも効果覿面だったみたいで、さっきまでとは比にならないくらいに騒がしくなった。
「――――」
「――――」
「――――」
「――――」
人の声だ。ぼんやりと、そう、私は理解した。
誰だろうか。次に、そう思った。
何故私はこんなにも意識が不明瞭なのだろうか。周囲の人はその理由に関係あるのだろうか。
未だにふわふわとする頭で、これまでを振り返ってみる。
『水野、行くぞ』
まず取引先へ先輩と車で行った。
それで……そう、ネチネチと嫌味を言われながら、1時間くらい過ごした。
価格を下げなきゃ契約しない、他社はもっと下がっている、性能では無く価格で見るぞ。
先輩は上手い事流していたけど、米神が引くついていた。
絶対にあれはムカついてたと思う、私だってムカついたし。
それで……ああ、そうだ帰りに渋滞に捕まって……会社に電話して……
『姉ちゃん、助けて』
……そう、だ。
『どうした、水野?』
『いえ、なんか……弟が肝試しをしていたら出られなくなったみたいで……』
……思い出した。
『行ってみるか』
思い、出した。
「っ! はぁ、げほっ、ごほっ!」
咳き込む。慌てて息を吸った弊害だ。変なところに唾がつっかえたらしい。
だけどおかげで、急速に意識が回復する。脳が、回る。血が、巡る。
一瞬視界が点滅するが、すぐに光源に慣れていく。眩しいはずで、頭上にはライトが掲げられていた。
そして、人。
私の周りには、3人の人影がいた。
「こ、ここは……?」
疑問の言葉を口にしながらも、私の脳は記憶を順々に掘り返していた。
……そう、私は弟を探しに廃病院に入って――――意識を失ったのだ。足場が崩れて。下の階に叩きつけられて。それで、それで……
「なつ、は?」
「――――」
「――――」
私の言葉に、何かを返してくれる。けど、ダメ。声を言葉として認識できない。
私が此処にいるのは何故なのか。夏はどうなったのだろうか。無事なのだろうか。先輩は。先輩は何処なのか。夏の友達たちはどうなったのだろうか。
溢れかえる疑問。答えはまだ手に入らない。目を瞑って、深呼吸をする。そうして、眼を開ける。
少しだけ光に慣れた眼が映したのは、緑色の服。3人とも、同じようなのを着ている。
手術着。
ドラマとかでよく目にするアレだ。
……てことは、
「……びょう、いん?」
意識を失った私は、そのまま病院に運ばれたのだろうか。そして……手術を受けている、という事なのだろうか。
確かに落ちた時に、嫌な音が身体の中から聞こえた。何かが潰れるような音だった。
もし重傷だったとしたらどうしよう。就業規則……の事は正直覚えてないけど、帰社途中で寄り道して怪我をするなんて、絶対罰則ものだ。私は勿論、先輩の評価だって下がってしまうかもしれない。
と言うかそもそも――――夏は、無事なのだろうか。無事に見つかったのだろうか。
そんな事を考えながら、焦点を医者たちに合わせて――――
「――――ヒッ」
息を呑み込む。
鼓動が跳ね上がる。
目の前にいたのは――――骸骨。
骸骨が、手術着を着ている。
「――――」
何かを言っている。
カタカタと何かを言っている。
骨を鳴らしながら、音を出している。
「や、やめ……」
逃げようともがくけど逃げられない。動かない。
頭を動かして見てみると、私の身体は拘束されていた。
身体を捩ることは出来ても、出ることは叶わない。
「――――」
カタカタカタ、カタカタカタ、カタ。
骨の鳴る音。目の前だけじゃない。周囲から聞こえる。絶え間なく聞こえる。
恐怖のあまりに叫び出そうとしたけど――――
「んぐっ!?」
ガシッ、と。骨が私の口元を抑えた。冷たくて何の暖かみの無い、固い、骨。抵抗は何も意味を為さない。
「ん、んんんんんん――――っ」
きらりと。視界の端で何かが光に反射した。
反射的にそちらの方へ視線を向けると――――メスを握った手が見えた。
「んむ――――っ!?」
そして眼。瞼が閉じられない? 無理矢理に開かれて、固定される。
カタカタカタ、カタカタカタ、カタ。
ゆっくりとメスが私の眼に近づいてくる。
何をするつもりなのか分かってしまう。想像がついてしまう。
まるで恐怖心を煽るかの如くゆっくりと、鈍い光が近づいてくる。開かれた眼に近づいてくる。
叫べない。出せない。くぐもった声だけ。
逃げられない、逃げられない、逃げられない――――っ!
「水野ぉおおおっ!!!」
ドガッ。音が聞こえる。そして先輩の声。
音に反応して、骸骨たちの手が止まった。
「ちょっと待ってろ! すぐに開ける!」
先輩の声に涙する。良かった。先輩は無事だ。
だけど、こっちの危機は継続中だ。
手が止まったのは一瞬だけ。
すぐにメスは、動きを再開した。
迫るメス。心なしか笑っているように見える骸骨。
「おらぁ!」
ドゴッ。また音。だけど開く気配はない。骸骨たちもそれを分かっているのだろう。だから、こんなにも余裕なのだ。余裕を見せて、私の恐怖を楽しんでいる。
外では音が聞こえる。多分、部屋を叩いているのだろう。先輩の声も聞こえる。
先輩は大柄だ。学生時代はサッカーのGKだったとか。昔の写真を見たことがあるけど、その頃からすごい大きかった。
でも、そんな先輩でも。部屋の扉は開かない。ドゴッ、とか、ドガッ、とか叩きつけるような音は聞こえる。だけど開けるには至らない。
「っらぁ!」
先輩の声。多分、すごい必死だ。怒っているかもしれない。先輩のそんな声は初めて聴いた。
だけど開かない。壁一枚が、酷く遠く、厚い。絶対的な遮断。
そして私は私で何もできない。外せない、振りほどけない、背ける事すらできない。拘束だけじゃない、複数人で押さえつけられている。ただメスを待つしか私には――――
「ざぁけんな、ゴラァッ!!!」
バキャッ!
激しい破壊音。今までの人生で聞いた音の中で、一番の音。
視界の先で何かが飛んでいく。破片だろうか。そして、
「死ねっ!」
先輩の、声。そして、姿。
私を押さえつけていた骸骨が、先輩の一撃で吹き飛ぶ。多分、本気で殴ったのだろう。骸骨の首から上が吹っ飛んでった。
「おらぁっ!」
バキッ!
実家の犬が、餌用の骨をかみ砕いた時の、何倍もの音。
多分、骸骨を折っているのだろう。
漸く動くようになった首で先輩の方を見ると、先輩のぶっとい腕が、骸骨の身体を折ったところだった。
「水野っ! ちょっと待ってろ!」
「は、はい……」
先輩は私の拘束を外すと、そのまま抱え上げた。
体温。生きている人の暖かみ。
シャツ越しに感じるその暖かみに、思わず涙があふれて、止まらなくなる。
「ふぐっ、うぅ、ぅぅぅ……」
「捕まってろ! 出るぞ!」
先輩は私を抱きかかえると、そのままダッシュで部屋を出た。
……その後の事はよく覚えていない。
ただ先輩の温かさに包まれた事実と、助けられたと言う安堵に。
私は意識を失ったのだ。
■
結論を言ってしまえば。
全ては終わっていた。
私が次に目を覚ましたのは、太陽が高く昇った日中で。
清潔感と無機質な白色に彩られた部屋だった。
「姉ちゃん、ごめん!」
弟は無事だった。
顔をボコボコに腫らしていた以外は無事だった。
と言うか、その顔面の酷さは両親の手によるものだった。
「すまんな、ハル」
そう言って、お父さんは深く頭を下げた。
……事の次第を聞くに、どうやら弟は件の病院に肝試しには行ったものの、無事に帰ってきていたらしい。
ただスマホを失くしており、翌日の日中くらいに取りに行けばいい、と思ってたらしく放置していたそうだ。
結果、どういう原理かは分からないけど、幽霊に操作されて、ノコノコと私たちが誘き出されてしまった、というやつだ。
……思うところが無いわけでは無いが、弟も、その友人も、皆無事だったのだから良かったことなのだろう。
「おう、眼ぇ覚ましたか!」
先輩は私と同じく入院する事になった。
と言うか、怪我の度合いで言えば、全然私より重傷だった。
「腹抉られて、腕を切られただけだ」
事も無さげに言うが、かなりの傷だ。でも私と違ってピンピンしている。と言うかあの日は、そんな傷を負いながら私を抱え、骸骨を斃し、運転までしたというのだ。体力お化けである。
「いやぁ、水野を見つけられて良かったよ」
先輩は私が飛び出した後をすぐに追ったのだが、何故か逸れてしまったらしい。
私を探しつつ、襲って来る化け物を殴り倒して進み、一階に戻ったところで手術室内に私がいるのを発見し、助けに入った、というのが先輩の行動の流れだ。因みにこの間に、化け物共に抉られたり切られたりと、散々な目に合っている。私よか酷い。改めて――――思う。先輩は、ヤバい。
「ま、アレだな。ちゃんと確認はしよう、って話だな」
事の原因は弟だけど、それを無暗に拡大させたのは、私の浅慮さが原因だ。
私が弟だけでなく、両親にまで確認を取っていれば。
まず私に連絡をかけてくることに疑問を抱けば。
私と先輩だけでなく、他の人に相談をしていれば。
こんな事にはならなかった。
ぽんぽん、と。先輩は私の頭を優しく叩いた。
俺は何も気にしていないぞ。
その心づかいが申し訳なくて、私は泣いた。
泣き虫だなぁ、って。先輩には笑われた。
■
その後は特に面白い話なんてのは無い。
あの病院で出た骸骨がまた出た、という事は無く。
夜な夜な悪夢に魘される事も無く。
或いは新しい幽霊に出会うことも無く。
そしてあの骸骨共の正体を知ることも無く。
私も先輩も無事に退院をし、そして会社に復帰した。
変わった事があるとすれば――――
「まぁ、事情は聴いている。不可思議な事もあるものだ。……とは言え、規則は規則だ」
就業時間中に業務に関係の無い行動をし、怪我を負った事。そして社有車を血塗れにした事から。
私たちは仲良く罰則を受け、評価が下がってしまった。(ボーナス2割減と反省文)
そして、
「先輩、聞いてますか!」
『聞いているよ……明日だろ、夢の国に行くの』
「聞いてないじゃないですか! お眠じゃないですか! 後、夢の国に行くのは週末ですよっ!」
少しだけ、先輩との仲が縮まった事くらいだ。
今更ながらに登場人物紹介:
・水野春
主人公。小柄。髪形は多分ポニーテール。怖がりでホラー苦手。
何だかんだ言いつつも弟の事は大切に想っている。
・先輩
脳筋。大柄。髪形は短髪。あんまりデリカシーは無い。
後輩思いで面倒見が良い。結構慕われている。
・水野夏
愚弟。馬鹿。霊感ゼロ。
実は肝試しは友人が行きたいと言うから付いて行っただけ。