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リギア堂シリーズ

リギア堂のお話 その4 <ルーレット>

作者: 綾小路 楪

 ――春には春の 夏には夏の 花が咲く


   秋には秋の 冬には冬の 花が咲く


   だから私は一年中 毎日毎日幸せだ ――



 今朝も、リュウとあたくしがリギア堂の入り口を開けると、お向かいのパン屋から小さな歌声が聞こえて参りました。

 花屋と見間違う程花の鉢で溢れた店先で、若き店主のイディム・ローグは、にこにこしながら水遣りをなさっています。

「お早うございます、イディムさん」

 リュウが挨拶すると、イディムは、歌と水遣りの手を止められました。

「お早うございます、リュウさん」

「今日も良い天気ですね」

「ええ、花達も喜んでいます」

愛おしそうに花をご覧になるイディムを見て、リュウはそっと微笑みました。

「イディムさんは、本当に花を大切にしていらっしゃいますね」

リュウがそう言うと、イディムは少しはにかみながら頷かれました。

「ええ。きっと、リュウさんがその猫を大切にしているのと同じだと思います」

 花と一緒にされたことで、あたくしが少し複雑な気持ちになっておりますと、リュウは、そっとあたくしを抱き上げました。

「変だと思われますか? 植物は動物とは違って、どんなに大切にしても、気持ちを返してはくれない。それなのに、何故こんなに夢中になるのかと」

イディムは苦笑と共に、そんなことを仰います。リュウが首を振ると、イディムは、花に視線を戻しながら、呟くように続けられました。

「確かに、どんなに一生懸命育てても、花は決して僕を見てはくれない。彼女達が見るのは、常に空で……そこがまた愛しいんです」

 なんてロマンチストなのでしょう。

 あたくしが思わず微笑んでリュウを見上げると、リュウもそっと微笑を返しました。


――こんな朝の会話を交わしたのは、ほんの一ヶ月程前のことでしたのに。


    *   *   *


「もう、この国にはいられないね、ルビィ」

ゆっくりと店内を見渡しながらリュウが言い、あたくしは小さく頷きました。

 ここタラーグ国は近く、何百年か前から貿易の利権を巡って争っている隣国と、何度目かの戦争を始めようとしております。

 この商店街の様子からも、開戦の日が近付いて来ているのが判ります。

 お客様方がお求めになる物が、嗜好品ではなく生活必需品、防災道具、そして武器……そういった物に変わりつつあります。

「今夜、次の引越し先を決めよう」

あたくしを撫でながらリュウが言い、あたくしは頷く代わりに、小さく喉を鳴らしました。

 戦争が始まったら、魔法使いは国外退去を命じられます。魔法使いは政治不介入――個々の魔法使いにどんな思惑があろうとも、それが万国共通の掟でございます。

 そして、元々水資源に乏しいこの国では、戦争が始まったら、水が配給制になるであろうことも判っております。そして、猫には水が配給されぬことも。

「全く……嫌なものだね」

 再び店内を見回しながら、リュウがぽつりと言いました。

「同感ですわ」

あたくしがそう答えますと、リュウは、困ったような顔であたくしを見ました。


    *   *   *


 月が空の王様のように振舞い始めた頃、リギア堂に、イディムが本日7人目のお客様としていらっしゃいました。

「おや、珍しいですね、イディムさん。いらっしゃいませ」

そうリュウが声をかけると、イディムはいつに無く深刻な表情で仰いました。

「リュウさん……常に正しい選択を下す、そんな道具はありませんか?」

「正しい選択、ですか?」

リュウが少し不思議そうに問い返すと、イディムは静かに頷かれました。

「はい。神託のように、正しい答えを出してくれる道具が欲しいのです」

「……失礼ですが、何があったのですか? 詳しく話して下さい。でないと、どんな道具を出せば良いのか決めかねますので」

 リュウが尋ねると、イディムは、ゆっくりと話し出されました。

「もうすぐ戦争が始まることは、リュウさんもご存知でしょう」

「ええ」

「今日、私の所に役人がやって来て……。水が近く配給制になるので、パン作りにも節水を心がけることと、このような時期に、毎朝戦意を喪失させるような平和ぼけした歌を歌わないこと、そして……、花を、少なくとも半分は捨てること、を命じられました」

イディムは、声を震わせながらそう仰いました。

 あたくしは、思わず眉をしかめました。

 最初、花屋と見間違えてしまったパン屋で、毎朝、嬉しそうに歌いながら花の水遣りをなさっているイディム。……この町で、あたくし達が一番初めに好きになった光景でございます。

「どうして、花を捨てる必要が?」

あたくしと同じ気持ちでいるに違いないリュウが尋ねますと、イディムは静かにお答えになりました。

「水を無駄に使ってしまうから、だそうです」

 リュウが俯いて黙り込むと、イディムは辛そうに仰いました。

「リュウさん、お願いです。私には、どの花を捨てるかなんて選べません。ですから、選びの道具を売って下さい」

 少し考えてから、リュウは頷きました。

「解りました」

 安堵と悲痛の入り混じった表情をされたイディムに向かって、リュウは厳かに告げました。

「常に、正しい選択をしてくれる道具。ありますよ。ただ、とても大切で、貴重な物ですので、売ることはできません。65ペグでお貸し致しましょう。今から、イディムさんのお宅に伺ってその道具を使おうと思いますが、よろしいですか?」

 ごくりと唾を飲み込み、イディムは頷かれました。

「はい。お願いします」


    *   *   *


 用意するものはルーレット。そして、それぞれ0から36、そして00の番号を振った、計七十六本の赤と黒のピン。

 イディムのお店にルーレットを運び込むと、リュウは、ピンをケースごとイディムに渡しました。

「全ての鉢に、このピンを刺して下さい。ピンが余っても大丈夫です。使われていない番号を、このルーレットが選ぶことはありません。このルーレットには、妖精の魔法がかかっておりますので」

 リュウが淡々と説明すると、イディムは小さく頷かれました。

「判りました」

 イディムが泣きそうな顔で全ての鉢にピンを刺して行かれるのを、あたくしはリュウの腕の中で見ておりました。

 あたくしを抱きしめる腕に、徐々に力がこもって行くことから、リュウが今、何を思っているのかが解ります。

「終わりました」

震える声と共に、イディムが最後の鉢にピンを刺されると、リュウはあたくしを抱いたまま、ルーレットの前に立ちました。

「では、ルーレットを回して、玉を投げ入れて下さい」

リュウが乾いた声でそう告げると、イディムは、重い足取りでルーレットの前に歩み寄られました。

「――選んで、くれるんですね。これでもう、悩まなくて良いんですね……」

小さくそう呟かれると、イディムは固く目を瞑り、ルーレットに手をおかけになりました。

 リュウが、そっと頬をあたくしの頬に近付けて来ます。

 鋭く息を吐かれると、イディムはルーレットを勢い良く回し、玉を投げ入れられました。そして、目を閉じたまま、顔を背けられます。


 ガラガラガラ……


 あたくしとリュウがじっと見つめる中、ルーレットは少しも速度を緩めることなく回り続けます。

 静かな夜の店内にありますのは、重い沈黙と木製ルーレットの奏でる鈍く一定な音ばかり。


 ガラガラガラ……


 リュウが小さく、複雑な溜め息を吐いた頃、イディムは恐る恐る目を開けられました。

「リュウさん、これは……?」


 ガラガラガラ……


 回り続けるルーレットを凝視して、呆然となさるイディムに、リュウは静かに言いました。

「これが、ルーレットの出した『正しい答え』です」

 すなわち、『どの花も選ばない』――。

「ルーレットの出した答えに従うかどうかは、貴方がお決めになることです」


 ガラガラガラ……


 イディムはそっとルーレットから離れ、花達の前に行かれました。そして、ぽつり、と呟かれます。

「全て、大切なんです。どの花も、手放したくないんです。けれど、国を挙げて戦争時に、僕一人がそんなわがままを言うわけには行かないでしょう?」

「戦争というのが、そもそも国家のわがままだと思いますが」

リュウがやんわりとそう言うと、イディムは悲しそうに笑って、首をお振りになりました。

「ルーレットが選んでくれないとなると……僕はどうしたら良いんでしょう?」


 ガラガラガラ……


「『どの花も選ばない』……それが、リギア堂のルーレットの出す『正しい答え』です。そして、『正しい』とは、この場合、『貴方が後悔しない』ということです。……これからどうするかは、貴方がお決め下さい。魔法のかかっていないルーレットで、別の答えを出しますか?」

リュウが静かに言うと、イディムは花を見つめたまま、黙り込んでしまわれました。

「では、これで私の仕事は終わりましたので、失礼致します」

そう断ってから、リュウは魔法でピンを全てケースの中に戻し、ルーレットを止めました。

 店内が、急に静かになります。

「お休みなさい。また明日」

リュウがそう挨拶して部屋を出るときも、イディムは無言でございました。


    *   *   *


「このルーレットは、全く僕に似ているよ。選べないから逃げるんだ。軍歌も反戦歌も選べない。だから別の地に逃げて、平和の歌を歌うんだ」

自嘲気味にリュウが言い、あたくしは思わず声を荒げました。

「『逃げる』ですって? 違いましてよ? このルーレットは、ただ、新しい選択肢を与えただけですわ。『選ばない』という、新しい選択肢を」

 あたくしがそう言うと、リュウは切なそうにあたくしを見つめました。

「ありがとう。でも、戦争は必ず始まる。イディムさんは必死で花を守る。――そしてその時、僕はいない」

 ふつりと、部屋に沈黙がおりました。

 口には出さずとも、あたくしとリュウには解っております。

 イディムはきっと、何があっても花を手放されないでしょう。下世話な言い方をしますと、「花と心中する」おつもりなのです。

 けれど、それがほんの少しだけ、嬉しいことも事実。

 花をお捨てになるイディムも、軍歌を歌われるイディムも、あたくし達は見たくありませんし、想像もしたくないのです。

 沈んだ表情のまま、リュウは棚から地球儀を取り出し、ルーレットの隣に置きました。

「引越し先を決めようか、ルビィ」

「ええ。いつものように」


    *   *   *


 用意する物は、地球儀。ルーレット。そして、それぞれ0から36、そして00の番号を振った、計七十六本の赤と黒のピン。

 リュウは目を瞑り、七十六本のピンを全て地球儀に刺しました。

 そして目を開けてから、力一杯ルーレットを回し、玉を投げ入れます。


 ガラガラガラ……


 鈍い音が、段々ゆっくりになって行き、最後に玉が、一つのポケットに落ちました。

「黒の十二……だね」

 リュウがそう言い、あたくしは、地球儀を確かめました。

「黒の十二……クフィナ公国のブルス市、ですわ。北国ですわね」

「ああ。そして、ウイスキーが美味しい」

そう言うと、リュウはピンを全てケースに戻しました。

「どんな人達がいるんだろうね? どれくらい居られるのか判らないけど」

 地球儀上のブルス市を人差し指で押さえながら、リュウは少しだけ微笑みました。

「期間には、あまり意味が無いですわ。この町に居たのは一年足らずですけれど、あたくし達を必要とする方が、確かにいらっしゃいましたもの。ですから、きっと、ブルス市にも」

あたくしがそう言うと、リュウはあたくしを撫でながら頷きました。

「ああ。このルーレットは常に正しい……そう信じたいよ」


この作品は、自サイト「天弓の的」訪問者の方からのお題を元に書いたものです。

そのお題は、<ルーレット>でした。


リギア堂シリーズは、これからも続きます。

お付き合いいただけますと、幸いです。

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