その名前は似合いません
「ん~。師匠~」
「何かしら駄犬」
「なんか最近色々と空気が重くて嫌なんだけどね~」
祝福の使い過ぎで空腹に目を回すミシュエラは、とりあえずパンを咥えながら会話を続ける。
「人を殺したぐらいで、ああも精神っておかしくなるものなの?」
「人それぞれでしょう。わたくしやお前なら虫でも殺したくらいにしか思わなくても、人によっては自殺を考えるほどの罪悪感を抱くこともあります。ハーフレンは仕事や違うことを考えているから自分の気持ちを直視していませんが、令嬢の方は毎日罪悪感に苛まれて……もたないかもしれませんね」
「うわ~。冷たい言葉」
「仕方ありません。それが現実です」
パンで補充を完了させたミシュエラが立ち上がる。
ふとそんな弟子の姿を見て……メイド長がポンと手を打った。
「駄犬」
「何さ?」
「前々から思ってました。貴女に『ミシュエラ』と言う、その名前は似合いません」
「ものすっごく根本的な何かからの否定だな!」
「ええ。ですので今日から『ミシュ』と名乗りなさい。そっちの方がまだ聞くに堪えられます」
サラリととんでもないことを言うメイドに、言われた方が全力で噛みつく。
「婆の腐った耳を保護する為に改名しろとかふざけんなっ!」
「そうですか。……なら力づくで」
「ふんぎゃ~!」
メイド長の優しい説得を受けたミシュエラ・フォン・エバーヘッケ嬢は……その日から自分のことを『ミシュ』と名乗るようになったそうだ。
「ようこそ御出で下さいました。ハーフレン王子」
「久しいな。フレアは?」
「はい。それが……」
表情の晴れないメイドの姿を見てハーフレンは悟った。
勝手知ったる他人の家だ。
彼はメイドの案内を受けずにフレアの部屋へと向かう。
「入るぞフレア」
返事など待たずに扉を開いて中へと入る。
ソファーの上で横になって視線を彷徨わせていた少女が、ヨロヨロと立ち上がろうとする。
だが力が入らないのか上手く立つこともままならない。
「ハフ兄様」
「無理をするな。そのままで良い」
「平気です」
座り直して微かに笑いかけて来る少女は、見るも無残なほど痩せていた。
頬はこけて目も窪んでいる。食事もろくに喉を通らず、どうにかスープだけで命を繋いでいるのだ。
最初は向かい合うように座ろうとしたハーフレンだったが、少女の隣へと進み真横に腰を下ろす。
前までならこうすれば抱き付いて来た少女が、今は怯えたように距離を開ける。
分かっている。
だからハーフレンの心に冷たい影が差す。
嫌われても仕方ない。
彼女をあんな場所に連れて行き、戦わせてしまった自分が全て悪いのだと理解している。
「フレア」
「は、い」
「ブシャールのことを徹底的に調査した」
「……」
「結果としてお前は敵兵しか殺していない。味方は帝国の強襲で命を絶たれたんだ」
どうしても解明できなかった2人の遺体の存在を、ハーフレンは闇に葬ることにした。
存在して居なければ、彼女が犯したかもしれない味方殺しを無かったことに出来るからだ。
だがブルブルと震えだしたフレアは、その目から涙を溢していた。
「嘘を吐かないで下さい」
「事実だ」
「嘘です!」
「嘘じゃない!」
「嘘です!」
立ち上がって少女は、兄と慕う者を睨んだ。
「わたしの記憶にはっきりと残ってます! 襲撃を受けた時にわたしの後ろに居た2人の魔法使いは、影によって守られて生きてたんです! わたしがおかしくなるまで……あの2人は生きてたんです!」
ボロボロと涙を溢れさせて少女はきつく唇を噛む。
胃液を吐き出しそうになっている自分に我慢を強いる為だ。
「わたしが殺したんです!」
「……でも仕方ないだろう? お前があそこで頑張らなければ残りの全員が死んでいた」
「……だからって人を殺して良い理由にはなりません。わたしはただの人殺しです」
全身を震わせてフレアはハーフレンを見る。
黒く澱んだ寂しげな目で。
「わたしはハフ兄様に相応しくない。兄様もこんな人殺しなんて忘れて……ゴホッゴホッ……かふっ」
咳き込んだフレアが胃液などでは無く血の塊を口にし、気を失ったのか顔を白くして崩れるように倒れ込む。
「フレア!」
咄嗟に手を伸ばし捕まえた相手の腕の細さに……ハーフレンは何も言えなくなった。
もう限界なのだ。このまま放置すれば腕の中に居る大切な存在が潰えてしまう。
「ごめんなフレア。弱い兄ちゃんで」
涙を溢してハーフレンはフレアの頬を指で擦る。
プニプニとしていた頬はこけて、皮と骨しか感じられない。
「お前のことは絶対に護る。どんな手を使っても必ずだ。だからもう少しだけ我慢してくれ」
吐き出した血で紅くしている少女の唇にハーフレンは自分の物を押し付ける。
何があっても……どんな手を使っても彼女を護ると決めていたからだ。
ブシャールでの調査と同時進行で彼は唯一と思う解決策を探し出していた。
問題は相手が承諾するかどうかだ……もうそれしか手が無いとハーフレンはすがるほか無かった。
3日後。王都ユニバンスから数名の護衛を伴った1台の馬車が出発した。
馬車に乗るのは王国の第二王子ハーフレン。
そして彼の膝を枕に薬で眠らされているフレアだった。
護衛する者はハーフレンが最も信頼する者たちだけであり、案内役であるコンスーロが先頭を行く。
目的の場所は王国の北東部……ゆっくりとだが開発が進められている地域だ。
そこに先日引っ越した人物に会いに行く。それがハーフレンの旅の目的だった。
前宮廷魔術師であり、術式の魔女の師匠であった人物。
そしてクロストパージュ家に名を連ねる彼は、フレアの大叔父に当たる人物だ。
名はバローズ・フォン・クロストパージュ
クロストパージュ家で最も異端と呼ばれた天才的な魔法使い。
彼が最も得意とするのは禁忌に抵触する……人の精神に干渉する魔法である。
(c) 2019 甲斐八雲
作者の独り言
メイド長と駄犬の会話を書いている時がある種の癒しですw
こうして調教師の『聞くに堪えられない』と言う理由でミシュと呼ばれるようになったミシュでした。
で、問題の二人です。
フレアが精神よりも肉体的な限界を迎えてしまいました。
精神の方がどうにか繋がっているのは…やはり彼を残して死にたくないって気持ちがあるからでしょうか? ですがもう限界です。
そして覚えている人がどれ程居るのか不明ですが、アイルローゼの師匠の登場です。
本編ではアルグスタの魔法の先生候補として存在が出て来ましたが登場しなかった人です。
まあ実際師匠と言っても、天才少女アイルローゼに魔法書を与え続けてどれほど育つのか見守っていた感じですけどね。
で、精神干渉の魔法です。意外と早くに出て来たな。
短期集中投稿した本編でレニーラが口走っていたのは…まっ本文にて詳しく。
実は本編でノイエが使ってたりしてましたが…覚えてますか?




