全部吐かせて
ノイエは一人でお風呂と食事を済ませ寝室に向かっていた。
仕事が終わり音速の小躍りで城へ向かって執務室に突撃したら彼は本日お休みで……少し途方に暮れてから急ぎ屋敷に戻って来たのだ。
「相手を押し倒して押さえつけて口を寄せて……」
仕事の合間に教え込まれた事柄を口にして忘れないようにしながらだ。
「《ズキューン》して《バキューン》して《ドカーン》に動かして……」
良く分からないが言われたことをすればアルグスタが喜んでくれるはずだ。
そう信じ切ったノイエは覚悟を決めて寝室の扉を開いた。
「あっお帰りノイエ」
「……」
「ノイエ?」
ベッドで座っている彼を見てノイエの動きが、思考が、呼吸さえも停止した。
両腕に包帯を巻いていた。
大切な人が、知らない間に、両腕に、包帯を、巻いていた。
「お~いノイエ?」
「……さい」
「はい?」
「ごめんなさい……」
「うわ~っ! ちょっとノイエ落ち着いて!」
突然滂沱の如く涙を両目から溢れさせたノイエは、その場で崩れると泣きじゃくる。
慌てたアルグスタは、激痛を忘れて相手に駆け寄りその体を抱き起こした。
「……」
「ノイエは悪くない。全然全く悪くないから」
「……」
「僕が自分でやったんだからね? それにちゃんと治すから心配しないで」
「……」
「あの~ノイエさん? 実は結構怒ってたりしませんかね? 違うよ。別に責めて無いし……実際悪いのは僕の方だから泣かないで」
「……」
最近定位置となりつつあるマウントポジションで、ノイエがジッと僕の顔を見つめたままノーリアクションだ。
ただ言葉を間違えるとその目に涙が溜まるので思考は停止していないっぽい。
「ごめんねノイエ。この怪我は僕のせいだから……ノイエは悪くないよ」
「……本当?」
結構長いこと謝り倒し、ようやく相手からリアクションが返って来た。
「うん。ノイエが僕のことを大切に思ってくれてるのは知ってる。今だって僕がどうして怪我したのかとか、どうしたら護れたのかとか、そんなことを考えているんでしょ?」
「はい」
本当にノイエは優しくて良い子だ。
「ノイエがそんなに考えてくれてるのに怪我をしたのは僕が悪いからです。だからノイエは悪くない」
「でも」
「それに怪我をしてもノイエが看病してくれるもん」
ちょっとだけ彼女のアホ毛が軽く揺れた。
「だから今夜からしばらく子作り無しだけど、でもノイエがギュッて抱きしめて一緒に寝てくれると嬉しいな」
「はい」
フリフリとアホ毛を振ってノイエが体勢を変えて抱き付いて来る。
ってノイエさん? その足を絡みつかせて来るとか誰から学んだんですか?
「《バキューン》を擦って《ズキューン》させてから、手で《ズドーン》させると喜ぶ」
「ちょっとノイエさん。それはちょっと……あっ」
先生。お嫁さんに襲われるのはノーカウントですよね? 子作りはしてませんから。
「休んだと思ったら両腕を怪我して……大丈夫ですか? ペンが持てないなら帰っても良いですよ」
「上司に対して発言が冷たすぎやしませんか?」
「……知らない。勝手に怪我するそっちが悪いだけだし」
何故か舌まで出してクレアが自分の席に戻る。
その様子を見ていたイネル君がペコペコと頭を下げて来た。
我が儘少女の保護者になった彼の苦労は日々増えてばかりだ。
でも甘えられると許せちゃうらしく彼は毎日が幸せらしい。
ノイエを妻とする僕には痛いほど良く分かるけどね。
とりあえず自分の席についてペンを手にしてみる。アカン……握力が全く入りません。
何度かペンを落としては持つを繰り返して挫折した。
「仕事にならないみたいだなっ!」
「だから言ったのよっ!」
プリプリ怒ったクレアがやって来て書類を回収していく。
「こっちはやっておくから隅で膝でも抱いてて下さい」
「何それ酷くない?」
「なら帰れ。邪魔」
「うわ~酷いわ~」
許嫁を得たクレアさんがとっても冷たい女になってしまった。
「はわわ~。クレア言い過ぎ」
「良いのよ。事実だし」
「だからって」
「邪魔だし」
「もうクレア!」
ビシッと彼が叱ると、クレアが頭を抱えて身を竦めた。
その様子からまだあの一件がトラウマとして残っている可能性に気づいた。
「へいへい。お邪魔虫な僕は暇潰しに城の中をブラブラして来ますよ~」
二人の喧嘩に発展する前に退散しておく。
僕が居なくなればクレアも素直になるはずだしね。
執務室を出て本当に行く当てもなくブラブラしていると……前方に見慣れない少年を発見した。
真面目な勉学少年チックな真面目を絵に描いたようなタイプだ。イネル君と同じくらいの身長からして、来年から見習いとして働く子がお城の見学に来た感じかな?
「どうかしたの?」
「あっはい……実は道に迷いまして」
「そっか。僕が知っている場所なら案内するよ?」
「いいえ。場所だけ教えて貰えれば十分です」
若い割には確り受け答えする子だな。余程両親が教育熱心なのだと見た。
と、僕は腕を見せて軽く笑う。
「この怪我のお陰で仕事にならなくて追い出されて暇してたんだ。暇潰しに案内させてよ」
「……その怪我」
と、少年の目つきが替わった。
それはまるで数式を前にした理系の教授にも見える。
「プレートですか?」
「ん~。それに気づくなんて凄いね君」
「あっいえ……魔法学院で学んでいるんで」
「そっか」
痛いから使いたくなかったんだけど、僕は軽く手を合わせて音を発した。
少し離れた壁の一部が開いて……少年よ残念だったな。今日は飛び切りの外れであり大当たりだぞ?
「何かご用にございますか?」
「うんメイド長」
ガシッと少年の肩を掴み拘束する。
「何か怪しい子がいるから拉致して全部吐かせて」
「いえ自分は」
「はい。喜んで」
ニッコリと笑うメイド長に……少年が恐怖におののき沈黙した。
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