ちょっと2人で殺し合いでも
ユニバンス王国・北部ドラグナイト家別荘
「あらあらあら……どうして? みんなは?」
無表情というか悟りを得てしまったかのような達観した表情を見せる乳飲み子を抱いて食堂へと来た人物は、それを見て傍にいるメイドに声をかける。
メイド見習いの黒髪の少女は、軽く一礼した。
「旦那さまはまだお休みのようで、奥さまは夜明けと共に王都へ向かいました」
「あらあら……フレアは?」
「はい。フレアさまはノイエさまの朝食作りの手伝いをしてからノワールさまに乳を与え、それから『久しぶりに来たみたいなので少し休みます』と告げて現在はお部屋の方に」
「まあまあ。フレアちゃんったらもう2人目の準備が……うふふ。お母さんまた孫を抱けるのね~」
「……」
『ご懐妊ではありません』と言ってしまえばいいのかと一瞬悩んだが、彼女は敢えて言葉にはしなかった。
「ならポーラちゃんは?」
「はい。先輩は昨夜から姿を消してまして」
「あらあら……なら仕方ないわね」
クスクスと笑い前王妃でありラインリアは抱いていた乳飲み子を離し、相手のメイド見習いに預けると席に着く。
「ん~。私としてはそろそろお魚さんが恋しいわね~」
ラインリアはそう言うと朝からお肉率の高いドラグナイト家の献立に不満を口にする。
「畏まりました。夕飯は魚を」
「あら? あるの?」
思いもかけない言葉にラインリアは相手を見た。
何故か『もう疲れたよ』と言いたげな様子でメイド見習いの肩をポンポンと叩いている乳飲み子に何とも言えない表情を浮かべていた彼女は、その目を前王妃へと向けた。
「ポーラ様が大量に冷凍して運び込んでいますので」
「知らない。そんな話を知らないのだけれど?」
それは仕方がない。
「ノイエさまが『最終日まで融かしちゃダメ』と言いましたので」
「……」
悟った。ラインリアはその言葉で全てを悟った。
妻を愛する夫であるアルグスタはその言葉を受け『もうノイエは……仕方ないな~』とか言って受け入れたのだろう。
違う。夫は妻の我が儘を全て受け入れてはいけない。それは優しさじゃない。
「そんなことをしていたらノイエちゃんがどんどん調子に乗って高飛車な娘に育ってしまうわっ!」
憤慨し両の拳を上下に振って前王妃が子供っぽい姿を見せる。
ただ恐ろしく似合っているから誰も何も言わない。年々若返っているとの噂のある相手は、多分本当に若返っているのかもしれない。今だってその姿はとても若々しい。娘と呼んでもかまわない若さを感じさせる。ただ若さを感じるがその姿を容易に晒すことはできない。
最も分かりやすいのはその顔だ。半分程度の皮膚が人の物ではなく爬虫類を思わせる物なのだ。
もっと詳しく分類するとその肌はドラゴンのそれによく似ている。まるで呪いを受けて皮膚がドラゴンのそれになってしまったかのような……それがラインリアが抱える秘密だ。だから表舞台には出ず、彼女は常に屋敷に引きこもるのだ。
「大丈夫です。ラインリアさま」
「どうして?」
メイド見習いの声に小首をかしげて彼女は問う。
「旦那さまは今夜から魚メインで献立を厨房に命じています」
「流石だわ! そうそれよ! それでこそ私の息子よ!」
『えっと旦那さまの母親は聞いた話だと処刑されているのでは?』と出かけた言葉を少女は飲み込んだ。全力で飲み込んだ。
「全部受け入れちゃダメよ! ちょっとした抵抗を示さないと女は飽きちゃうのよ!」
ただ何かしらの火が灯ったのか前王妃は一通り自分の意見を口にし、しばらくしてから落ち着くと椅子に座り直した。
「……ご飯にしましょう」
何もなかった感じで彼女はそう言う。
その変わり身に一瞬フリーズしたメイドたちだが、再起動して動き出す。テーブルに並べられていく料理を見つめ、ラインリアは小さくため息を吐いた。
「家族の居ない食事は寂しいわね~」
その声にメイドたちの視線が動く。
頑張って床を這ってやって来ている現王妃の存在は忘れられている様子だ。
「失礼します。ラインリアさま。一つ宜しいでしょうか?」
「何かしらスズネちゃん」
スズネと呼ばれたメイド見習いの少女は抱きしめている乳飲み子を抱き直し、相手にはっきりと見える形で露骨なまでに体と顔を動かし床に視線を向ける。
先ほどまで便器と仲良くしていた現王妃様が床を這っている。這っています。
そう視線でアピールし、スズネは相手に視線を戻す。
「王妃さまをお誘いしたらどうですか?」
「あ~。あの子ね~」
チラッとラインリアは視線を床を這う存在に向けた。
「だってあの子ったらメイド服とか着て遊んでいるのよ? 私も誘わずに」
「「……」」
頬を膨らまして拗ねる相手にスズネの目が半眼になった。
「私だってメイド服とか着てメイドさんの振りとかしたいのに……酷い話よね~」
「……そうですね」
スズネは出そうになったため息を飲み込んだ。
ポンポンと乳飲み子のノワールが『分かってる。分かってるから』と言いたげな感じで肩を叩いてきたのがせめてもの慰めだった。
食事を終えたラインリアは床を這う“何か”を軽く踏んで食堂を出た。
その時につま先で軽く相手のあれ~な部分を刺激してあげたので背後から『危ないです~。今、ピリッとお尻の方から……なんでみんなして逃げるです~! 抱えてお手洗いまで運ぶのです~!』といった魂の叫びが聞こえてきたが無視しておいた。
そもそも偏食傾向でお通じの悪い子が暴食などすれば、お腹に溜まるに決まっている。
溜まりすぎるのは体に毒だ。もしどうしても出ないようであれば、下町に住む先生にお願いして直接お腹の中の腸を絞ってもらって強制排出する方法もある。
ただそれを受けた者は下剤愛好家になるか、おかしな性癖に目覚めてしまうかの2択とも聞く。
自分の時は……よく覚えていない。
あの頃は意識が常に混濁していて何より排泄など自力でできなかった。
まあ良い。王妃も監視の少ないこの場で羽を伸ばし楽しんでいるのだろう。自分だってそうだ。だから多少馬鹿なことをしていても大目に見る必要がある。細かいことをいちいち注意していたら自分の身に帰ってくる可能性が高い。ここには口煩いスィークが居ないのだ。全力で羽を伸ばせる。
だが一つ納得いかないことがある。どうして自分はメイド服の着用が許されないのだろう?
今夜は『メイド服を着てノイエの給仕をしたい』と言ったのに周りの反応は『ラインリアさまが着れるメイド服がございませんので』だった。
おかしい。絶対にある。自分が着れるメイド服なんてたくさんあるはずだ。
何ならそこで壁を磨いているメイドの服を脱がし着てみせようか? 必ず着れるはずだ。
それなのに全員が良い返事を寄こさない。
この手の手回しは大半がスィークの手によるものが多い。
『多分あれね? 自分が老いてメイド服が似合わなくなってきたことを自覚して、とっても似合いそうな私に嫉妬しているのね?』
そうに違いないと結論を出し、プンスコと怒りながら彼女は居間へとたどり着いた。
「あら?」
部屋に入り気づく。そしてクスクスと笑う。
中々に手の込んだ手法だ。余りにも自然でここに来るまで気づかなかった。
「あらあらポーラちゃん。叔母さんに何かお願いでも?」
「はい」
居間に居た幼いメイド姿の義理の姪が笑う。片目を閉じた状態でだ。
相手の名はポーラ・フォン・ドラグナイト。ドラグナイト家当主であるアルグスタとその妻であるノイエの専属メイドを自称している存在だ。
「それで人祓いをしているみたいだけど……これって魔法?」
「はい」
「あらあら。こんな凄い魔法を使えるなんて叔母さん知らなかったわ~。まるで話に聞く術式の魔女のような魔法ね」
「自分なんてまだまだ~」
軽い口調で返事を寄こす相手に、ポンと胸の前で手を打ちラインリアは止めていた足を動かす。
彼女は心の中で1,2,3と数え8歩目で足を止めた。
「で……もう1歩進んだら発動するこの魔法は何かな~?」
「あちゃ~。やっぱり“見えて”ますか?」
「ん~。むしろ勘?」
「そっちか~」
軽く仰け反り小柄なメイドが苦笑する。
「とりあえずあと1歩。ほんの少し、先っちょだけでもどうですか?」
「そう言ってあの人ってばズコンと来たのよね~」
軽く頬に手を当ててラインリアは眉間に皺を寄せる。
「我慢できなかったって……酷いと思わない?」
「あ~。ウチの姉さまを見てると何とも?」
「そっか~。ノイエちゃんは自分からそう言って跨る感じよね~」
だからあんなにも夫婦円満なのだろうか?
「で、叔母さんと何がしたいのかしら?」
「ちょっとした外出を」
「あらあら。どうして?」
「それはここだと掃除が面倒なので」
「そっか~」
ならば仕方がないと言いたげにラインリアは1歩踏み込んだ。
すると床に模様が浮かび上がる。
「で、移動して何をするのかしら? もしかしてアルグスタちゃんの押し倒し方を習いたいの?」
「それは姉さまに聞きます」
相手も動き模様を踏む。
「なら何を?」
「はい」
クスリと笑い少女は閉じていた片目を開くと、星形の模様が浮かぶその瞳を見せた。
「ちょっと2人で殺し合いでも」
© 2025 甲斐八雲
新年あけましておめでとうございます。
今年も変わらないペースでのんびりまったりと投稿していければと思っています。
新年一発目は…出番が少ない前王妃さまのターンです。
そしてみんな大好き刻印さんが…自殺する気ですか? ママンはマジ物のチートキャラだよ?




