そんな呪いとか知らないし
セルスウィン共和国・とある街
「あら? 今日も買い物かい?」
「ええ」
買い物カゴを抱えたローブ姿の相手に果物屋の女主人は声をかけた。
相手は数か月前からやって来るようになった娘だ。普段はそのローブに付けられたフードで顔を隠しているが、商品や釣銭の受け渡しなどで距離が詰まるとその顔を見ることができる。
驚くほどに美しい娘だ。だから顔を隠しているのだろう。こんな娘が1人で顔を晒していたら問題が起きる未来しか思いつかない。
軽い足取りでやってきたローブ姿の娘は、並んでいる商品を一通り確認し何点か購入する。
サービスは特にしない。数や品質にこだわりのある娘にその手のサービスを嫌う。するなら割引の方が喜ばれるのだ。
「こんな田舎の街に居てもつまらないだろうに」
「ん?」
何となく女主人は商品を受け取った娘にそう声をかけた。
ずっと……そうずっと相手を見てきて感じていたのがそれだ。
相手はどこか“つまらなそう”なのだ。
「ええ。でもお仕事ですから」
「へ~」
珍しく相手が返事をしてきた。
他愛もない会話なら何度か交わしたこともある。けれど娘が自分のことを語るのは珍しい。初めてかもしれない。
「こう見えても国家元首様の命令で動いているので。だから仕事内容は語れないんですけどね」
「そうなのかい」
「はい」
軽やかで澄んだ相手の声に女主人は驚いた様子で頷いた。
こんな何もない辺境の田舎で国家元首様の命令を受けるような人物が訪れていることに心底驚いたのだ。
「ただそろそろ終わる予定なので、そうしたら次の“仕事”に向かうんですけどね」
「そうかい。それは寂しくなるね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
くすくすと笑い相手は自分が持つ買い物カゴの中から買ったばかりの商品を一つ取り出す。
それをローブでこすると一口かじった。
「私もこんな風にのんびりと仕事をするのが久しぶりなので、ここを離れるのはすごく寂しいんですけど」
「そうかい」
女主人はそう答える。
「だからここを離れるときは挨拶に来ますね」
「その日がすぐじゃないことを祈っているよ」
「そうしてください」
言って娘は軽い足取りで離れていく。
その背を見送った女主人は視界の隅で何かが動いたような気がして視線を巡らせた。
気のせいか? それか視界に虫でもよぎったのか?
また視線を戻すと通りを歩いていたはずの娘はもう居なかった。
そう言えば相手がどこに住んでいるのかを女主人は知らない。気づけば店の前に来ていて買い物をしているのだ。そして立ち去る時もあっという間にいなくなる。
不思議な娘なのだ。
だが今日交わした会話で何となく分かった気がした。
相手は国家元首様の仕事をこなすほどの人物なのだ。優秀なのだろう。
もしかしたらこの町の治安が格段に良くなったのも彼女のおかげなのかもしれない。
考えすぎだろうか?
「おかみさん。これ良いかな?」
「あ~。はいはい。ごめんよ」
考え事をしていた女主人はその声で現実に戻ると接客を始めた。
だからこれまで起きていたことも、これから起きることにも気づきはしなかった。
自分が一瞬見た“モノ”が、視界の隅に映った“モノ”が、何であるのかすら考えない。
それが普通であって間違ってなどいないのだ。
普通ではないのは“相手”だった。
ローブ姿の娘の方だった。
「ただいま。国家元首様」
買い物カゴを床に落とし、それは薄く笑いながらかぶっているフードを自分の背中へと落とす。サラサラと流れ落ちる髪は黄金色に輝く金髪。そして長く特徴のある耳は俗にいうエルフ耳だ。
名高る芸術家でも造詣が難しいと思わせるその整った顔は、人工的な冷たさを感じさせる。
彼女こそが旅人……マーリン・パラケルススだ。
長い年月を“人助け”を行い生きる人物。数多くの人間を救い、そしてまた数多くの人間を“絶望の淵”へと誘ってきた女だ。
そんな彼女は現在1人の治療を進めている。
体の外側はある程度完成し、現在は椅子に座らせていた。
ただ他者がそれを見て“人間”と判断するかは別の話だ。
「聞いてくださる? 今日もまた男の人に声をかけられて大変でした」
くすくすと笑い部屋の中を進む彼女は椅子に腰かけている相手の頬に触れる。
ゴツゴツとしたその皮膚はまるで石のように固い。
「ちょっと国家元首様と連絡が取れなくなったぐらいで、そんなに騒がなくても良いと思うのだけど」
自分に声をかけてきた男たち……それは国家元首の行方を捜す共和国の者たちだ。
彼らは国家元首を捜し、ついに彼女へと至った。
「優秀すぎるから悲しい出来事に巻き込まれるんです」
あれは仕方のない事故だ。そして助けようのない“事故”だ。
事故であれば救えなくとも自分への枷は反応しない。何故ならあれは全て事故なのだから。
だから率先して助けない。また救わない。事故はいつ起きるのかわからず、そして突然だ。
「おかげで今日もたくさんお土産がありますよ」
くすくすと笑いそれはローブの内側から革袋を取り出す。
刻印の魔女が作った魔道具だ。便利な道具だ。生き物以外であればいくらでも入る。どれ程入るのかは分からないけれど、結構な量が入るのだ。
死体の1人や2人分などあっさり入る。団体さんでも喜んでだ。
革袋の口に手を入れ無造作に掴んでそれらを取り出す。
新鮮で生きの良い、国家元首様の治療に使える材料たちだ。
「本当に国家元首様は私から見て過去一番の上客です」
ここ最近は本当に稼がせて貰っている。
神聖国と呼ばれている場所でも稼がせて貰ったが、今回は特に儲けることができた。
共和国が商業大国なこともあるが、相手が国家元首の証である指輪を持っていてくれた。
その指輪は刻印の代わりにもなり、自分が書いてもその印を押すことで公文書を作り出せるのだ。
おかげでたくさんの公文書を作成した。主に『怪我を負って動けない。治療費が必要だ。金を準備してほしい』という国家元首の指示書だ。それを国の施設に投函しておけば指定の場所にお金が運んでくれる。回収するだけで所持金が増える簡単な仕事だ。
ただ流石に使いすぎたのか、最近は色々と怪しまれている。まあいくらお金を集めて渡しても国家元首は姿を現さないのだから『詐欺なのでは?』と思われても仕方がない。
結果として指定の場所には見張りが配置され、こうして毎回尾行がつくようになった。
大変だ。
新鮮な材料が次から次へと配給され、国家元首の回復に注ぐことができる。
共和国の臣下たちは国家元首に対して心底忠誠を誓っているのだろう。自らを贄に忠節を尽くすのだから。
「早く元気になってご自身の欲望を成就してくださいませ」
くすくすとエルフの姿形をしたそれは笑う。
過去よりずっと死に間際の者の元に訪れ“命を救う”と呼ばれる旅人が。
ユニバンス王国・北部ドラグナイト家別荘
「もっと撫でなさいよ」
「ほいほい」
「もっと気持ちを込めて……愛を注いで」
「それはない」
「酷いわ兄さま。愛らしい妹のお願いを」
「知らん」
膝の上に座っている馬鹿が何かを言っている。
おや? ユリアがこっちに向かって手を振っているがどうした? 桶の中の2人が静かになった? 寝てるんじゃないか? ん? 中から変な臭いがする? 絶対にあれの臭い?
うん。そろそろ義母さまの方に向かったメイドさんたちも自由になっているだろうから来てもらえ。できればそのメイドさんたちに中を確認してもらえ。
大丈夫だ。ヤドカリが苦手なんでとか言えばハルムント系のメイドさんたちは迷うことなく開けるから。そのあとは知らんけどね。
そんなわけでユリアが駆けるようにして援軍を呼びに行った。
「そだ。悪魔」
「ん」
頭をナデナデしてやっている馬鹿は機嫌が良さそうだ。
「どうしてその旅人とかいうやつは、貧乏人は無償で助け、金持ちからは代金を受け取るんだ?」
「……何よそれ?」
何よそれってお前が自分の娘に科した罰だろう? 呪いか?
「そんな呪いとか知らないし」
「はい?」
「だから、」
悪魔が言うにはそんな呪いはかけていないそうだ。
ならこの都市伝説はどこから広まったものなのだ?
© 2024 甲斐八雲
刻印さんは一つだけ見落としていることがあります。
それは自分の娘が“優秀”であるということです。
優秀な弟子が長い年月研究を続けたらどうなるのか?
ラスボスクラスの実力者である旅人さんは本当に厄介な相手なんですよ。マジで




