一回死んだ時は焦りましたよ
「あふ~。オバサン。このままだと肥えちゃうわ~。ぷくぷく太ってクマのようになっちゃうんだわ~」
「大丈夫です。全て魔力で作ったイミテーションですからいくら食べても太りません」
「もう! せっかくいい気分に浸っているのに!」
プリプリと怒った鬼が横たえていた体を起こして苦情を言って来る。
それを右か左に受け流し、スプーンでモンブランケーキを口に運ぶ魔女は大きな欠伸をした。
やはり食は秋だ。食べる物に困らない。
実際これほど食べればぷくぷく……ぶくぶくと太ること間違いなしだ。そして寒い時期にダイエットをすることになって苦労をするに決まっている。
分かっている。経験者だもん。
「馬肥ゆる秋よね~」
「鬼が肥えているけど?」
「うん。鬼も肥えるわ~」
また畳の上に横になった鬼がダラダラし始めた。
そんな相手に呆れつつも魔女は視線を動かす。弟子は猫と一緒に池の鯉に挑んでいる。
どうやら釣り上げた瞬間に猫の魔法を叩き込むことで一矢報いようと企んでいるっぽい。問題はあれはゴーレムだから鼻先に餌を吊るしても微塵も反応しないことだろう。いくら待っても動かないはずだ。つまり根本が間違っているから復讐は始まらないだろう。それはそれで平和だから問題ない。
次いで視線を巡らせれば、リクライニングチェアーに腰かけた赤毛の魔女が読書をしている。
内容は絵本から幼児用の本に進化していた。漢字の無い平仮名とカタカナだけの本だ。
というかあの魔女はあれ等の本を何処から取り出している? まさかもうこの場所のアクセスキーをゲットしたのか?
あり得る。あれは本当の意味で天才の類だ。こちらの魔法を見て学んだ可能性は高い。
ただ読書しながら果物を口に運ぶと……ある意味で一番秋を堪能しているようにも見える。何かズルい。
「ねえ魔女ちゃん」
「はい?」
鬼の声に魔女は視線を元に戻す。
畳の上でダラダラ状態の鬼は来ている浴衣も緩ませて……これはこれで悪くない。決して悪くない。
とりあえず忘れずに撮影はしておく。これは良い見本だ。胸が小さくてもギリギリのラインを攻めれば女はこれでもかと色香を振りまくことが出来る。あとでこっそりと赤毛の魔女に見せてやろう。
「ウチの息子とノイエちゃんが」
「ああ。あの2人は猿ですから」
僅かに視線を動かし、視界の隅に寄せてある外の映像に目をやる。
あの別荘にはありとあらゆる角度からバッチリ盗撮……観察できるようにカメラをしかけてある。
姉さまが別荘にやってくればカメラに対し自動的に魔力が供給されるからいついかなる時も録画ができるし再生も可能だ。
ただ終始姉のお腹が空白になってしまうが、別荘とは食べて飲んで温泉をして性欲を発散する場所だ。きっと違和感なくあの姉なら満足して堪能してくれることだろう。
そしてどうやら鬼も外の映像を見ているらしい。
こっちもこっちでいつの間にアクセスキーを? 鬼って魔法を扱えるのか? 気合と何となく?
寝食を削り限界まで自分を追い込んで修行をしている世の魔法使いたちに全裸で土下座でもしておけ。
「お~。相変わらずあの2人は元気よね」
大変激しいお互いの体を使った愛情表現だ。
ただ終始兄の方が押され気味なのは仕方ない。相手の方が強いんだから。色々な意味で。
「で、母親として実の息子のあんな姿を見てひと言どうぞ」
「なんて羨ましいっ!」
「もしもし?」
憤慨した鬼に魔女はツッコミを忘れない。
「だってそうでしょう! 好き合っている者が組んずほぐれず交わって……それに何? もう何回目?」
「たぶんこれから4回目かと」
巻き戻して確認したから間違いない。
「そうよ! あの子は自分のお嫁さんを相手に飽きることなく猿になっているのよ! その凄さが魔女ちゃんに分かるかしら?」
「というかあれは姉さまの方が」
「違うわ! ノイエちゃんの魅力が凄いからあの子は何度でも蘇るのよ!」
「そんな何処かの天空城のような?」
「ああ……本当に羨ましい」
何故か鬼は膝を抱えて畳の上で丸くなった。
「ウチの人だって最初は何回も求めて来たのよ? でも段々と質と量が減少し始めて……妊娠出産したらほとんど手を出さなくなるの。違うのよ! 確かに子育ては大変だし、その時期はそっちが忙しくて性欲なんて湧いてこないけれど、でも違うの! 決して性欲が無くなったわけじゃないのよ!」
何の代弁なのか良く分からないが、鬼の叫びには魂的な何かが宿っている気がした。
「それに御前は鬼ですしね」
「そうなのよ! だからオバサンってば出産直後からやる気満々なのに、あの人ったら『無理はしなくて良いんだよ。今は忙しいんだし』って優しくしてくれるからこっちから強気にいけなくなっちゃうし!」
「それでどうしたんですか?」
「うん。強いお酒を飲ませて寝ている隙に」
「おまわりさ~ん。ここに犯罪者がっ!」
「セーフよセーフ! 夫婦だからセーフなはずよ!」
「たぶん夫婦でもアウトかと?」
「そんな馬鹿なっ!」
衝撃を受けた様子で鬼は畳の上で大の字だ。
「そうしたら段々と私も鬼の宿命で体が弱くなってきちゃってね……そうなるともう最後なの。あの人は何処で発散していたのかと思うほどに手を出して来なくなって」
「トイレかお風呂か風俗か」
「いや~! 前の二つは見張っていたから絶対にないと思うけど、風俗まではカバーできない~!」
「そうして男は他所に女を作っていくのよ」
「ダメよ! 気を付けてノイエちゃん! 絶対に匠ちゃんの下の袋から手を離したらダメなんだから!」
それはきっと握り潰すコントが発生しそうだから勘弁してあげてください。
誰が治す? あの小さいのに大きいのは外傷は治せても握り潰したゴールデンなボールは……皮から出して舐めて治せば良いのか?
ただそんなことをしたら兄さまの何かがハッスルする可能性がある。
人は激痛の先に新しい何かを発見できる生き物だもの。
「と言うか本当に兄さまってタフよね」
いくら姉の加護を受けていて体力の回復が鬼仕様だと言ってもあれの回復力は本当に異常だ。
「うん。まあ匠君は鬼の血を引いているから」
「でもそれって日本で死んだ肉体でしょう? 今の兄さまははこっちで体を得たから」
「それでもよ」
食べ終えたモンブランを片付け、魔女はサツマイモとリンゴのパイを切り分ける。
昔からこれが好きだった。お台場の戦場に出向き帰りに寄り道をして買って帰るほどに愛していた。自分の中のご褒美はいつもこれだった。
スプーンからフォークに武器を変え魔女は手を合わせて戦いに挑む。
「魔女ちゃん。オバサンの話を真面目に聞いている?」
「私ってばマルチタスクのプロなんで大丈夫です」
「……オバサン、古い人だから横文字に弱いのよね」
横になったままで畳の上に指を走らせ鬼が『の』の字を書き続ける。
「はいはい。それで?」
「……魔女ちゃんなら何となく分かる気がすると思うけど、昔話の鬼が人に宿ったらどうなる?」
「大半は鬼になりますね。ああ、そういうことか」
「そういうことよ」
納得した。
パイを口に運んで舌鼓を打ちながら魔女は頷く。
「つまり鬼の本体は肉体では無くて魂の方ってこと?」
「厳密に言うと霊体になるのかしらね」
「つまり今の御前がそれね」
「うふふ」
鬼は笑って返事を誤魔化した。だがそれは実際返事をしたのと同じだ。
「本当に鬼って厄介な存在ね?」
「あら? ごくごく普通の妖怪よ」
「どこが?」
呆れつつ魔女はまたフォークを動かす。
「つまり人とのハーフな兄さまは、その鬼の力を半分程度宿している。そしてその力は今入っている肉体にも作用するから……だから兄さまって姉さまの加護があったとしても、あんなにもタフなのね。ギャグキャラ補正でも入っているのかと思ってた」
「その補正が何か分からないけど、匠君は由緒正しい正統派の鬼の血を引いた末裔だしね。まあハーフだから能力的には本来の力の半分以下だと思うけど」
モゾモゾと這って来た鬼が手を伸ばし机の上のパイを1つ掻っ攫っていく。
まだ食べるのか?
「なにこれ? リンゴと芋が……知らない。オバサン、こんなに美味しいモノを知らないわ!」
「だ~! ケースで出すからそっちで食べて」
掴みかからんとする鬼の目の前に箱単位でパイを取り出して置く。
箱は何となくだ。箱から取り出して食べるのが好きだっただけだ。
「まあノイエちゃんの加護だっけ? それもあるから匠君は簡単に死なないと思うけど」
「ええ。でも一回死んだ時は焦りましたよ」
「……はい?」
寝たままラッコのように両手でパイを持ちパクパクしていた鬼の手が止まった。
あれ? これってば知らない話?
魔女は引き攣った笑みを浮かべながら頭を掻く。
「ちょっと前にあの2人に試練と称してイベントを敢行した時にウチのキングが頑張りすぎちゃって……まさか頭を打って一回死ぬとか想定して無かったんで」
「魔女ちゃん?」
「あはは~」
パイを一気に食べた鬼が幽鬼のように立ち上がる。
その姿に魔女は全身から冷たい汗を噴き出した。
「ちょっとオバサン……怒っちゃったかも?」
「あは~。許して? ダメ?」
両手を顔の前で合わせて魔女は可愛らしくお願いをする。
「ダメ」
「ダメか~」
ダメらしい。
動き出した幽鬼が両手を持ち上げ、ワキワキとその指を動かす。
「私が満足するまでその胸を揉ませてくれたら許してあげるわぁ~!」
「全力でお断りします」
そして2人の追いかけっこが始まった。
© 2024 甲斐八雲
ノイエの加護の内容をいずれどこかで話さないとな~。
ただノイエが説明するわけないし、眠ったままの姉はいつ復活するか謎だしな。
はい? そっちじゃなくて馬鹿がいつ死んだの?
うん。あの馬鹿死んでますよ。だから祝福が2つあるわけだしね。
その辺の話は…追いかけっこが終われば語られるかもね。知らんけど~w




