今の貴女は幸せですか?
ユニバンス王国・北部ドラグナイト家別荘
「ご主人」
あたりが上手くいかずに餌だけ無駄に消費している馬鹿が、僕の餌箱を覗き込んでいる。
同じ餌だ。ちょっとミミズも混ざっているが基本同じだ。お前の下手さ加減をそろそろ認めろ。
つか『様』を付けろ『様』を。
あっちの生真面目地雷系メイド長様が睨んで来ているからな。
だから僕は『様』を忘れていないだろう? 心の中での呟きだって相手が何かを察する時があるんだ。特にノイエなんて超人レベルの読心能力を所持しているから恐ろしいんだぞ?
たまに心の中の声で会話が成立するしな。
「何でしょう?」
「このにょろにょろちょうだい」
ご主人様のニョロニョロを求めるとは何てメイドかと。ああん? 欲しいのか? ご主人様のニョロニョロが欲しいのか? あん?
「欲しいの?」
「うん」
まあ最初虫を嫌がっていたからミミズ無しの餌箱を渡した事実もある。つまり自分の餌箱に入ってなかった餌を使っているから自分が釣れないのだと思っているのだろう。
たとえそれが実力の差だとしてもだ。
「お前の餌箱持って来い」
「は~い」
行って帰って来た馬鹿が、底の見える餌箱を差し出してきた。
あ~。大きな虫ばかり餌にしたかもしれんなコイツ。大きければ針が隠れて釣れそうな気がするけど、逆に大物狙いになるから難しさが倍増するんだぞ? 個人的な見解ですがね。
その辺を解いても釣り初心者の馬鹿には通じないだろう。
僕の餌箱をコロネに押し付け、代わりに馬鹿の餌箱を受け取る。
これぐらいハンデだ。感謝したまえ。
実際僕と奴とでは釣果に差があるがその辺はコメントしない。
「ありがと~」
近所のお兄ちゃんに挨拶でもするような感覚でコロネが餌箱を受け取った。
うむ。この馬鹿は段々と素が出て来たと思ったら意外と愛嬌があるから許せるな。今だってメイドとしたら失格だろうし、現にあっちで怖いメイド長様が笑えない表情でこちらを見ている。
出来たら僕を見ないで欲しい。確かにコロネの行動を許している僕も同罪かもしれないが、この年齢の娘が感情を殺してメイドをしている方が不自然だ。そんなことをハルムント家で言おうものなら僕の思想を修正されそうだが。
笑える時に笑える環境を作るのもご主人様の使命だと僕は思う訳です。
特にコロネなんて元は暗殺者だ。この年齢の少女が人を殺して来て心に傷を負っていないということは無い。もし『負ってない』と言うのであれば、それは何かしらの感情が壊れている証拠だ。要リハビリだ。僕はカウンセラーではないのだけどね。
と言うかコロネさん?
「コロネ」
「はい」
ニョロニョロことミミズを針に付けていたコロネがこっちを見る。
頭だけ刺すな。その付け方は胴体をパクっとされて絶対に失敗するから。
相手の竿を取り上げ餌を付け直す。じゃなくて、
「ちょっと立って一周クルンと」
「はい?」
首を傾げつつもコロネは立ち上がりその場でターンを決める。
コロネが来ているメイド服はドラグナイト家で採用している普通の物だ。悪魔が笑いつつハァハァしながらデザインした機能性に優れた逸品らしい。所々にスリットが入っていて動きやすさを追求しつつもメイド服として恥ずかしくないデザインになっている。
叔母様がポーラが着ていた物を見て『デザインはあれですが機能は素晴らしい。譲りなさい』とお願いしてきたぐらいだ。
お願いされました。脅迫ではありません。この世界に著作権はありませんしね。
ただ貴族のプライドは存在しているので声をかけて来た感じです。
冗談で『高いですよ?』と軽口を挟んだ無能なる僕をしばらく恨みつつ腹いせにクレアの頬を左右に引っ張って遊んだ事実は気のせいです。
だがデザインも悪くない。機能性重視だが若いメイドには可愛らしさを強調した感じを、少し年齢が進んだメイドには落ち着いた感じの二種類存在している。コロネは可愛い方だ。相棒のスズネは同じ年齢だが落ち着いたデザインの物を着ている。この辺は悪魔で個人の希望だ。
我が家ではユリアのようなミニスカを穿いている者も居るし、逆にミネルバさんは機能性はそのままにデザインは古巣の現行ハルムント式を着用している人もいる。
一応我が家のデザインとして一式揃えただけだ。
それにあっちのメイド長様なんて古めかしい……大変シックな物を着ている人もいる。
つまりメイドは自分に似合うメイド服を着ていれば良いのだ。
勿論統一している場所もあるけどね。王城とか。
「何ですか?」
少しメイド服について思案していたら立ったままのコロネが首を傾げていた。
うむ。コイツってば一応ユニバンス色と呼ばれている金髪碧眼なのである。
物々しい左腕は義腕だ。ちょいと色々とあって肩の辺りから外れたらしい。ただとても綺麗に外してあったから治療はスムーズに済んで傷跡は比較的綺麗だったとか。
隻腕となる怪我を負うほどの傷跡としてはだけどね。
それは良い。馬鹿を眺めていて何かを思い出した。
あれだあれ。ノイエが小さくなった時のことだ。
「あっ思い出した」
「何がですか?」
増々コロネが首を傾げる。
「去年ぐらいにノイエが小さくなってね。可愛かったな~と」
「……」
ちょっとコロネくん? その下種の何かを見つめるような蔑んだ視線は何ですか? 左腕を使ってまで隠すほどにお前の胸に何の価値が有ると? せめてもう少し、結構かなり頑張って大きくしてから隠そうか?
「これから大きくなるもんっ!」
おや? 心の声を意識して声に出していたようだ。意識していたから仕方ない。
馬鹿は泣きながらメイド長の元へ飛んでいき、途中で方向を変えてユリアの胸に飛び込んだ。
うん。分かる。今のフレアさんは2サイズぐらい胸が大きくなっているから、あれに飛び込んだらショックを受けると判断したのだろう。
ただユリアの胸も決してだぞ? ああ。無い者同士の傷の舐め合いか。
「ばか~!」
また意識して声にしたせいかコロネが怒って騒いでいる。抱き着かれているユリアは困った様子で……悪口を言われても引き攣り笑顔で受け流せるアイツはやはり元貴族だな。
「何を遊んでいるのですか?」
「暇潰しかな」
こちらも呆れた感じでフレアさんが歩いて来た。
ノワールは持ち運べるベビーベッドでぐっすりお昼寝タイム中だ。
僕が持つコロネの釣竿を引き取ってくれると隣に座り釣り糸を垂らす。
「釣りとかするの?」
「……昔のハーフレン様は本当にやんちゃでしたから」
「納得」
つまり元婚約者を野外に引きずり回していたのであろう。
あの馬鹿の前世は、熊か何かの野生生物か?
「それにこうして何も考えずに浮きだけを見ているのは嫌いではありませんでした。ただ昔は湖で釣りをしていたのでこんなにも動きませんでしたが」
「そっか~」
実は僕も何となく渓流釣りに浮きって必要だったかな~と悩んでたりするんだよね。
たぶん必要なはずだから問題ない。ただ渓流釣りの浮きって長細かった印象がある程度です。それはヘラブナとかだっけ?
「フレアさん」
「何でしょう」
「過去に戻りたいとかって思うことある?」
「……」
その問いに彼女は何も答えない。
色々と聞く限りフレアさんは最良を求めた選択で悉くハズレを引きまくった人生だとか。
ただ今は比較的良い感じな当たりを引いて落ち着いた日々を過ごしている。自分の娘に対して厳しい母親を演じているが、それでも我が子と一緒に暮らせる環境ではある。父親があれだけどね。
「戻りたいと思うことは沢山あります。私はずっと失敗ばかりしてきましたから」
「人生的な?」
「それもですが……友を救うこともできませんでした。むしろ救われたぐらいです」
竿を強く握り彼女はジッと水面を見つめている。
「救われた私は彼女に何もしてあげられなかった。唯一出来たのは彼女が埋葬されている共同墓地に花を手向けることぐらい。それしか出来ないんです」
「そっか」
彼女の頬を伝う水滴はきっと汗だろう。だってメイド長たる者が他人の前で泣いたりしないしね。何より今日はそこまで暑くないけど日差しはある。だからきっと汗だ。
「ねえフレアさん」
顔を下げて気持ちを落ち着かせている彼女に僕はずっと聞きたかった言葉を口にする。
質問するのが怖かった言葉だけだ、今なら聞けそうな気がする。たぶん。
「今の貴女は幸せですか?」
返事が来るのに時間を要した。
僕が魚を一匹釣り上げるぐらいの時間が。
「……はい」
顔を上げた彼女はもうメイド長だった。
「少なくとも今の私は幸せです」
「そっか」
ならば良しだ。
© 2024 甲斐八雲
実はフレアはもっと激しくヒャッハーして不幸になる予定でしたが…思いの外読者様たちから総出で嫌われ過ぎて作者の中で親心が発動。ヒャッハー具合をセーブした過去があります。
はい。もっとやりまくる予定でした。懐かしい話だw
おかげで色々と調整する羽目になって『実は旅人さんが出ていなかったよ事件』に続いたりしたんですけどね。ヒャッハーしすぎてボロボロのフレアを治すのが旅人さんの予定だったとか…マジ懐かしき設定だな。
ただ旅人さんと出会っていないから彼女は自分の娘を産めたわけです。あれと出会っていたら、ねぇ?
それか原因でアイルローゼと旅人さんとの間にフラグが立たなかったとか、やはり後々のことを考えると痛い予定変更でした。いまだに傷は深いです。
とたまには裏話を語ってみました。長期連載しているとそんなことだらけです




