無駄乳女がっ!
夕暮れ……仕事を終えたノイエは郊外の待機所を出ると、城には向かわないルートを通って自宅へと足を向ける。
本当ならば真っ直ぐ城へ行って一緒に帰りたい。頭をグリグリと撫でて欲しい。
でも今の"彼"はとても怖い。
謝って欲しくない。言って欲しい。
『どうして違う名前を呼ぶのか?』
でもその答えはまだ言って貰えない。
だから怖い。本当に怖い。
足を止めノイエは手近にあった石に座る。
自分の膝を抱いて……ポロポロとこぼれる涙を落とし続ける。
こうして泣いて帰るのが、最近のノイエのパターンとなっていた。
「何か見てて痛々しいんですけど?」
自分の祝福を解除したルッテは、今見た隊長の姿を思い出し胸に手を当てた。
椅子に座り膝を抱えるフレアと残り物の肉を頬張るミシュ。その3人で現在、『どうしたらあの2人が仲直りできるのか?』を模索している最中なのだ。
「で、フレア。上からは何か言って来てるの?」
「まだ露骨な命令は来てないわよ。でも普段一緒に城下を行き来していた夫婦でしょ? 市民の間からは不安の声が出ているし、それを聞いた一部貴族も騒ぎ出してる」
「あはは。夫婦喧嘩なんてどこの家庭でもやるのにね~」
「夫婦を、恋人も居ない人がそれを言っても説得力が無いわよ」
「抉るような言葉の暴力がっ!」
椅子から転げ落ちたミシュはそのまま沈黙した。
馬鹿が静かになったところで問題は何一つ解決しない。
「えっと……話を纏めると、隊長はアルグスタ様が『何かを隠しているのが気に入らない』で良いんですかね?」
「聞き取りをした限りではそんな感じで間違っていないと思うわよ」
「だとすると……正直に話して貰うしかないような気がしますね」
ルッテの指摘は間違っていない。
だが本人は否定しているが、ノイエ小隊の実質的な管理者であるフレアは普通には聞けない情報を数多く握っている。
たぶん大隊長たる彼が必死に黙っている事とは、
「あ~。小耳に挟んだんだけとさ~」
「何ですか?」
復活したミシュが顔を上げた。
「アルグスタ様に隠し子が居るとかって言う噂」
「嘘っ! あの人は隊長一筋ですよっ!」
訳もなくルッテは憤慨した。
いつも厄介事を押し付けて来る相手だが、上司を大切にしている姿を見ている限り理想的な異性とも言える存在なのだ。そんな人物が不貞だなんて……許せない。
ヘラヘラとしながらミシュは、また肉の残りを漁る。
「あくまで噂だよ? 記憶を失う前に作った子供って話だしね」
「つまり結婚前ですか?」
「たぶん」
「ん~」
そうなると少し悩む。
腕を組んで、首を捻るルッテは自分なりに考える。
彼が隊長たるノイエと結婚したのは、政略結婚の面が強い。つまり上からの指示で無理やり結婚させられた訳だから、その前に恋人の1人や2人居てもおかしく無い訳だ。
だったら子供が居てもおかしくない。不貞では無い。ギリギリでセーフだ。
「射殺は無しで」
「何を考えたらそんな結論が出るんだ? この無駄乳女がっ!」
「突然どうしてっ!」
「煩い! 腕を組んでそんなに胸を強調してっ!」
事実ルッテの胸は、組まれた腕に乗りその大きさを誇示していた。
また胸で遊びだした2人に対し、フレアはため息を吐き出して頭の中を切り替えた。
ミシュの言葉に間違いはない。事実共和国に小銭を嗅がされた貴族たちがその噂を広めている。
いずれは隊長の耳に届くのも時間の問題だ。でも、
(それだったらアルグスタ様が口を紡ぐことは無い。彼の隠し子は他人の子供とすることで話が纏まっている。なら隊長にもそれを説明してむしろ仲の良さを強調するべき)
だが事実2人は仲違いをし、口も利かない状態なのだ。
(たぶん違う何かよね)
自分なりに答えが出た。
立ち上がったフレアは、地面を転がり攻防を続ける馬鹿2人に目を向ける。
「ちょっと行ってハーフレン王子に詳しい話を聞いて来るわ」
「あの筋肉馬鹿は知ってても言わないと思うよ?」
「でしょうね」
スッとその目を細めフレアは薄く笑う。
「だったら教えてくれるように『お願い』するだけ。昔も今も変わらないわよ」
「はいはい。最後の戸締りは私がやっとくから……ほどほどにね」
「ええ」
静かに遠ざかるフレアを見て、ルッテは全身から噴き出る冷や汗を止められずに居た。
たまに怖い空気を纏う事があるが……今見せたのは『怖い』では片付けられない物だった。
「ミシュ先輩?」
「何よ」
「フレア先輩って……たまに凄く怖いですよね」
「あ~。そうだね」
ルッテの背後に手を回し、彼女が着ている皮鎧を解きつつミシュは笑う。
「あれでもだいぶ丸くなった方だよ。昔はもっとあれだったって聞くしね」
「そんなに怖かったんですか?」
鎧が脱がされそうになっている事実に気づいて、慌ててルッテは防御を再開する。
「ん~。怖いとかじゃ無いのかな? 聞いた話だとただ恐ろしいって話だったね」
革製の鎧の止め糸を解き切り、ミシュは相手の胸元に手を差し込んだ。
「ちょっと先輩っ!」
「にょほほ~。寄こせこの脂肪の塊をっ!」
「ダメです。ダメ……んんっ」
十分に脂肪の塊を堪能し、地面の上でピクピクと痙攣している後輩を見つめミシュは息を吐いた。
そう彼女はただ恐れられていただけだ。『影の中の微笑』と名高い……ユニバンス一の拷問官。
彼女を前にして口を割らなかった罪人は1人としていない。
「あの馬鹿王子……死ななきゃ良いけど」
他人事のように呟き、ミシュは撤収の準備を急がせた。
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