9.そも竜王とは
穂純を見送った木槿と守人が最初に向かったのは島長である深水のところだった。
今は武器――主に刀――の製作をおこなっており、引退したものを除いた全鍛冶屋がわずかな休憩だけをはさみながらひたすら炎と格闘している。
木槿たちが深水を訪ねたときはちょうど休憩に入るところで、全員が汗を拭いていた。
最初に気づいたのは深水だった。外に人が来た気配を感じたのだろう。深水は扉を開けると同時くらいに視線を向けてきた。
「これは頭領。どうされました。鍛冶のほうは順調ですよ」
深水が指し示した先には鍛え終わった刀が卓の上にずらりと並べられていた。
その横に積まれているのは研ぎまで終えていつでも使えるような段階にまで仕上がった刀だ。
深水が店番をしていた出店通奥の店内に置かれていた大量の見本も、すべて研げばすぐに使えるものばかりだった。そうした武器も目一杯活用するべく専用の研ぎ師たちが片っ端から研いでいった。
まずは数を揃えること。
できるだけ多くの島民に武器を持たせる。そうすれば敵から武器を奪って増やすという足掛かりにもなる。
「聞きたいことがあるんだが、しばらく席を外せるか」
そばまでやってきた深水に木槿が尋ねた。
何を聞かれるのかわかっているようで、深水は軽くうなずくとほかのものへ食事を済ませてくるように伝える。そのあとは鍛え終わった刀の研ぎをおこなって、とにかく使える武器を増やすようにと指示をした。
「お待たせしました。ではどちらで伺いましょうか」
木槿は後方に控えている守人を振り返った。
「どこがいいかしら」
守人は口元に拳を当ててしばらく考える。
「深水様のお店で、というのはいかがでしょう」
その意見に木槿も深水も同意し、即座に移動する。ただし途中で宿の食堂によっておにぎりを三人分用意してもらった。おにぎりであれば簡単に食べられる。今のうちに何かを口にしておかないと今度はいつ食べられるかわからない。樒のところへもおにぎりを届けるように伝えて、今度こそ出店通の奥にある店へと向かった。
いつものように深水がお茶を用意する。あたたかいうちにと先におにぎりを食べることにした。三人ともにそれぞれ立場があり一度呼び出されれば簡単に休憩が取れなくなるかもしれないからだった。
なかでも木槿は呼び出される確率が高い。時間を節約するために、食べながらどうやって話を切り出そうかと考えていた。結局は無意味な努力となったが。なぜなら食事を終えて一息ついた頃に、先に話を切り出したのは深水だったからだ。
「それで聞きたいことというのは、竜王の総領のことでよろしいですかな」
木槿は小さくうなずいた。
「ええ、そう。総領のこともこの桜花もことも、私が知らないことのすべてを教えてちょうだい。どうして副頭領の樒が教わっていて、頭領の私が何も聞かされなかったのかも」
そも竜王とは。
竜王とは最後の大陸「竜」を守る組織の名称である。
はるか昔、この世にはたくさんの大陸があったという。だがその時代を知る者はすでにいない。
いったい何が起こったのか。
それを知る者すらもういない。
ただ言い伝えによると、あるとき突然大陸が割れていくつかの大島へとなった。さらには大島もいつしか浸食されて小島へと。
唯一残されたのが大陸竜。もっとも以前の大きさからすればとても大陸とは言い難いが、それでも現存している中では飛びぬけて広い陸地には違いなかったのでそのまま大陸と呼ばれている。その大陸の形が竜に似ていたからそう呼称されるようになったらしい。
ここで問題になったのが竜の所有権および利用方法だった。
結局人は大陸以外でも生きていけた。
小島であっても、船などの人工島ででも。
だがほとんどの動植物はそういうわけにはいかなかった。大量の栄養素を含んだ水分を蓄えられる陸地がなければ大量の植物が育たず、それらを食料にしている草食動物が生きていけなくなる。草食動物の数が減れば当然それを捕食している肉食動物も絶滅するしかなくなる。そして動植物が全滅してしまって困るのは人間も同じなのだ。
そこで昔の人々は考えた。
最後の大陸を基本的に動植物専用の住処とし、人は自然島や人工島に散らばって生活することにしよう、と。人が農作物の栽培のために大陸を利用するのは一部の沿岸だけにしようと。
とはいえ無断で大陸に住み着こうとするものは当然出てくるもの。
だからこそ大陸竜を守る者が必要になった。
そうして四つの要塞島が作られた。そして立場の似ている四天王になぞらえて、竜を四方から守る王――竜王と呼ばれるようになる。
一の竜王、桜花。
二の竜王、猿島。
三の竜王、橘花。
四の竜王、友ヶ島。
猿島と友ヶ島は自然島で、橘花と桜花が人工島だ。
「ここまでは宜しいですかな」
この世界の基本であるため当然理解しているであろうが、順を追って説明していったほうが深水としてもやりやすい。また万が一齟齬があってはこれから先支障が出てくる可能性もある。そのため深水はいったん話を止めて木槿の認識具合を確認した。
頭領といえば本来であれば他のものより表はもちろんのこと裏の情勢まで把握していなければならないにもかかわらず、立葵はそれを木槿に教えていなかった。もっとも裏に関しては立葵も知らないことが多かったが。
ともあれそうした状況を鑑みるに立葵が木槿に対して故意に間違った知識を植え付けている可能性も否定できなかったため、まずは子供でも知っている基礎から入っていったのだった。
誤った知識認識は早々に修正をしておかなければ、木槿があとあと困ることになる。立葵が亡くなった今であればそうしたところでだれにも文句を言われはしない。むしろ団員や島民から不信を抱かれないうちに必要な知識を詰め込む必要がある。
「ええ、大丈夫よ」
そのあたりのことは木槿も理解できたため、逆に深水の気遣いに感謝していた。
「それでは今度は竜についてです」
大陸竜へは人間は居住のための上陸は原則禁止だ。だが何事も例外が存在する。
一部の沿岸地域で食料となる農作物の栽培を担当している者と、狩りを担当している者だ。
農作物の栽培は許可を得た人間だけが携わることができた。夜は動物に畑を荒らされないように見張るものが数人つく。この見張りは主に狩人が交代で担当していた。
狩人は農作物の夜間警護以外に、大陸の奥へ入って行って食肉用の獣を狩ったり毛皮用の獣を狩ったりする。そしてごくまれに無断で上陸している者を捕らえたりもしていた。
狩人たちは格闘の要塞島とも呼ばれている橘花で狩人としての登録を済ませ、仕事が振り分けられたらそれに従い狩りをする。竜に上陸する場合、依頼された仕事と個人的な目的のための二種類があり仕事の内容によってそれぞれ上陸期間が定められており、それを過ぎると不法上陸とみなされて他の狩人の狩りの対象にもなる。
そうしたように狩人はかなりの激務であるがそれでも希望者があとを絶たないのは期限が限られているとはいえ大陸に行けること。そして大物を狩ることができれば一生暮らしていけたからだ。
大物とは恐竜とも呼ばれており、大陸竜の主とも考えられているが、この恐竜がたまに人の領域である沿岸部付近に迷い込むことがある。そうすると貴重な食料を根こそぎ荒らされてしまう。
そこで恐竜が一定範囲を超えて沿岸部に近づいた場合は狩っていいことになった。もちろん昔は奥へかえす方法を考えていたが、有効な手立ては何も見つからず人間ができることといえば狩ることだけ。それですら命がけなのだから。
「基本的には竜王の総領とは要塞島四島の長でもありますが、そうした狩人をまとめる立場の頂点でもあります。そのため武器の桜花よりは、狩人の登録や鍛練がおこなわれる格闘の橘花に拠点を置かれているため他の竜王――要塞島では認知度が低いのです」
そうした状況もあって竜王総領の存在を知っているのはせいぜい各要塞島の島長たちのような代表者的立場に座しているものの一部だろう。
だからこそ余計に立葵のように先代を弑して桜花頭領の地位を簒奪したような輩では知る由もない。
原則強いものが頭領の地位に就くという根幹により立葵の頭領への就任は一応認められたものの、肝心の知識までは簒奪者への継承に難色を示す者もおり受け継がれなかった。
そして立葵自身は頭領に与えられるすべての権限を得られなかったことに気づきもしなかった。
「ですからまだワシら教えられるものが生きてる間に木槿様へと頭領の座が移ってくれて助かりました」
深水が苦く笑う。
「それに桜様のことも。今回の件はちょうどいい機会だったと思うています」
「桜……様は……」
言いづらそうにする木槿に深水が助け舟を出した。
「ここにはワシらだけしかいませんから、これまでどおり『穂純』で構いませんよ。桜様がこの場にいらしてもそうおっしゃるはずです」
本当にそれでいいのかと木槿はわずかに見開いた瞳で深水を見返し、次いで守人に視線を向けた。
守人も同様にうなずいたため、木槿はいったん唾を呑みこんでから口を開いた。
「穂純は……いつ竜王の総領を継いだの?」
「桜様が三歳の時です。先代の総領は桜様の祖父にあたるかたで、沢瀉様とおっしゃいます。沢瀉様が病で伏せられた際に桜様をご指名になられました」
その時から穂純には秘密裏に護衛がつけられた。
秘すべき立場だった故、護衛の者たちは花団を引退して表向きは隠居していた老人が選ばれた。先代の島長である常一とともに穂純を匿って桜花から逃れ、そして総領として育て挙げた老人たちだ。
竜王総領を穂純が継いだことは一部の者しか知らなかった。そのためただの子供と思われた穂純に対しての追っ手もゆるく、立葵の魔手から逃れることができたことは僥倖だった。
「え? でも穂純が先々代頭領櫟様の一子なのでしょう? 通常であれば穂純が次代の頭領と思われて余計に狙われるものじゃないの?」
深水は悲しげに微笑むと緩く首を横に振った。
「当時次代の頭領に指名されていたのは島長常一様の初孫でした」
穂純の両親である櫟と芹はなかなか子に恵まれず、島長の初孫が年齢的にも次代としてちょうどよかったことからそちらへと候補の声が上がった。
実際にはある程度の年齢になった時の力量次第でほかの候補へと移る可能性はあるものの、第一候補は次代の頭領として幼いころから鍛えられるため実際に入れ替わりがおこなわれることはめったにない。
「それならなおさら……」
木槿の疑問はもっともだ。
要するに木槿としてはなぜ自分が義兄義姉を差し置いて頭領となったのかが不思議で仕方がないのだから。
その人物か。はたまた他の候補か。もしくは遅れて生まれてきた穂純か。
改めて考えれば頭領候補は次々と浮かんでくる。木槿は奥歯をかみしめながらややうつむき加減になった。
「理由は簡単。立葵に殺されたからです」
どことなく冷ややかな声音で静かに告げられた内容に、木槿ははじかれたように顔をあげて深水の顔を見返した。
「どう……やって……」
実際のところ立葵は飛びぬけて技量があったわけではない。もともと花団では第三位の地位だった。穂純の両親を討つだけでも相当の苦労があったはずだ。
しかし木槿の予想に反して頭領夫妻、花団第二位の副頭領、次代の頭領候補たち。彼らをいっせいに死へと追いやった方法とはいったいなんなのか。
目を伏せて木槿から視線をそらせた深水がわずかに躊躇いを見せつつもそっと口を開いた。
「木槿様がお生まれになったからです」
立葵が凶刃を振るったのは、木槿の誕生を祝う宴がおこなわれた直後だった。みなが連日の酒宴に酔いしれて深い眠りに入ったすきを突かれたのだった。
木槿はただ口元に手をあてただけだった。何も言葉が出てこない。
無意識にかしいだ木槿の体を支えた腕があった。反射的に木槿はその主を振り仰いだ。そこにいたのは護衛の守人だった。
あたりまえであるはずなのに、木槿はなぜか落胆を覚えた。いつも背後で木槿を守り支えてきたのは守人だった。けれどこのときの木槿はその腕を穂純のものと勘違いした。穂純は現在海豚を蹴散らしに行っているはずなのに。
自身の不可解な行動に疑問を浮かべていた木槿は、そのことを思い出した。今は大事な時。時間の猶予はない。すべては終わってから考えればいい。
奇しくも穂純と同じことを考えて、木槿はしっかりと体勢を整えた。
「それで」
かすれた声。木槿は新たに注がれたお茶でのどを湿らせた。
「もともとの頭領候補たちがすべて亡くなられたから、やむなく私が候補に繰り上げられたわけね」
まとめたつもりの木槿の言葉はけれど深水によって訂正された。
「いいえ。殺されたのは筆頭候補だけ。あとの候補の方々は生き延びて立葵の養子となられました」
正確には頭領夫妻と副頭領。そして島長の息子夫婦とその第一子で次代の頭領候補。主だった立場にいるもので殺されたのはこれだけ。
しかし立葵が彼らの命を奪ったことは極一部のものしか知らない。それは逃げた常一たちを、いもしない盗賊と見せかけたからだった。
生まれたばかりの木槿を最初にとらえて人質のように扱い、祝いの酒に酔い潰れていた頭領たちをその手にかけた立葵。
自身の立ち位置を固めるためにも、生かしておいた頭領候補たちをうわべだけの慈悲でもって養子にして桜花の島民に立葵が新たな頭領の座に就いたのだと知らしめた。
「樒様は頭領候補として武術以外の教育も多少受けられておりましたので、竜王総領の存在についても少しは聞いていらしたはずです」
「ああ、それで……」
ようやく副頭領の樒だけが知っていることに対して納得がいった木槿だった。
「それじゃ穂純の正体――というのかしら。総領について知っているのは島長と長老がたと穂純の盾になっていた老人たちと樒だけ……ということかしら」
「桜様が常一殿に育てられたということであれば蔓穂殿もご存知ですよ。桜様が斬鋼刀の注文に来られた際にそこの物入れに隠れて話を聞いておられましたから」
そういって深水は彼らが腰掛けていた卓のそばに置かれていた物入れを指し示した。
「あのときどんな気持ちで蔓穂殿が聞いておられたのかワシにはわかりかねますが、行動を起こすきっかけとなられたことは確かなのでしょうなぁ」
「どういうこと?」
卓の上に置かれていたいまだ血痕の残る鉄扇を見つめながら深水が答えた。
「この鉄扇で立葵を弑したのは蔓穂殿でしょう」