7.誤解
この日は朝からざわめきが激しかった。
桜花全体に緊張が走っているような気配が立ちのぼり、人々は不安な気持ちを眉間に刻む。
宿屋通の最奥の宿の食堂では島の主だった立場の者と常連の狩人や傭兵たちだけが集められていた。
卓を叩くように手をついて立ち上がったのは樒だった。
「結局情報が届いていないのはなぜなんだ!?」
樒は周りを見渡すが答えを持つ者はいない。
「定期便は予定どおりに巡回している。遅れはない。荷物はきちんと届いている。ただ情報だけが塞き止められている。そうだな?」
これには荷受けの責任者と常連の一部が同意した。
「塞き止めているものに心当たりは?」
だが核心部分になると誰もが口を閉ざす。
そこへ肩に伝書鳩を乗せた竜胆が入ってきた。
「契約している情報屋たちは友ヶ島で全員始末されているようだぞ」
その一言にざわめきが大きくなった。
巡回船は猿島、橘花、友ヶ島、桜花の順に航行している。友ヶ島ということは桜花のひとつ前の島でということになる。
「あとから送り込んだ者たちもか?」
樒と向い合せになる位置に腰かけた竜胆は神妙な顔つきでうなずいた。
「ああ、そうらしい」
「どうしてわかった?」
「大量の死体が発見されたということで問い合わせがきた。ほとんどの者は友ヶ島だが、あとから向かわせた者たちは猿島と橘花で消されているようだな。こちらからも問い合わせが来ていて人数も人相もぴったり一致した。ということで間違いはないだろう。俺たちに知られたくない誰かの仕業だな」
「ということは……」
口を濁した樒に代わって竜胆があとを引き継ぐ。
「この件に関しての情報を桜花まで持ち込めたのは穂純ただ一人ということになるな。武器は桜花に来るまでに駄目になったと言っていたから、敵は情報を持つものを誰彼かまわず始末している感じだな。ん~、そんな危ない集団を振り払って穂純は桜花まで来たわけか。あ~あ~、樒が短慮を起こして早々に処刑したりしなけりゃもっと詳しい話を聞けたかもしれないのにな~」
言葉の上では悔しそうに樒を責める竜胆だが、その表情は実に楽しそうだ。樒をいたぶる材料ができて喜んでいるとしか思えない。
「そのことなんだけどぉ」
口を挟んだのは蔓穂だった。
「本当に穂純ちゃんは死んじゃったの? うちの情報屋たちを全滅させられるような集団を振り切って桜花まで来れるような穂純ちゃんが、縛られて海に放り込まれたくらいで死んじゃうと思うのぉ?」
樒と竜胆は顔を見合わせた。
言われてみれば確かにと思わせる。
「誰か穂純を見たことのあるものはいるか?」
周りを見渡すが、やはり全員首を横に振った。
「穂純の生死を問題にするより、早急に武器を揃える算段をした方がいいんじゃないの?」
そういいながら食堂へと入ってきたのは木槿だった。
頭領の登場に特等席が設けられる。といっても副頭領の樒の隣に椅子を用意されただけだが。
「護衛を撒いてどちらに行かれていたのですか?」
樒の問いに木槿は軽く手を振った。
「いつもの海豚での見回りよ」
「頭領になられたからにはそろそろそれもやめてもらわないと……」
樒の苦言に何度もうなずいて同意を示すのは、木槿の護衛の一人。以前穂純が木槿に声をかけた時にいた、あの強面の男性だった。名を守人という。
「副頭領のおっしゃるとおりです。そろそろご自分の立場を理解してくださらないと下のものに示しがつきません」
珍しく口を開いた守人の諫言に、木槿は肩を竦めてみせた。
「守人に従うわけじゃないけど、どのみち海豚での見回りはしばらくできなくなったから安心してちょうだい」
「それはなぜです?」
代表で尋ねたのはやはり樒だ。この場で許可を求めることなく気軽に発言できるのは、やはり頭領の木槿と副頭領の樒の二人だけだった。もっともそこまで厳格に定められているわけではないので、必ずしも発言できないわけではない。先ほどの守人のように状況に応じて口を挟むものはそれなりにいた。
木槿は考えながら答えるように拳を口元にあてた。
「海豚が……なんだか様子がおかしいのよ。何かに怯えているような……、そんな感じなの。命令がきちんと通じなければ危なくて使えないわ」
木槿の言葉にその場にいた者たちは誰彼ともなく顔を見合わせた。
「穂純の情報どおりというわけかッ」
吐き捨てるように言った樒の言葉が、ここにいる皆に共通する思いでもあった。彼らの表情からは、捕縛して牢にでも閉じ込めておけば、といった心境があきれるほど透けて見える。
そんな彼らを侮蔑の影を潜ませた瞳でそっと見渡した木槿だったが、瞬きとともに内に隠して頭領としての顔に切り替えた。
「いつまでも穂純にこだわっているわけにはいかないわ。早急に武器を用意して。これからは食料も日用品も届かなくなる可能性もあるのだから、切り詰めるように島全体に通達を出してちょうだい」
「はぁ~い」
軽やかに答えたのは蔓穂だった。彼女は現在島長代理をしている。
本来島長とは桜花で一番鍛冶屋としての腕が立ち、前島長からタスキを渡された年配のものがなることとなっている。もっとも対外的には鍛冶屋だと知られるわけにはいかないので、島長としての条件は『前任者に指名された年配の者』ということになっていたが。
そして現在その任についているのは深水だった。出店通最奥のあの店を任されるということは島長である証というのは公然の秘密であった。
その深水を含めて全鍛冶屋は現在武器の製作に汗水を流している。何せ出来合いの武器がことごとく買い占められていったので予備の武器が一切ない。
そこで手が離せない深水の代わりに一時的に蔓穂が島長代理としてこの場にいた。もともと前頭領立葵が強引に認めさせたものではあったが、一応蔓穂は次期島長の立場にいたためこの状態は当然の処置だった。
島民へは蔓穂の指示を受けた控えのものが伝達に走り、宿屋通と出店通へは樒から指示を受けた者が同じように退席して知らせにいった。
「しかし、なんだな。猿島も橘花も友ヶ島も冷たいものだな」
隅にいた男がぽつりとこぼした言葉に他のものが反応する。
「そうだよな、自分たちだけ武器を大量に抱えて保身に走るんだもんな」
「そうそう。桜花だってすぐに武器を大量生産できるわけじゃないんだから、ああまで買い占めずともいいだろうに」
「なんか自分たちが助かりさえすればいいって言われてるみたいで、いやな感じだよな」
これらの発言を耳にした木槿は爪でこつりと卓を叩いた。
「仕方ないわ。彼らだって初めてのことに戸惑っているのだろうし。それでも少しでも多くの者が助かる道を模索しての行為なのだから、ここは彼らを責めるのはやめて私たちも多くの島民を守るために建設的な話し合いをしましょう」
そうだな、と樒があとを引き継いだ。
「まずは食料の確保。次の便でどの程度食料が入ってくるかわからないが、まだあと一回くらいはまともな荷が届くかどうか、友ヶ島に問い合わせてみてくれ。この調子だと次で最後になるかもしれないからな」
「わかりました」
新たな命令を伝達に走る男を最後まで見送ることなく話題は次へと移っていく。
「食料もそう余裕はないし、桜花の要の武器も売るだけの余裕がないわけだから、この件が落着するまでのあいだ客たちを友ヶ島で足止めさせておくわけにはいかないのか?」
腕組みをしてそういったのは竜胆だった。頭の中であれこれ考えながら言葉を発しているのか、卓のどこか一点を凝視したままつらつらと口を開いている。
「それとも武器を持っている傭兵だけは招き入れた方がいいのか?」
「下手に新参者を招いても系統が乱れるだけで戦力にはならないだろう。今ここにいる者たちのように常連でなおかつ奥に何度も出入りしたことのあるような勇猛な狩人でなければ役には立つまい。とりあえず一時的に荷物以外は桜花への受け入れを中止して、今いる客も戦力外の者は早々に猿島へ送り出した方がいいだろうな」
樒の言葉に皆がうなずいた。
そうした様子を見渡した木槿も軽くうなずき、友ヶ島と猿島へその旨を知らせるように指示する。
ほかのことはどうするかと木槿が腕を組んだところで、外から息せき切った男が駆け込んできた。
「頭領ー! 奴らが! 物見の者が奴らの姿を捉えたそうです!」
木槿は椅子を蹴立てるようにして食堂をあとにすると物見台へと一目散に走り出した。
樒たちもあとへ続くようにして物見台へと向かった。
「どこ?」
物見台へ到着早々木槿は望遠鏡を覗く。
望遠鏡で見てすらまだ小さな点ほどでしかないが、確かにあれが侵略者の集団なのだろう。
手前のわずかに波立つように見える場所がたぶん操られている海豚たちだろう。
木槿にとって海豚は友であり仲間でもあるが、その海豚を盾や武器にする者たちがいることも話だけは聞いたことがあった。
やりきれなさを感じていた木槿の手元でギシリといった音がする。音で我に返って目を向けてみれば、望遠鏡を握る手に力を入れすぎて軋んだ音だった。
そっと深呼吸をして気持ちを表面上だけでも落ち着かせた木槿は体を反転させて背後に控える者たちへと向き合うと高らかに宣言した。
「全員戦闘配置につけ!」
頭領の号令に応えるように、そこかしこから鬨の声があがり島全体が一気に戦場の様相を呈した。
木槿の号令を受けて一斉に戦闘準備が進められていく。
親は子供たちを家の中に入れてすべての窓や扉を閉ざす。
外に出していた荷物もすべて建物の中に片づけて、移動の妨げにならないように通路を確保する。
物見台そばの砲台はもちろんのこと島のあちこちに設置されていた大砲に次々と大砲弾がこめられていく。
そうした状況を垣間見ながら、再び桜花へと上陸した穂純は混乱に紛れるようにして木槿のもとへと向かっていた。
(どうして本体を起動させないんだ?)
内心で首をかしげながらも穂純は、伝令の動きから木槿は中央の物見台にいると判断して急いでそちらへと向かう。そうしてようやく凛と背筋を伸ばしてまっすぐ前を見つめる木槿を見つけた。
「木槿! 木槿、なぜ艦を出さない!?」
「穂純? どうしてここに……」
思ってもみなかった穂純の登場に、驚いて振り向いた木槿の瞳がさらに大きく見開かれる。
「この、頭領殺しッ!」
甲高い悲鳴じみた叫びとともに穂純に浴びせられたのは、桶に汲まれた貴重な真水だった。
どこかに運ぶ途中で、穂純の姿を見つけて思わず逆上してしまったといった感じだろう。
穂純はそう結論付けると、諦めたようにため息をこぼしながら雫を垂らすほどに濡れた髪を水分を絞り出しながら両手で掻き上げた。
その姿を見た守人が信じられないといった感じで小さく後退る。
「桜坊ちゃん……?」
つぶやいた言葉は、発した守人自身だけでなく、物見台から降りてきていた木槿や樒、竜胆に蔓穂といった主だった者の耳へも届いていた。
「まさか、穂純があの『桜』だと……?」
眉間に皺を寄せて唸るように言ったのは樒だった。
たしかに穂純が特注した武器のすべてには桜の花紋が入れられた。そして。
「あの刺青……か」
穂純を海に放り投げる前にすべての武器を没収するためにと身体検査をさせたが、その時に穂純の両耳たぶに桜の刺青が小さく彫られていたことには気づいていた。それどころか疑わしい個所は念入りにとばかりにただの刺青と証明されるまで調べさせたので、樒もはっきりと覚えている。
これまで髪に隠れていた問題の耳も、今は頭に撫でつけるようにして髪が後ろに流されているので、はっきりと耳たぶに施された刺青が見て取れた。
守人が感嘆の声を漏らす。
「母君によく似ておられる」
穂純はもう一度諦めたようにため息をついた。
「守人……だったな。先代の島長の護衛頭が今度は頭領となった孫娘の護衛か。ご苦労なことだな。だが今はこれ以上余計なことに時間を使う余裕はない。木槿、今すぐに艦を出せ」
最後だけ木槿に向き直って発した穂純の言葉を理解できたものは、今この場にいる中では守人のような中年層以上のものだけだったようだ。
言われた木槿自身もぽかんと口を開けていたのだから。
「ねえ穂純。さっきから言っている艦っていったい何のこと?」
今度は穂純の方が驚いて目を瞠る。今の状況も忘れて思わず守人を怒鳴りつけた。
「どういうことだ守人! 木槿が今の頭領だろう!? 副頭領をも務めていながらなぜ継承が行われていないっ」
「桜ぼっ……桜様もご承知のとおり、先代の頭領立葵は武力でもって頭領の座を簒奪しました。ですから正規の引き継ぎは一切行われておりません。そのため立葵すら桜花のことは表面的なことしか知りません。なので木槿様への引き継ぎも、当然立葵が知る範囲のことでしか伝わっていないのです」
穂純は舌打ちをする。
「そういうことか。しかし誰もそのことに対して忠言するものはいなかったのか? 受け継ぐものがいなくなれば秘宝も失われていくしかないんだぞ」
「それもやむなし。というのが長老たちの出した結論です」
どうにもならない感情を持て余すように低く唸りながら髪を掻き乱す穂純に対して、守人は最後通牒をつきつけた。
「最後の継承者は桜様です。そして継承者の内今現在も生き延びておられるのも桜様ただおひとりです。つまりこの件に関しましては現頭領の木槿様にも一切の権限はございません」
どうなさいますか。
そう言われて、他に何が言えただろうか。
ちらりと木槿を一瞥した穂純は高らかに宣言した。
「我は花団の先々代頭領――櫟が一子、桜。竜王総領の正当な継承者なり。桜の名において地下の長老に命じる。一の竜王、桜花に火を入れろ!」
命を受けて物見台に設置された鐘を特殊な間合いで鳴らしたのは守人だった。そして『桜』の存在を知っている島内でも比較的年嵩の者たち数人が走り去っていく。おそらく地下への伝令だろう。すぐに唸りを伴って桜花全体が震え始めた。
まだ若い者たちの口から小さく悲鳴が漏れる。
本当に何も知らないのか、と穂純は思った。
「ねえ、穂純。いったいどういうことなの?」
木槿が半ば睨むようにして穂純を見上げる。
「この桜花は廃船を再利用して作った島なんかじゃない。現役の軍艦だ」
「え?」
「つまり動くということだ」
今のままここに留まっていれば、桜花は集中砲火を浴びてそこでお終い。
敵艦の大砲と海豚の魚雷。動けなければ一切避けようもなく、あっという間に敵に乗り込まれてしまうのは必至だ。
「大量に武器を買い込んでいただろう? あんな奴らに乗り込まれてみろ、好き放題に惨殺されるぜ」
「大量の武器……? それは友ヶ島とかが買って行ったんじゃ……」
「そんなわけないだろう。奴らは桜花へ攻め込むための武器を桜花で買っていたんだよ。だからほぼ無節操に買い漁っていただろう。桜花の武器を減らすのが目的だったのさ」
桜花は武器を売買している。巡回船に乗り込みさえすれば堂々と上陸できるし、武器も買える。だからこそ敵は海の上から巡回船に無理やり乗り込んで桜花へとやってきた。団体客の着物が湿っていたのは汗ではなく海水に浸かったから濡れたにすぎない。
武器を買い占めれば桜花の武力を減らすことにもつながる。まさに今桜花が立たされている局面そのままに。さらには島の様子まで直接目で確認できるというわけだ。
「今まで桜花そのものを占領しようとする者はあらわれなかった。だがあいつらはこのあたりの島のものじゃないから遠慮もない。最終的な目標は」
「奥の大陸……」
「そうだ。最後の大陸。死守しなければ彼らはあの地に住み着いて獣たちを一掃しようとするだろう。それはどうあっても阻止しなければならない。それが桜花を含めた要塞島四島の本来の務めだからな」
穂純のもとに白い着物の青年がやってきた。
白い着物は地下の長老の使い――いわゆる伝令使だという証だ。
待っていた者の登場に穂純の肩からわずかに力が抜ける。
「桜様、長老より言伝です。そちらの物見台脇にあります伝声管をお使いください、と」
そういって伝令使が案内した先にあったのは、装飾を施された一本の街路灯だった。
伝令使が手に持っていた鍵を隠し穴に差し込むと、全体が縦に半分に割れるようにして開いていく。
「そんなカラクリが仕掛けてあったの?」
そばにいた木槿が目を丸くしてつぶやく。
街路灯の中に隠されていたのは、地下の長老たちと直接会話ができる伝声管であり、軍艦桜花の動力室へ直通で命令を下せる唯一の伝令手段だった。
「仙翁」
閉じられていた伝声管の蓋を開けて、穂純が長老頭の名を呼ぶ。この名は個人名ではなく代々長老頭が受け継ぐ名前だ。だからどんな人間であれ長老頭の地位についてこの名を名乗る者であれば竜王総領桜の問いに答える義務がある。
返答はすぐにあった。
「桜様、ご健勝で何よりです。仙翁にございます」
この声には覚えがあった。
「久しいな仙翁。俺を知っている者がまだそこにいてくれて助かった。竜王桜花の操舵は任せても大丈夫か?」
「爺らも大きくなられた桜様のお声が聴けてうれしゅうございます。後程お姿もお見せくだされ。操舵については爺らに任せてもろうて大丈夫。進路だけご指示くだされ」
「助かる。まずは微速前進、宜候。敵船団が近づく前に離岸して迎撃可能海域の確保だ」
「承知いたしました」
仙翁の返答とともに軍艦桜花がかすかに震え始める。翼のように広がっていた船体を閉じた艦は、やがて微速で動き始めた。木槿をはじめとした若い者たちはおっかなびっくりといった様子であたりを見渡している。若い世代の誰もかれもが桜花は廃船を利用しているとしか思っていなかったのだ。こうして実際に動いているさまを見てもすぐには受け入れられないのだろう。
あたりをざっと見渡した穂純は、こちらを見ていた男を指し示した。
「あんた……、えっと名前は? こっちに来てちょっと手伝ってくれないか?」
だが穂純の要請に対して男は一向に動く気配を見せなかった。
「おい? どうした……?」
重ねて問う穂純に対して、あろうことがその男は足元にあった小石を掴むと穂純に向かって投げつけてきた。