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6.語る武器

 無言で穂純を見送った木槿は一人島へと戻っていった。

 海豚から降りて陸に上がると、濡れた肌が急に冷えていく。木槿は慌てて家に帰り、湯を浴びた。

(穂純は風邪を引いていないかしら?)

 気にはなるものの、穂純が生きていることを深水以外には誰にも知られてはならない。そのことは木槿とてわかっている。だからこそ髪を乾かして着物も着替えたあとはいつもの木槿を取り繕った。

 出店通に来た木槿は普段どおりに見回りを始める。見回りといっても、常連客のような感じで商品について見聞きするかたわら軽くあいさつして回るだけだが。

 そうして最後の店に寄れば、深水はそこにはいなかった。店は開いている。ただ代わりの者が受付台に座っているだけだった。

「深水殿は?」

「店主はまだ休みですよ……」

 訝しみながらそう言われて、鍛冶のために連休を取っていたことを思い出した。

「ああ、そういえばそうだったわね。もう戻っているのかと思っただけだから気にしないで。こちらは変わったことはない?」

「ここには客は来ませんよ。なので変わったことも全くありません」

 まだ若い男は、ただの留守番だという思いからか胸を張って気楽に答えていた。

 実際最奥にあるこの店は、一般的な認識どおり商品単価が一番高い。特殊な加工が必要なものだったり、他の店では受付られないものばかりが持ち込まれるためそれは必然だった。またそういう性質であるため飛び込みも滅多にない。まずはどこかの店に持ち込まれ、それから大まかな打診を受けてから改めて商談に入ることの方が圧倒的に多いからだ。まれに冷やかしに来るものがいはしても、たいてい最低金額を聞くとそそくさと退散するのが常だった。つまり穂純のような事例は例外中の例外といっていい。

 だからこそ一時的な留守番役であれば彼のような若手でも勤まるのだ。

 小さく苦笑を浮かべた木槿は、軽く手を挙げて了解の意を示すと店を出た。

 ぶらりぶらりと散歩でもするように入り組んだ路地を歩き、そして深水が作業している鍛冶場へとやってきた。

 死角にひっそりと用意された隠し扉から合図を送る。

 少しの間を置いて覗き窓から木槿の姿を確認した番人がそっと扉を開ける。木槿は速やかに中に入った。

 さっと周りを見る。

 深水はちょうど手が空いたところだった。

「深水殿」

 木槿の呼びかけに深水はすぐに応じて立ち上がった。

「頭領。わざわざこんなところまで来られていったいどうされました?」

 すでに木槿を頭領と呼ぶ深水に、けれど木槿は何も返せなかった。ただ二人きりで話がしたいとだけ告げる。

 深水は番人に顔を向けた。

「一刻ほど外に出てきてくれるかの」

 番人は軽くうなずくと、深水の補佐をしていた鍛冶屋二名を伴って退室した。これでこの鍛冶場には深水と木槿の二人しかいない。

「それでご用件は何でございましょうか?」

 卓に用意されたお茶。一息ついたあとで先に切り出したのは深水だった。

「穂純が注文した刀……斬鋼刀をできるだけ早く仕上げて欲しいの」

 深水は伏し目になると、そっと口元に淡い笑みを浮かべた。

「穂純殿には全額前金でいただいております。頭領からの申し入れがなくとも注文どおりの品を揃えるつもりでこうして作業をしておりました」

 深水が示す先には、二本の斬鋼刀と一本の普通の刀がすでに鍛えられていた。

「これから銘入れと装飾、そして最終的な研ぎを行います」

 明後日の未明までには仕上げるつもりだという深水に、あまり無理はしすぎるなと辞令的な言葉を返す木槿。

「それにしても」

 急に相好を崩した深水はそう言って木槿を見やった。

「頭領にもようやく春が訪れましたかのぅ」

 突然のこの台詞に木槿は目を瞠ると、次いでうっすらと頬を染めた。

「し、深水殿、いきなり何を……」

 目じりにいっそう皺を刻んで細められた深水の瞳は木槿の髪を留める簪を映す。

「その簪。海水につけられたのでしたら早めに真水で洗われたがよろしかろう」

 いっそう鮮やかに頬を染めた木槿は口を小さく尖らせた。

「もう洗ったわ。誤解の無いように言っておくけれど、海豚といつものように見回りをしてきただけよ」

「さようでございましょうとも」

 木槿の言い訳は、好々爺然とした深水の前では一蹴されるほどの拙いものだったが、深水はそんな様子でさえ好ましいものと思っているようで、声音にさえ喜びが溢れているようだった。


 それから数日後の未明。穂純はそっと要塞島桜花へ上陸する。未だ寝静まっているかと思いきやそうではない。すでに活動を始めているものも結構いた。

 宿の食堂では早くから朝食の下ごしらえがおこなわれているし、各家庭では真水生成のための火が起こされる。

 鍛冶場では深夜から続く作業のさなかの者たちだっていた。

 そうした者たちが立てる音にまぎれて穂純はするりするりと路地を渡り歩いていった。

 迷路になっているはずの桜花の路地。けれど一向に足取りに迷いはない。穂純は現在位置を把握し、また目的地も把握しているようだった。

 一軒の建物の前でようやく足を止めた穂純は、路地裏に位置する部屋の窓を静かに叩いた。

 応えるように中からかすかな音が返ってくる。

 しばらくの後、その横に設えていた隠し扉がそっと開かれた。

「ちょうどいい頃合でしたね」

 穂純を迎え入れたのは深水だった。

 部屋の中に入った穂純はざっと見回す。

「眠っていたのか? 悪かったな」

「お気になさらず。どうせいつもこのくらいには起きていますので」

 そう言いながら深水は隣室へと向かった。穂純もそのあとに続く。

 扉をくぐれば、深水は棚から三本の細長い包みを取り出しているところだった。

 一本一本丁寧に卓に置かれて包みが解かれる。

 穂純が注文したとおりの刀が三振り揃っていた。

「何も言われなかったか?」

 この刀が穂純の特注品であることは見るものが見ればわかるはずだ。もちろん樒たちも。

 だが無言で深水に手の平で促されて、穂純はとりあえず手前にあった一本を手に取った。まずは普通の刀だ。

 ゆっくりと鞘から引き抜き、じっくりと眺めてから戻すと次の刀を手にした。

 こちらは斬鋼刀だ。同じように鞘から抜き出して矯めつ眇めつ眺める。

 穂純の口元がゆっくりと弧を描いていく。

 すべてを検分し終えた穂純は見るからに嬉しそうだった。

「すごいな。爺様に劣らないどころか数段上だ。花紋の桜も見事だし、気に入った」

「そう言っていただけると職人魂が歓喜に震えますな」

「だったらもう一振り追加で注文したいといったらどうだ? 嬉しいか? それとも困るか?」

 口調は軽いが眼差しは真摯な様子で穂純が尋ねる。深水はそんな穂純の瞳をまっすぐ見返してにこりと笑った。

「注文されれば鍛冶屋はただ鋼を鍛えるだけのこと。お気遣いは無用です」

「では早急にもう一振り鍛えてもらおう。今度も斬鋼刀だ」

 そうして二人は詳細を煮詰めていった。

 ところで、と休憩のさなかにおもむろに切り出したのは深水だった。

「穂純殿はどうしてそこまでして頭領に尽くされますのか?」

「……なんだって?」

 不思議そうに目を瞬いた穂純はただそう返した。

 実際深水が言っている意味がわからなかったためでもある。

「冤罪で殺されかけてなお桜花に戻ってこられたということは、ひとえに頭領のお為かと思うとりますのじゃが違いましたかな」

 穂純が常一に育てられたことを深水だけは知っている。いや、最低でも深水とあの場に潜んでいた一名は知っているというべきか。

「爺様に頼まれたからなぁ……」

 そのとき外からかすかに物音が聞こえたが、穂純はちらりとそちらを一瞥しただけで深水へと向き直った。

 深水も穂純を倣うように一瞥するにとどめ、けれども心配そうに眉をひそめた。

「よろしいのですか?」

「今はいい。どちらにしろこれからしばらくはそれどころではなくなる。すべてが終わってから改めて話をするさ」

「きっと誤解されていますよ」

 口を開きかけ、けれどもゆるく首を横に振った穂純は苦く笑った。

「そうだな。けれどもそれが今の俺の評価でもある」

 先ほど穂純の一言だけを聞いて誤解して去っていったのは木槿だった。追いかけて誤解だと説明するのも手だろうとは穂純も思う。けれどここで木槿を優先することが必ずしもいいことだとは限らない。

「俺はまだ木槿に信用されていない。だから今すぐ誤解を解くべく行動したほうがいいとも思う。思っている。だがここで俺が生きていることを知られるわけにはいかないんだ。これがもとで修正不可能な関係になってしまうなら、所詮俺と木槿は縁がなかったということだ。結果的には爺様の遺言を破棄してしまうことになるし、俺も誓いを破ることになる。だが優先順位だけは間違うわけにはいかない」

 握り締めた拳に、穂純は決意を籠める。深水はそれを細めた瞳で見つめた。

「ワシはただの店番兼鍛冶屋でしかないので、自分が思うように行かれるのがよろしかろう」

「悪いな」

 穂純は小さく笑う。それに対して深水は気にするなと軽く首を横に振った。

 そしてそういえばと言っていったん席を外した深水は別の部屋から風呂敷に包まれたものを持ってきた。

 包みの中を見た穂純は眉間に皺を寄せた。

「こういうことを平然としておいてどこがただの店番兼鍛冶屋なんだか……」

 風呂敷包みの中身は、没収されていた穂純の私物だった。宿に残したままの着替えから、身体検査で樒たちに抜き取られた隠し武器もすべて揃っている。ただ鉄扇だけがなかった。

「さすがに鉄扇は処分されていたようで、見つかりませんでした」

 肩を落としてそう報告する深水の背中を、宥めるように叩いた穂純は懐から二本の鉄扇を取り出した。

 どちらも桜の花の意匠が施されていた。

 まさしく穂純が特注したもの。だがそれがなぜか二本ある。

「そっくりですね。どちらも穂純殿の持ち物でしょうか?」

 そこまで言ってから深水はハタと気づいて鉄扇から穂純へと視線を移した。

「もしやどちらか一本が穂純殿の鉄扇で、もう一本は前頭領の……」

 弑したとも首を刎ねたとも口にすることを憚るように言葉を濁しはしたが、深水が言いたいことは穂純にはっきりと伝わった。

 穂純はしっかりとうなずく。

「そういうことだ。どちらも海の底に沈んでいたものだ。俺の相棒にこういったものを拾ってくるのが得意な奴がいてな。そいつが見つけてきた」

 言いつつ鉄扇を広げていく穂純。

 一つは多少泥汚れが付着しているもののまだまだきれいな状態だ。残りの一方は泥とは別物の汚れの付着が多く、また中骨に損傷が見られた。明らかに武器として使用された形跡が残っている。

「俺のはこちらだ」

 穂純が示したのは泥を落として乾かせばもとのきれいな鉄扇へと戻る最初の方だった。

「同じものをもう一つ作らせたんだろう。一見同じものとしか思えないだろう。だが俺はたいてい最後に自分でひと手間かけることにしている」

 そういって穂純はかなめのそばを指差した。よく見ればそこには細い針が仕込まれている。

「爺様から教えられた。武器は買った時のままで使うものじゃないと。特に桜花では注文した武器と同じ武器が注文主に内緒で作られて、花団の団員に配布されるから気をつけろ……とね」

 刀だけはどうにもできないけれどと穂純は肩を竦める。つまりは刀以外は手を加えられるということだ。

 もっともこれは穂純だけがやっているわけではなく、長く武器に携わる仕事をやっていれば必然的に身に付く程度の半ば常識的なことだ。つまりは自慢するようなことではなく、むしろできなければ狩人としても武人としても半人前ということになる。その程度の技ではあったが。

 ともあれそれは穂純のオリジナル武器だという証明にもなる。汚れと破損が酷い方の鉄扇はそうしたものが一切なく、ただ注文時の形状だけで構成されている。いかにも穂純が犯人だと思わせられればそれでいいという考えがあからさまだった。

「樒殿だろうか……?」

 樒の部分だけ声は出さずにただ口の動きだけで言った深水は、けれど穂純の返答を受けて驚きに目を見開いた。

「そんなことが……」

 この鉄扇の破損状況から推察すれば間違いではないだろうと補足をして穂純はいったん口をつぐんだ。

 ざっと周囲の気配を探ると、素早く荷物をまとめる。

「そろそろ行った方がよさそうだ。悪いが地下を使わせてもらうぞ」

 そうして穂純は深水が開けた床下の扉から地下道へと降りて行った。

 扉を閉めなおした深水は朝食をとると鍛冶場へと向かう。

 複雑な思いを抱えてそれでも職人としての務めを果たすために、いつしか雑念を振り払うように作業に没頭していった。



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