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5.買い占め

 特別注文を終えた人々は穂純を含めて基本は宿泊している宿屋にある食堂にて雑談を交わしながら杯を傾けている。

 時折出店通を散策して変わったものが売られていないか確認し、また食堂へと戻ってくる。

 そうした日々を送る中、穂純が頼んでいた品も、鎖玉、峨嵋刺といった風に手間のかからない物から順に仕上がっていった。

 鉄扇まではさほど待たなくても仕上がったが、斬鋼刀はそうはいかないだろう。どうせ時間はあるのだからと、穂純は他の宿屋にある食堂へも順繰りに顔を出していった。それぞれのお店のお勧め品を食し、他の客たちと雑談に花を咲かせる。今日もそうやって楽しんでいた。

 ふと近くの席で話す男たちの声が穂純のところまで聞こえてきた。

「だーけどよー今回の船は団体客がほんと多かったよなー」

 桜花を含めた島々を巡って人や物資を運んでいる大型船は一週間おきにやってくる。

 穂純が乗ってきた船は通常どおりだったが、今回は多くの客が乗っていたらしい。ほとんどの宿が一気に埋まっていったくらいだ。さぞかしぎゅうぎゅうづめだったのだろう。着物が湿るほどに汗だくになった者も大勢いたくらいだ。宿に着くなり風呂に入りたがったのも無理はない。

「たしかに多かったけど、あれがそろそろじゃなかったか? ほら、橘花でやってる祭り。武器がたくさんいるんだろう?」

「馬鹿か。あれは再来月」

「そうだっけ? でも早めに用意した方がいいんじゃないの? 時間がかかるし」

「いつも中古の安いものを買って帰っているから急ぐことはないだろう」

「でも今回来たやつらは、ほとんど店ごと買い占めるくらいの勢いで各自が大量に買い漁っているらしいぞ。普通の客がそこまで買うか?」

「それはすごいな」

「だろ? 俺なんか、目をつけてた武器をいくつも横から掻っ攫われてさぁ。結局一本しか買えなかったんだぜ。お前も欲しいものがあったら早めに買っておいた方がいいぞ」

「ほんとかよ。じゃあさっそく行ってくるわ」

 一人が慌てたように出店通に向かうと、残った一人のもとへ、二人の話を聞いていた数人が今の話は本当かと声をかける。

 そうしてまた新たに花が咲く。

 穂純はそうした様子をぼんやりと眺めていた。

「どうした穂純、暇すぎてぼけたのか?」

 声の主は樒だった。にやにやと笑う姿からしてからかっていることは一目瞭然である。

「のんびりとくつろいでいるといってくれ」

 誰がぼけているんだ、とぶつくさ言いながら穂純は頭を掻いた。

 樒はこうして時折現れては穂純をからかって遊ぶことが多い。

 他の一員は稀に食事中に偶然出くわす程度で、樒のようにわざわざ会いに来ることはない。

 穂純の方も特に誰かと故意によしみを結ぼうともせず、もちろん木槿に対しても迫ったり何かを求めたりしたことはない。

「不思議だよね、穂純は」

「何がだ?」

「あれだけ劇的に子づくり宣言しておきながら、それ以上は木槿を楼閣するために何かをしようとはしてないだろう? 木槿に言い寄った男は穂純が初めてだから、なかなか骨があるなと感心していたんだけどな。次期頭領だと聞いてから様子が変わったよね。やっぱり怖気づいたのかな? それとも私が婚約者だと誰かから聞かされてあきらめてくれたとか?」

「そんなんじゃない」

 ため息をついた穂純は、椅子の背もたれに体を預けた。

「爺さんのところで話した内容はすでに聞いているんだろう?」

 樒が小さくうなずいたのを確認して穂純は続けた。

「だったら今がどういう時期かわかっているはずだ」

 桜花がまだ公式に発表をしていない以上、無関係な人間が多数いるこの食堂では安易なことは言えない。そうやって言葉を濁していた穂純を樒は外へと連れ出した。

 向かった先は穂純が泊まっている宿のほぼ真裏にある民家だった。

「ここは?」

「私の家だ」

 穂純はざっと周囲を見渡す。

「一人暮らしか?」

「ああ。桜花では成人すれば全員家を与えられる。結婚すればどちらかの家へ入り、空いた家はまた桜花へと返し、他の者へと配分される。つまり成人しておりなおかつ独身の私は一人暮らし以外はあり得ないということだ」

 説明しながら手慣れた仕草でお茶を入れた樒は、穂純を卓へと促して自身も向かいの席へ腰かけた。

「先ほどは気を遣ってもらって助かったよ」

「なぜまだ公布しない。そろそろ桜花でも裏は取れているだろう?」

 樒はなぜか穂純の顔をじっと見つめてから静かに首を左右に振った。

「いや、まだだ」

「まだ、だと? 桜花の情報網はその程度のものなのか? だったらさっきの食堂でのあれはなんだったんだ。なぜ他の客たちに早急に武器を持たせようとしていたんだ?」

「それはこちらのせりふだろう?」

 突然樒の声が硬質になる。まるで断獄する者のように表情さえ人としてのぬくもりや感情を切り捨てていた。

「穂純、あれはお前がやらせたんだろう?」

「樒……?」

「私たちの目を自分に引きつけようとしてあちこちの食堂や出店にこれ見よがしに出歩き、その間に仲間たちには武器を買い占めさせたり、頭領の命を奪ったりしたことだよ」

「頭領が死んだのか!?」

穂純は怒鳴りつけるようにして樒に問いただした。

「白々しい態度はよすんだな」

「……本当に花団かだんの頭領――立葵たちあおいは殺されたんだな? 答えろ樒」

「自分で殺しておいて、まだ白を切るつもりか、穂純。これほど見下げた根性をしていたとは、さすがの私も気づかなかったよ。もっともわざわざ特注した獲物で命を奪うとこからしてすでに通常では考えられないことだけどね。それにしても次期頭領の木槿に贈られた鉄扇で、その養父である頭領の首を刎ねるとは、何たる非道な仕打ちか。見かけによらずおまえは恐ろしい男だな」

「俺じゃない!」

 叫ぶように樒の言葉を否定した穂純は、ギリリと奥歯を噛み締めて唸るようにつぶやいた。

「立葵が死んだだと……。俺がかたきを討つはずだったのに……」

「ほお、仇討ちだったのか」

 樒の冷たい声で穂純は我に返った。苛立ちのまま余計なことを口走ってしまった。だが後悔しても遅かった。

 軽く片手を上げた樒が勢いよく振り下ろしながら命ずる。

「こいつをひっとらえろ!」

 なだれ込むように駆け込んできた男たちに、穂純は抵抗むなしく拘束されてしまった。


 ゆらゆらと体全体が揺れ動く中、穂純はゆっくりと目を開けた。

「もう目が覚めたのか。眠ったままだったらさして苦しまずに済んだだろうに」

 憐れむような、けれど嘲りを多分に含んだ声で樒が言う。樒は穂純のすぐそばに立っていた。

 対する穂純はといえば、荒縄でぐるぐる巻きにされて船の甲板の上に転がされていた。

(目が覚めた……?)

 樒の言葉を脳裏で繰り返した穂純は記憶を漁った。そして樒が用意したお茶に睡眠薬のようなものが入れられていたのだろうということに思い至った。拘束を逃れようと抵抗しているうちに意識が朦朧としていったのはそのせいだったのだろう。

 心中で舌打ちした穂純は己の迂闊さを呪った。

(間抜けすぎるだろう、俺)

 無意識に頭を掻こうとして、動かせない腕に改めて今の状況に意識が戻る。代わりにたださびしく荒縄がギシリと泣いただけだった。

「無駄なあがきはしないことだ。簡単に抜け出せるように縛り上げるなどといった無意味なことを私たちはしないよ」

 片頬だけで笑いながら樒が忠告する。

「もちろん身体検査済みだ。隠し武器もすべて取り上げているので探すだけ無駄だ」

 その時何かの合図のような声がした。樒はそちらを一瞥すると穂純に向き直った。

「さあ、君を送り出す準備が整ったようだ。これでさようならだ」

 ゆっくりと恐怖を煽るように樒は後退る。

 入れ替わりに数人の男たちが近寄り穂純の体を持ち上げる。船端まで運ばれた穂純の体は、一瞬の躊躇もなく海へと放り込まれた。


 穂純の体はただゆっくりと沈んでいった。

 きつく締め付けられた縄が、水中ではさらに動きを制約する。

(くそったれが……っ)

 心の中で悪態をつきながら、穂純はできるだけ少ない動きで縄抜けに挑み続けていた。

 ちらりと上を見上げる。上とはもちろん水面だ。

 今はまだかすかに光が感じられる。

 だがこうやって沈み続けていればさして時間がかからないうちに海底へと引き込む流れにつかまってしまうだろう。

 舌打ちしたい気持ちを抑え、作業を続ける。

 陸上であれば関節をはずして抜けることもできるが、できることと平気なことは別物だ。どう堪えたところで痛みで息が漏れてしまう。地上であれば呼吸ができるため生死にかかわることはない。だが水中で酸素を浪費すれば死に直結してしまうのだ。

(あと……少し……っ)

 足掻く穂純の視界から水面を示す光すら消えた。

(くっ、これまでか……)

 穂純は目を閉じて力を抜くと一切の動きを止めた。

 そんな穂純の手にチクリとした痛みが走り、反射的に体が逃げをうとうとする。そこで初めて縄の拘束が外れていたことに気がついた。

(え……?)

 目を開けた穂純の視界には揺らめきながら時折光をさえぎる長い黒髪。

 そしてそれとは反対に時折光を反射してきらめく、穂純が手ずから挿したかんざし

(木槿……)

 穂純は信じられないといった感じで目を見開いて助けに来た木槿を見返した。

 そんな穂純を叱咤するように、木槿は指先で穂純の胸をトンと突くと、その指で水面を指し示した。

 とにかく水面に出ることが先決というわけだ。

 穂純は気を引き締めるとようやく呪縛から逃れることができた手足で力強く水をかいた。

 海面に顔を出した穂純は呼吸を整えるかたわらあたりを見渡した。樒たちが乗っていた船はすでに帰港したようだ。だが小舟すら一艘も見当たらないのはどうしたわけか。

「木槿、おまえどうやってここに来たんだ?」

 仮に樒たちの船に同乗していたとすれば、木槿を穂純の救出に向かわせることは決してなかっただろう。だが小舟すら見当たらず、そもそも樒に見つからずに船を使ってここまでくる手段があるかどうかだ。

 聞いた方が早いと判断した穂純の問いに、けれども答えは返ってこなかった。

「木槿……?」

 きょろきょろと周囲を見回す。

 そんな穂純の背後で大きな水音が立った。

 驚いて振り向いた穂純からわずかに離れた場所に木槿の姿。木槿は海豚いるかの背に腰かけていた。

「木槿……おまえ海豚を操れたのか……?」

「私は花団の次期頭領で現副頭領よ、ちゃんと桜花の奥義は受け継いでいるし、もちろんこの子とも主従契約を結んでいるわよ」

 誇らしげに胸を張る木槿を見て、穂純はくすりと笑みをこぼした。

「なに?」

 訝しむ視線に首を横に振ることで答えた穂純は、おもむろに指笛を鳴らすと一定のリズムで海面を叩き始めた。

「穂純……まさか……」

 自身も海豚と契約をしているからだろう。穂純が何をしているのかすぐにわかったようだ。だが穂純が呼んだのは海豚ではない。

 巨大な影が穂純の下方に現れ、やがてゆっくりと浮上してくる。

 海豚は恐れをなして木槿を背に乗せたまま距離を置いた。

 立ち泳ぎを続けていた穂純の動きが止まり、やがて体が上へと持ち上がる。

 穂純は現れたしゃちの背に立っていた。

「穂純、あなた……」

 どうして、と続く言葉は声にならずただ木槿の唇でだけ綴られた。

 そんな木槿を穂純は一瞥したが濡れた髪がどうにも視界の邪魔をするので、両手を使って水を絞るようにして後方に撫でつけた。そうすると不思議と本来の歳に見えなくもない。どちらかといえば中世的な顔立ちをしている穂純は、前髪をおろしているからこそ余計に童顔に見えていたようだ。

 もっとも本人は鏡でもなければ己の姿を見ることができないので未だ気づいていないが。

 一つ息を吐き出した穂純は、高くなった視線で改めて周囲を見渡した。

 やはり船影は見当たらない。

「木槿、おまえがここに来ることは誰かに知られているのか?」

「誰も知らないわよ。言えば行かせてもらえないとわかっているのに言うわけがないでしょう?」

 苦笑する木槿に、穂純もそうだろうなと同意した。

「だったらちょうどいい。木槿はこのまま島に帰れ」

「……穂純はどうするの?」

「俺はあとからこっそりと島に上陸する。だから俺の武器を誰にも内緒で取り戻しておいてくれないか。刀の製作も継続してできるだけ早期に完成させてくれ」

「どうやって!?」

 木槿の訴えももっともだろう。誰もが穂純は死んだと思っているのだ。客の特注品を、その客が亡くなったことがわかっている状態でそのまま製造し続けるなどといったことは通常あり得ない。だが穂純は自信満々に答えた。

「あの深水爺さんならただ刀を完成させるようにって一言いえば大丈夫だ。他には何も言わなくてもそれで通じる。頼んだぞ」

 それだけ言うと、穂純は鯱の背に腰掛けて取り付けていた手綱を操ってその場をあとにした。



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