4.斬鋼刀
すべての店を検証し終えた穂純たち一行は、最後の店を出た先で立ち止まった。
「では鎖玉は五件目の店で保留していた物がいいということだな。長さだけあと六寸伸ばす。他に要望は?」
穂純が首を横に振ると、樒は近くに控えていた人物に同じことを伝えて店へと走らせた。
それを見送ることなく樒は穂純へと視線を戻す。
「あとは?」
他の武器はどうするかと聞かれて、穂純はしばし手を口元に充てて考え込んだ。
「そうだな。峨嵋刺と鉄扇は十二件目のかんざしを扱っていた店で特注するかな。刀は最後の店で交渉といった感じか……」
ほお、と竜胆が声をもらす。
「最後の店ということは時間がかかりそうだな」
「そうだろうな」
「穂純ちゃんはどんな刀が欲しいの?」
さすがは頭領家の養い子。刀には縁のなさそうな外見をしていながら、瞳だけは興味津々といった感じに輝かせて蔓穂が尋ねてきた。
「少し長めで、丈夫さと切れ味に特化した……そうだな斬鋼刀とでもいえばいいのかな。その名を冠しても遜色がないほどの刀が欲しい」
穂純が「斬鋼刀」と口にした瞬間、四人のわずかに険を孕む瞳が一斉に穂純へと向けられた。それだけでなく、その言葉が聞こえた範囲にいた人々も同じように穂純へと剣呑なまなざしを向ける。
「ん? なんだ? 突然どうしたんだ?」
あたりを見回した穂純は首をかしげた。
そんな穂純へ木槿との目配せを終えた樒が代表して声をかけた。
「穂純。斬鋼刀のことはどこで聞いたんだ?」
「どこ? 俺は斬鉄剣をもじって適当に名前をつけただけなんだけど、もしかしてそう呼ばれている刀があるのか?」
驚きと困惑を混ぜたような顔で穂純が尋ね返す。
そんな穂純を周りの者たちは探るように睨め回した。
やがて木槿が柏手を一つ打つと皆の視線がそちらへと移動し、軽く手を振るとそれぞれの持ち場へと戻っていった。
良かったのかというように樒が木槿を見返していたが、大丈夫でしょうとでもいうように軽く肩を持ち上げた木槿は、穂純へと視線を戻した。
「どうやら私たちが聞いていたものとは別の刀みたい。ところで、なぜこの店を選んだの? ここに店を構えてはいるけれど、出店通にはどの店でも注文の受付係しかいないのよ?」
鍛冶屋は桜花の宝。だからこそ奪われないよう傷つけられないよう細心の注意を払って守っている。
その状態でなお悩みもせずにこの店を選んだ理由は、守護する立場の次期頭領を務める木槿には気になることだろう。
穂純は軽く顎を引くようにして木槿と視線を合わせた。
「ここが最奥ってことは一般論からして客もそれなりの腕だと思ってやってくるってことだろう? そうした客の相手をするには受注係とはいえそれなりの知識も必要だってことだ。爺さんの眼も気に入ったし、じっくりと話し合いたいね」
そう穂純が言い切ると、件の店から本人が出てきた。
「ワシと話がしたいと?」
「ああ。膝を突き合わせてとことんまで煮詰めたいな。いつなら時間が取れそうだ?」
わざわざ表まで出てきたということは、ここまでの話を聞いて注文を受ける心積もりが一応はあるということだ。だからこそ穂純も単刀直入に尋ねた。
案の定老人からは明日であれば一日開けられるという返事だった。
穂純はニッカと笑う。
「わかった。明日は爺さんを貸切だな」
そうと決まれば他の用事を済ませてしまおうということで、一行は峨嵋刺と鉄扇の注文へと足を進めた。
峨嵋刺と鉄扇は見本を参考にして、色、材質、長さ、重さ等々を注文すればとりあえずはおしまいだ。
鎖玉は樒の奢り。鉄扇も結局は木槿の奢りとなった。
だから峨嵋刺の代金だけ前払いして穂純は店をあとにした。
鎖玉も峨嵋刺も鉄扇も出来上がればその都度宿に連絡をもらえることになっている。
宿屋通も出店通もひととおり案内が済んだ。これで木槿との約束も完了したということだ。
外へ出た穂純は木槿に向き直る。
「案内ありがとうな。おかげで最初の難関だった店選びが楽にできていい武器を手に入れられそうだ」
にっこりと笑って木槿へ礼を言った穂純は軽く手を挙げた。
「あとは俺一人で宿まで戻れるし、ここまででいいよ。ありがとう」
「わかったわ。じゃあここで」
木槿も軽く手を振って挨拶を返す。
そのまま穂純は踵を返しかけたところではたと思いだした。
「そういえばこれを忘れていた」
木槿の前へと体の向きを戻した穂純は懐から取り出したかんざしをそっと木槿の髪に挿した。
峨嵋刺を注文する合間に買ったものだった。
「俺からの礼だ」
木槿と樒と竜胆と蔓穂。四人はいつの間にとあっけにとられたように口をぽかんと開けて、無言で穂純を見送った。
翌日穂純は早々に朝食を済ませると出店通の最奥の店へと向かった。
扉を拳で軽く叩けば、昨日の老人が出迎えてくれた。
「奥へ入りなされ」
促されるままに穂純は奥に設えられた席に腰掛けた。
ざっと周囲を見渡せば、見本であろう刀がいくつも置かれている。長さや重さ素材といった区分けがされ、実際に手に持った際の感触を味わえるようになっている。
昨日視察に来た時よりも本数が増えているのは、穂純がぽつりと漏らした『少し長めで丈夫さと切れ味に特化した刀』という条件に合いそうなものを一晩で探してきたからのようだった。
「ずいぶん集めてくれたんだな……」
思ったままを穂純が呟けば、老人はくつりと笑声をこぼした。
穂純は首をかしげる。
「なんだ? 変なことを言ったか?」
「こちらはこれが商売ですからの。前もって客人の好みを伺っておきながら何の準備もしないということはないですよ」
「たしかに」
相槌を打つ穂純を老人がお茶を用意した席に招く。
「まずはお話から伺いましょうか」
たとえ見本を数多く用意しようとも、あくまでもそれは見本だ。客がどういった刀を欲しているのかは、とりあえず話してみないことにはたとえ受注の達人だったとしてもわかりはしない。
「そうだな。まず全体的な印象としては、斬鉄剣よりもさらに切れ味の鋭さと丈夫さを兼ね備えているということ。あとは個人的な好みで刃の部分を通常の一割ほど長くして欲しい。これが基本だ」
さらには持ち手の長さや装飾、そして素材の調合などを話し合っていく。
「でしたらこのあたりの外観が一番ご希望に添うていそうですな」
集めていた見本の中から数本を手にした老人は、それを卓の上に置いた。
刃の長さはほぼ似たり寄ったりだが、その似たり寄ったりの中から好みの長さを見極めるためだ。この辺りは感覚的なものなので常に同じ長さの刀を使い続けている者以外はこうやって実際に手に持って振り回してみて細かい調整を行っていく。
老人が真ん中に置いた刀を指し示す。
「こちらがちょうど一割長くなっております。あとは見たとおり、こちら側がそれより徐々に長くなり、あちら側が徐々に短くなっております。さあ、とりあえずこの基準から試してみてくだされ」
穂純はおもむろに立ち上がると、言われたとおりに手に持った。腕を下した状態での床との距離、上げた時の感覚。少し席から距離をとってゆっくりと舞うように刀を振って感触をつかんでいく。
戻ってきた穂純はそれよりさらに一寸長い刀を手にして同じように試した。
次はその二本の中間の長さだ。こちらもひととおり試した穂純は老人を振り返る。
「爺さん、これと同じ長さにしてくれ。これが一番しっくりくる。重さもこれくらいがちょうどいいが……、やはり重くなるか?」
どうこう言ってもここに置いてあるのは普通の刀だ。桜花製である以上斬鉄剣に近い質は保っているとはいえ、穂純が求めるのはそれよりもさらに上――最上級の刀だ。配合によっては重くなることもじゅうぶんありうる。
だが老人は微笑みながら軽く首を横に振った。
「こちらとほぼ同じ重さというのは可能でございますよ。桜花の職人の腕は超一流でございます。ご安心ください」
「どうせなら爺さんに鍛えてもらいたいな」
「ワシはただの受付。鍛冶屋ではございませんのでご期待には応えられません」
にこやかな笑顔でいさめる老人に、穂純はニッカと笑った。
「他の受付係には無理だろうけど、爺さんだけはできるだろう? 爺さんのその眼とその手。それは鍛冶屋の……一流の鍛冶屋の眼と手だよ。爺さんは桜花でも超一流と呼ばれるほどの腕前の鍛冶屋だろう?」
言い切った穂純を、老人の細めた瞳が静かに見つめる。
「何を根拠にそう言い切られるのかお聞きしてもよろしいか?」
「樒あたりから聞いてると思うけど、俺を育ててくれた爺様って元鍛冶屋だったんだよ。色々話も聞かされたし、眼と手に爺さんとよく似た職業病があった」
一つの仕事を長く続ければ続けるほど、それに伴う後遺症のようなものを患うことが多々ある。
鍛冶屋は高温の鋼鉄を扱うことから、熱によって火傷をすることが多い。
そうしたことを説明していった穂純だったが、老人はいっかな表情を変えなかった。
「もしワシが鍛冶屋だったとしても一流だとは限らないでしょう? 長く続けていても免許皆伝まで到達できるものは少ないですし、一人前として商品を鍛えられる腕にまで達しない者も大勢いますぞ」
「だって爺さんが深水さんだろ?」
その一言で初めて老人の顔から笑みが消えた。
「なぜそれを?」
固い口調。それだけで否応なく深水が老人の名だという証となった。いや、ここは老人がそうだと認めたということか。
「育て親の爺様に聞いた。名前と身体的特徴と……桜花一の鍛冶屋だということも」
「……その方のお名前は?」
「常一」
老人はゆっくりと目を瞠った。
「常一殿……? ご無事だったのか……」
「まあでも三年前に亡くなったけどさ。それまではとっても元気だったよ。ただの老衰だったし」
「そう……ですか……」
老人――深水はうつむくと口の中で「亡くなられた」と小さくつぶやいた。
しばらくの間店内に静寂が漂う。
常一と過ごした記憶が、穂純と深水それぞれの脳裏によみがえり故人を偲んでいたためだ。
やがて深水が顔をあげた。
「それで、じっくり話し合いたいといってわざわざ丸一日予約を取ってまでワシを指名したのは、このことを話すためかな?」
「まあそれもあるが、実際に刀の注文でも時間がかかるだろうと思ったんだよ」
そういって穂純は苦笑した。
「斬鋼刀を鍛えることができるのは爺様……常一と深水さんだけだった。常一が亡くなった今、残るは深水さんただ一人。もう爺さんしか鍛えられない。そうだろう? それとも十六年の間に後継ぎができたのか?」
深水が受付係として店番をしているということは、すでに鍛冶屋としては引退している可能性もあるのでそう尋ねてはみたものの、穂純としては仕事量を減らしただけで引退まではしていないだろうと踏んでいた。そして引退していないということは後継ぎはいないということだ。案の定深水は首を振って否定した。
「斬鋼刀を鍛えられるほどの鍛冶屋は育たんかった」
そしてふと気づいたように穂純を見返した。
「常一殿の後継者は? 穂純殿を鍛冶屋としては育てられなかったのか?」
超一流の腕を持つ刀鍛冶に育てられた穂純。しかし穂純は刀の鍛え方については何一つ教わらなかった。熱にやられるといけないからといって作業中は鍛冶場に入ることすら認められなかった。あくまでも穂純を刀使いとして育てていた。
「それにしても鍛冶場が整っていたのなら、なぜ常一殿に鍛えてもらわなかった? 話を聞いた限りではそのくらいの余裕はあったはずだろう」
これは当然の疑問だっただろう。
「斬鋼刀も含めて数振り鍛えてもらってる」
「だったらなぜ……?」
「答えは簡単。いくら斬鋼刀だからといって絶対折れないわけじゃないから。さすがに永遠に使える刀なんてまだお目にかかったことはないからなあ。いざという時のために予備が最低二振りは欲しいんだよ」
「それだけの数の斬鋼刀を持って、いったい何をしようとしているのかね……」
穂純の返答を聞いた深水は驚愕の表情を浮かべた。
「なぜそのことを……」
唾を呑み込んで喉を湿らせてから深水は口を開いた。桜花でも常に情報を収集している。それなのに誰一人として耳にしたことのない情報を穂純が持っているとなれば、誰だって真偽を疑ってしまうものだろう。
「それは企業秘密というものだ」
穂純はにやりと笑う。どうせここでのやり取りは少なくとも頭領一家の面々には報告されているはずだ。発言内容にはそれなりの注意が必要となる。
そのあたりの心理は深水にも理解できたようだ。が、にもかかわらず深水は重ねて尋ねてきた。
「この店での会話は誰にも聞かれることはない。安心して話してくれればいい。情報源は何かね?」
「爺さんの言うとおりに誰にも知られなかったとしても、これは教えられない。爺さんだって俺が誰にも話さないからと約束したところで桜花の裏の秘密を教えるわけにはいかないだろう。それと一緒だ。俺には俺の事情がある。ただでさえ武器の詳細を知られている俺の方が不利なんだ。これ以上は勘弁してもらえないか?」
そういって穂純はちらりと横の物置に視線を意味ありげに流した。
深水も同じようにそちらを一瞥すると大きく息を吐き出した。
「そうですな。穂純殿が言われることも一理ありますし、このような現状ではワシのほうが分が悪い。あきらめることにしましょう」
あとは雑談を交えながら、刀の柄の部分の装飾等について煮詰めていった。