14.未来へ続く言葉
「はい、よくできました」
これまでとは一転して優しい声音に変えた穂純が、褒めるようにあやすように蔓穂の背中を撫でさする。
驚いたように目を見開いた蔓穂に笑顔を見せた。
「わかったから、もういいよ」
自力ではいまだ立てない蔓穂を抱き上げた穂純は脱ぎ捨てた蔓穂の着物を拾って着せていった。
とりあえず人に見られても問題がない程度に着付け終わった穂純は、改めて蔓穂を抱きしめて赤子をあやすように優しく背中をたたいた。
そうしながら雀鷹たちに合図を送った。
雀鷹は木槿へ、小鷺は樒へそれぞれおとなしくするように言ってゆっくりと拘束を解いた。
穂純はくいっと隣の牢を顎で指し。
「竜胆も出してやれ」
雀鷹に鍵を投げ渡した。
穂純は相変わらず蔓穂を抱きかかえたまま椅子に腰かけて背を撫でている。
雀鷹が竜胆に対して暴れないようにと命ずる声が聞こえたと思えばすぐに竜胆が姿を見せた。
穂純の腕の中でいまだ泣きじゃくる蔓穂。
竜胆は握りしめた拳を震わせた。許婚がこんな目にあわさせたのだから反応としては正しいだろう。それでも我を忘れて叫んだり殴りかかったりしないので分別もあるといえる。
「どういうことなのか説明してくださいませんか」
怒りを無理やり抑えたせいで平坦になったと思われる声音で竜胆が穂純へ尋ねた。
穂純は心底あきれたように大きくため息をついた。
「花団もここまで落ちたか。どう思う、雀鷹」
竜胆の質問には答えずに、雀鷹へと問いかける穂純。けれど立場としては最上位が穂純でその次が雀鷹となる。以前穂純が言ったように気に入らないもしくは逆らったから、ただそれだけで人を殺めても罰せられない地位にいるのだ。求める答えを得たければここは我慢するしかないという程度のことはここにいる花団の誰もがしぶしぶながらも理解していただろう。
そんな彼らの心境を理解しておりながら、もったいぶるように雀鷹は皆の顔をゆっくりと見渡した。
「ああ、まったくなってないね」
「そういうことだ。任せてもいいか?」
「仕方がない。二年間だけ面倒を見てやろう」
二人だけ――いや会話には参加していないもののじゅうぶんわかっているような顔をしている小鷺を入れれば三人だが――にしか通じない会話に樒が切れた。
「さっきの竜胆の問いに答えろ!」
これだよ、と穂純はまた嘆息した。
「花団副頭領樒。私が誰だか知っているだろう。翼団頭領と大事な話をしている最中に邪魔をするな」
もっとも、と口調を変えて穂純は続けた。
「こんな物言いは俺のほうが辛いから砕けさせてもらうが。――まず当代の花団は質が悪すぎる。簒奪者立葵がきちんと教育できなかったのは仕方ないが、樒、おまえだけは多少副頭領としての教育を受けていたはずだろう。建前上のけじめもつけられないとは情けなさすぎる」
しかも直情的で感情の調節が下手すぎるので直すようにと忠告した。
次に穂純が名をあげたのは木槿だった。
「木槿はもともと飾りにするつもりだったせいかそもそもうわべだけしか教わっていない。花団頭領としての知識と技量が足らなさすぎる。よって翼団頭領に二年間ついて頭領という立場について学んで来い」
話はついてある、と言って雀鷹を一瞥した。
雀鷹は目礼するにとどめた。
今度は穂純は竜胆へと顔を向けた。
「蔓穂に惚れている割には立葵の情婦だと信じていたようだな。それでよく俺をなじれたものだ」
そう穂純が軽く責めるような口調で苦情を言えば、竜胆はぽかんと口を開けて穂純を見返した。
「情婦じゃない……?」
「蔓穂の体はまだ男を知らない」
「なぜそんなことがわかるッ」
「だから確認するために蔓穂に裸になれと言ったんだろう。ちゃんと俺と雀鷹以外には見えないように気を付けただろう。しかもすぐにわかったから着物をかけてやろうとしたら蔓穂はいきなり攻撃してくるし」
まったく、と穂純は蔓穂の背中を撫でていた手で頭を掻いた。
蔓穂も驚いたように泣きぬれた顔をあげて穂純を見返していた。
「おまえたちも未熟すぎ。たとえ裸にされて羞恥に晒されていたとしても、俺が着物を拾った音や気配を聞き逃すようでは使い物にならない」
蔓穂と竜胆の二人も同じく翼団で鍛えてもらって来いと、穂純は静かに命令した。
「それで……立葵殺害の件は……」
竜胆としてはこちらの処理のほうが気になるらしい。今翼団預かりになるといったばかりだというのに理解していないようだ。
「今言ったようにおとがめなしだ。その頭の悪さも一緒に鍛えられて来い」
疲れたように穂純はそう言った。
「それで済むのか?」
そっと口を挟んできたのは樒だった。
「ああ。竜王総領桜の命で簒奪者立葵は処刑された。そう正式に公表しろ」
ようやく落ち着いてきたらしい蔓穂を抱き上げたまま椅子から立った穂純は、竜胆の前まで行くとすっと蔓穂を差し出した。慌てて腕を出す竜胆に「落とすなよ」と告げて蔓穂を渡した。
いつまでもほかの男の腕の中では気持ちが落ち着いたときに逆に恥ずかしさに襲われて別の意味で落ち込んでしまうだろう。
「それで穂純はどうするの?」
そう尋ねてきたのは木槿だった。
「俺はしばらく……二年ほど竜に行ってくる」
「なにをしに!?」
樒と竜胆が口を揃えて声をあげた。花団のものとしてある意味当然の反応ではあったが。
「ここのところ恐竜の出現率が増えているのは知っているか?」
この問いは花団員に向けたものだが全員が見事に首を横に振った。
「……その辺もまあおいおい翼団に教育してもらうとして。まあそういうわけで一度今現在竜の奥地がどうなっているのか調べてくる必要が出てきたわけだ」
「それって危ないのでしょう?」
まだわずかに涙声ではあるがようやく蔓穂も思考が追い付いてきたようだ。
立ち直りが早いのはいいことだと穂純は心の中でそっと微笑んだ。
「危険ではあるがこれは総領としての役目でもある」
だから。
穂純はまっすぐに木槿の瞳を見返した。
「二年後に帰ってきたら俺の子を産め」
何度目かの求婚は今までとは少し違っていた。
「『産んでくれ』じゃなくて『産め』なのね」
木槿はあきれたようにそれでいて楽しそうにそうつぶやいた。
穂純はそうやって楽しそうに笑う木槿の背を押して留置場を出ようとした。
「どこへ行く」
穂純を止めたのは樒だった。ことあるごとに口を挟んでくる樒に対して、ほとんど反射的に言っているのではないかと最近では穂純はそう思っている。
「詳細は雀鷹に聞いてくれ。俺は木槿と二人で大事な話がある」
誰一人異論は許さぬといった感じに冷たく言い放った穂純は、さっさと木槿を連れて軍艦桜花の船首へと向かった。
外に出ればすでに曳航の準備を終えて帰港しているさなかだった。
気持ちの良い潮風が穂純と木槿の二人に絡み、そして後方へと流れていく。
そしてそこにはこそこそと隠れてはいても隠れきれていない出歯亀たちの気配がそこここにあった。
小さくため息をついてすっと木槿の背後に移動した穂純は、背後から腕を回して木槿の体をそっと抱きしめた。それから身をかがめて耳元で告げる。
「木槿、俺の嫁になってくれないか」
子を産めとは言っても嫁になれとは言ってなかったかもしれないと思った穂純だったが、それは事実でこれが初めてのきちんとした求婚だった。
対する木槿は小さく体を震わせた。
「それ、は……」
「ん?」
「それは、お爺様に頼まれたから……?」
「……深水爺さんか」
がっくりと脱力した穂純は、木槿の肩に頭を預けた。
「ねぇ……穂純? どうなの……?」
いかにも不安そうな木槿の聞きかたに、穂純は一度きつく目を閉じて覚悟を決めると再び顔をあげた。
「それもあるけど、最初は違う。俺が木槿に一目惚れして木槿の両親に正式に結婚を申し込んだ。許可を得て晴れて許婚となった。それが始まり。爺様が……常一さんが俺に木槿をよろしく頼むといったのは俺がお前に惚れていると知っていたからだ」
振り返ろうとする木槿を抱きしめる力を強めて阻止した穂純は懇願するようにつぶやいた。
「頼むからこのままで」
「……顔を見てはだめなの?」
「だめ」
「どうして?」
勇気をもらうようにか、穂純はもう一度きゅっと一瞬だけ強く木槿を抱きしめた。
「俺は男だから。だから惚れた女に弱みを見せたくない。女はすべて見せて欲しいと願うようだけど、男のわがままとあきらめて弱っているときの顔は見ないでくれ」
これだけを言うだけで穂純は顔が火を噴きそうだと思った。きっと傍から見れば顔が赤くなっているのが丸わかりだろう。経験がないから余計に恥ずかしくて仕方がないと穂純は心の中で苦く笑った。
けれど今この瞬間は人生で最初で最後の大事な時だからこそ、穂純は羞恥と弱みを抱えながら言葉を――想いを伝えようとしていた。
そして穂純は一度唇を湿らせてからゆっくりと口を開いた。
「好きだ、木槿。二年後に俺が竜から戻ってきたら、俺の嫁になって俺の子を産んでくれ」
「ねえ、どうして今じゃなくて二年後なの?」
「おまえまだ十六歳だろう。……爺様から十八歳になるまで手を出すなといわれているんだ」
「……えっと、それはどうして?」
「あ~……、これは爺様が言った言葉だからな」
そう念押しした穂純は常一から言われた言葉を教えた。
『たしかに女性は初潮をむかえれば子を生すことができるようになります。しかしそれは母体となり母となる準備の一部ができたにすぎません。子を産み育てることは大変なことです。体だけでなく心の準備も整っていないものには子を産む資格はないのです。ですから体と心の両方が成長し母となる準備ができるまでは手を出してはなりません。最低でも十八歳になるまでは控えてください。そして同様に男性側も夫となり父となる覚悟とそれに伴う責任を果たせる足場を築くまでは、女性を抱く資格などないとお心得ください』
聞き終えた木槿は恥ずかしそうに頬を染めた。けれどもどこか嬉しそうにしているのはそれだけ大事にされ、同時に愛されていることがわかったからだろう。
「俺は三年ほど前に初めて橘花に行った」
竜王総領はたしかに先代からの指名制となっていたが、最終的に翼団頭領に認められないと公には名乗れないことになっている。それまでは秘された名だけの仮の総領といった感じだ。そこまでしなければならないほど多くの権力を与えられているのが竜王総領という地位だった。
「そしてなんとか総領と認められたからこそ桜花へと向かい、その途中で長安の手下がすでに入り込んでいることを知った」
そして今の状況となった。
「もう外から竜を奪いに来るものはいないだろう。あとは四島で生活しているものと狩人とで日々をつないでいくことになる」
そうした中で、果たして竜王総領のやるべきこととはいったいなんだろう。穂純はそれを考えていた。
「基本的に四島を束ねているのは翼団員を派遣している翼団頭領であり、竜王総領はその翼団頭領から要請がなければすることなどない」
まっすぐ前を見つめた穂純の視界には大陸竜の姿が。その雄姿を見つめながら穂純はだからと続けた。
「竜の奥地を探索しながらもっと強くなる。花団頭領として立つおまえを支えられるくらいに」
抱きしめる穂純の腕にそっと添えられた木槿の手のぬくもりが愛しい。
聞かなくてもすでに答えはわかっていたが、それでもあえて問うた。
「それまで待っていてくれるか?」
するりと伸びてきた木槿の手が、穂純の頭を優しくなでる。
「ええ、待っているわ。好きよ、穂純。あなたが竜から帰ってきたらすぐに祝言をあげましょう。私もそれまでにちゃんと準備を整えておくから」
穂純が待ち望んだ答えがようやく聞けた瞬間だった。
その日は朝から慌ただしかった。
大人たちがあちらこちらで歓声をあげたり笑いあったり。
そんな大人の一人である笑顔満面の母親に連れられて、五歳の少年――桜は一棟の建物の中へと入っていく。そこは島長常一の息子夫婦が住んでいる家だった。
「お母様、どうしてここに? 今日はみんなどうしたの?」
「桜も島長の常一様はご存じでしょう? あの方の二人目のお孫さんがお生まれになられたのよ。今度はお嬢さんですって。だから母様はお祝いに来たの。桜もおめでとうございますっていうのよ」
常一とは何度もあっていた桜は、母親に言われたとおりに挨拶し、頭を撫でられた。立派な竜王総領となるために普段は色々と厳しくされることが多い桜にとって、まれにこうやって褒めてもらえることがとてもうれしかった。
今日は自分もいい気分だと、桜も自然と笑顔がこぼれる。
そうして通された部屋には小さなお布団が敷かれていた。
「さあ、この子が真由良ちゃんよ。桜もこんにちはと挨拶なさい」
桜ははいと返事をして生まれて間もない赤子にこんにちはと照れながらも笑顔で挨拶をした。
すると突然赤子が満面の笑みで桜に向けて手を伸ばして来た。
驚く桜に、あらあらと笑いながら母親が指を出してあげなさいと教える。
そっと人差し指を差し出せば、赤子にひっしと掴まれた。
嬉しそうに桜の手をつかんだまま腕を元気に振り回す赤子。そんな赤子を見ているうちに桜の心のどこかが暖かくなってきた。
「お母様。真由良をお嫁さんにしてもいい?」
母親はころころと笑いながら、それでも五歳の我が子に婚姻の申し入れ方を教えた。
ようやく赤子に指を開放してもらえた桜は、真由良の父親に面会の約束を取り付けて母親に教わったとおりに挨拶した。
同席していた常一が立会人となり正式に許婚として認められた桜はすぐに真由良のもとへと報告に向かった。しかしまだ生まれたばかりの赤子である真由良がそう長い間起きていられるわけもなくすでに眠り姫となっていた。
昼間桜の指を握りしめた小さな手は、今は緩く開いた状態で敷き布団の上。
桜はゆっくりとその手に人差し指で触れた。
息を呑む桜。
目を瞠って桜は目の前の現実を見つめる。
ややあって綻ぶようにとろけるような笑顔になった桜の視線の先では、未だ眠りのさなかにありながらしっかりと桜の指を握る真由良の小さな手があった。
桜はそっと囁く。
「私がずっと守ってあげるから。守れるように強くなるから。だから真由良、私のお嫁さんになってください」
――お嫁さんになってください。
ふっと眠りの縁から目を覚ました穂純は、ついと横へ視線を向けた。
そこには初夜の疲れでぐっすりと寝入っている新妻木槿の姿があった。
目線を落とせば投げ出された木槿の手。
昔の記憶を呼び覚まされた穂純は、口元に笑みを浮かべてその掌にそっと指先で触れた。
ん、と呼気をもらした木槿はあの日と同じように穂純の手を軽く握ってきた。
穂純は木槿を起こさないように声を殺して笑う。
「木槿」
そっと、そっと。囁きよりもそっと。吐息の中に紛れ込ませて名を呼ぶ。
本当は真由良に花団員特有の名をつけるのは穂純であるはずだった。どんな名が真由良に似合うのかとずっと悩んでいたのに、いつのまにか立葵に「木槿」と名付けられてしまっていた。
最初に木槿の名を聞いたときに、思わずなにも知らない木槿の肩をつかんで問い質したい気持ちになった。
必死で自制した自分をあとで褒めたほどに大変だったと、そのことを思い出した穂純は小さく苦笑した。
けれども二度目の一目惚れとともに再開したあの日。
木槿はすでにその名とともに十六年も生きてきたのだと考えたとき、理由はどうあれ木槿という名を否定することは木槿が生きてきたこれまでの人生を否定することにつながると気づいて受け入れた。
今では木槿は木槿でしかない。
真由良という名は、穂純の心の中にそっとしまいこんだまま。これからも表に出すことはないだろう。
穂純は掴まれた指から木槿の寝顔へと視線を移した。
あの日のようにそっと宣言する。
「俺がずっと守っていくから。いつか生まれてくる赤子とともにおまえたちを守るから」
――だからいつまでもずっとこのままで……




