13.甘えと恐怖
蔓穂たちのこともあり穂純と木槿は先に桜花へと戻ることになった。
待っていれば軍艦橘花も軍艦桜花も敵廃船を曳航するためにやってくるが、その間待っていてもなにもすることがない。だからこういうことは早めに片づけたいと思う穂純の気持ちが優先された。
「それじゃ、あとは頼んだ」
穂純が雀鷹へと別れの挨拶をするように手をあげたが、雀鷹は一緒に行くと返した。
「は? なんでだ」
「橘花には就任の挨拶すらなかった立葵だが、桜花の先代頭領には違いなかったのだろう。桜花の先代頭領が殺されてその容疑者が捕らえられたというのなら、橘花の頭領としては結果を見届ける必要がある」
雀鷹のこの言葉を聞いた木槿が思わずといった感じで声をあげた。
「就任の挨拶というものが必要だったのですか?」
もちろんだというように雀鷹はうなずいた。
「橘花翼団員はほかの要塞島や大陸へ派遣されることが多いから、頭領に就任すればすべての代表者のもとへ挨拶に行く。もっとも桜花へも頭領が替わるたびにその旨の書状を送ったが立葵はすべて無視したから長い間公式では桜花へ来ていない」
苦く笑った雀鷹はさらに続けた。
「いっぽう桜花は武器の島だ。だから最大の顧客である橘花翼団にだけは挨拶に来るのが通例となっている。もちろんこれは頭領の就任に関しての話で、桜花の当代島長である深水殿はきちんと挨拶に来られていたぞ。言うまでもないが橘花だけでなく、猿島や友ヶ島の島長のもとへも、だ」
呼び起こした記憶を懐かしんでいるような表情で雀鷹がつぶやいた。
「あの方は礼儀正しく、腕も確かなすばらしい鍛冶屋だ」
心からそう思っているのだとよくわかる声音に、穂純と木槿は己がほめられた時のように喜んだ。それもまた深水の人柄ゆえだった。
まあとりあえず、と穂純が締めの言葉を口にした。
「要するに頭領がらみの事件だから、立会人として自分を連れていけと、そういうことだな」
「ええ、そうよ~。さすがは桜様ぁ」
そう言って雀鷹は穂純の腕に抱きつき豊満な胸を押し付けた。
突然態度が変わった雀鷹の様子に木槿はぎょっとしたように後退った。
穂純のほうはまたかというようにあきれ顔だったが。
肺が空になるのではと思うほどに穂純は大きく息を吐き出した。
「おまえ……いいかげん下手な演技はやめろ」
ちらりと後方を一瞥した穂純は、再び雀鷹へと視線を戻した。
「男にそれは無意味だぞ。むしろどちらかというと逆効果だ」
「あらん。桜様~、それはどういう意味ですの~」
「……男の気を惹きたければ、惹きつけたい本人に対してやれ」
どこか甘やかさが混じっていた雀鷹の笑顔が一転する。嘲りとも取れるような甘さがかけらもない細められた目。両端を持ち上げられて弧を描いた口元も同様。莫迦にしているようであり、ほめているようでもある。なんとも形容しがたい表情だった。
「桜様も少しはそうした機微が理解できるようになりましたのね」
そう言って雀鷹は穂純の腕をぎゅっと抱きしめていた腕をそっとほどいて体を離した。
「いや、おまえの演技が下手すぎるからだ」
「あら、それじゃあどちらが先に相手をものにできるか競争ですわ」
それだけを言い残して雀鷹は先に鯱へと乗り込んだ。
穂純は雀鷹を見送ったあと、再び後方へ視線を向けた。こちらを見ていた青年にくいっと雀鷹が消えたほうへ顎をしゃくって行けと命ずる。
青年は苦笑しながらうなずいた。
穂純は頭を掻きながらぽつりとこぼした。
「勝負になんかならないって……」
ため息をついて肩を落とした穂純は一度深呼吸をする。
パシンと両手で軽く頬をはたいて、穂純は木槿へと顔を向けた。
「とりあえず桜花へ戻るぞ」
二人は先に行った雀鷹を追いかけるように足早に向かった。
穂純たち一行はそれぞれの鯱や海豚に乗り込み桜花を目指した。
途中戦闘がおこなわれて海面がいまだ赤く染まった海域に差し掛かった際は迂回することとなった。自分たちがおこなったこととはいえわざわざ屍累々のさなかを突っ切って行くほど悪趣味ではない。
そうして通り過ぎようとしていると大きな水音が響いた。
もしや生き残りでもいたのだろうかと、みんなの視線がいっせいに音がした方向へと向けられた。
海面から突き出した特徴的な背びれ。
穂純は驚いたように軽く目を見開いた。
「鮫か」
「かなりの血が流れたからね。当然匂いを嗅ぎつけてこのあたりまでやってくるものもいるだろう」
雀鷹は当然というようにうなずいた。
海豚も何頭か餌食になったようだ。結構な数の背びれが時折姿を現しては大きな水音を立てている。
「まあ鮫が鯱を襲うことはないからね。特にこれだけの餌があるんだ。わざわざこちらから出向いたりしなければ襲われることもないだろう」
そういって雀鷹が先を促した。
その時こちらに気づいたらしい一頭がふらりと近づいてきた。
鮫の背びれが向かう先を目で追っていた穂純が息を呑む。
この場で一人だけ海豚に乗ったものがいたのだ。
「木槿ッ、こっちに乗り移れ!」
穂純は鯱を反転させて木槿のもとへと向かったが、すでに鮫は大口を開けて木槿の足へと襲い掛かっていた。
「木槿!」
舌打ちとともに投げつけた穂純の棒手裏剣と木槿の足蹴りが鮫の左右の目を直撃したのはほぼ同時だった。
鮫が痛みに悶えているあいだに、穂純は木槿の腕を引っ張って鯱の上に持ち上げた。
穂純は木槿に足に怪我がないか自分の目でも確認しつつ本人にも尋ねた。
「怪我は? 痛いところはないか?」
危機一髪で難を免れた安堵からか、ほっと吐息をもらしながら木槿が大丈夫と答えると、穂純は反射的に木槿の体をひしと掻き抱いていた。
「よかったー」
言いながら穂純が肩の力を抜くと、バシャリと大きな水音がした。慌ててそちらを見やれば、身軽になった木槿の海豚が尾びれで鮫を叩いて追い払ったところだった。
くすりと笑声がこぼれる。穂純は目を細めて海豚を見やった。
「主人に似てお転婆だが優秀な従者だな」
当の海豚といえば、鯱は鯱でもここにいる人に従っている鯱は自分を襲うことはないと理解したようで、ちょうど鯱に囲まれた真ん中に移動して身の安全を確保した。
そうした様子をずっと目で追っていた穂純は笑みこぼれた。
「たいしたものだ」
ひゅいと指笛で鯱に合図を送って再び走り始めた穂純たち一行だったが、その間穂純はずっと木槿を抱きしめたままだった。
これが後ろ向きに抱いているのであれば鯱から落ちないようにとかいろいろ言い訳もなくはなかったが、正面を向き合ってのこの状態はさすがにそろそろ変だと気づいた木槿が居心地悪そうに身じろぎをした。
「ねえ、穂純。私は本当に大丈夫だからそろそろ離してくれない?」
そっと恥ずかしそうに懇願するように囁く木槿の声は、なぜか穂純を切なくさせた。
目をつぶったまま穂純はさらにギュッと木槿を抱きしめる腕を強めた。穂純が周囲を目で確認しなくとも、鯱には前について行くように指示をしているし、時折感じる雀鷹の視線が彼らからはぐれていないことを穂純に教えていた。
「もう少し、このままで」
秘め事を伝えるように耳元の囁きで懇願すればあきらめたように木槿は抵抗をやめた。それがうれしくてつい擦り寄るように頬を寄せてしまった。
ピクリとおびえるように震えた肩に、逃げられまいとする本能が反射的に抱きしめる力を強めた。
「い、痛い……」
とうとう木槿の口から泣き言がもれた。
すると前方から穂純へ向けて紙扇子が飛んできた。
誰の仕業かわかっている穂純はそれをいやそうに手で受け止めて目を開いた。
「桜様、さすがに暴力は駄目よ。女性の体は壊れ物なんだから優しくね!」
「おまえがそれを言うのか」
竜王四島、そして大陸竜。ここに集う大勢の人間の中で一番強いのは翼団の頭領である。つまりは穂純よりも雀鷹のほうが総合力では勝っている。
握力や腕力等の個々の力は確かに男のほうがもともとの性質上力が強いのは当たり前だが、戦闘力ともいえる総合力では女性であっても雀鷹のほうが上だった。それだけ女の身で翼団頭領の地位まで登り詰めた雀鷹の努力が並大抵ではなかったともいえるが。
「こんな私だからこそ言えるのよ」
雀鷹の切り返しに、しばらくのあいだ意味を探るべくずっと雀鷹の瞳を睨みつけていた穂純は、やがて力を抜いて木槿からわずかに体を離した。
「これでいいか?」
穂純が問うたのは、当の木槿ではなく雀鷹にだった。
にっと笑んで前に向き直った雀鷹。つまりは目こぼしをもらえたということに他ならない。
これに対して一気に不機嫌になったのは木槿だった。
「ねえ穂純。当事者である私の意見は聞いてもらえないの?」
ちらりと覗き見れば、木槿は口をわずかに尖らせるようにしていかにも拗ねたような表情をしていた。
穂純は軽く息を吐きながらそっと木槿を抱き寄せる。
今度は木槿も穂純の胸に手を置いてそれ以上抱き寄せられないように逆らった。
穂純は木槿の耳へと口を寄せるとそっと囁いた。
「あまりかわいい顔はするな。無理やりにでも手に入れてしまいたくなる」
ぎょっとしたようにわずかに強張った顔をあげて穂純を見返す木槿。そんな木槿に穂純は再び懇願した。
「桜花につくまでこのままじっとしててくれ」
そう言いながら木槿の肩に額を乗せた穂純は、返事も聞かずに目を閉じた。言葉はなくとも押し返す腕の力が緩んだだけでじゅうぶんだったから。
戦艦桜花まで戻った穂純たちは、まず見張り台のそばにある伝声管のもとへ向かった。
樒と補佐の青年に軽く挨拶を済ませた穂純は伝声管の蓋を開けた。
「仙翁、ここまでご苦労だった」
応えはすぐにあった。
「桜様もご無事でなによりです」
「翼団の者たちが派手にやってくれたからな」
穂純はくつりと笑った。
実際彼らの応援があったから、ここまで早く片が付いたといえよう。戦局を見て戦艦橘花そのものよりも先陣の切り込みをかける人員を増やしたほうがいいと判断した翼団副頭領の命により、鯱に乗った大勢の団員が派遣されたことが雌雄を決する大きな決め手となったことは否めない。もちろん桜花からも樒の補佐をしている青年の助言でいくらか海豚部隊が出陣していたが、橘花ほどの成果はあげられなかった。
「それでこれからどうなさいますか」
狼煙に呼ばれてここまで来たものの、仙翁をはじめとして桜花のものはまだなにも聞かされていなかった。
「敵旗艦を桜花のものとして振り分けられた。それぞれの働きに応じての配分で、残りの二隻は橘花の取り分となった」
それだけで仙翁には通じたようだ。
「その敵旗艦をこの桜花で曳航していくというわけですな」
そして問題の艦の大きさなどを穂純が伝えて行くと。
「それだけの大きさですと、桜花だけでは難しいかもしれません」
仙翁だけでなく伝令使の青年に木槿と樒、そして一緒についてきた雀鷹たちの助言も含めて話し合った結果、最初は桜花を引き船として使って曳航していき、大陸が近づいて細かい位置調整が必要になったら集められるだけ集めた海豚と鯱を使うことになった。
あとのことは仙翁と伝令使の青年、そして数人の花団員に任せて穂純たちは留置場に入牢されている蔓穂と竜胆のもとへ向かった。
別々の個室に入れられている蔓穂と竜胆だったが、穂純たちの姿を鉄格子越しに見つけるとどちらもすぐに椅子から立ち上がって立礼した。
まずは礼をとかせて二人の顔をあげさせた穂純は、この場に同席した翼団頭領の雀鷹と団員の青年――小鷺を紹介した。
「ことが先代頭領立葵の殺害ということで、翼団の頭領も同席することになった。立会人と考えればいい」
簡単な紹介だけを済ませて、穂純は本題にはいった。
「さて、蔓穂。先代頭領立葵を弑したのはおまえか?」
実にまっすぐな質問だった。
しかしいまだに腹芸などには慣れない穂純にはこれが精一杯ともいえた。穂純はただ感情的にならないように、また表には出さないようにとそれだけに注意を払った。
そんな状況でも蔓穂は特になにを逆らうでもなく素直に口を開いた。ただ一言「はい」と。
息を呑む樒をよそに、穂純はさらに問いを重ねる。
「理由は」
「正当防衛です」
「それはどういう状況で」
「いきなり襲い掛かられました」
「だがおまえは立葵の情婦だったのだろう?」
いつものように着物を脱いで足を開けばいいだけのことだろうと穂純が返せば、それまで淡々と答えていた蔓穂の声が初めて途切れた。なにかを言おうとはしているようだが、のどにつかえたように言葉が出てこず、ただ震えるように無意味に口を開閉するだけだった。
「どうした」
穂純の追及に口をはさんだのは樒だった。
「おい、いくらなんでもそんな言い方はないだろう!」
穂純はちらりと樒を一瞥したが、ただそれだけだった。相手にしていちいち説明するのは時間の無駄だと思ったからだ。
改めて蔓穂に視線を戻した穂純は冷たく言い放った。
「蔓穂、着物をすべて脱げ」
これには木槿も声を上げる。
「ちょっといくらなんでも姉さんを侮辱し過ぎよ! そんなことをしなくても認めているじゃない!」
木槿がさらに言いつのろうとしたところで穂純は腕をあげた。
すると雀鷹と小鷺が素早く移動して木槿と樒の声と視界を封じた。
「おまえたちはしばらく黙っていてくれ」
むしろ蔓穂の裸体を木槿と樒に見せないために穂純はそうしたのだったが、それに加担した雀鷹と小鷺以外は誰も気づかなかった。これが出会ってから間が無くなにも築けていない者と、三年付き合ってきた者との違いだった。そして頭領という地位にいる期間と経験の差でもあった。
「脱げ、蔓穂」
重ねて命じられ、蔓穂はとうとう観念したように震える指を帯へと伸ばした。
しゅるりと帯がほどける音が響く。その音によって竜胆も状況がわかったのか穂純をなじる言葉を叫び始めたがそれはこの際無視した。
小鷺は樒の背後から目と口を塞いでいる状態で自身も後ろを向いているので蔓穂の姿は見えない。
だから飾り布で装飾された着物をすべて脱いだ蔓穂の裸体をその瞳にとらえているのは穂純と雀鷹の二人だけだった。
「後ろを向け」
ここまできたらあきらめがついたのか蔓穂はおとなしく従った。
穂純はちらりと雀鷹に視線を向ける。雀鷹がうなずき返したのを確認した穂純は牢番から受け取った鍵を使って扉を開けて中へと入った。
背を向けたままの蔓穂にそっと両手を肩の近くまで伸ばした直後、穂純は蔓穂からの裏拳打ちを喰らいかけた。だが一瞬の差で回避して蔓穂の両手首を拘束して壁に押さえつけることができた。
「……やれやれ。情婦とは体を売って保護を求める者だろう。立葵に代わって今度は私がその役目を継いでやろうというのになぜ逆らう」
穂純はそう言って空いたほうの手指で、蔓穂の腹から胸、首筋へと指を滑らせた。
「いやっ」
とうとう蔓穂が小さく悲鳴をもらしてギュッと目をつぶった。
「どうした。蔓穂、おまえは情婦なのだろう?」
「違います!」
そう叫んだ蔓穂は、とうとう涙腺が決壊したようにぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「ではなぜ情婦だと言いふらした」
「言いふらしてなんかいないっ。勝手にそう呼ばれるようになっただけッ」
「なにもなければ情婦などと呼ばれることもないだろう。実際立葵の寝室にはいれたのはおまえひとりだろう」
それはそうだけど、と蔓穂が言葉を途切れさす。
途切れた言葉の代わりというように、穂純は動きを止めていた指先を再び動かして首筋を撫でながら顔を近づけた。
「こうやって立葵の相手をしていたのだろう」
耳元に直接囁きかければ、蔓穂の膝から力が抜けて穂純に体を支えられるような形になった。
「違います。ただ調べたことを報告に行っていただけ。密偵であると知られないようにしろと言われて、命じられたとおりに深夜に報告に行っていただけ」
「あの日はなにを報告した? まあ深水のところに潜り込んでいたのだから私と深水の会話しかないだろうが」
「そう、です。桜様のことを報告したら突然狂ったように騒ぎ始めて襲い掛かってきたんです。それで反射的に鉄扇を、使って……っ」
その時のことを思い出したのか、蔓穂はふるふると震えだした。




