10.明らかになったもの
「え? それはどういうこと……」
木槿が混乱するのも無理はない。
幾分躊躇するそぶりを見せた深水だったが、頭領である木槿には表も裏も知っている必要があると思っているため、結局は若干重い口を開いた。
「蔓穂殿は立葵の情婦でした」
「……え、でも、姉さんは竜胆兄さんと婚約してて……」
「ええそうです。そして竜胆殿もそのことは了承しております」
ますます混乱してきた木槿を気遣った守人が熱いお茶を入れて差し出した。
「木槿様これをお飲みになっていったん気持ちを落ち着けてください」
木槿はとりあえずいわれたとおりに湯呑を手に取り息を吹きかけた。ゆっくりと熱いお茶を飲み下すとたしかに揺らいでいた気持ちが少しずつ静まってきた。木槿は桜花花団の頭領。何があっても揺るがずに冷静な判断をおこない、またそれを花団団員や桜花島民に示さなくてはならない立場にいる。
いまだ未熟なままで継承した頭領という地位。深水と守人しかいない今ならば多少のことは目をつぶってもらえる。けれどいったん外に出れば年齢や経験は一切考慮されずに、みなが納得する過程と結果を示さなくてはならない。
また一口お茶を口に含む。そうしているうちに木槿はいつしか穂純のことを考えていた。
(穂純は……怖くないのかしら)
先ほどの穂純を思い出す。凛とした声で背筋をまっすぐ伸ばして竜王総領としての名乗りをあげていた。
木槿を含めてその存在を知らない者が多くいる中で道化とも受け取られかねない行動をおこなえた原動力とはいったいなんなのだろうか。
人に慣れていないと穂純自身の口から聞いていた。直接会話を交わしたのはほんのわずかな間だけ。その後は少し距離を置いたところから気づかれないようにそっと観察していた木槿は、その言葉は真実だろうと思っている。
時折懐かしそうな目をして周囲を眺めていたのは、穂純が幼いころに桜花に住んでいたからだったのだろう。迷いの道であるはずの桜花で目的の場所へ容易に行き来できていたのも、彼が桜花の内情を知っていたからに違いない。
侵入者を防ぐための迷路とはいえ住んでいるものがいるのだから、住人が迷わないための規則や目印はそれなりにある。だからこそ出店通と宿屋通以外にはよそ者は近づけないようにしていた。花団には勝手に路地に入り込んだよそ者を捕まえて適切な処分をする役目もある。
名目上は島長から依頼を受けてということになっているが、その盟約が結ばれたのはもうずいぶんと前の話になる。人一人の寿命よりもさらに昔の話だ。
「穂純は……」
ポロリと零れ落ちた言葉に誰あろう木槿自身が驚いた。思わず手を口に当てる。
「頭領? 桜様がどうかされましたか」
いぶかる深水に木槿は首を横に振って何でもないと答えた。
ただ、と小さくつぶやく。
「穂純もまだ二十一歳でしょ。総領という立場をどう思っているんだろうと考えていただけ」
深水と守人は意味ありげに顔を見合わせた。
「どうしたの。なにかおかしなことを言ったかしら」
二人の様子になぜかいたたまれない気持ちになった木槿は幾分すねた声音で問いかけた。
深水は柔らかな笑みを浮かべた。
「いいえ、そうではありません。木槿様が頭領としての務めを果たそうと努力しておられる姿には感服しておりますし、本来の取り決めに立ち返ることもワシとしては歓迎しておりますので」
「本来の取り決めって、どういうこと?」
「もともとは木槿様の許婚は樒様ではなく桜様だったということです」
樒を木槿の許婚にあてがったのは立葵だった。蔓穂と竜胆も同様だ。木槿と樒には花団を、蔓穂と竜胆には桜花――つまりは島長の権限を手に入れさせる。そして最終的には彼らの養父である立場でもって立葵がそのすべてを掌握しようとした。
軽く握った拳を胸元にあてて木槿はややうつむき加減になる。
「穂純とのことを決めたのは私の両親だったの?」
「残念ながらそこまではワシらではわかりかねますな」
誕生を祝う宴のさなかに木槿の父親が酔いに任せて口にした場面に深水たちがたまたま立ち会っただけでしかない。その場に居合わせたのは先々代の頭領櫟とその妻芹。先代の島長の常一とその護衛頭の守人に、当代の島長で当時島長候補だった深水。木槿の両親と実兄。そして当事者である穂純と木槿だけだった。この面々だけしかいなかった場での発表だったということは一見酔いに任せて口を滑らせたように見せかけて、実はもとから彼らだけに伝えるつもりだったのかもしれない。
これから数時間後に立葵たちによって切り裂かれることになるとは考えもしない、今から思えばこの二家族にとって幸せの絶頂期であり家族全員が揃った最後の出来事だった。
「そう」
できればその言葉を理解できるときに両親の口から聞きたかったと木槿は思った。この世に生まれたばかりで言葉など理解できるはずもなく記憶さえかけらもない。結局はただ声が聞きたかっただけということになるが。
それに自身が先代島長の孫であることすら最近まで知らされなかった。
「立葵に口止めされていましたからのぉ」
何も知らぬ赤子。だからこそ扱いやすく、また事情を知る者には牽制の材料――つまりは人質ともなる。
「だから私は生かされていた。大事なことはなにも教えてもらえずに」
話しながら徐々に沈んでいく木槿の声音に気づいた深水が慌てたようにやや早口で口をはさむ。
「木槿様にはなんら責任はないのです。その教わらなかった大事なことを教えるために今こうしてワシらが集まっているのですから。これまでの事例からすれば遅いというだけで、木槿様にとって適切な学びの時がようやく今訪れたというだけのことでしかありません。ワシらのような補佐もついておりますのでこまごましたことはおいおい覚えていけばいいだけの話です」
ここでいったん口を閉ざした深水は、いつもの穏やかな口調に戻した。
「ただこれだけは覚えておいてください。頭領としての仕事は基本的には下のものに命ずることです。旗印となって進む先を指し示す者です。ワシらは頭領の命であれば命をもかけて完遂しようと努めます。その意味をよくお考えください」
まっすぐに深水を見つめていた木槿は、心の中で深水の言葉を魂に刻みつけるように復唱してからしっかりとうなずいた。
「ええ、わかったわ」
残りのお茶を飲み干した木槿は、一度唇を湿らせるように舐めた。
「それで……さっきの話だけど」
「蔓穂殿のことですね」
みなまで言わないうちに深水が木槿の言いたいことをくみ取った。口にし辛かったことを代弁してもらえて木槿は内心ほっとする。これではいけないとわかってはいても、やはりまだ躊躇いがぬぐいきれなかったから正直助かった。
「ええそう。蔓穂姉さんが犯人だという根拠を教えて」
深水は神妙にうなずいた。そして一つ一つ順を追って説明していく。
まず立葵が殺された場所が彼の寝台の上だったこと。
うつぶせに倒れていたこと。またその体勢。
首は正面から刎ねられていたこと。
更には返り血などの状況証拠から鑑みれば、穂純が広場で言っていたように、犯人は寝台で立葵にのしかかられようとしているときに首を刎ねたと考えられた。
また武器として使われた鉄扇。以前食堂で話を聞いた木槿が穂純の体格を見て使いこなせるのかと尋ねたとおり、あの鉄扇は誰もが扱えるような獲物ではない。それならばなおさらなぜ蔓穂がと思いがちだが、ここにいる者たちは蔓穂が見かけの華奢さに反して武器の扱いに関してはよほどの重量があるものでなければ使いこなしてしまうほどの人物だということを知っている。そしてそんな技量をもった人間だったからこそ立葵に養女として引き取られていたのだということも。
「ここ数年、立葵が自身の寝室にいれた人物は蔓穂ただ一人だということもわかっています」
自身に覆いかぶさるようにして襲い掛かってくるものの首を正面から刎ねれば、当然返り血を浴びることになる。そのため寝具には犯人がいた場所だけ鮮血の飛び散り具合が少なくなる。
もっともその後前かがみのような体勢で倒れこんでいたため、一見すべてが赤く染まっているように見えた。けれどよくよく調べていけば時間差による血液の固まり具合や寝具へのしみこみ具合などからおおよその状況を把握することができた。相手が小柄な人物だということも含めて。
「あと……」
言いにくそうにいったん言葉を濁した深水。
そんな深水を見かねたのか守人が代わりに言葉を引き継いだ。
「先代が弑されたと思われる時間帯に、私は血に染まった蔓穂様をお見かけしました」
そんな場面を目撃していてもあまりおおごとにならなかったのは、桜花ではさして珍しくないからだった。竜に渡って獣狩りをしたり脱走者や違法者を狩ったりした際に、返り血を浴びてしまうことはよくあった。
いつもよりは多く血を浴びていたとしても、時折差し込む月明かりだけでは詳細はわからない。せいぜい対象者を識別できる程度だ。蔓穂がいつもまとっている淡い色彩の着物の前面が真っ赤に染まっていても、蔓穂の力量をもってしてもこれほどの返り血を浴びるほどの手ごわい獣が相手だったのかと思っただけだ。せめて言葉でも交わしていればいつもと違うところを見つけることができたかもしれないが、見回りのさなかにたまたま視界の端を横切った程度では、その人物が誰であるかがわかった時点で警戒対象から外してしまっていた。
のちに死体となった立葵が発見されたことにより守人が改めて皆の動向を調べなおしていた時に、その晩蔓穂は竜へは渡っていないことも誰かを狩る任も負っていなかったことがわかったにすぎない。
またこの検証に蔓穂も対象に入れるように守人に言ったのは深水だった。彼は刀を受け取りに来た穂純から蔓穂が怪しいと聞かされていた。そして穂純も血まみれの蔓穂を宿の部屋から目撃しておりこのことも同時に深水を通して守人に告げられていた。
事件現場の検証が進むにつれて、これはどうあっても蔓穂以外にはなしえないと結論がでたところだった。
最初は現場に残されていた凶器の鉄扇。それを見た樒が桜花の裏の武器事情を忘れて先走ってしまったが、いつのまにかその鉄扇は消えていた。本物の穂純の鉄扇と一緒に海に捨てられていたということは、拾ったと宣言した穂純自身によって明らかになったが、そうしたことをできたのもまた蔓穂ゆえだろう。
竜胆の姿も見えないということは、共犯として一緒に逃亡しているか、蔓穂の仕業だと早くに気づいて追っているかのどちらかだろう。そして前述であろうと深水たちは踏んでいた。
「それはどうして」
深水たちがいやにきっぱりと竜胆の共犯説を押したので木槿は疑問に思った。
「それは竜胆殿が蔓穂殿に、平たく言えばほの字だったということです」
蔓穂が立葵の情婦だと知っていてなお誰にも許婚の立場を譲らなかった竜胆。それだけでなくできるだけ彼女を守ろうとしていた。
そうであるなら今回のことも竜胆のほうから逃走をそそのかした可能性が高い。
話を聞きながら木槿はうらやましいと考えていた。決して恵まれているとは言えない境遇。けれどそこまで想われたら悪い気はしないはず。ましてや蔓穂自身も竜胆を憎からず想っていたはずなのだから。
そうして木槿は自身を顧みる。
(でも穂純はお爺様に頼まれたから求婚したのだし……)
その時のことを思い出すと木槿の眉間に無意識に皺が寄った。
「頭領」
呼びかけに反射的に顔をあげると、深水が苦笑していた。
「どうしたの」
「頭領こそ難しいお顔をされてどうなさいました。何やら懸念することでもありましたか」
木槿は緩く首を振る。
「いいえ、なんでもないわ」
深水は困ったように微笑みながらもきっぱりと言い切った。
「さようでございますか。もっとも誤解を解くのはワシらの仕事ではないのでご本人に一任しておりますからの。若いうちに色々なことを経験されるがよろしかろう」
「誤解?」
聞き返した木槿に対して、深水も守人も答えなかった。頭領としての権力をもって問いただしても、それは無粋だと軽くいなされる。そもそも木槿が花団頭領なら、深水は桜花島長という地位にあり立場的には対等である。しかし年齢による経験や知識という意味では全く歯が立たない。
あきらめるように息を吐き出した木槿は、改めて現状に向き直る。
「そうね。今はそんなことにかかずらっている時ではないし、その『本人』とやらの出方を見ることにするわ」
「賢明なご判断です」




