意味が分からないという意味が分からない
終わりを見せない思考とはつまりネガティブたる自分の事であって、それが建設的かは言うまでもなく、そもそも外面に出てこない上になんら意味のない思考に価値はあるのかなと思ったり、思わなかったり。
良くいる空気が読めない人間の特徴として、理解力に乏しい、共感力が低いというがあると思う。
と言うかあると思っている。じゃないと空気が読めない人間(自分)が可哀想になるから。
とりあえず石は投げないで下さい。なんでもしますから。
で、理解力とか共感力ってなんぞやって考えた時に問題意識を共有出来るか、とかその相手に興味を抱けているか、とか色んな要素があると思うんですけど、結局のところその人が求めていることがちゃんと理解出来ているかという部分が大切になってきます。
他の人間の思考をトレースするというのは普通の人にはぶっちゃけ不可能です。自分が底辺過ぎてハードルを高くしているのかもしれませんが、これを出来る人は本当に凄いと思います。
コミュ強とか言われるなんか喋ってると気持ちいいな、この人感じ良い(キュン)みたいな人に共通するのは気持ちの良い笑顔とこちらにたいしての尊重の心です。あと清潔感。
誰かの事を心の中で糞野郎とか思っている人間は雰囲気と目元、口元、仕草でなんとなく分かります。
まぁ、たまにそういうのをまったく感じさせないのに特定の人が席を立った瞬間「あの人は〜(自主規制)〜」とか言う人間がいて人間社会は怖いですが。あの人達は経験に裏打ちされた顔面筋と言動と感情を殆ど一致させない話術を体得しているのか、はたまた他人を下げる事で会話の潤滑油にしようとしているのかは分かりませんが。
でも、大して嫌いでもない人をこき下ろせるのも才能のひとつだよね。個性、個性。罵詈雑言一級とか作られたら権威つくよ。
でも自分が人と仲良くするなら絶対に必要だと思うのは尊敬の念。
それで空気が読めるようになるなら苦労してねえよ? 分かります。
そう思ったあなたに必要なのは経験です。きっと、多分、メイビー。
自分にも足りませんね。何処で積めばいいんですかね。
経験を積むため、空気が読める人が何故空気を読めるのか推察した時に、最初から出来たとかいう化け物みたいな人類を除くと、他人から好かれたいとか空気が重い空間が無理とかそういう傾向の人が考えに考えて自分の割けるリソースを人間関係に割り振って今まで生きてきた結果なのかなあとか考えてみた。
あれ、経験積もうと思ったらもしかして人生をやりなおす必要があるんですか? 異世界とか行かないといけない感じですか?
でも記憶残ってたら結局たどり着くところが同じなんですよねえ。
次はやりなおせないから代わりに好かれやすい、もしくは嫌われにくいを目指す方を考えてみた。
でも、そもそも人に好かれるためには謙虚さが必要組と積極性と確固たる自分組の抗争は終わる所を見せませんし、そもそも人の好みって千差万別で趣味嗜好が完全一致してても喋ってみなければ気が合うかなんて分からないじゃないですか?
つまりは自分が相手に対してどれだけの興味をいだくか、と人間関係に波風を立たせても最終的には通常に戻せるような環境づくり必要なんだなって。
と思ったんだけどそもそも自分は他人にさしたる興味をいだいていないし、重い空間であろうが暗い空間であろうが本か活字があれば別に気にならない。つまりそういった行動を結果に結びつけるプロセスを、渇望してないからこそ上辺だけ必死になっても何も思いつけない事に気づきました。根本的に無理じゃん。
ただ今回思った事と今までの経験や人を見てて思った事がふたつあるとしたら、凄いなぁ、自分だったらどうだろう、と考えるの自体は悪手ではありませんがそれで出て来る答えはあなたの思考であってその人のものではないというのがひとつ。
実際にあった失敗なり成功体験で自分と相手の被る所があるのと、想像でこれはこうなったんだろうなぁ、というのはマッキンリーと天保山ぐらいの差があります。思ってても口に出しちゃいけないやつもあってこれが見えない地雷原なこと夥しい。
ふたつ目は喋ってみなければ分からないよという当たり前の意見。これが一番難しい。
現代のコミュ障とか言われてる人がコミュ障たる由縁は出会った人間に数年来の親しさか配慮を求める事。出会ったフィーリングは大切だと思うし合わない人間に無理に合わせる必要は特に無いけど人間関係ってのは積み重ねだから仲良くしたいなら相手を尊重しようね。共通項が見つからないと辛いかもしれないけど。
コミュ力強者の強みはなんとなく馴れ馴れしくても許せそうな雰囲気を作れることだと勝手に思っている(断言)。
自分みたいな心の隔壁高めだとこの手のは絶対零度の空気になるけど。
あと、自分は人との距離や間隔の取り方がうまくないと自覚出来る人はまず近づきましょう。良く見かける人に挨拶するだけでも印象は変わります。その人と偶然何処か別の場所で会ったりしたら印象は良い方がいいでしょ?
嫌われるにしても好かれるにしても話はそこから。致命的な何かさえしなければ意外と友人関係というかなんかある程度浅い、知り合い以上友人未満みたいな関係が細く長く続くらしいです(本人談)。これは近所のおばちゃんに唐突にオロナミンÇを貰ったりちょくちょく喋る警備のお兄さんに外で会った時にご飯誘われた時に気づきました。ただ拗らせてストーカーみたいなのにだけはならないようにね。
さぁ、みんなで類友を呼ぼう。気づいたらボッチで集まりみたいのが出来るよ。
ただ、想像力の欠如と地頭の悪さと他人の数百倍考えるくせ最終的に出る答えが頓珍漢なのは治らないことだけはとりあえず今回分かった。
まぁ、こんなこと考えてるから自分は空気が読めないんだよねってことでひとつ。
結局のところ空気が読めない人間は空気が読めない(哲学)。
つまり巧遅を目指して拙遅になるぐらいなら失敗すると思っててもまずは拙速でも問題点を浮き彫りにした方が良いですよね、と言いたかった模様。
あと、全然関係ないんですが寒くなったしおでん作ろうと思ってスーパー行ったら大根がビビるぐらい高かったです。
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