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蛇足伝  作者: 大田牛二
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楊沛伝

 春秋時代に鄭という国があり、その国の都があった場所を新鄭といった。後漢王朝末期、その土地に几帳面そうな顔をした男が赴任してきた。


 男の名は楊沛ようはい、字は孔渠という。馮翊郡万年県の人である。後漢の初平年間に公府の史令を務め、今回、新鄭の長となった。


「ようこそいらっしゃいました」


 官吏が新しく派遣された彼を迎え入れたが、


「迎えはいらない。さっさと新鄭に関する資料を見せてくれ」


 煩わしいとばかりに迎え入れてきた官吏たちを彼は追い払うと、すぐさま仕事を始めた。


「面倒な方がいらっしゃった」


 そんな彼の姿を見て、新鄭の官吏たちはため息をつき、憂鬱な表情を浮かべた。


 年号が興平に変わった頃、長く続く戦乱により、飢餓に苦しむ者が多く出るようになった。


「どうなさいますか?」


「先ずは住民の食料を確保しなければならない」


 楊沛は住民にわりあて乾燥させた桑の実を今まで以上に多く貯蔵するように指示を出し、更に野生の豆を収穫させた。


「次は住民の生活の術を安定させなければならない」


 資金に余裕のある者を調査して、余裕の無い者を援助した。


 こんな風にして千余石を蓄積させることができるようになった。そして余裕ができた分を、小さな倉にこれらを収めた。


「ここまで短期間で問題を解決するとは流石です」


 官吏たちは楊沛の手腕を称えたが、


「次の仕事を始めるぞ」


 楊沛はぴくりとも眉を動かすことなく、淡々と仕事を続けた。官吏たちは、


「面白味の無い方よ」


 と、囁き合った。


 ここまでは彼の名は歴史の表舞台において関わりを持っていない。しかしここから彼は歴史の表舞台の一端に関わっていくことになる。


 当時、後漢王朝は王朝としての機能はほぼ失われていた。長安への強制的に遷都を行い、後漢王朝で好き勝手やっていた董卓とうたくは、王允おういんらによって殺されたが、その王允も董卓配下の李傕りかく郭汜かくしによって殺された。その二人も権力闘争を行っている状態であった。


 一方、反董卓連合を組んでいた関東諸侯は自分の勢力の拡大にばかり行っており、天下の安寧とは程遠い状態であった。


 そんな中、後漢の献帝・劉協りゅうきょうは李傕と郭汜の元から脱出し、逃避行を行っていた。


 そんな献帝を保護しようと動いた者がいた。


 兗州刺史・曹操そうそうである。しかしその途上で、曹操ら千人余りの食料が尽きてしまった。そんな彼らがちょうどいたのが、新鄭であった。


「報告します。兗州刺史の軍より食料の援助が求められています」


 官吏が楊沛にそう報告を行った。


「どうなさいますか?」


「天子を守らんとする方である。援助しない理由など無いだろう」


 楊沛は曹操に謁見すると新鄭の備蓄の食料を振舞った。曹操は大いに喜んだ。


 やがて曹操が献帝を保護し、献帝を擁立して朝廷を牛耳ることになると、


「新鄭の楊沛を長社の令とする」


 楊沛を長社の令に昇進させた。曹操は苦労した時に助けてくれた者への恩を忘れない人である。


「おめでとうございます」


 新鄭の官吏たちは彼の昇進を知ると、喜びの言葉を述べた。


「私がいなくなっても職務に努めよ」


 彼らの言葉に対して何ら表情を変えず、そう述べるのみであった。


「やれやれせっかくの昇進を喜ばないとは……まああの方らしいか」


 官吏たちはそう言って笑った。


 当時、曹洪そうこうの食客が県の境におり、規則通りの納税をしなかった。曹洪という人は曹操が反董卓連合に参加していた際、戦で曹操の危機を救った人である。そのことから曹操から尊重された。しかしながら曹洪という人は貯蓄家で、自分の身内に甘いところがあった。そのため彼の身内は欲深い者も多かった。


 それでも曹操から恩寵をもらっている彼の身内に手を出すことに誰もが遠慮し躊躇する中、楊沛は赴任するや否や、曹洪の食客を捕らえた。


「私が誰の食客か知っているのか?」


「曹洪殿の食客と聞いている」


「ならばその私にこのような真似をして……」


「脚を折れ」


 喚く食客に対して淡々とそう指示を出し、その者の脚を叩き折った。


「貴様、わかっているのか」


「汝が罪を犯していることを知っているのみだ」


 楊沛は部下を見て、


「反省の色無し、首を斬れ」


「よ、よろしいのですか?」


「法に従うのみである」


 躊躇する部下を尻目に楊沛は食客を殺した。


 このことに激怒した曹洪はすぐにこのことを曹操に報告した。


 しかし曹操は激怒するどころか、楊沛を有能であると評価し、彼を九江・東平・楽安の太守を歴任させた。楊沛はいずれの地でも治績を上げた。


 だが、彼はこのような性格で妥協するところが無いため、人と争うことが多く、督軍と揉めて髠刑(髪を剃る刑罰)五年に処された。


 その懲役が終わらない内に曹操は遠征で譙にいた際、鄴で禁令を無視するものが多いという報告を受けた。


「誰が鄴の令に相応しいか」


 配下にそう問いかけ、いくつかの人物の名前が出てきたが、


(どれも職務を果たせるとは思えない)


 そう思っている内に、


(厳格かつ有能な人物で楊沛に及ぶ者はない)


 と、思い、曹操は楊沛を抜擢した。懲役中の者の抜擢は中々に無い。


 髪を剃られた楊沛が連れてこられると曹操は彼に問うた。


「汝はどうやって鄴を治めるか」


 すると楊沛は、


「心力を尽くして法律を徹底させるのみです」


 と毅然と答えた。


「鄴を治める者ならこうでなくては」


 曹操はこれを聞いて満足し、振り返って周りの人々に言った。


「諸君、この男は手ごわいぞ」


 そして曹操は楊沛を激励するのと以前の恩を返すため、奴隷十人と絹百匹を与えた。しかし楊沛はこれらを一切受け取らず、鄴に向かった。


 彼が着任するより前に楊沛の名を畏れた曹洪・劉勲りゅうくんなどは人を走らせて自らが養う食客に品行を改めるように通達した。それほどに彼の厳格さは恐れられていたのである。


 楊沛は鄴の令を数年務め、功績と能力によって護羌校尉に転任した。


 やがて楊沛は建安16年(211年)の馬超征伐に従軍することになり、孟津の渡河作戦を指揮した。


 曹操が渡り終えて他の諸将がまだ渡り終えていないときに、既に渡っていた中黄門(宦官)が忘れものがあったのでひっそりと引き返して取りに行き、それを持って役人に小舟を要求して先に一人で渡ろうとしたことがあった。


 しかし役人は承知しなかったことで諍いが起こった。その諍いが楊沛の元に届けられると、彼はすぐさま現場に向かい、中黄門に書付の有無を尋ねた。曹操の許可があるのかということである。


 しかし中黄門は持っていないと答えた。しかもその態度はそれが何かとばかりの態度であった。楊沛は激怒した。


「それではどうしてお前が逃げ出そうとしていないと思えるのか」


 楊沛は部下を呼び、中黄門を拘束させ、杖を与えて殴らせようとした。中黄門は衣服をボロボロにしながらなんとか曹操の下へ逃げ込み、彼は楊沛の仕打ちを訴えた。


 すると曹操は大いに笑い、


「汝は殺されなかっただけ幸運だと思え」


 と言い、楊沛を称えた。これにより楊沛の評判は天下に響き渡ったという。


 関中平定の後、張既の後任として京兆の尹になった。


 黄初年間は儒学の教養のある者が登用されていったが、事務能力によって身を立てた楊沛は結局のところ議郎として町を散歩して暇を潰すだけだった。


「あなた様は先帝にも認められた方であるにも関わらず、なぜこのような地位しか与えられないのでしょう」


 部下が町を散歩する彼に付き従いながらそう言った。楊沛はその言葉に何ら表情を変えることなく、


「私はここで良い」


 と言い、町の人々を見た。商売に打ち込むもの、重い荷物を運ぼうと力を合わせている者たち、汗を流しながら建物を作っている者たち、そんな彼らの間を駆けまわる子供たち。


「私はこの景色が見れる場所であれば、良い」


 そこで初めて楊沛は笑みを浮かべた。


 その後、何度か彼は郡県の長を歴任したが、個人的利益は一切求めなかった。


 また、高位の人物に追従することもなかったので引退したときには、彼の家に余計な備蓄はなかったという。彼の妻がは寒さと飢えに苦しむほどであった。


 やがて病に伏すようになると家で病気の療養をし、官舎から小僧を借り、それ以外に召使を用いなかった。のちに河南几陽亭にある荒田を買って小屋を建て、その中で寝起きした。


 楊沛は病気で亡くなると、そのことを知った郷里の親友や故吏、かつて彼が治めた領民たちが葬式に駆け付けた。そして誰もが彼の死に涙を流した。


「あの方の偉大さはこの景色にある」


 故吏の一人はそう呟いた。






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