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蛇足伝  作者: 大田牛二
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何祗伝

王莽の頭(首)って295年まで保管されていたんだなあ

 複数の獄吏が慌てた様子で駆け出している。


 彼らが向かう方向には部屋があり、その扉には木の板が掛けられており、そこには、


「眠りを妨げるべからず」


 と、書かれていた。


「何督軍従事、何督軍従事っ」


 獄吏たちはそれには目もくれず、扉を叩く。それでも部屋の主が出てこないため、獄吏たちはついに無理やり扉を開けて部屋に入った。


 そこには酒瓶が至るところに転がり、その中央で大柄の男が大いびきで寝ていた。


「何督軍従事っ」


「一体、何だというのだ」


 獄吏たちの声にあくびを噛み締めながら男はやっと起きだした。


 男の名は何祗かし、字は君粛という。益州蜀郡の生まれである。


 彼の家はあまり裕福でなかったため若い頃は貧しい暮らしをしていた。人となりは寬厚で成熟しており、大食いだったため、体躯は立派だった。


 しかし何祗は貧しいにも関わらず、歌と女を好んだ。このように倹約しなかっため彼に敬意を払う者は少なかったという。


 そんな彼に才覚があると見抜いたのが楊洪ようこうである。楊洪は何祗を門下書佐として迎え入れ、才策功幹があるとして郡吏に推薦したため、何祗は督軍従事となったのである。


 さて、不機嫌に無精髭を撫でる何祗である。その彼に獄吏たちは言った。


「先ほど通告があり、丞相が明朝、こちらに来られるというのです」


「丞相自らか?」


「はい」


 先ほどまで不機嫌だった何祗だったがこれに目を丸くする。


「何故、丞相が来られるのだ?」


「理由までは聞かされてはおりませんが……噂では督軍従事が放縦で職務を怠っているという訴えがあったと……」


 そう丞相……蜀の丞相・諸葛亮しょかつりょうは何祗が督軍従事が放縦で職務を怠っているという訴えがあり、自ら視察に出向くことにしたのである。


 諸葛亮は法を用いる上で厳格であったため、こういう訴えに関して敏感であった。


(やれやれ真面目だねぇ)


 何祗は首を鳴らしながら目を細める。


(一国の宰相がわざわざこんなことでいちいち確認をしてどうするのかねぇ)


 彼は牢獄の管理を勤めている督軍従事としては囚人に対して厳格ではなく、寛容さを示していた。いつも職務中、居眠りはしつつもそこまで間違ったことはしていないつもりである。


「取り敢えず、明朝に来るのだな?」


「左様です」


「ならば、大丈夫だ」


 あくびを噛み殺しながら何祗は部屋を出ると夜の内に篝火を持ち出し、牢獄にいる囚人たちの様子を見て回り、調書を読み込んだ。


 そして明朝、諸葛亮がやってきた。


 僅かに目の下に隈を残しながら何祗は諸葛亮と相対すると調書の内容をことごとくをこれを闇誦し、諮問に対する応答は一切、滞ることなかった。


 諸葛亮は彼の能力を高く評価すると満足して帰っていった。


「ふう、助かったぜ。さて寝るか」


 何祗は伸びをすると部屋に戻り、寝た。


 その後、諸葛亮によって何祗は成都県令に任命された。その時、郫県県令が欠けていた。蜀の人材不足がよくわかる事態である。そのため諸葛亮は何祗に二県の県令を兼ねさせることにした。


 何祗が任されたこの二県の戸籍人口は雑多で、都治にとても近く、様々な種類の犯罪者がいた。


 そんな中、何祗は相変わらず、職務中は常に居眠りをしていたが、目を覚ますとその度に嘘の訴えを見抜いたため、人々は何祗に摘発されるのを畏れ、ある者は何らかの不思議な術を修めていると考え始めたという。その結果、欺こうとする者は一人もいなくなった。


 帳簿を人に読み上げさせると、何祗は読み上げるのを聴きつつ心中で計算して合計に差違はなかった。


 このように結果を出していた中、汶山の異民族が不穏な動きをしていた。


 諸葛亮はこれに対して、何祗を汶山太守に任命した。


 彼が赴任すると異民族は彼を信じて服属した。何祗が広漢太守に転任すると後に、異民族はまた反乱を起こし、何祗を太守に戻してくれれば我らは安心できると上表した。


 再び何祗を任命するのは難しかったため、何祗の親族を抜擢して行かせたところ、汶山はまた安定を取り戻したという。


 彼の才能を見抜き取り立てて、あっという間に楊洪と同格の太守にまで出世したため、人々は楊洪と何祗を見い出した諸葛亮を賞賛した。


 楊洪は朝会の度に何祗の隣に座っていた。ある時、ふざけて何祗を馬に例えて、君の馬はどうやったら走るのかと聞いた。いつも居眠りしているが故の言葉であろう。すると何祗は、


「馬が走ろうとしないのは、あなたが鞭を打とうしないからですよ」


 と、答えた。これに楊洪は笑った。周りの人々はこれを伝えて笑い話としたという。


 何祗は若い頃、張嶷ちょうぎょくと親交があった。しかし、国に仕えるようになると自分が文官で、張嶷は武官であったことから以前ほどの交流することはなかった。


 さて、その張嶷が疾病にかかったことがあった。彼の家は貧しく、薬を買うのも厳しかった。また彼自身、気難しいところがあったため友人も少なく頼れる者がいなかった。


 死を覚悟し始めた頃、彼は広漢太守になっていた何祗の名声を聞いた。


 何祗はずぼらであるが、義の人であると評価していた張嶷は久しく交流の絶えていた何祗の元を訪ね、治療の面倒を見てもらえないかと頼んだ。


「断る理由などあろうか」


 何祗は財を傾けて彼を援助した。その結果、数年かかって張嶷は回復することができた。


 若いころ何祗は夢で井戸の中に桒が生えるという夢を見たことがあった。


 そこで夢占いの得意な趙直ちょうちょくに相談したところ、趙直は、


「桒は井戸の中のものではなく、移しかえねばならない。桒の字は四つの十の下に八と書き、君の寿命は恐らくこれを越えることはないだろう」


 と、語った。何祗はそれだけ生きれば十分だと笑った。


 広漢太守から転じて犍為太守となった際、何祗は在任中に四十八歳で亡くなった。


「夢占いって当たるんだなあ」


 それが最後の言葉であった。最後まで飄々とした男であった。





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