伯楽について
伯楽と言うと、中国の古典を読んだこともない人でも聞いたことはある名前だろう。伯楽は戦国時代で活躍したのだが、『夢幻の果て』では話しに組み込むのは困難であると考え、今回、伯楽についてここで述べたいと思い、書かせていただいた。
そもそも伯楽は人物名ではなく、職業名であると思うべきで、また、この伯楽は時代や地域によって呼び方は変わるが、敢えてここは伯楽と統一する。
伯楽とは本来は馬の鑑定や調教を生業とする人物たちのことである。馬を売ったり、仲介するなども伯楽の仕事として含まれるが、詳しく言えば、それらは馬喰と呼ばれる。
馬が人の家畜として飼われるようになったのは紀元前4千年前であると言われている。家畜になってから馬車が普及されることになったことで、馬の重要性は大きくなった。
馬車の普及によって移動手段としての馬が普及していったことで、更には軍事に利用されるようになった。そのため貴族階級においては、武の象徴となり、農民にとっては貴重な移動手段となった。
このように馬が人間社会に重要な存在となった。そのためできるだけ良い馬を手に入れたいという人間の欲によって登場するのが伯楽たちということである。
さて、古代中国の戦国時代において彼等、伯楽たちは大いに活躍した。
さて、古典に出てくる伯楽とはなんだという話しだが、古典に出てくる伯楽は所謂、名伯楽と呼ばれる人であろうが恐らく名伯楽という人物は複数いた可能性も否定できない。
取り敢えずはある一人の人物として彼の逸話を話そう。
伯楽という人物は少し変わった感性を持っていた。
彼は好意的な人物には平均的な馬の見分け方を教え、嫌いな人物には名馬の見分け方を教えた。
何故、嫌いにも関わらず、名馬の教え方を教えるのか。彼はその理由をこう述べている。
名馬というものはそう簡単に見つかるようなものではない。それならば平均的な馬をたくさん見つけることができる方が良いだろう。
名馬を見分けることができる人物だからこそ言える言葉だと言えるだろう。
そんな名伯楽だが、彼の名声故、利用されてしまったことがある。
ある商人が彼を見かけると彼にこう言った。
「私の馬を見ながら三周し、離れてから振り返って見てください」
お礼をしますからと言われた彼は言われた通り、商人の馬の周りを三周して離れてから振り返るとその商人に多くの客が群がっているのが見えたというものである。
伯楽の一顧を得るという故事である。
それほど彼の名声が高かったことと彼の目を信頼されたこと言えるだろう。
しかし、現代の私たちでも競馬でこの馬なら勝てるや鼻が大きいからとか、足がしっかりとしているから名馬だと言われてもどこまで信じることができるでしょうか?
そう言われて、信頼できるかという疑問は古代中国の人々も他の時代、他の国々たちも彼等伯楽の名馬に関する言葉を信頼できないでいた人たちも多かった。
さて、紀元前において馬の産地と言えば、中国だった。その理由は中国の伯楽たちが他の国々よりも先進的な考えを持っていたことが理由である。
その先進的なものというのは銅馬法である。
銅馬法とは何かと言うと、伯楽の言っても人々は信じてくれないのなら、目に見える形にしてやるぜということで、名馬の姿を彫像で作ってしまえというものである。
これは後世の伯楽たちにとっても指南書というべき存在となり、これを通して名馬の理想なスタイルを見ることができたのである。
これが欧州で行われたのは十八世紀からである。この先進性から中国は馬の産地となったのである。
さて、この銅馬法だが、漢代にたくさん作られたのだが、その後の戦乱で破壊尽くされてしまった。金になるからね。
更にお上によって馬の独占によって中国の伯楽の地位は脅かされてしまった。彼等の存在意義は色んな身分の人が馬を求めて発生するからである。
さて、このようなことに対して対策を行った人物がいた。宋の王安石である。彼は保馬法という馬の保護を行う法を作った。しかし、上手くはいかなった。
こうして中国は世界有数の馬の産地の座から降りることになったのである。
さて、伯楽はなんやかんやでも人々の信頼を受けていた。馬の治療や蹄の調整なども行ったからである。
しかし、馬喰は中々に信頼されることはなかった。各地を移動しまくり、馬を売るにおいても庶民に対して、値段を吊り上げたりするところから信頼されなかったのである。
更にその果てには馬喰は詐欺師の代名詞にされるほどにまで言った。さて、それほどに馬喰の評判が悪かった国を皆さんは知っているでしょうか?
それはドイツである。
ドイツの馬喰は本当に質が悪く、名馬に見えるようにたてがみを染めたり、耳毛や尻尾の毛を切って若い馬に見せたり、病気の馬を普通の馬に見せるようにしたりと様々な手段を用いて、値段を吊り上げたのである。
これらによって本当に評判が悪くなり、馬喰は詐欺師という意味の言葉になるほどである。
やがて車などの登場によって、馬は使われることは少なくなり、伯楽たちは少なくなっていったのである。
以上を持って伯楽についての話しを終える。




