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蛇足伝  作者: 大田牛二


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要離

 呉王・闔廬こうりょが呉王・りょうを殺害したが、慶忌けいきが隣国にいるため、諸侯を糾合して討伐しに来るのではないかと恐れていた。


 そこで伍子胥ごししょに問うた。


「かつて専諸せんしょは私に厚く遇された。今、公子・慶忌が諸侯と謀っていると聞き、私は食事をしても甘味を感じず(美味しいとは思えず)、寝ても安心できていない。専諸がいない今、汝しか頼る者がいない」

 

 すると伍子胥が言った。


「私は不忠な事は行いません。大王と共に私室の中で王僚を図り(闔閭の屋敷で王僚を殺し)、今またその子を討つと言われるのは、恐らく皇天の意志に合わないでしょう」

 

 闔廬は言った。


「昔、武王ぶおう紂王ちゅうおうを討伐してから武庚ぶこうを殺害したが、周人には怨色が無かった。今それに従ったとして、なぜ天意に背くことになるのか?」

 

「私が王に仕えることで呉が統治できるというのであれば、恐れることはありません。私には厚く遇している細人(身分が低い者。庶民)がいます。彼と謀るべきです」

 

 闔廬は怪訝そうな表情を浮かべ言った。


「私が心配しているのは万人の力に匹敵する相手である。細人と謀ることができるだろうか?」

 

「その細人と謀れば、万人の力を得ることができます」

 

 伍子胥がそう言ったため、闔廬が、


「それは誰だ?」


 と問うと、伍子胥は答えた。


「姓は要、名は離と申します。かつて私は彼が壮士・椒丘欣を辱めるのを見ました」

 

「どのような事があったのだ?」

 

 伍子胥は語り始めた。


「椒丘欣は東海沿岸の人です。斉王の使者として呉に来て淮津(淮水の船着き場)で馬に水を飲ませていると、津吏がこう言いました。『水中に神がおり、馬を見れば、姿を現して馬を害すのです』

 

 椒丘欣は鼻で笑い言った。


『ここに壮士が居るのだ。どの神が私の馬を害すというのか』

 

 椒丘欣は従者に命じて馬に水を飲ませていると、果たして水神が現れて馬を奪った。激怒した椒丘欣は上衣を脱いで剣を持ち、水に入って水神に戦いを挑んだ。


 数日後、やっと戻った椒丘欣は片目を失っていた。

 

 椒丘欣が呉に入った時、友人の葬儀があった。彼は葬儀に参加したが、自分の武勇を誇っているため、呉の士大夫を軽視し、言動に無礼があった。すると要離が進み出て、椒丘欣の前に坐って言った。


「勇士の戦いとは、日と戦ったら表(時)を移さず、神鬼と戦えば、踵を返すことがなく、人と戦えば、名声を裏切らず、生きて戦いに挑めば、死んで還ったとしても恥辱を受けることはないものだ(命を落としたとしても逃げ帰ることはない)という。しかしあなたは神と水中で戦った結果、馬を奪われ御者を失い、しかも目まで損なっている。形を失いながら勇を名乗るとは、勇士が恥とすることである。しかも敵と戦いながら死ぬことなく命を惜しんだにも関わらず、我々に自慢するのか」

 

 椒丘欣は返す言葉が無く、怒りと憎しみで要離を撃とうとした。要離はすぐに退席して家に帰り、妻に言った。


『私は勇士・椒丘欣を大家の喪の席で辱めた。彼の怒りは収まることはないだろうから、夜になれば、必ずや私を襲いに来るだろう。家の門を閉じてはならない』

 

 夜、椒丘欣が要離の家に来た。しかし大門が開かれたままであった。門を入って堂に登ると、そこも開かれたままで、部屋の戸も開いていた。


 要離は髪を解いて寝ており、椒丘欣を警戒する様子がなかった。

 

 椒丘欣は剣を手に取り、要離の頭をつかんで言った。


『汝は三死の過(死に値する三つの過ち)を犯した。それを知っているか?』

 

 要離が、


『知らない』


 と答えたため、椒丘欣は続けてこう言った。


『汝は大衆の面前で私を辱めた。これが一死である。家に帰ったにも関わらず、門を閉じなかった。これが二死である。警戒することなく寝てしまった。これが三死である。汝には三死の過がある。殺されても怨むな』

 

 すると要離はこう言った。


『私に三死の過はない。逆に汝には三不肖の愧(三つの不才な恥。人格を損なう恥とするべき三つの行為)がある。知っているか?』

 

 椒丘欣が、


『知らない』


 と言ったため、要離は言った。


『私が千人の衆の前で汝を辱めた時、汝は報復しようとしなかった。これが一不肖である。門を入る時に咳払いせず、堂を登る時に声をかけなかった。これが二不肖である。先に剣を抜き、私の頭をつかんでから大言を吐いた。これが三不肖である。汝は三不肖によって私を威嚇しているが、恥ずかしくないのか?』

 

 椒丘欣はこれを聞いて、剣を投げ捨てると、嘆息して言った。


『今まで私の勇を軽視する者は誰もいなかった。要離の勇は私より上である。これこそ天下の壮士と言えよう』

 

 伍子胥は、ここまで話してから言った。


「要離の勇がこのようであると聞きましたので、王に推挙するのです」

 

 闔廬は、


「宴を設けて彼を招待しよう」


 言った。

 

 

 

 伍子胥は要離に会った。


「呉王が汝の高義を聞き、一度会いたいと思っている」

 

 要離は伍子胥と共に闔廬に謁見した。 彼を接見した闔廬が問うた。


「汝は何者だ?」

 

 要離は答えた。


「私は国東千里の者です。身体が小さく、風を迎えれば、仰向けに倒れてしまい、風を負えば、前に伏せてしまいます。しかし大王の命があれば、私は力を尽くすことでしょう」

 

 闔廬は内心、伍子胥が人選を誤ったと思い、暫く何も言わなかった。すると要離が前に出て言った。


「大王は慶忌を心配しているのではないのでしょうか。私は彼を殺すことができます」

 

 闔廬は彼に向かって言った。


「慶忌の勇は世に知れ渡っており、筋骨たくましく、万人を敵にすることができる人物である。走れば獣を追い、素手で飛ぶ鳥を捕まえ、動きも鋭敏だ。かつて私が江(長江)まで追撃したが、駟馬(四頭の馬が引く馬車)を駆けさせても追いつくことはできず、矢を射ても射止めることができなかった。汝の力が及ぶ相手ではない」

 

 要離は、


「王にその意思があるのなら、私に殺すことができます」


 と言うと闔廬は、


「慶忌は明智の人でもある。今は諸侯に頼っているが、諸侯の士に劣ることはないだろう」


 と言った。すると要離は言った。


「妻子との楽しみに安んじ、国君に対する義を尽くさないことを非忠と申し、家室の愛を想い、国君が憂いる者を除こうとしないことを非義と申すと私は聞いております。私が罪を負ったと偽って出奔しましょう。王は私の妻子を殺し、私の右手を斬ってください。慶忌は必ず臣を信用するでしょう」

 

 彼の覚悟を聞き、闔廬は同意した。

 

 こうして要離が呉都を離れると、闔廬は要離の妻子を逮捕し、市で焼き棄てた。

 

 

 



 要離は諸侯を巡り、闔廬に対する怨みを述べた。要離の冤罪は天下に知れ渡った。

 

 衛に入った要離は慶忌に謁見を求めた。


「闔廬の無道は王子も知ってのことかと存じます。最近は私の妻子を殺して市で焼きました。罪が無いにも関わらず、誅殺に遭ったのです。呉の内情は私がよく知っています。王子の勇によって闔廬を得たいと思います。私と一緒に東の呉に向かいませんか」

 

 慶忌は要離を信じた。

 

 三カ月後、慶忌は兵の訓練を終えて呉に向かった。

 

 慶忌の舟が長江の中腹に至った時、要離は行動を起こした。力が弱い要離は風上に坐り、風に乗って慶忌の背に矛を突きつけた。

 

 慶忌は後ろを振り向くと、矛が刺さったまま要離の頭をつかみ、三回水中に沈めた。しかし要離を殺さず、逆に自分の膝の上に置いて、笑った。


「天下の勇士である。私に武器を加えるとは」

 

 左右の近臣が要離を殺そうとしたが、慶忌が止めて言った。


「彼は天下の勇士である。一日に天下の勇士を二人も殺してはならない。彼を呉に帰らせて、その忠を表彰させるべきだ」

 

 彼がそう言い終わると慶忌は死んだ。

 

 要離は江陵まで来たが、呉都に還ろうとしなかった。従者が理由を問うと、彼はこう答えた。


「私は自分の妻子を殺して我が君に仕えた。これは非仁である。新君(闔廬)のために故君(王僚)の子を殺した。これは非義である。士とは死を重んじて不義を貴ばないものであるが、私は命を惜しんで正しい行いを棄てた。これは非義である。三悪がありながらこの世に生きて、どうして天下の士と顔を会わせることができるだろうか」

 

 要離は長江に身を投げたが、従者が助けた。

 

 要離が言った。


「私が死ななくていいはずがないのだ」

 

 従者はなおも止めた。


「あなたは死ぬべきではありません。爵禄を手に入れるべきなのです」

 

 しかし要離は自分の手足を斬り、剣に伏して死んだ。

 

 


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