Side-L アリス・クロノフルト
ルナとドルトンを医務室に向かわせてから、僕は一目散に魔力の出元へ駆けつけた。
なにせ僕や姉さんに及ばないとはいえあまりにも強大だ。しかもそれが人間の魔力だというのだから看過できない。最近オラクの領地では人間との交流が増えてきているとはいえ、こうも魔力を垂れ流しにするなんて異様だ。敵意があるのかそれとも――。
やがて東門の前までたどり着くと、そこには一人の女性が佇んでいた。背にかかる程の赤毛を大きなリボンでまとめ、腰に下げている変わった鐔の真鍮色の剣が存在感を放っている。
ふと目が合うと、女性は勝気な笑みを浮かべた。
「初めまして。あーしはアリス・クロノフルト。まさか魔界へ来て最初に出会うのが人間だとは思わなかった」
「つ、『アリス・クロノフルト』……!?」
「んー? どこかで会ったことあるっけ?」
「いや。でも話だけは聞いていたよ。ユリア姉さんの友人で、セラフィスの恋人だって」
「ふっふっふ、よく知ってる。そう言うあーたは口ぶりからしてユリアの一番下の弟・ライトくんかな?」
声には出さず僕は黙って頷く。
……敵意はない……だろうか。
念のため柄を握り出方を探っていると、僕の傍の空間が歪み、東の魔王軍四天王のセラフィスが姿を現した。遅れて姉さんとオラクも転移してくる。
「誰かと思えばセラフィスじゃん。久しぶりに会えてうれしい」
微笑みかけられ、セラフィスはオラクの顔を伺いながら曖昧に頷いた。
「それから初めまして、【東の魔王】さん」
「……俺のことを知っているのか?」
「あたりまーよ。あーたの顔はつい最近まで手配書で出回っていたから」
「そういえばそうだったな」
納得した表情を浮かべながら、オラクはそっと耳を近づけてきた。
「アリス・クロノフルトか?」
「ご名答」
「やはりそうだったか」と呟きながら彼は顔を離す。
「これ見よがしに魔力を垂れ流して何の用だ?」
「無造作に魔力を放出していたことは謝るよ。あーたを呼ぶためにはこれが一番手っ取り早いかなーって思ったから」
「威嚇行為かと思ったが」
「ちがーよ。あーしはただ話をしに来たんだからっ」
「話?」
僕達の言葉が被る。
「うん、実は今日、三つの王立魔法機関を聖魔導騎士団の一つに統合するって発表がされたんだ。それで――」
「ちょっと待って! 今、『統合するって発表がされた』って言った!?」
慌てて僕はアリスの言葉を遮る。
そろそろだとは思っていたけれど、こんな急に言われると易々とは飲み込めない。まさか僕が人間界にいない間に発表されるとは……。
「あれ、てっきり統合される件に関しては知ってるのかと思ってた」
「もちろん知ってたよ。僕が驚いてるのは本当に今日発表されたのかってこと」
「そーだっ。嘘つく理由はなーよ」
「まあ……それもそうか。……ごめん、話を遮って。続けて」
何事もなかったかのように彼女は話を再開する。
「統合することが発表されて間も無く、中枢魔法協会も声明を出した。『此度の措置は到底受け入れられるものではない。我々は断固拒否する』って」
タイミングを合わせてきたということはやはり事前に王政側と協会側で交渉を行なっていたのだろう。
いくら協会にとって不本意な内容だったとしても、中枢魔法協会としての正式な声明をまとめるのには時間が掛かる。それをすぐに出せたのだから、上層部で何度か合議されていたのは間違いない。
「声明の最後はこう結ばれていた。『政府が此度の決定を取り消さず、統合を強いるのであれば、我々は武力衝突も辞さない』と。まー、事実上の宣戦布告だっ」
少々意味が違うような気がするけれど、気持ち的にはまさに彼女の言う通りだ。兄さんが決定を覆すはずはないし、協会も交渉を重ねたのであればそれを分かっているだろう。協会は対決意思を鮮明にしたと見ていい。
「ただし双方共に協会員には考える猶予を与えるって。刻限は二週間後。あーた達のお兄さんに従うか、協会員として抗戦するか、あるいは第三の道を選ぶか」
争いを好まないのであれば傍観を決め込むのが最良の選択肢なんだろう。というか王国軍が五大貴族を屠った今、大多数がその道に走るんじゃないかな。いくら中枢魔法協会がいい職場だとしても、武器をとってまで抗おうとするだろうか。姉さんみたいに思い入れがあるなら話は別だけど、よくよく考えてみれば自分の居場所を守るためだけに戦う義理はない。
おそらく戦いに参加する者は多くないだろう。
でも、僕の答えは決まっている。
「当然、戦うよ。アルベルト兄さんにも既に意思は伝えている」
「わたしもライトと同じです。中枢魔法協会を守るために全霊を賭して戦います」
「ふっふっふ、二人ともしっかりしてる。ユリアにそっくりだ」
ユリア姉さんに似ていると言われると素直に喜べないけど、心からの賛辞なんだろう。ありがたくもらっておこう。
「さーて、前置きはここまでとしてっ」
「ん?」
聞き間違いかな。今『前置き』って聞こえた気がするんだけど?
「そろそろ本題に入らなーと」
こほんとアリスは咳払いをする。
聞き間違いじゃなかった。どうやら本当に今までのは前置きだったらしい。
確かにさっきまでの話はオラクに関係なかったしね。わざわざオラクを呼び寄せたのなら、何かしら彼に関係のある話題が出てくるはずだ。
「さっきの話で疑問に思った点はなーかな?」
「疑問……」
顎に手を当て一考してみる。
と、セラフィスは思い当たることがあったようで静かに手を挙げた。
「中枢魔法協会は統合されることに反対しているだけであって王政自体を否定したいわけではない。武力衝突とは言っても、王権を奪取することまでは考えていないであろう。つまりいざ戦うとなった場合、勝利条件が曖昧なのではないだろうか」
「その通りっ。王政側は協会を根絶させればいーけど、協会は何を目指して戦えばいいのかが不明確」
もちろんアルベルト兄さんの考えを改めさせるのが最終目的だろう。ただ、そのためだけに国王である兄さんの首を獲るのはやりすぎだろうし、暴動を起こして市民を巻き添えにするわけにもいかない。
協会の上層部は何を思って『武力衝突』という言葉を選んだのだろうか。
「そこで協会と王政は協議の末、ある解決方法を編み出した。中枢魔法協会の御前試合のように、試合という形で互いの主張を押し通そーって」
試合か……。死傷者が出ないという点ではいい方法かもしれない。けど試合形式にしたら王政側はせっかくの数の優位を失くしてしまうだろうに。絶対の自信があるということなのかな。
「これを機に、政府は不満を持っているであろう元貴族の主張も試合を通して受け付けることにしたって」
「……何ていうか、兄さんらしいって言えばいいのかな。試合なら双方被害は小さくて済むし、訴える側も気軽にとまではいかなくとも内乱を起こす必要もない。国内で兵力の潰し合いをして、諸外国に付け入る隙を与えてしまうなんていう事態は引き起こさないよね」
三つある王立魔法機関を一つに統合しようと考えたのも有事に備えてのことだし、やたらと安全保障には神経を尖らせているように思える。大きな戦いの予兆でも感じているんだろうか。
「試合といったが、具体的にはどんな形式なんだ?」
僕が考え事をしている間にオラクが疑問を呈する。
「10対10の団体戦。相手の大将を討ち取れば勝利だっ」
「単純明快だな」
試合に参加する人も勝敗の裁定をする人もやりやすいね。
「うん、それで肝心のメンバーなんだけど、協会はある人物に協会側として出てほしーんだって」
一拍の間の後、オラクが自らの顔を指差した。
「俺か」
「正解っ」
ニヤリとアリスは綺麗な白い歯を見せる。
「つまりお前は協会の意思を伝えに来た使者だと」
「そーだっ」
彼女は楽しそうに笑うが、僕の頭に一つ疑問が湧いてきた。
「僕が言うことじゃないけど、無礼な話だね」
「んー? 何かな?」
「君に対してもそうだし、オラクに対しても無礼だ。協会の陣営に引き入れたいのなら、協会の上層部が直接出向くのが筋ってもんじゃないの?」
まあアリスに言っても仕方ないことなんだけど。
「ふっふっふ、ライトくんの言うことはもっともだ。でもこれはあーしが自分で志願したことなんだ」
「協会員でもないのに?」
「協会員じゃないけど、あーし以上の適任はいないと思うよ」
一瞬固まって、すぐに思い出した。
「……セラフィスの恋人……」
「改めて言われーと照れるね」
頰を掻きつつ彼女は続ける。
「ライトくんとオリビアちゃんを除けば魔族と深い関わりがあるのはあーしぐらいしかいなーから、魔界でも危ない目には遭わないだろうって思って。それにあーしは完全中立だから。どの立場に寄ることもなく、冷静に議論できる」
アルベルト兄さんなら魔族とも関わっていそうなものだけど、兄さんは今王政のトップだ。わざわざ協会の戦力を増やすことに協力してくれるわけがない。
アリスの言う通り彼女が交渉人として最適なんだろう。
にしても、わざわざご苦労なことだね。
「あーしは別にどっちでもいいんだけど、頼まれた以上は返事を持って帰らなーと。【東の魔王】さん、答えを聞かせてもらってもいーかな」
どんな返答をするのか、気になってオラクの顔に視線を向けるよりも早く、彼は答えた。
「協力しよう」
「ちょっ……、即答?」
「文句あるか?」
「あるよ。君は仮にもここの領主なんだから。もっとじっくり考えた方がいいんじゃないの?」
「考えたところで変わらないさ。今どこかで俺に助けを求めている奴がいる。だったら助けてやるのは当然だろう?」
一点の曇りもない瞳で僕の瞳を射抜く。
本当、こういうところだよなあ……。
チラリと姉さんに目線を向ければ、姉さんは深々と頭を下げていた。
「すみません、また私たちの都合に巻き込んでしまって」
「いいんだよ、俺が勝手に手伝うだけなんだから」
オラクは苦笑して姉さんの頭を優しく叩く。
「違ーよオリビアちゃん、こういう時は謝るんじゃない」
顔を上げた姉さんに、アリスはいたずらに微笑んだ。
「『ありがとう』って言うんだっ」