Side-O 狂乱の魔王
「……ルシェル、どうしてお前がここに……?」
胸の中に飛び込んできたルシェルに語りかけると、彼女は顔を上げて真正面から俺の双眸を見つめた。
「オラクに会いたかったから♡」
「いや……そうだとしてもなぜこのタイミングで? それにこの白い粒子のこと、霊気が可視化したものって言ってたが、お前も死霊術師だったのか? というか西の魔王領は北の魔王領と同盟を結んでたよな。ってことは【北の魔王】を助けに……?」
「質問が多いよぉ。そんなことはどうでもいいのさあ。それよりも、返事を聞かせてくれないかなあ?」
「どうでもいいって……」
俺が困惑して視線を彷徨わせていると、同じように頭に疑問符を浮かべる【北の魔王】と一瞬目線が合った。
「アドルノスキーはんに……ルシェルはん……? 一体何をしに来たのでごわすか?」
毒で意識が朦朧としているであろう彼はかすれた声を絞り出す。
「さて、何でだろうなー? この後【西の魔王】さまから解説があると思うぜー? ところで【北の魔王】さまよ、酷いザマだなー」
倒れる主君を冷たい目で見下ろし、北の魔王軍四神将のアドルノスキーが嘲笑する。
本当に何が起きているんだ。頭が追いつかない。
「ねえオラク、返事♡」
「何だよ返事って」
「あれぇ、前に言わなかったけ? アタイと結婚してって」
プツッと何かが切れる音がした。遅れて凍てつくような殺気が漂ってくる。
後ろを振り向けば、少し離れたところにライトやセラフィス、ルナにオリビアといった面々が立っていた。
「あ、バレた。まったく、ルナが殺気を放つから……」
「だってあの女! お兄ちゃんとけ、けけ、結婚って……!」
バレたら仕方ないと言わんばかりに彼らは警戒心を張り巡らせながらもこちらに近づいてきた。否、近づこうとした。
ギロッと目を剥いたルシェルが腕を一振りし、俺と彼らとの間に糸の障壁を築いたのだ。
「――“蜘蛛糸架線堤”」
ライトが抜剣して切り裂こうとしたが、糸は一本たりとて切断されることはない。
「部外者は近寄らないでもらえるかなあ?」
底冷えするようなルシェルの声色に皆の足が止まる。
「さ、オラク、返事を聞かせて♡」
「……」
そういえばまだ俺たちが子供だった頃、同じように迫られたことがあったな。ここまで鬼気迫る雰囲気ではなかったが。
幼い頃のルシェルを頭に思い浮かべ、次に目の前のルシェルを見つめる。
あの頃と比べて彼女はだいぶ変わった。癖っ毛だった髪は今では艶のある髪に。おどおどしていた気質は今ではその豊満な身体のように自信に満ち溢れ。そして目の下には濃いくまができた。
誰のものか忘れたが、魔王就任の式典で顔を合わせた際彼女に問い詰めてみれば、俺に好かれるために努力したと言っていた。俺のために努力してくれたことは素直に嬉しかった。だが――
「返事はノーだ」
彼女の肩を掴んで引き離し、子供の時と同じ答えを返す。
――嬉しいからといって、それが好きという感情に結びつくとは限らない。
「そっかあ、やっぱりダメかあ」
ほんの少し、瞳に悲しみの色を浮かべた彼女は俺の頰に手を添える。
「それは過去の人物に囚われているからか、他に気になる女がいるからか、愛する部下が大勢いるからか。対象はわからないけど、愛情の矛先が他の誰かに向いているからなんだろうねーぇ」
肯定も否定もせずに俯くと、彼女は「だったらやっぱり」と呟き、狂気じみた発言をした。
「オラク以外の生き物を全て、この世から消し去る他ないかなあ?」
「なっ……」
「この世にアタイとオラクしかいなくなれば。オラクの頼る相手はアタイしかいなくなる。そうなれば自然と、部下や領民に向けていた愛もアタイが一身に受けることになる」
「……お前は……何を言っている……?」
「けひひっ、ただ事実を述べてるだけさあ」
こいつ、狂ってる。
誰もが同じ思いを抱いたことだろう。
前回会ったのが誰かの魔王就任の式典の時。その時からどうも異様な雰囲気を感じていたためルシェルのことを避けていたのだが、俺の行動は間違っていなかったらしい。
こうも、彼女の異常さを目の当たりにすることになろうとは。
「今回の戦争も、東の魔王領の生物を蹂躙するためにアタイが引き金を引いたのさあ」
「っ!」
「北の魔王領と東の魔王領に軋轢を生むためアドルノスキーを北の魔王軍に潜り込ませ、出世街道を歩ませたことがこの争いの始まり。北の魔王軍は徹底した実力主義だからねーぇ、アタイの思惑通りアドルノスキーは四神将の座を獲得し、さらに他領との交易を管轄する部署の長に任ぜられた」
べっとりとした嫌な汗がこめかみをつたう。
“交易を管轄する部署”、飢餓をめぐる東の魔王領と北の魔王領の認識の違い。まさか――
「北の魔王領が他の魔王領と交易を行う際、必ず間にはアドルノスキーが関与することになる。つまり、そこで真の情報を握り潰し、改ざんすることが可能ってわけさあ。ここまで言えば、もう何が起きていたか分かるよねーぇ?」
「――東の魔王領からの支援の申し出、そして北の魔王領からの援助の要請をなかったことにしていたのか……!」
「けひひっ、正解〜」
沸々と怒りの感情が湧き上がってくる。
気づけば俺はルシェルが羽織っている白衣の襟を掴んでいた。
「お前……人を愚弄するのも大概にしろよ! 飢えで苦しんでる人が大勢いるんだぞ!? 情報を握り潰すことで、救える命が一体どれだけ無駄になると思ってる!?」
「どうでもいい」
「どっ……『どうでもいい』!?」
「この世にはオラクさえいればいい。他には何もいらないよぉ。魔族も、人間も、民への慈悲も、北の魔王領との同盟関係も。全部どうでもいい。全部不要なものだあ」
俺が言葉に詰まると、ルシェルは俺の手を優しく握り締めて続けた。
「アタイとオラクだけの世界なら、そんな風に他人のために怒る必要もなくなる。余計なものが存在しないなんて素敵な世界だと思わない?」
頰を朱に染めて咲かせる彼女の笑顔は不気味で美しくて。
とても、悲しい。
いたたまれなくなってその場に膝をつくと、代わりにトオルが立ち上がってアドルノスキーと相対した。
「アドルノスキーはん、おはんは西の魔王軍の将だったのでごわすね」
「そうだぜー、驚いたろ?」
「……このような醜い争いを引き起こした責任は重いでごわすよ」
「ははっ、そりゃそうだ。こんだけ盛大な祭り騒ぎになりゃなー。で? どうすんだー?」
「今この場で、罪を償ってもらいやす」
毒が回っているだろうに、トオルは神槌ニョルニルを構え、全身に雷を迸らせる。
全霊を込めた一撃を繰り出そうと、彼が槌を振るおうとした間際のことだった。
「呪いの魔眼に睨まれし万物は氷の結晶となりて散りゆく」
アドルノスキーが謳うように詠唱して眼帯を外すと、トオルの全身が凍りついた。
「こ、これは……!?」
「全てを凍てつかせる呪いの魔眼だぜー。俺さまの二つ名を文字って、“霜眼”とでも呼ぶかー」
アドルノスキーが解説を終える頃には、トオルの意識は完全に闇に呑まれていた。
「けひひっ、【北の魔王】、またの名を【雷神】のトオル・オキシド・ピンクゴリラ。あんさんはもう用済みだあ。同盟関係は今ここで破棄する。同盟関係を解消した今、アタイがあんさんを殺しても誰も文句は言わないよねーぇ?」
不気味に微笑むルシェルの足が鎌首のように持ち上がる。ヒール付きのかかとが振り下ろされ、トオルを覆っていた氷が粉々に砕け散った――。
「あれぇ?」
――しかしトオルの姿はどこにもなく、その場にはただ影が波打っていた。
「四神将を討ち、急いで駆けつけてからしばらく成り行きを見守っておりましたが、どうにもややこしい状況になってきましたな」
その影を見つめていると、中からズブズブと音を立ててハルバードが姿を現した。
「けひひっ、誰かと思えば【幻影卿】のハルバード・モンドールかあ」
小さくお辞儀をした彼は杖を持って俺を守るように俺の正面に立つ。
遅れて糸の障壁を迂回してきたルナやライトたちもこちらに走り寄ってきた。
オリビアが俺の横に膝をつき「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。そんな彼女と俺を一瞥して、ライトがハルバードよりも一歩ルシェル寄りに立つ。
「部外者がわらわらと湧いてきたあ。話の邪魔だよぉ。アドルノスキー、始末」
「りょーかい。呪いの魔眼に睨まれし万物は――」
「させないよ」
アドルノスキーが魔眼を発動させようとすると、ライトが剣を一振りして瘴気を伴った黒い魔力を解放した。
「あぶねー……。何だよ今の魔力は。さっきまでとは桁違いだろ」
「悪かったね。胸に深手を負ってる割りには元気そうだったから本気でいかせてもらった」
アドルノスキーとルシェルはとっさに転移して攻撃を回避したが、その代わり俺たちとの距離が数歩広がる。
「けひひひっ、今のはよかったよぉ。まさか【覇黒竜】の力がそこまで目覚めてるとはねーぇ」
「はこく……何?」
「けひひっ、ひ・み・つ」
ライトの魔力に何を思ったか彼女は笑みを深める。
「どうやらアタイの計画通りに事が進んでいるみたいだあ」
「だから」と彼女はこちらに視線を向ける。
「今日のところはこれでお別れとするよぉ。本当はもっともっとオラクと一緒にいたいんだけど、アタイのことを振り向いてくれないからねーぇ。全てを滅ぼす準備が整ったらまた会いにくるよぉ」
ひらひらと手を振るルシェルを睨みつけ、ライトが言った。
「僕から逃げられるとでも?」
「けひひっ、“竜眼”を使おうとしても無駄だよぉ。その程度じゃアタイを止めることはできない」
「……何で“竜眼”のことを?」
「けひひっ、さっきから言ってるでしょう? ひ・み・つ、だって」
ライトが呆然としている間にルシェルは魔法陣を描き、転移の光に包まれて行く。
「ねえ、オラク。最後に一つだけ」
すうっと息を吸い込み、一言。
「愛してるよ」
そんな言葉を残し、ルシェルとアドルノスキーは俺の視界から消え去った。